「さて…つるぎにも少し休みをやらんとな。
親御にも別れを言いたいだろうしな」
帰る道々秀吉は考え込む。
「いや、あいつは休みなんてやっても親に会う時間あったら戦に備えて剣振ってるぞ。
そういう奴だ」
秀吉の心配を景虎はあっさり否定する。
そして…直属の上司よりも、師匠の方が弟子の理解度は高かったらしく…
「本当か!そうか!京をいよいよ離れるのか!」
離京の報告を聞いても嬉しそうなつるぎ。
「え?親?うるさそうだし。
どうせ縁切る切らないの話になるだけだから、会わんでもいい」
とあっさり言う。
「それよりも…それまでサルも忙しいのか?
サルが忙しいくらいなら景虎はもっと忙しいよな。
誰と剣の稽古しようかなぁ…」
などと別の悩みを口にする。
(まあ…こっちはこんなものだろう)
景虎はつるぎの相手は秀吉に任せてあかりの部屋を訪ねる。
「おかえりなさいませ。
景虎様の方からあかりの部屋をお訪ね下さるなんて、お珍しいですね」
部屋に入ると焚き染めた香の香りが広がる。
若武者のようなすっきりしたつるぎの部屋とは違い絵に描いたような貴族の娘の部屋。
そして…若武者のようなつるぎとは違い、雅な京の貴族の姫。
あかりにこの生活を捨てさせるのかと考えると気が重くなる。
さてどうやって伝えよう。
「景虎様…いかがなさいました?ご心配事でも?」
部屋に訪ねてくるなり押し黙った景虎を見上げて、あかりは心配そうにその顔を覗き込む。
「いや…実はな…大殿の命で本拠を京から王路の城に移す事になった」
仕方なしに口を開く景虎。
「王路…でございますか」
「うむ…しばらく京には戻れん…」
あえて信長の意向には逆らう事にはなる。
しかしいざあかりを目の前にすると、強要できない自分がいた。
「あかりは京に残れ。
この館も完全に引き上げるわけではないし、不安なら大殿の城に置いてもらえるよう、頼んでみよう」
そう自分で口にしておいて、言った先から後悔の念がよぎる。
一人きりの静かな寒い部屋が脳裏に浮かぶ。
あかりの楽しげな声が響く、それだけで部屋の空気が暖かくなったものだった。
また元に戻るだけだ…とは思ってはみたものの、その暖かさを知ってしまった後だと、ことさら寒さがつらく感じる。
信長の話ではないが…遠征に出れば京には早々戻れない。
下手をすればもう二度と会うことができなくなるのだ。
自分は今平静な様子を保てているのだろうか…戦の時とはまた違った緊張が景虎を包む。
あかりに要らぬ心配をかけたくない…と思う気持ちと、つらい心のうちを察して欲しいと
思う気持ちが交差する。
そのまま立ちすくんでいた景虎は、不意にフワっと柔らかいものを腕の中に感じた。
柔らかく景虎の背に手が回される。
「あかりは…暖かいな」
景虎もそっと腕の中にちんまりと収まってしまったあかりの背に手を回した。
「あかりが同行させて頂いてはお邪魔になりますか?」
少し不安げな大きな瞳が景虎を捕らえた。
「いや…そういう事はない」
あくまで表面上は表情が変わらない景虎とは対照的にあかりの表情はクルクル変わる。
景虎の言葉に、その目に見る見る間に涙が浮かんだ。
「では…景虎様があかりの同行をお厭いなのでございますか?」
「そ、そんなことはないぞ!」
景虎は焦りながら、しかしあかりの言葉にかすかな希望を見出す。
「では…どうして京に残れなどと申されるのでございますか?」
「来て…くれるのか…?」
声がかすれる。
「あかりが…京を離れられぬのかと思ったのだ。
本意ではない。
だが、住み慣れた土地を離れてお前にあまりにつらい思いをさせるくらいなら、オレがつらい方がまだいい」
あかりの背に回す腕に少し力をこめる。あかりはそのまま引き寄せられて景虎の胸に顔をうずめた。
「景虎様がいらっしゃる所があかりのいる場所でございますゆえ…王路でも異国でもどこへでも連れて行ってくださいませ…」
緊張が一気にとける。
「あかり…一緒に来てくれ」
改めて口にする景虎にあかりは小さく、はい、と答えたあと、景虎の胸にうずめていた顔をあげて
