──錆兎さん、今日一緒に寝ていい?
とある夜のことである。
──ああ、構わないぞ。どうした?何かあったのか?
と、息子を寝室に招き入れた。
息子の名は義勇。
俺を父さんとかじゃなく、錆兎さん、と名で呼ぶのは、この子が俺の実の子どもではなく、彼の両親が亡くなった6歳の時に引き取った子どもで、当時の彼に今までの父さんを忘れて俺をそう呼べというのは酷だと思ったからだ。
俺が父親と言う立場にはなるが、呼び方に関しては別にこだわりはないというと、義勇は明らかにホッとした顔で、『じゃあ錆兎さんって呼んでいい?』と言ってきたので、この判断は正解だったのだと思う。
それ以来、義勇は戸籍上の親である俺の事を『錆兎さん』と名前で呼んでいて、そのまま今に至る。
こうしてまるで普通の知人のような呼び方ではあるが、俺はちゃんと義勇の親のつもりだったし、実際親がするようなことと判断したことは全てと言って良いほどやっているんじゃないだろうか。
義勇も義勇で俺に懐いてくれているようで、家族仲は良好だ。
引き取ったばかりの頃は両親と姉という家族全員を一気になくしたこともあって人恋しいらしく、しょっちゅうこうして枕を持って俺を訪ねて来て、一緒に寝起きをしたものである。
でも小学校高学年になる頃には義勇も少しずつ幼い子どもから少年に育ってきて、夜は宿題の他に勉強をしたいからと問題集を買い込んで自室で勉強していたこともあって、夕食後に各々自分の寝室に戻ってから訪ねてくることはほぼなくなってきた。
幼い頃の無条件に甘えてくる子どもとのふれあいというものがなくなってきたのは少し寂しい気はしたが、それを子どもの成長として喜んでやるのが親というものだろうと俺はそれをそう納得していた。
思春期だと親だからこそ距離を取られることもある。
話には聞いていたが、こんなに俺に懐いてくる可愛い子どもがそんなこと…と思ってたら、つい最近、義勇の精通でそれを思い知らされた。
同性でも親よりはまだ友人枠とはいっても異性である真菰に相談された時には正直泣きそうになったが、
「お前さあ…考えてみそ?
親とエロ話とか、どんな罰ゲームよ。
俺もさすがに親とはその手の話したことないわ。
精通関係は…親父と年離れた叔父さんだったかな。
やっぱり年上の友達みたいな関係だったから」
などと村田に言われて、ああ、確かに親に性的な話はしたくないよな…と諦めた。
まあそのわりに、何故か義勇が小学校1年の時に揉めて話し合いを持った義勇の同級生、不死川実弥はなんでも俺に話してくるんだが…。
今回、義勇の精通を迎えた日に、昼間、同級生男子が休み時間に読んでたエロ漫画が義勇の目に入ったことを教えてくれたのも彼だった。
「まあ…即引きはがしたから、そんなにマジマジとみる羽目にはなってねえとは思います」
と律儀に報告してくれる実弥に本来なら報告してくれたことを感謝するべきところなんだろうが、なんだ、それ、日常的に義勇をフォローしてやれるなんて羨ましい…と秘かに思ったことは絶対に誰にも秘密だ。
いっそのこと同級生に生まれていればずっと一緒にいてやれたし何でも話してもらえたのか…なんて馬鹿げたことを考えてしまうあたり、親としてはイエローカードなんじゃないだろうか…
ずっと一緒にいてくれる家族が欲しかった。
その一心では半ば強引に連れて帰ってきてしまった幼い義勇は俺の宝物だったが、その生活は彼が22歳で独り立ちできるようになるまで。
そう期限を区切ったのは俺自身だ。
その時は子育てというものは金と時間がとてつもなくかかる壮大な趣味で、独り立ちという形で完成したら、もう下手に手を出し過ぎたらいびつになるだけだ…と、非常に論理的な考えから決めたように思っていたが、実は無意識に、切望したものをいったん手にいれてしまった自分がそれを手放せる期限がそのあたりだろうと思っていたんじゃないだろうか…。
今、こうやって俺じゃなく他の人間の方が義勇のことを知っていて、義勇が俺以外の人間に何か相談したというくらいのことでウジウジしている自分を振り返ってそう思う。
そして…そうやって成長して世界が広がって距離が出来てしまったと思う愛息子がこうやって幼い頃のように枕を抱えて一緒に寝たいと訪ねてきたことが、俺にとってどれだけ嬉しく価値があることなのかは、俺以外の人間は決して知ることはないだろう。
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