俺達に明日はある?第15章_何が姫の幸せ?

「信長とは…付き合いは長いのか?」

そういえば何故あかりのような身分の高い貴族の娘がこのような場所にきたのか、全く聞いていなかった事に景虎は気づいた。

「そうでございますねぇ…信長様が初めて御所においでになった頃からですから、4年…になりますかしら。
確かお兄様にご挨拶にいらした時ですね、初めてお会いしたのは」

信長が…御所で挨拶する相手…まさか??!!
多少の事で動じない景虎も、想像してさすがに青くなった。

「御所で大殿が挨拶する”お兄様”って…東宮…とか言わないよな?」
恐る恐る口にする。

しかしあかりは
「左様でございます。あかりとは腹違いではございますが」
と、あっさり認める。

「そうとすれば…あかりは内親王…という事になるが…?」
「一応そういう事にはなりますねぇ」
たいしたことでもないように言うあかりに、景虎は息を飲んだ。

「あ、でも今上(今の帝)には男子が7人、女子はあかりを含めて12人おりますし、あかりの母は普通の人なので…あかりは普通の娘です」
いや、父親がすでに普通じゃないだろ…と心の中でつっこむ景虎。

「今上の娘だと…景虎様はあかりをお厭いになりますか?」
不意にあかりの声のトーンが下がる。

しゅん、と肩を落として、うつむいた顔をポロポロ涙が伝っては落ちた。
ひっくひっくと嗚咽がもれ、涙が床についた手をぬらしていく。

「す…すまん!少し驚いただけだ。決してあかりを嫌うなどということはない!」
景虎は床についたあかりの手を取って引き寄せた。
あかりの小さな体は景虎の腕の中にすっぽり納まった。

「悪かった。泣くな。あかりに泣かれるとどうして良いかわからん」
涙で潤んだ目が景虎を見上げる。

「あかりにはここの他に帰る場所はございませぬゆえ…」
切れ切れにあかりは話始めた。


あかりの母は身分の低い更衣だった。
今上にはすでに身分の高い正妻や多くの側室があり、その間に多くの男子女子をもうけている。
それでも今上の娘であるあかりは、あかりが生まれてまもなく生母が亡くなったため、宮中で暮らしていた。

もちろん生活に関してはなに不自由なく、ただ、多くの親王、内親王がいる中、特に誰にも気にされない、そんな環境で暮らしていた。

あかりが11歳になった頃だったか。
宮中に武士とやらが訪ねて来ているらしいと女房達が話しているのを聞いた。

武士という人種がいるのは話には知っていた。
見てみたい…と思ったのはほんの気紛れだった。

半ば物珍しい動物を見る感覚で、おつきの女房の目を盗んで部屋で兄を待つ信長という男を庭の木の影からこっそり覗いてみた。

面白い格好をしている…と凝視する。

ところが気づかれていたらしい。まともに目があう。
手招きをされた。

高貴な身分の娘が御簾ごしでもなく、知らない者と対峙するなどとんでもない事なのだが…誰かが自分に興味を持っている。
それが何故か嬉しくて、周りに人がいない事を確認して部屋にすべりこむ。


「差し上げよう」
男が懐から出したのは小指の先ほどの色とりどりの可愛らしい丸っぽい塊。

「なんでございますか?」
と聞くあかりに
「口にしてみなされ」
とだけ言う。

あかりはそれを一つつまみ、ぽいっと口に入れてみる。
「甘い…」
にこぉっと笑みがこぼれるのを信長は満足げに見守った。

「拙者はこれより京に居をかまえる小田信長と申すもの。
姫君の御名を伺っても差し支えないかな?」
「あかり」

何故あっさり教えてしまったのかはわからない。
ともあれ、これが信長との出会いだった。


その日は女房が戻ってくる気配を感じてあわててそのまま部屋に戻った。
しかし翌日から折りにつけて信長から何かと珍しい贈り物が届くようになった。

何故あかりになのか、周りは最初は疑問を持ったものの、あかり自身それほど興味をもたれる立場でもなかったので、田舎の変わり者のきまぐれだろう、とそのうち誰も気にとめなくなった。
あかり本人以外は…


次に信長に会ったのは3年後。
信長は宮中にも普通に出入りできるほどの大大名になっていた。
挨拶にきたという信長と対面する。

女房を下がらせて二人で話す、それができるほど信長の宮中での影響力は大きくなっていた。

女房が退出すると、信長は3年前のようにあかりに手招きをした。
あかりはためらいもなく御簾から出て信長の前に姿を現す。

「大きゅうなられましたな、あかり様」
と言いつつ、懐から3年前と同じ菓子を出し、あかりに差し出す。

「ずっと聞きたかったのです、これはなんという物です?」
それを一つつまんで聞くあかりに
「おお、言っておりませんでしたな。金平糖と言う南蛮渡来の菓子でござる」

「南蛮渡来の…珍しいものだったのでございますね」
あかりは金平糖を口にして、また
「甘い」
と微笑んだ。

「おお、その微笑じゃ」
それを見て信長は手を打った。

「この3年間その微笑を夢見ており申した。
姫宮のその微笑は見る者にやすらぎを与え、幸せにする微笑じゃ」

「そのような事…誰も申しませぬ。誰もわたくしなど必要とは致しませぬゆえ…」
信長の言葉にさっと顔を赤くしてうつむくあかり。

「幸も不幸も感じぬ公家連中にはわからんのでしょうな。
拙者達のように常に生と死のはざまに生きる者にとっては、時にその微笑が己をぎりぎりのところで生の側にとどめる励みになり申す」

