全体的に毛深い…眉は太く、ともすれば繋がりかねない。ヒゲも濃い。
「サル…だな」
夕食時、秀吉の隣に設けられた席で杯代わりになみなみと酒を注いだどんぶりを傾けながらしみじみと秀吉を観察していたつるぎがぽつりとつぶやいた。
秀吉が情けない顔で頭を抱える。
「ねえ?いつもそう?そうなわけ?それともオレに恨みでもある?」
「いや、別に見たまま感じたままを口にしただけだが…」
つるぎはどんぶりの中身をぐ~っとあけて、隣に控える茂助の方にどんぶりを差し出した。茂助が慌てて酒を注ぎ足しながら言う。
「しかし…恐ろしく場になじんでますね。つるぎさん」
大広間に30人ばかりの男たちがコップ酒片手につるぎの歓迎会がてら食事をしているわけだが…その中においてもなじむどころか、さらに豪快にやっているわけで…
「お酒も良いんですけど、ちゃんと食事も取って下さいね」
食事量をはるかに上回る酒量に、甲斐甲斐しく酌をする茂助は気遣わしげに声をかけるが
「まあそう固いこと言うなよ、茂助。同じ瓶の酒呑んで初めて仲間だろうが。
ほら、お前も呑むか?」
と、逆につるぎに酒を注がれそうになって、慌てて顔の前で手を振った。
「無理です!そんなペースで呑んだら死んじゃいますよ!」
その様子を見て、周りの屈強の男達も
「漢だな…」
とボソボソっとつぶやく。
宮中になじんだお堅い女が、こんな連中に馴染めるのか…という景虎の杞憂はただの杞憂だった事がここに証明された。
「美味いな」
と芋の煮っ転がしを口に放り込みつつ、また一杯。
その男くささは、隣の秀吉と勝るとも劣らない。
周りの男達が青くなるようなペースで杯を重ね、すでにそのペースについていけるのは、隣の秀吉のみである。
(こいつは本当に女なのだろうか?)
…と誰もが思い
(まあ、とりあえず気にしないでおこう)
…と皆が暗黙のうちにそう決めたのを本人はもちろん知らない。
「よし!歌うぞ!」
すっかり上機嫌でダミ声をはりあげはじめる秀吉に、やんやの喝采。一緒に歌いだすもの、食器をちゃかぽこ鳴らすもの、ちょっとした小宴会になっている。
楽しい…と思った。
すごい開放感だ。
所作隅々に一々目くじらを立てる奴も、陰口をきくやつもいない。
みんなでのびのびと楽しい気分を共有できる。
周りの目を気にしないでいい、それはなんと気楽で楽しい事なのだろう。
と、奇しくも尊敬する軍師と同じ理由でこの集団が好きになりかけているつるぎなのであった。
そして…
(でもそういえば…もう一人来ると言ってたか…お堅い奴じゃないといいが…)
と自分の立場を差し置いて、思っていたりもする。
そんな事を考えていると、不意にガラっと障子が開いた。
「もうみんな出来上がってたか…」
頭上からため息まじりの声がふってくる。
見上げると額に手を当てつつ大きく息をつく景虎の姿が…
見渡せば散らかり放題散らかった中に、撃沈した男の数々。
「景虎さん、おかえりなさい、食事どうします?」
さほど呑んでいない茂助がしゃもじを片手にかけよってきた。
「この惨状は・・・さすがに見せられんな。卒倒されそうだ」
眉をひそめた景虎が額に当てていた手を下ろした瞬間、フワっと芳しい香りが鼻をくすぐった。恐らく移り香であろう。
「梅花の香…か?」
呑んでいても嗅覚は鈍っていない。
つるぎが言うと、初めてつるぎに気づいたように、ほっとした口調で景虎は言った。
「お前は素面か」
「素面ではないが…酔うほどには呑んではいない」
「ウソだし…それ絶対にウソだし…」
半分酔いつぶれながら、秀吉がうわごとのようにつぶやいている。
それに軽く肘鉄を食らわせると、迷う景虎に
「多少酒が入っていても、公家娘の相手くらいはできるが?」
と問いかけた。
お祭り気分はすっと冷め、瞳に平静な色が戻る。
「公家でも酒くらいは飲むからな」
と言うと、景虎はつるぎにうなづいた。
「頼めるか。正直…オレもどう扱って良いやらわからん」
「それも仕事だからな」
つるぎは立ち上がった。
「膳を用意しておけ。私は着替えてくる」
茂助に言い置いて部屋に戻った。
公家も酒を飲む…とはいうものの、自らを振り返ればあまりに酒くさい。
部屋に戻るとまず香りのついた水で口をすすぎ、香を焚き染めておいた着物に着替え、髪を整える。
だが、あえて武士風に烏帽子をかぶらず下も袴だ。
いつまでも宮中気分でいられても厄介だ。とっとと武家の生活に慣れてもらわねば困る。
自分には自分なりにやりたいこともあるのだ。
いつまでも公家娘のお守りをするためにここに来てるわけではない。
身なりを整えて姿見の前に立ち、姿を映す。
幸い酒には飲まれず、顔にも出ないほうだ。
まあ、多少酒の匂いが残るのを抜かせば、初対面の公家の姫の前に出るのも差し支えない程度ではある。
この離れにはつるぎと公家娘のそれぞれの部屋、台所、浴室の他に、共有の間が用意されている。
