義勇のスマホの着信音はもちろん炭治郎にも聞こえている。
なので、炭治郎はまず発信元が覚えのない番号であることを確認すると、
で、一言だけ、自分の電話である旨を伝えたらあとは無言放置で。
そうするように錆兎から指示が出ています」
と、告げてきた。
なるほど。
今までは知らない番号から電話がかかってくることなどなかったので意識したことはなかったのだが、自分は銀狼寮の象徴である姫君なので、電話も個人の問題ではないということなのか…と、今更ながら納得する義勇。
知らない相手に変な対応をしたら銀狼寮自体の評価に傷がつくよね…と、義勇は言われたままスピーカーにして
「はい。冨岡です」
と電話に出て、そのままチラリと炭治郎に視線を向けると、彼が頷きながらアイコンタクトでテーブルに視線を向けるので、音がしないようにそっとスマホをテーブルの上に置いた。
すると電話の向こうから聞こえてきたのは若い女性らしき声。
『もしもし。あたしは柏木亜子。
今度この学園に赴任してきた教師です』
と言う自己紹介に、義勇がぎょっとして炭治郎を見ると、彼はなんだか表情を硬くしていた。
“どうしよう?”
と、一応相手が教師なだけにスルーしていていいものかどうか悩んで、義勇が声を出さずに口の動きでそう尋ねると、炭治郎は厳しい表情のまま、黙っているように唇に人差し指を当てるジェスチャーで応える。
そんなやりとりをしつつも電話がかかって来て義勇が取った時点で、炭治郎は義勇のスマホをいったん手に取ってボイスメモで録音をしていた。
おそらくあとで錆兎に対応を仰ぐためなのだろう。
そう考えると確かに自分が変な対応をすれば錆兎に余計な手間を掛けさせることになるので、黙っているのが正解だ。
と、義勇は黙って様子を見ることにした。
『えっとね、突然なんだけど…あたしね、今日高2の子達に色々聞いたのね。
この学園ってほら…副寮長を姫君って呼んで敬わなきゃいけないって制度があるでしょ。
あれがね、みんな不満らしくて…』
といきなり始まる話に、(…えっ?)と義勇は驚いて炭治郎に目を向ける。
視線を向けられた炭治郎は、やはり無言だが、ないない、と首を横に振った上で、メモ用紙と筆記用具を出してきて、
(…そういう事実は、少なくとも銀狼寮においてはありません)
とわざわざ書いて見せてきた。
そう…なのか?本当に?
と、突然不安になる義勇。
そんな義勇の不安を煽るように、柏木亜子の話は続く。
『あたしは学園に来たばかりでそういうのに毒されていないからこそ、みんなあたしに言ってきてくれたみたいで、やっぱり教師として心配になってね。
ほら、特に寮長さん達は寮生達の評価にも関わるから、責任があるしね。
自分の気持ちをおし殺しても、そういうルールを遵守するしかないじゃない?
特に銀狼寮の錆兎君とかは責任感強そうだしね。
彼らだって女の子いたらそこいらの男子中学生よりも女の子と居たいと思うけど、自分の気持ちを優先したら寮生に迷惑をかけると思えばすごく嫌でも我慢しないとだし、可哀そうで…』
と、そこまで聞いたところで、いつのまに居たのか、後ろからすっと伸びてきた手がスマホを取り上げた。
「大きなお世話です。
まず誤りを修正しておきます。
姫君はそこいらの男子中学生ではありません。
”そこいらの”女のあなたと違って、寮生全員から特に大切にしたい相手としてきちんと選ばれた存在です。
もちろんそれは寮長である俺を含めてなのは言うまでもありません。
その寮生全員の総意で選んだ姫君への侮辱は寮生全員への侮辱、寮自体への敵対行為とみなし、銀狼寮の寮生全員断固として抗議、交戦しますし、他寮への警告も行いますので、そのつもりで」
と、相変わらずのイケボではあるが、義勇がこれまで聞いたことのないほどに冷たい声音で言い切る錆兎に、電話の向こうで、(ひぃっ…)と小さな悲鳴が聞こえて、電話が切れる。
そこで錆兎は視線を炭治郎に。
「俺は義勇に一言対応させたあと、秘密裏に録音しておけと命じなかったか?」
と、可愛がっている弟弟子に対するいつもの声音と違って、少し怒りを押し殺した様子で尋ねる
「はいっ。だから録音を……あっ…すみませんっ!そうでしたっ!場所を移してという指示を失念していましたっ!!」
と、その錆兎の言葉に炭治郎は青ざめた。
それに、はぁ~…とまだ抑えきれない苛立ちを逃がすように、錆兎は大きく息を吐きだす。
「姫君の耳にくだらない愚か者の妄言をいれないのは寮生として当然の責務だよな?」
「…はい……」
しょぼん…と肩を落とす炭治郎。
正直、学園の姫君という制度のせいで錆兎が義勇に我慢しているという柏木亜子の話はショックだった。
が、それに対して義勇は自分を含めた寮生全員が大切にしたい相手として選んだ人間なのだから別に我慢などしていないし大きなお世話だと言い返してくれた錆兎の言葉と、それより前の、ジェスチャーで否定するだけではなく、わざわざメモを用意して気持ちを伝えてくれた炭治郎の対応で、少なくとも彼らが自分をとても大切に思ってくれているのは伝わった。
だからそれよりむしろ、その対応でいつも元気な炭治郎がすごく落ち込んでいる方が可哀そうで気になってしまう。
なので義勇が炭治郎の気遣いについて言及し、大切に思ってくれているのは伝わっているから大丈夫なのだ、炭治郎を怒らないでやってくれと伝えると、錆兎は
「そうか。それなら良かった。
炭治郎、俺が言い過ぎた。
だが、お前は義勇の護衛隊長のようなものなのだから、細心の注意を払って最善を尽くせ」
と怒りを解き、炭治郎はそれに敬礼して頷きながらも、
「義勇さんのことはこれからも俺が全身全霊でお守りします!」
と目を潤ませつつ宣言。
そしてこれで一段落とばかりに
「ということで…義勇、録音データを取っておきたいからちょっとスマホを借りるな?
何か連絡が必要になったなら炭治郎のを借りてくれ」
と、錆兎は義勇のスマホを手に、不死川が待っているのであろう自室へと戻っていった。
それでも炭治郎はまだ気にしているようで
「…義勇さん、大丈夫ですか?」
と聞いてくれるが、正直、さきほどの話だと、不死川の勉強を教えながらも、学園の伝統である姫君制度を軽んじているらしい柏木亜子についてこれから他の寮長達と足並みをそろえつつ抗議行動をする準備をしなければならない錆兎の方が大変だ…と、義勇は忙しすぎる錆兎の方が気になった。
何か自分にもできることがあればいいのだが、こういうことに関しては本当に何も役にたてないのが申し訳ない。
そう返す義勇に、炭治郎は感動したように
「義勇さんは寮生の精神的な支柱になっているので、そこに居てくれるだけでいいんです」
ときっぱりはっきりと言い切った。
実はこの後、その精神的支柱とやらの本領発揮となる出来事が起こるのだが、この時は義勇も炭治郎も当然ながらそんなことは予想だにしていない。
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