俺達に明日はある?第8章_朝は一杯の味噌汁から

つるぎの朝は貴族にしては早い。

大抵は貴族は夜遊びに興じ、朝は寝ている。
だがつるぎは剣術に長けた家系に生まれ、さらに稽古をかかさないため、一日は早朝の素振りから始まる。

貴族というよりは武士のような生活リズムである。
前日どれだけ就寝が遅かろうと酒を飲んでいようとそれは変わらない。
6時丁度にパチっと目をひらき、そのまますくっと起き上がる。
手水を終え、身支度を整え、稽古用の太刀を手に部屋を出た。

離れの庭に行きかけてふと足を止める。
せっかくだから…誰かと太刀あわせでもするか。
母屋に向かい、庭を覗くが誰もいない。
その足で広間を覗くと…さすがに膳は片付けられているが、酔いつぶれた数人がそのまま転がっている。

さて、どうする、と廊下に出ると、向こうの方から茂助がパタパタと走ってきた。
忙しそうだ。とても稽古の相手をするどころではないだろう。

そうだ。

「茂助!」
声をかけると、初めてつるぎに気づいたように茂助は足を止めた。

「おはようございます、つるぎさん。早いですね」
人懐こい笑顔をつるぎに向ける。

「おはよう。お前も早いな。ところで…サルの部屋はどこだ?」
「殿の部屋ですか?この廊下をまっすぐ行ってつきあたりを…」

手振りを交えて説明を始める。意外に館内は広いらしい。
場所を把握すると茂助に礼を言って急ぎ足で秀吉の部屋に向かう。


「サル~!剣の相手をしろ!」
母屋をつっきり秀吉のいる離れの庭の垣根を飛び越え、縁側から部屋に入る。

「つ~る~ぎ~ぃ…」
布団の中からモソモソと聞きなれたダミ声が死にそうな声音でもれてくる。

「叫ばないでくれ…頭に響く…」
どうやら二日酔い、というやつらしい。

「あれしきの酒でだらしがないぞ!ホラ!酔い覚ましに剣を交えよう!」
つるぎが引っぺがそうとする布団に必死にすがりつき
「無理だから!絶対に無理。おじさん年だからね、お子様と違って無理のきかない歳なんだから!」
と秀吉は半泣きで言う。
むぅ~っとするつるぎ。

「一生寝込んでろ!」
と言い捨てると、きびすを返して、ピョン!と庭に飛び降りた。


「どいつもこいつも…!」
ぶちぶち怒りながら大またで母屋に戻りかけて、秀吉の離れとはまた少し離れた所にある離れの方へ向かっているらしい小さな後姿に声をかける。

「お~い!あかりぃ~」
呼ばれて振り向いたあかりは、すっかり打ち解けた様子で花のような笑顔をつるぎに向けた。

「おはようございます。つるぎ様」
「おはよう!何をしてるんだ?」
つるぎもすっかり機嫌を直して、あかりにかけよる。

(今日もあかりは可愛いなぁ…)
などと、思考がすっかり男化してたりもするわけだが…


そんなつるぎの内心はとにかくとして、あかりはつるぎの質問に答えて言う。

「せっかくお台所を用意して頂いた事ですし朝げを作ってみましたので…
召し上がって頂けないかと、景虎様に。つるぎ様もご一緒にいかがですか?」

「朝げを?あかりが、か?」
貴族の姫が料理をするなど聞いたことが無い。
驚いて聞き返すつるぎにあかりはこっくりうなづく。

「武家のお屋敷では時には奥方様でもお台所に立たれる事があると聞いておりましたのでお勉強して参りました。…お口にあうかは自信がないのですけれど…」
少しうつむき加減に両手を重ね合わせて口の前にやる仕草も可愛い。

「く…食いたい!あかりが作った物ならきっと旨い!」

長らく男として育ってきたせいか、女としての自覚が欠落してるようで…
ほとんど初恋の娘を前にした思春期の少年のようだ。

「…ありがとうございます」
と赤くなってうつむく姿もまた可愛い。
そんな会話を続けながら、離れの庭を囲む垣根の前につく。

「お~い!」
と、秀吉の時のように叫んで飛び越えようとして、ふと思いとどまる。


景虎は庭にいた。

まっすぐに姿勢を正して真剣を振り上げる。
朝の鍛錬の最中らしい。
ヒュン!と剣が風を切る音が静かな朝の庭に響き渡る。

鋭く綺麗な太刀筋だ…と、つるぎは思った。

型通り基本に忠実にまっすぐ、何度も何度も振り下ろされる剣。
天才軍師などと言われ、戦場をかけまわっているのだから、さぞかし奇抜に剣を使うのだろうと思っていたので、意外だった。

