あれからアンボイナに寄港。
この街のシェアはほぼほぼクーンの物だったが、そこは計略はお家芸のようなものでお手の物のマリアが街に部下を潜ませて秘やかに…そして実に見事にクーンの悪評を流して、度を超えた不信感にクーンとの契約を打ち切ったシェアを買収。
着々とシェアの独占を完了させるまで、船はそのまましばらくアンボイナに停泊。
みなそれぞれ自由に過ごしている。
錆兎が卒がないなと感心するのは、そんな時に、街を楽しめるように、そして長期の滞在で迷惑をかけたりして街の人間から疎まれたりしないようにと、船員達全員に景気よく割合と多額の臨時の小遣いを渡すところである。
商会の投資としてだけではなく、船の船員が街に多額の金を落とせば、街の人間はあの商会が街に立ち寄れば街が潤うと、その寄港を歓迎してくれるようになるし、なるべく立ち寄ってもらうように向こうのほうから色々優遇してくれるようになるというわけだ。
酒一つ飲むのにも金払いが良いため、多少の羽目外しには店側も苦笑一つで目をつぶってくれるが、そのうえで総帥の錆兎自身が定期的に自船の水夫が飲んでいる酒場に足を運んでは、
「楽しく飲むのは良いが、羽目を外して店や街の皆に迷惑をかけるようなことはしてくれるなよ」
と、警告をしつつ、自身もカウンターの店主の前で1,2杯ほど軽く飲んで、
「うちの船員達が騒々しくてすまないな。
何か迷惑をかけるようなことがあれば、遠慮なく俺に申し出てくれ。
これはうちの奴らが楽しく過ごさせてもらっている礼だ」
と、酒1,2杯分というにはあまりに高額な金貨を惜しげなく店主に握らせる。
なににおいてもそんな風だからミナモト・サビト、ひいてはミナモト商会の街での評判はうなぎのぼりだ。
もしムラタがあのまま船長をやっていて、ありえないが今のミナモト商会くらいの利益が出ていたとしても、こんな金の使い方は思いもつかない。
元々の人当たりの良さ、外見や雰囲気からくる好感度の高さに加えて、そのあたりの人心掌握が錆兎は驚くほど上手い。
同じように人の上に立つことになれたマリアが恐怖なら、錆兎は好感を持って相手の心を支配するのだ。
だからマリアが前に出るより、錆兎が前に出た方が、新規の街を掌握しようとする時の抵抗がはるかに少ない。
もちろん人間の心というものは総じて弱いものだから善意だけでは強大な恐怖に襲われた時に崩れることもあるが、そのあたりはマリアが裏からきっちり支えているのがミナモト商会の強みだ。
とにかく、こうして街のシェアを広げる時はたいていマリアが裏で画策している間に錆兎が町中に顔出しをして回っているが、一方で、普段は錆兎と常に一緒のはずの義勇はあまり上品とは言えない夜の船乗りが集まるような酒場へ連れて行くと、自船の水夫はとにかくとしてそうではない何も知らない人間が絡んできてトラブルになるだろうと、錆兎が酒場巡りをする時は船で留守番で、そういう時はたいていシエンかマリアが護衛として残っている。
マリアの時には彼女が居ればいいが、シエンの時には錆兎だけずるいとへそを曲げる義勇の宥め役としてムラタが残るのが常だ。
そして今回はマリアもマリアで錆兎がそうやって表で街の人気取りに勤しんでいる間に影に潜んでクーンの悪評を高める仕事で忙しいため、シエンが残ることが多く、必然的にムラタも残る。
──つまらない!…別に俺も男なのだから酒場で絡まれても問題はないのに
午睡の時にいつも枕代わりにするクッションをポスポスと殴りながら寝室には戻らず船長室で錆兎を待ちつつ頬を膨らませる義勇。
その服装は相変わらずマリアが選んだ可憐な少女用の漢服だ。
さらに言うなら、マリアが合流してからは彼女が丁寧に手入れをしているためにサラサラになった漆黒の髪には瞳と同じ色合いの綺麗な青い絹のリボン。
男なのだから…というには、ちょっと違うと言うか…無理がある美少女っぷりである。
「…あれ?そういえば……」
と、ムラタはふと思い出した。
「義勇を女装させようってなったのは、お前が資格者として狙われているのだとしたら危ないからだよな?
じゃあ、もう女装する意味なくない?」
そうだ。
近接戦闘を得意とする錆兎と違って遠距離が主の義勇では資格者だった場合にその身柄を狙ってくる輩から身を守るのが難しかろうと、身元を隠すために、マリアの異母妹ということにして義勇の生存を隠すのが女装の目的だったはずだ。
しかし資格者が錆兎だったということは、東アジアの覇者の証の取得時に判明している。
だから義勇はマリアの異母妹の雪華じゃなく、卜部義勇に戻っても問題はないんじゃないか?
と、ムラタは思ったわけなのだが、義勇はブンブン!と首を横に振った。
「ダメだ!俺はこの格好でいる必要がある」
「…どうして?」
「…マリアと錆兎がそう言うから…」
「へ?なんで?」
「…可愛いから」
「…え?」
「可愛いから、だそうだ」
………
………
………
ムラタは頭を抱えた。
いやいや、確かにね?可愛いよ?義勇は綺麗な顔してるからね。
義勇が実は男だって疑う奴は居なくても、義勇は実は人間じゃなくて天使なんじゃないかって疑う奴らがいるくらいだしね?
なにしろこの船で唯一の本当の女性であるマリアよりも女性だと信じられ、女性扱いされているのは否定しない。
この船の皆が慕い敬う、船の宝、愛らしい姫君として君臨していることも否定はしない。
だけど、性別は実は男だし?!
錆兎とマリアと自分とシエンしか知らないとしても男だし?!
いつまで姫続けるの?!!
女装に抵抗とかぜんっぜんないわけっ?!
…と、思ったわけなのだが、そして実際にそう言ったわけなのだが、義勇はそこでにこっとこの世のものとは思えないほど美しい微笑みを浮かべて言った。
──錆兎が見ていて楽しいと言うならそれが全てだ。錆兎がやめてくれというまではやる。
……うん、ある意味、潔いな。見た目も雰囲気も何もかも真逆なレベルで似てないけど、その潔さだけは錆兎と似ている…
もう、互いが大好きすぎるこの二人に言葉を失くすことなど日常になりつつあるが、日々互いの互いに対する愛情に圧倒されるムラタ。
錆兎が覇者の証を7つ集めるのが先か、義勇が女装が似合わない年齢、体格になるのが先か。
もう、それが楽しみだよね…と、やけくそのように遠くを見る目で宙に視線をさまよわせた。
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