自分が誰かの励みになる、そんな事を言われたのは初めてだった。
常に誰にも気にされず、ましてや必要とされることなど一生ないものだと思っていた。

「時に姫宮は貴族以外の者は取るに足りないとお厭いか?」
突然の信長の問いにあかりは戸惑う。

「正直に言って下さって結構」
と、さらにうながす信長の言葉に少し考え込む。

「外の世界を知りませぬゆえ…ただ、少なくとも信長様の事は取るに足らない者と思うてはおりませぬ。
貴族の血を引いていてもわたくしが他の者より優れているとも到底思えませぬし…」
下を向くあかりに、信長は首を振った。

「いやいや、この世に姫宮に代わる者はおりませんぞ。
それはこの信長が保証いたす。
実は信長、今回は姫宮に無茶なお願いをしに参ったのです」

「…わたくしに?」
あかりが不思議に思って首をかしげると、信長は大きくうなづいた。

「本当は拙者の側にいて頂きたいと言いたいところではあるが…
実は拙者いずれこの日の国を一つにしたいと願うておりまする。
そのために欠かせない人材がおるのだが…これが休む事を知らぬ男でこのままではいづれ、潰れるだろうと思われる。
ゆえにぜひこの男の側でこの男を助けてやって頂きたい。
恐れ多くも内親王様にあまりに無理なお願いとは存じておる。
だが、国家統一のためには絶対に欠かせない人物なのだ。
この信長、この通り、伏してお願い申し上げる」
信長は言って、深く頭を下げた。

「それまでは誰にも必要とされた事はございませんでしたゆえ…
そこまで熱心に言っていただけるのが嬉しくて…この身が少しでもお役に立てるなら、と。
さすがに御所では無理なので、右大臣家に身をおいて、それから1年色々学んで参りました」
あかりはそう締めくくった。

信長が自分のために頭を下げた、というのにも驚いたが、それだけの事でそのようなやんごとない身分の文字通りの姫がこんな所でこんな事をしているのにはさらに驚いた。
景虎がそれを口にすると、あかりはコトンと額を景虎の胸につける。

「申しました通りあかりは生母の身分が高くございませぬので…宮中ではそれほど重要な身でもございません。
それでもやはり信長様のお申し出とはいえ、外に出るのにはかなり不安はございました」

そうだろうな…と景虎も思う。

位の高い貴族の姫というのは外を出歩くどころか、通常は御簾の中から顔を出す事すらないのだ。
貴族ですらない大名の…さらにその下の武士の前に顔を見せるなんていうのは、ありえないどころの話ではない。

「大殿に心から感謝したのはこれが初めてだな…」

もし信長がいなければこんな風に触れるどころか、あかりの顔を見る事も声を聞く事すらありえなかったのだ。
景虎の心からのつぶやきに、あかりは小さく笑った。

「景虎様は信長様がお好きではありませぬか?」
「好き嫌いではなく…煩わしいというか…勧誘がしつこい」

もうその一言につきる、と景虎は言い放つ。
暇さえあれば直参になれ直参になれと何かの一つ覚えのように、それこそ秀吉がいようと平気で言ってくる。

これだけ断り続けているのだから、いい加減あきらめろと思うのだが、もう挨拶代わりのように勧誘の言葉を繰り返すのだ。

「つるぎもだが、あかりもよくあんな無茶なオヤジの勧誘で口説かれたな。
それともオナゴ相手だと違うのか…」
景虎の言葉に
「確かにこちらへ伺ったのは信長様のお誘いではございますが…」
と、あかりは口をひらく。

「景虎様…あかりが初めてこちらに伺った日の事を覚えておいでですか?」
「うむ。いつまでも来ないからどうしたかと様子を見に行ったな。
よもやあれだけ長い間道に迷っていたとは思ってもみなかったが…」

景虎は笑いかけて、あかりがじ~っと自分を見上げていることに気づいた。
「どうした?」
と声をかける。

「あの時道に迷ってみて…やっぱりわたくしには外に出るのは無理だと思い始めて…そんな時に景虎様がみつけて下さって…主自らあかりなんかを捜しに来て下さるとはよもや思っておりませんでしたので、すごく嬉しくて。
この方のお役に立てれば…と思ったのでございます…」

腕の中のあかりはにっこりと無邪気な笑みを浮かべて景虎を見上げる。

「…あかり…」
景虎はあかりの背に回した腕に少し力をこめて、さらに引き寄せた。

「側にいてくれ…何もせずとも良いから。お前がいるだけですごくほっとする…」
「景虎様…」
あかりはそっと景虎の胸に手を添えた。








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