「王路なら…海の近くでございますゆえ、京より新鮮で美味しいお魚がたくさん手にはいります。
美味しいお膳をたくさん作りますね」
と、涙の残る顔ににこぉっと明るい微笑みを浮かべた。
「館から持ち出す物は良いとして…」
あかりの部屋へ向かった景虎を見送ったあと、つるぎは秀吉を振り返った。
「向こうで手に入りにくい物資をある程度は京で手配しておかないとならんな」
単に浮かれてただけではないらしい。
「おお、そうだったな」
と、こちらは考えているようで全く考えていなかった秀吉。
「日用品は茂助に、軍備関係は景虎と相談してくれ」
と、答える。
(特に引越しの手筈とかも考えず、実際に動くわけでもないなら暇なんじゃないか…)
と、一人でブツブツつぶやくつるぎ。
「サル、お前も少しは自分の頭使って動けよ。脳みそ腐るぞ?」
とまたまた容赦のない言葉が飛ぶ。
とりあえず…優先順位は軍備関係なのだが…
つるぎの脳がフル回転を始める。
それにはまず、あかりの説得から始めないと…。
いくら信長の意向とはいえ、あかりが早々京を離れられるとは思えない。
あかりと離れる…そんな事は自分も嫌だし考えられないが、自分以上に重責を追っている景虎の方があかりに対しての精神的依存度が高い。
たぶん、あかりの事で働かなくなる事はないだろうが、逆に現実逃避に働きすぎて過労死する。
だが今はあかりのところには景虎が行っているだろうから、そちらは後回しでまず日用品か。
「茂助~!」
つるぎは母屋にかけこんだ。
「あ、つるぎさん、良いところに…」
「ん?なんだ?」
「いえ、離京に際して手配する物について一応確認を、と」
茂助は目録をつるぎに渡す。
「ん…こんなもんでいいんじゃないか?」
さ~っと目を通してつるぎが目録を再び茂助にさしだした。
「茂助?」
目の前に差しだされた目録に気づかず、放心状態の茂助。
「おい!大丈夫か?!」
つるぎに目の前で手を振られ、ようやく我に返ったらしい。
「す、すみません!」
と、あわてて目録を受け取った。
「大丈夫か?働きすぎじゃないか?」
心配になっていつになく元気のない茂助に声をかけると、茂助はあわてて手を振って
「とんでもないです!大丈夫です。むしろ…働いていたいです…」
と小さく息をついて肩を落とした。
「そうか…?」
と、気にはなったものの色々やる事が山積みなので、先を急ぐ。
「さる~!暇なら手伝え!!」
予備の武具の確認をするため蔵に行く途中で、ノンキに庭を掃いている秀吉をみつけて、声をかけた。
「お前信じられんよなっ!こんな時によく庭掃除なんてしてられるもんだ!」
半ば八つ当たり気味に怒鳴り散らす。
「茂助なんて忙しすぎて意識半分飛んでたぞ!」
つるぎの言葉に秀吉は頭をポリポリと掻きながらホウキを置く。
「はいはい。何をやればいいんだ?」
「とりあえず予備の武具の確認手伝え!」
大将に対して命令口調のつるぎである。
というか…大将に手伝わせる雑務でもなかったりするのだが、気の良いボスははいはい、と
素直につるぎの後に続く。
「茂助が元気がないのは…別に理由があるとは思うがな。花ちゃんの事とか…」
ボソボソっというオヤジのつぶやきに、キリキリ動いていたつるぎの足がピタっと止まる。
「どこの花ちゃん?」
「茂助の彼女の…」
ああ、そういえば以前そんな事を…つるぎははっと思い出す。
「京を離れるということは…会えなくなるからなぁ…」
「連れていっちゃいかんのか?」
と、聞くつるぎに、あのねぇ…と、秀吉はまた頭を掻く。
「つきあってまだ日が浅いしな。
男ならとにかく、嫁入り前の娘が男についていくわけにはいかんでしょ」
ふむ…
「サルは会った事あるのか?」
「遠目からならな。朱雀通りの文字通り花屋の看板娘だから」
つるぎの頭の中でまた色々クルクルと考えが回る。
「よし!サル。点検任せた!」
言ってつるぎは反転する。
「おい!つるぎ?!」
「ちょっと私用!でかけてくる!」
つるぎはとまどう秀吉を残して自室に戻った。
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