膳はそちらに運ばせるらしい。
「さて、行くか」
自分を叱咤するようにパン!と両手で頬を軽く叩くと、つるぎは重い腰をあげた。
「失礼する」
声をかけて食膳の間のふすまをあける。
とたんに梅花の香にまじって、かすかな酒の匂いがただよってくる。
縁側の御簾を上げ、丁度庭に咲く夜桜が見えるように、膳は配置されていた。
そして…縁側に用意された座には二つの人影。
絵物語のように雅な光景に、つるぎは一瞬足を止めた。
こちらに背を向け、かすかに端正な横顔を覗かせる景虎。
その手には朱塗りの杯が握られている。
そしてその杯に舞を舞うような優雅な仕草で酒を注ぐ真っ白な細い手。
絹糸のように細く艶やかな黒髪が、桜色の着物にはらりとかかる。
つるぎの気配を感じ、ツ…と酒を注ぐ手が止まった。
白い顔がゆっくりとつるぎにむけられる。
長い睫にふちどられた澄んだ瞳がつるぎの姿を捉えた。
声なき小さな悲鳴が桜色の唇からもれるにいたって、景虎もゆっくりとこちらに目を向ける。
「来たか…」
という景虎の言葉に
「酔いが回ったか…桜の精が見える」
と、つるぎは相手を驚かせないように、なるべく表情を柔らかくしてゆっくりと二人の方に歩を進めた。
「あかり、さきほど話したつるぎだ」
景虎は杯を置くと固まる娘の手から銚子を取り上げる。
すると娘ははじかれたようにその場で膝を折った。
「あかり・・・でございます」
小さな手を揃えて床につけ、深く頭を下げる。
細い肩がかすかに震えている。
「つるぎと申す。驚かせてしまったようだ。申し訳ない」
これ以上驚かせたら消えてしまいそうだ…。
物腰がもはや姉達とも女官達とも違う。本当に深窓の姫らしい。
秀吉とは違って女受けも悪くはなさそうな…特に女性慣れしていないというわけでもなさそうな…さらに信長の言葉を借りれば身分に気後れをする事のないという景虎が
『どう扱って良いかわからん』
と称するのもわかる気がした。
宮中に上がって長いつるぎですら、いささか扱いに躊躇する。
「お疲れのようだ。あまり外を出歩かれた事がないのでは…?」
伏したままの娘の手を取っていったん立ち上がらせ、座にうながす。
「お心遣い…痛み入ります…」
娘は俯き加減に視線を伏せたまま、小さく小さく答えた。
「慣れぬ場所でさぞお心細かった事だろう。
こちらへ向かう時ご一緒させていただくよう、手配するべきだったな。気づかずに申し訳ない」
つるぎは視界から桜をさえぎらぬよう、景虎の横に腰をおろす。
「重ね重ねのお心遣い、感謝いたします。でも…」
あかりは、つるぎの言葉に再度床に手を添え頭を下げる。
そして杯を手にしたつるぎに気づき、どうぞ、と酒を注いだ。
「かたじけない」
つるぎは杯をあける。
さらに一献注いだところで、あかりは自分の座に下がり、言葉を続けた。
「信長様より、下々に慣れるように、一人でこちらへ向かうよう言われておりましたので…」
丁度同じように杯を口に運びかけていた景虎とつるぎの手が、やはり同じタイミングで止まる。
そして同じように空いている手を額にあてて
「なんて無茶な…」
とまさに同じ言葉が口からもれるにいたって、終始俯き加減で固くなっていたあかりからコロコロと銀の鈴がゆれるような綺麗な笑い声がもれた。
「・・・?」
本人達はきづいていなかったらしい。
やはり同じように不思議そうな視線をあかりに向けた。
「お二人とも…先ほどから同じ動作で同じ事をおっしゃっておいでです」
両の手を口に当て、まだ笑っているあかりをつるぎはじっとみつめた。
「笑ってると…可愛いな」
酒がはいっているせいか、羽芝邸へ来てから緊張感がなくなっているのか心の声がそのまま口にでてしまっている。
「…!」
つるぎの言葉に一瞬息をのんで、次に真っ赤になってうつむくあかり。
ずっと俯いていた時には気づかなかったが、コロコロと面白いように表情が変わる。
「可愛い!…うん!あかり可愛いな」
笑いがこみ上げてくる。緊張の糸が切れたように笑いが止まらない。
「お前も…酔ってるな」
あきれたような景虎の声。
しかし、つるぎが崩れた事で、あかりの緊張も少しほぐれたらしい。
真っ赤になって俯いているものの、さきほどのように固くなっている様子はない。
(まあこれはこれで…良いか)
景虎は安堵のため息をついた。
男所帯に二人の小うるさいハイミスがくるかと思いきや…フタを開けてみれば世間知らずの子供を二人預けられたようなものだったな…と景虎は慌しかった一日を振り返る。
そしてその子供二人に振り回されるであろう今後を考えると…頭の痛い事だ。
…だが、夕刻の頃のような憂鬱さは何故かない。
こうして嵐のような一日目は、まさにお互いに新しい風を送り込みつつすぎていった。
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