「秀さん、そろそろ起きたか?」
景虎はその足で秀吉の離れに向かった。
「頼む~、トラ。もう少し寝かせてくれぃ」
「んじゃ、体は寝てても良い。頭だけ起きてろ」
景虎は布団をかぶっている秀吉の枕元にどかっと座る。
勝手に水差しから水をくみ、喉をうるおしつつ言う景虎の言葉に
「本気で戦に連れてく気か?!」
と秀吉は驚いて布団から顔を出した。
「本気も本気。あれはな、逸材かもしれん」
景虎は続ける。
「今手合わせをしてきたんだが…オレの剣をことごとくかわしやがった」
「ほんとか?!」
「ウソついてもしかたないだろ。
こちらも子供相手に思わず向きになって本気で攻撃しかけちまったんだが、それでかすりもしないんだからな。
そのまま太刀筋みるのもきついから、いったん改めて打ち込ませてみたんだが、体格は細いくせに剣が重い。まともに受けたら手がビリビリ痺れたぞ。
何回か受けるつもりだったんだが、その後の仕事に差し支えてもあれなんで、2回で切り上げてきた。
信長もたいしたのを送りこんできたもんだ。近々本気で日の国制圧に乗り出すつもりかもしれんぞ」
秀吉は右手をさすりながら言う景虎をまじまじと見上げた。
「お前にそこまで言わせるたぁ…末恐ろしいな」
秀吉の言葉に景虎はニヤッと秀吉に目をむける。
「だな。せいぜい上手くつきあって、敵に回すなよ。
数年後にはサシの勝負で負けるかもしれんぞ」
「笑い事じゃないぞ。そりゃあ」
秀吉はおもいきり眉をひそめた。
「ところで…」
秀吉ははっと気づいたように身を起こした。
「ん?」
「トラ、お前思い切り完膚なきまでにやってきたんだよな?」
「ああ、手加減なんぞする余裕なかったからな。手を抜くとこっちがやばかったし」
「ちゃんとフォロー…いれてきたんだろうな?」
「いれてない」
と、景虎はきっぱり。
「お~い!トラ~!!可哀相に!相手子供だぞ!まだ!」
布団から飛び出して、ワタワタと飛び出して行こうとする秀吉の着物の裾を景虎はガシっとつかんだ。
「まあ落ち着けよ。大丈夫。適役残してあるから」
「適役?」
「お召し物が…汚れますよ?」
景虎が去った後、そのまま庭にペタンと座り込んでいるつるぎの横にしゃがみこんで、あかりは呆然とするその顔を覗き込んだ。
「これは汚れても良い稽古着だから。あかりの着物の方が…やばい」
しゃがみこむとあかりの着物の長い袖が地面についてしまう。
呆然自失となりつつも、完全に周りを見失う事のできない悲しい性分が、ついつい、その長い袖をたくし上げて、ついた土を払ってやったりしている。
「あらあらあら…そうですわね。申し訳ございません」
と言いつつあかりは立ち上がると、軽く自分でパンパンと着物についた埃を払ってにっこり。
「でもこれから模様替えでどうせ汚れちゃいますし、大丈夫です」
どう大丈夫なのかわからないが、なんとなくそれで押し切られる。
「模様替え?」
貴族の姫が?何を?どうやって?
「ええ。えっとね…模様替えと言っても糠の壷を…移動しようかと思っただけで…」
糠?糠の壷?ええ???
一瞬意味がわからずぽか~んとするつるぎ。
「糠って…漬物の糠?」
「はい♪」
「無理だ。たぶんあかりの力じゃ動かない。手伝う」
訳がわからないなりに、断片的に理解したつるぎは、立ち上がって埃を払った。
「これなんですけどね…お部屋に置いておくと、やっぱり匂いが…」
あかりの部屋に行くと、貴族の姫らしい調度品の中に不似合いな壷が。
「お台所に…おかせて頂けないかと」
と苦笑する。
「これ…まさか、あかりがつけてるとか言わないよな?」
台所に壷を運びながら聞くと、あかりはにっこり
「つけてます。今朝の御膳の香の物もこれです」
ありえない…貴族の姫がぬかづけ??
「ここでいい?」
「はい。ありがとうございます♪」
壷を台所の隅に置くと
「お茶を煎れますね。わたくしの部屋でお待ちください」
と、あかりは慣れた様子で台所に立つ。
それでは、とせっかくなのでつるぎはあかりの部屋へ戻った。
つるぎの部屋とは違って、絵に描いたような貴族の娘の部屋だ。
文机の上には流れるように綺麗な文字で何か書いてある色紙が広がっている。
(まさか…恋文とかじゃ…ないよな?)