「なんだ、来てたのか」

しばらくその場で立ちすくんでいると、二人に気づいて景虎の方から声をかけてきた。
縁側においてあった手ぬぐいで汗をぬぐいながら近づいてくる。

「鍛錬の邪魔をしたか。すまなかった」
「いや、そろそろ終えようと思ってたところだ。何か用だったか?」

「あ…あの…」
下を向いて口ごもるあかりの代わりにつるぎが答える。

「あかりが朝げを用意してくれたらしい。一緒にどうかと思って誘いにきた」
「そうか。頂こう」
と答えて、景虎はつるぎの方に視線をやり、握られた木刀に目を留める。

「ふむ…」
と一瞬考え込み、自分も木刀を取りにいった。

「朝飯の後、少し剣をあわせてみるか?」
景虎の言葉に一瞬ポカン、とするつるぎ。

「い、良いのか?」
次の瞬間嬉しそうな声をあげる。
その子供のような無邪気な反応に景虎も小さく笑う。

「ああ、お前の力も見ておきたいしな。
戦に出る時にどう使えるかを知っておきたい」


戦…という言葉に、つるぎの心はさらにわきたつ。
五百の手勢で五千の敵軍を撃破する軍団。
どう使えるか、という事は、景虎は自分をその中に組み込んでくれる心積もりらしい。

このためにわざわざ羽芝に来たと言っても過言ではない。
知らず知らずのうちに顔から笑みがこぼれてきた。

一方景虎は(初々しいなぁ…)などと、その様子を半ばあきれつつ半ば微笑ましく思う。

だが、戦も良い時ばかりではない。
時に痛い敗北にも出会い、時に痛い死にも出会う。
そして…夢を見すぎて張り切りすぎる若者は、時として死を急ぐ事も多い。

下手に後方においても命令を無視して暴走しかねないし、力量を見極めた上で慎重に配置しなければならない。

新たに兵がはいるたび、その配置には頭を悩ませるのだが、今回のようにまだ若い子供だと特に気が重くなる。

(軍師というのも因果な商売だな…)
景虎は心密かに思うのだった。

そんな事を考えつつ、つるぎ達の離れの食膳の間に足を踏み入れる。
膳は昨夜と同様に御簾をあげて桜がよく見えるようにした縁側におかれていたが、日の光の下で見る桜は夜見るものとはまた違った趣がある。

漆塗りの椀の蓋を取ると、良い匂いがただよってきた。
さぞや雅なものがでてくるのだろうと思ったが…中には出汁のよくきいた豆腐の味噌汁。

「ほっとするな」
一口すすって、思わずつぶやく。

ほんのりと甘い卵焼きも、どこか懐かしい感じのする一品である。
大根おろしの添えられた焼き魚に、ほうれん草のゴマ和え。
どれもこれも疲れた心と体に染み渡っていくような味だ。

「お口に合いました?」
つるぎと二人、すっかり綺麗に平らげると、食後の茶の入った湯のみを手にあかりが小首をかしげる。

「うまかった~!」
つるぎは満足げに即答。

景虎も
「こんなに旨い朝飯を食ったのは久々だ…」
と素直な感想を述べる。

「それは…ようございました」
それぞれに湯のみを渡しながらあかりがホワっとした笑みを浮かべた。

普段は朝食は自室で湯漬けでもかきこむか、広間で男たちの喧騒の中、やはりかきこむように取る。
こんなになごやかに、素朴ながらも手をかけた朝食をとるのは、どのくらいぶりだろう。
いわゆる家庭の味…というやつか。

「さて、と、腹も満たした事だし、一戦交えよう!」
茶をゆっくり飲む暇もなく、つるぎの元気な声が響く。

やれやれ…景虎は重い腰をあげ、木刀を手に取った。

そして木刀を手に向かい合う二人。
いよいよだ!力のあるところを見せなければ。
つるぎは小さく息を整えて刀を構えた。

「参る」
勢い込んで打ち込もうとしたところを、いきなりすごい勢いで返された。

「うぉ…」
つるぎはあわてて退いた。
そこにまた容赦ない突きがくる。また避けると、避けた先にまた攻撃が…

(な…なんだ、これは!)
さきほど見た鍛錬中のまっすぐな型がウソのような変幻自在な攻撃に反撃に転じる間もない。
実戦の剣術だ、と教えてくれた信長の攻撃など比べ物にならない。

これが最前線の剣術なのか。

幼い頃から剣術家の跡取りとして剣術秘技を会得したはずの自分が避けて避けて避けて…
攻撃を受けないようにするのが手一杯な事に愕然とする。
そうしてしばらく防戦一方の手合わせを続けた後、景虎がふいに攻撃の手を止めた。

「景虎?」
乱れた息を整えつつ、つるぎがいぶかしげに声をかけると、景虎は一歩後ろに退いて、
静かに刀を構えなおした。

「こちらからの攻撃はしない。そちらから打ち込んでこい。太刀筋がみたい」
景虎の言葉につるぎはぎゅっと刀を握りなおした。

(今度こそ!)
気を取り直して繰り出した渾身の攻撃が、あっさりと跳ね返される。
再度打ち込むと手首を木刀で叩かれて、つるぎはあっさり刀を取り落とした。

「終了!」
「景虎!まだっ…!」
つるぎの言葉は
「大方はわかった。オレも仕事だ。忙しい」
と景虎にさえぎられる。

(見限られたのか…)
そのまま庭を離れ、母屋の方に消えていく景虎を見送って、つるぎは力なくその場でがっくり膝をついた。






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