今日は自寮の姫君が特に可愛い。
もちろん我らが姫君はいついかなる時も世界で一番可愛いが、今日は特別だ。
なにしろ1週間ぶりの登校である。
錆兎が毎日続けている姫君のお手入れにも力が入るというものだ。
つややかな漆黒の髪は日々丁寧にシャンプー&トリートメント、そしてその後はタオルドライで、朝には痛まないようにヘアオイルを使用後ドライヤーでセットするので子猫の毛並みのようにふわっふわだし、真っ白な肌はそれも毎日錆兎が乳液や化粧水でお手入れしている。
手先も爪を綺麗に切りそろえて磨いた上で手はハンドクリームを塗るのを忘れることはないし、美しい肌や髪を内面から保つための食生活だってばっちりだ。
みんなの癒しであるおっとりぽわわ~んとした雰囲気の愛らしい姫君。
可愛さはいつも…もちろん今日も、こんな風に絶好調である。
そんな日常の中でもう一つ加わった姫君の要素…それが茂部太郎に献上された素晴らしく良い匂いの香水だ。
モブ三銃士の茂部太郎によって実質義勇のために素材となる花の品種改良から始めて7年間かけて完成した逸品である。
甘くふんわり優しいその香りは、いい匂いなだけではなくどことなく義勇をイメージさせた。
それを資産家の息子の茂部太郎は惜しげもなく義勇を姫君に頂く銀狼寮の寮生全員が当座つけられる分を提供し、また、今後も使用できるよう量産してくれると言う。
それだけで本来ならややテンションの下がる休み明けの登校日、銀狼寮の寮生達は皆テンションが高かった。
新学期の学校で厄介ごとが待ち構えていることを知っている錆兎ですら、少し浮かれた気持ちになる。
もちろん義勇自身もとても気に入って
「とてもいい匂いだ。
それに寮生のみんなとお揃いなんてすごく嬉しい。
ありがとう、茂部太郎」
と直接声をかけ、かけられた茂部太郎の方は感激のあまり涙した。
そんな対応は普段なら抜け駆け禁止で睨まれるところだが、今回ばかりは寮生も自分達もおおいに恩恵を受けているその功績を考慮にいれてそれを黙認することにしているようである。
こうして時間になって、全員学校へ。
確認をするとやはり新任教師は高等部2年の歴史を担当するらしいので、不穏な波は高等部の真ん中から広がっていくのだろうと思われる。
朝、姫君を中等部の教室まで送り、あとは炭治郎に任せて錆兎は高等部の教室へ。
女教師が来ることはすでに学校全体に知らされていたが、見たところどの学年も特に変わった様子はない。
時折り廊下で
──なんで今更制度を変えようと思ったんだろうな?
などと不思議がる生徒の声が聞こえる程度である。
教室に行ってもそれは同じで、担当の学年ではないということもあるのかもしれないが、皆の関心は新任の女教師よりはそれぞれが過ごした秋休みのことであったり、休みが明けて少しした頃にある中間考査のことだったり、その後の学園祭と言う名のこれも他と同じく寮対抗の戦いについてだったりと、自身や自寮の学生生活に対する話が圧倒的に多い。
「よおっ。
銀狼の寮メン、今日いい匂いがすんなァ?
学祭に向けての寮の結束UPイベントかァ?」
教室の自分の席につくと隣の不死川が軽く手を挙げて声をかけてくる。
それに錆兎が今回の香水について説明をすると、
「お前んとこ、本当にすげえなァ。
…まあ、銀狼の姫さんは姫さんって感じだもんなァ。
うちの寮なんざ、もういっそのこと銀と合併させてくんねえかとか言い合ってんぜぇ?」
と笑って言った。
「それ…お前んとこの姫君の我妻にすごく失礼だろ」
と、自寮の姫君が世界で一番可愛いと自認するところではあるが、それはそれとして錆兎が言うと、不死川は
「いや?善逸が率先して言ってんぞ?
てめえが着飾るよりゃあペンライトでも持って銀のお姫さんの応援してえって」
と、そんなことを言いつつ肩をすくめる。
いやいやそこは寮長がそれを吹聴したらだめだろう…と錆兎はため息をついた。
「お前…二人きりの時にこっそり話すなら仕方ないが、間違ってもそれを外で言うなよ?
俺は二度目になるのだからフォローはしないぞ」
その錆兎の言葉に最初の姫君のイベントである顔見せの時の騒ぎを思い出したのだろう。
不死川も慌てて口をつぐむ。
まあそれでも金狼寮は公然の秘密というやつで姫君の争いを投げ捨てているので、今年の1年は寮長のみならず、寮生達もわりあいと仲が良くて平和な学年だ。
現に金狼寮の寮生は愛らしい姫君をイメージした香水をつける銀狼寮の寮生達を素直に羨ましがっている。
もちろん、それは自寮の姫君の香水をつけたい的なものではなく、隣の姫君の香水が羨ましい、そういう意味合いだ。
「銀はいいよなぁ…確かに銀のお姫ちゃん、こういう花の香りしてそう。
なんていうか…うちの姫君も銀の姫君もどっちも弱々しい感じなんだけど、なんでだろ、うちのはただの”弱い”で、銀の姫はその前に”か”の一文字がついて”か弱い”なんだよな」
「あ~それそうだなっ。
うちのは臆病とかヘタレなんだけど、隣はか弱くてお守りしたい感じ」
などと自寮の姫君に対してはそんな容赦のない会話が飛び交う。
「ま、今回、2年に女教師来るらしいけど、うちの姫君が居たらぜんっぜん気にならん。
愛らしさ尊さではうちの姫君の足元にも及ばないことは目に見えているしなっ」
などと誇らしげに言う銀狼寮の寮生達。
「…確かに。
可愛いよなぁ…銀寮姫。
俺も銀寮生になってお仕えしたかったわ」
「うんうん。
相手が女でもあれを超える逸材はいない」
などと語り合う寮生達に表面上は笑顔を見せつつ、アイコンタクトを送り合う錆兎と不死川。
(…で?実際状況はどんな感じだァ?)
(…まだわからんが…まあ、女が何かかき回そうにも、数名の寮生がそれに惑わされたとしても、寮長は寮長の自覚あるだろうし、ピシっと締めると思うんだけどな…)
そう、金狼以外の5寮は全寮生をあげて自寮の姫君を敬愛しているし、感情面とは別な意味でも少なくとも海千山千の寮長達は自寮…ひいては自分の将来的な評価につながる寮の結束を乱す者を放置したりはしないだろう。
…大丈夫なはず…なんだけどな……
と、現実的に考えると心配ないはずの状況なのだがどうにも消えない漠然とした不安に、錆兎は盛り上がっている寮生達のテンションに水を差さないように、小さな小さなため息を吐き出した。
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