悪いとは思いつつ、若干ドキドキしながら、そっとその一枚を手に取ってみる。
(ゴマ和えの…作り方…)
次々に手にとってみると、そのどれもがいわゆる下々の家でよく食される料理の作り方の手順だった。
「それね、下女に聞いて書き溜めましたの」
いつのまにかあかりが茶の道具を持って部屋に戻っている。
お座りになって、とつるぎに座をすすめると、あかりは湯のみに茶を注ぐ。
「なんで料理なんて?やれって言われてたのか?」
あかりが煎れてくれたお茶をすすりながら、つるぎは聞いた。
いくら信長でも貴族の姫にここまでやらせるのはやりすぎだと思う。
つるぎの問いにあかりはゆっくり首を横に振った。
「お武家のお屋敷に行く事になりました時に色々お勉強を始めましたの。
何をすれば良いのかなと思いまして…」
「一応宮中関係の相談役として呼ばれてるわけだし、そこまでしなくても。
貴族の姫がこんなことまでって何か痛々しい」
武士の力が強くなっている今、確かに貴族が武士風な事を強要される事もあるわけだが、どう見ても身分の高い深窓の貴族の姫にここまでさせると言うのは…つるぎは眉をしかめる。
「そうですか?あかりは今の生活、結構幸せでございます」
あかりは別に社交辞令でもなさげで、楽しそうに微笑みを浮かべる。
「どこが?」
と聞くつるぎに、あかりはにっこりと
「だって…つるぎ様も景虎様も、あかりの作った朝げ、美味しいって言ってくださいましたし、それに…」
「それに?」
聞き返すと、あかりはちょっと赤くなって下を向いた。
「昨日…迷子になってしまいましたの。暗くなってきて心細くて泣きそうで…
そしたらね、景虎様がみつけてくださって…夜遅くまで景虎様自らあかりの事を探して下さってて…」
あかりはさらに真っ赤になる。
「この方のお役に立てたらなって思いました…」
(なるほどな…景虎、いい男だもんなぁ…)
なんとなく納得するつるぎ。
「つるぎ様も…」
いきなり自分の名前を出されてはっと我にかえる。
「つるぎ様もご自分も昨日初めていらしたばかりなのに、わたくしの事色々気遣って下さって…とても嬉しくて、わたくしは自分の事でいっぱいいっぱいで、何もできなくて、同じ位の歳なのに恥ずかしくて…」
と両袖で顔を隠す。
「せめてお二人が元気がいっぱい出るような朝げを作って、お仕事に送り出して、お仕事で疲れて帰っていらした時に、ほっとくつろげる夕げでも作れれば幸せかなぁ…と」
「うん。元気出た」
(あかり、やっぱり可愛いなぁ…)
などと思いつつ、つるぎはあかりの手を取った。
「頑張るから。あかりがいるとすごい元気になる」
落ち込んでいる場合ではない。鍛錬して景虎に並ぶ武将にならなくては。
「ありがとう」
その手を拝むように自分の額に当てて、離して立ち上がった。
「ちょっとサルのところに手合わせに行ってくる!」
と言い置いて、木刀を手にあかりの部屋を後にした。
景虎と同等くらいの実力で…寝てる時間があるくらいなら暇なのだろう。
ボコボコにしても起こして稽古をつけさせる!
「たのも~!!」
秀吉の離れの庭にかけこむと、木刀を手に大声で叫んだ。
庭先で元気な叫び声が聞こえると、景虎はクックと笑いをもらした。
「やっぱり来たか。結構立ち直り早いな」
「トラ~…お前もしかしてこうなるの見越してフォローいれずに出てきてる?」
嫌~な顔をする秀吉に
「それもある」
とあっさり認める景虎。
「オレは退散しておく。まあ…頑張れ」
言い置いて庭からわからないように廊下に出る。
つるぎはどうも周りの噂のせいだろうか、秀吉よりも自分に傾倒気味なのは薄々感じていた。
剣技を鍛えてやるのは良いが…それで余計に秀吉との距離ができるのは宜しくない。
自分に突き放されたら秀吉を頼る他ないだろうし、そこで落ち込んで諦めるなら、それまでの人間だ。
まあ…よみ通り立ち直ってきたわけだし、これでめでたしめでたしだ。
と、こんな事を考えながら、ひとまずほっとして景虎は秀吉の離れを後にした。
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