錆兎さんの通信簿_3_会社員と農家と畑の話

「…もう錆兎、ほんっとに突然なんだから。
巻き込まれてあげるのはあげるけど、そもそもあんた本当に子どもなんて育てられるの?」

あれから錆兎さんの事務所で働く行政書士の真菰さんが父さんの遺言状を開封して、確かに全ての資産が俺に行くこと、会社関係の諸々の整理は錆兎さんに任せて、その利益も俺の資産になること、そして…錆兎さんが言った通り、その少なくはない遺産も、俺が成人するまでは一切手をつけずに錆兎さんの管理下で保管されることという内容を確認。

俺は色々複雑そうな顔の親族をおいて、錆兎さんに連れられて行くことになった。


そうしてとりあえず錆兎さんの事務所兼自宅のあるビルとやらに移動することに。

村田さんが運転する車の助手席で、車が動き出すなり真菰さんが冒頭のように言ってため息をついた。

俺は後部座席、錆兎さんの隣にいたんだけど、その言葉とため息にじわりと目の奥から熱いものが流れてくる。

「…俺は要らない子だから…行くとこなくて…ごめんなさい…。
なるべく迷惑かけないようにします…。
お手伝いもいっぱいします…」

その言葉がその時に俺が言える全てだった。
俺は親戚の誰も引き取りたくない子どもで、錆兎さんが引き取ってくれなければ生きていけないんだ…と思ったら心細くて悲しくて仕方がなくなった。

俺にはよくは見えなかったが、その言葉に真菰さんは息を飲んで、小さく、あっ…と零すと口を押えたようだ。

しかし錆兎さんはそんな俺に
「少なくともお前は要らない子ではない。
俺が要ると言ってるんだからな」
という。

いや、言葉的にはそうかもしれないけど…と納得できずにいる俺に、錆兎さんは
──義勇、少し話をしよう
と言った。

そう、俺はこのあと何回この言葉を聞くことになるかわからないくらい聞くのだが、錆兎さんは俺が悲しかったり落ち込んだり、いや、特に何もなかったとしても、よくこの言葉を口にした。

とにかく、──子どもだからどうせわからない──というよく世の大人が言うようなことを一切言わず、子どもの俺にもわかるようにかみ砕いて話してくれる人だった。


──…はな…し…?
──ああ、話だ。これから俺が言うことをよく聞いて考えて答えてくれ。

おずおずと涙目で見上げる俺に錆兎さんはしっかりと視線を合わせて言う。
そこで俺が頷くと、にこっと温かい笑みを浮かべた。

「こう想像してくれ。
田舎に広い畑があったとする」
「…はた…け?」
「そう、畑だ。
都会の会社員がその畑を貰ったら嬉しいか、困るか。
この畑は売ってはいけない、もらったらそこで畑仕事をしなければいけないとする」

唐突な話で俺は悲しさも心細さも一瞬忘れて、聞かれたことを一所懸命考えた。

「…はたけは…たがやさないとだめだ」
「うん、そうだな」
「やさいをうえて…みずもあげないとだめ」
「おお、そうだ。賢いぞ」

「とかいでおしごとをしているかいしゃいんにはできない」
「そうだな。だから?」
「もらってもこまっちゃうと思う」
「うん、そうだよな」

俺が答えに辿り着くまでぽつりぽつりと話す言葉に相槌をうちながら、最終的にたどり着いた答えに錆兎さんは大きく頷いてくれた。

正しい答えに辿り着いたということに俺はちょっと嬉しくなる。
しかし質問はまだ続いたのである。

「じゃあここでさらに質問だ。
田舎のお百姓にその畑をやるって言ったら喜ぶと思うか?」
「うん!よろこぶよっ!おやさいがいっぱいつくれる!!」

今度の質問は子どもの俺にもすごく簡単で、勢いこんでそう答えると、錆兎は、そうだろう?とまた笑顔で頷いてくれた。
そして続ける。

「今のお前はこの話の畑のようなものだ。
あそこにいるお前の親族にとってはお前が必要なかったが、俺にとっては宝物だ。
お前の価値がないわけじゃなく、お前を必要とする場所があそこじゃなかっただけだ」

と、どうやらここに着地点を持っていきたかったらしい。
そう話を締めくくった。

なるほど、錆兎さんの話は理屈としてはよくわかった。
だが、納得できたわけじゃない。

「でも…」
と俯く俺の顔を
「ん?何かまだ納得できないか?
じゃあもう少し話すか」
と錆兎さんは覗き込む。

「…はたけは……」
「うん?」
「おやさいがつくれるよ…」
「ああ、そうだな」
「でもおれは…なんにもできないから、さびとさんがよろこぶりゆうがない」

俺の言葉に、錆兎さんは
「ああ、そこから説明しないとだな」
と苦笑した。

「実はな、俺は自分で言うのもなんだが、いわゆる人生の成功者というやつだ」
という言葉で錆兎さんの次の話は始まる。

「幸いにして他人に不快感を与えない程度の容姿に生まれ、勉強も運動もでき、金を稼ぐ能力が無駄にある。
ところが、だ、絶望的に家庭を作る能力がない!」

何故だかドヤヤっとした顔で断言する錆兎さん。
いまにして思えば開き直っていたんだと思う。
「仕事関係では相手の考えを察することができるんだけどな。
家庭で必要とされるような柔らかい感情を察するのが苦手なんだ。
もちろん努力はした。
だが無理だった。
はっきり言って、ついこの前、何人目かの彼女に振られたばかりだ。
そんな時にだな今回のことがあった。
そして思ったわけだ。
女性と付き合いを深めてプロポーズをして結婚にあたっての諸々を乗り越えて子をつくって、その子が少なくとも意志の疎通ができる年になるまで育つ。
そんな果てしもなく大変な工程をすっ飛ばして家族を持つことができるなんて最高じゃないかっ!」

力説する錆兎さんと、車の助手席で
「あ~あ、もうそこまで開き直った結果だったのね…」
と片手を額に当てて小さく首を横に振る真菰さん。

そして運転しながらも苦笑する村田さん。

そんな二人に構うことなく、錆兎さんはしっかりと俺に視線を合わせた。

「俺は家庭を持って子育てというものをしてみたかった。
切望していたんだ。途中で投げ出さない自信はあるし、責任は持つ。
親と言うものを体験してみたい。
だから俺は物理的にお前に必要なものを整えるから、お前は俺に家族というものを教えてくれ。
俺が何かやらかしていたら、普通の親はそういうことはやらないとか、普通の親はこうするんだとか、色々教えて欲しい。
…ということで、どうだ?
俺の子どもにならないか?」

錆兎さんは俺に選択肢を与えてくれたが、俺にしてみればこれを断ったら行くところなんてないし、人見知りの俺にしては、錆兎さんはなんだか親しみやすい人に思えたんだ。

ということでこの時錆兎さんに差し出された手をとったことで、俺と錆兎さんのちょっと奇妙で…でも素晴らしい家族の生活が始まることになった。








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