ザッシュっと夜の闇に青い光を放った刀が鬼の首を撥ね飛ばす。
飛び散る血しぶき。
それをも刀で器用に薙ぎ払い、白い羽織には染み一つついていない。
まったくもって器用なことだ。
と、こちらを気にする余裕すらある15歳。
入隊後一ヶ月強で柱になったその実力のほどは初任務の時にすでに柱と比べても遜色ないほどだった。
まだ幼さすら残る柱就任に最初は色々言う者もいたが、お館様が未だに何かと頼りにしている元水柱を師範に持つという後ろ盾と、圧倒的な実力、そしてその2つが揃っているにも関わらず、身分を問わず礼を尽くすお育ちの良さがにじみ出る性格で、それから2年経った今では目上目下を問わず慕われている。
最初はお館様の依頼で、以後は自主的にこの後輩柱を見守り続けてきた身としては、その成長は嬉しくも誇らしいばかりだ。
唯一、彼が最終選別で一緒だった身体を壊した少年を大切にしすぎていることで、おそらく一生女を作らず当然子孫を残すこともないのだろうと、そのことだけは宇髄は残念に思っていたのだが、なんとその少年は子が産めるΩ性で、しかも錆兎とは運命の番らしいということが最近わかって、そんな奇跡に近い出会いまで引き寄せるなんて神に愛された人間というものは存在するんだなと、宇髄はしみじみと思った。
この相手の少年というのがまた目を引くほど綺麗な顔立ちなので、いつか産まれるのであろう彼らの子は、どちらに似ても美しい子になるだろう。
まあ前途洋々で結構なことだ。
と、思いつつ、宇髄は万が一の事故死などを防ぐためにと、可能な限り錆兎と同じ任務につけるようにお館様に頼んでいる。
──天元は優しい子だね。柱同士仲が良くて嬉しいよ
と、お館様はそれを了承。
柱が2人必要な任務に錆兎がつく時は、錆兎と宇髄が入ることが多くなった。
今回もそんな任務の一つで、一般の隊士を送り込んだら行方不明者続出。
なので柱の投入が必要だろうと判断されて、錆兎と二人で東北まで出向いていた。
結局恐ろしいことに村全体が鬼の協力者だったというオチで、引き連れてきた一般隊士には村人を捉えさせて隔離させ、錆兎と二人で複数いる鬼を殲滅中である。
計6体で徒党を組んでいる鬼の頂点にいるのは下弦の弐。
それをまさに今錆兎が斬り捨てて、宇髄が斬った分も含めると残りはあと2体。
どこかに隠れているはずなのでさあ探すか、と、なった時、バタバタと鎹鴉が飛んできた。
錆兎のものでも宇髄のものでもないそれは、おそらく本部からのものだろう。
薄暗い夜でも月明かりに照らされた宍色の髪は非常に目立つ。
それを目印にとばかりに鴉は錆兎の肩にとまった。
──ん?何か連絡か?
と、錆兎が鴉を撫でながら、その足に結ばれた文を手にとる。
本部からの指示かもしれないので、宇髄はその場で待った。
そうしてすぐ、見る見る間に青褪めていく錆兎に、ああ、これはもしかして?と思うと案の定で、
「宇髄…すまん。本当に悪いんだがここを任せていいだろうか?」
責任感が非常に強い錆兎が青い顔で職場放棄を申し出る。
それに否といえるはずもなく、ただ
「お嬢ちゃんになんかあったんなら、ここは良いから急いで戻れ」
と言ってやると、錆兎は
「すまん、恩に着る」
と言うなり、くるりと反転。走り去っていった。
もうすぐ夜が明けるので、駅まで走れば朝一番の汽車に間に合うだろう。
錆兎の初任務以降ずっと彼と彼が大切にしている少年を見守り続けてきた宇髄としても状況は気になるところだが、まずは錆兎の途中離脱の穴をうめるべく、残りの鬼を倒しきって、その後の村人の処置まできっちりこなさねばならない。
「さぁ、夜明けまでにきっちり2体倒しきって、すっきりした朝を迎えねえとな」
ここで逃せば長期戦になる可能性もあるので、鬼が遠くへいかないうちにと宇髄は他人よりはずいぶんと音を拾う耳をそばだてて、鬼の居場所をさぐることに集中した。
──お姫さんの容態が悪化した。すぐ戻れ。
任務先にいきなり来た手紙。
それは実弥からのものだった。
急いで書いたのだろう。自分の名前すら書き忘れていたが、文面ですぐわかる。
そして…必要最低限しか書かれていないその文面で、状況がかなり切迫していることも…
何故…と駅に向かって走りながら錆兎は脳内で繰り返す。
それはどのくらい前に書かれたものなのだろうか…
おそらく状況がわかった瞬間に実弥が送ってくれたのだろうから、鎹鴉の飛行速度を考えるとだいたい7時間ほど前だろうか…
村から駅までは全力で走れば2時間ほど。
日々山の中で鍛錬していた錆兎にすれば、障害物のない道を全力疾走するくらいわけはない。
こうして朝一番の汽車にまにあってジリジリしながら目的地につくのを待つ。
悪いが残してきた宇髄や隊士達、鬼や村人のことなど全く頭から消え去っていた。
脳内を占めるのは義勇の容態のことのみ。
もし…もしも間に合わなかったら…と思うと、震えが止まらない。
気を緩めれば泣いてしまいそうだった。
ぎゅっと両の手を握りしめ、ガタン、ガタンという汽車の音を聞いている。
こうして汽車が駅につくと、一目散に本部の医療所へ。
青い顔をした錆兎が飛び込んで行くと、事情がわかっているらしく受付の職員が即病室まで案内してくれた。
奇しくもその病室ははるか昔…と言っても2年ほど前のことだが、最終選別で鬼の毒を受けて瀕死だった義勇が運び込まれたのと同じ病室だった。
鬼殺隊では怪我人も多ければ、瀕死になる人間も少なくはないので、軽症者が泊まる大部屋か重傷者が泊まる個室という区分けをしているだけでたまたまなのだろうが、なんとなく因縁じみたものを感じて錆兎は空恐ろしくなってしまう。
選別を終えた時の容態は最悪で、そこでなんとか命はとりとめたものの初任務でまた体調を崩した。
そこからは本部に顔が利く柱の宇髄や、何かと困った時に手を貸してくれる同期の実弥と出会ったため、極力義勇に無理をさせないという事が可能になり、ひどく容態が悪くなるということがなくなって久しい。
だが容態が悪化した義勇がこの部屋に運び込まれたことで、あの日の不安や恐怖が蘇って、錆兎はドアノブを回すことができなかった。
怖い…なんて感情はどのくらいぶりだろうか。
おそらく元々錆兎はその手の感情が希薄だったように思う。
物心ついた頃から刀を握っていたため1人で行動する頃にはそこそこ強くて、鬼を滅するということもそれに付随する危険も当たり前に受け入れていた。
普通の人間が怖いと感じるようなことが怖くなかった。
おそらく覚えている限りで最初に怖いと思ったのは3年前…兄弟の様に育った姉弟子の真菰の最終選別の時だろうか…
その次が最終選別で義勇が怪我をした時…。
それ以来、錆兎の怖いという感情は常に義勇と共にある。
自分が傷つくのは怖くないのに、誰かが傷つけられ、その結果失われることはこんなに怖い。
今も下弦の鬼を前に何の感慨もなく刀を振るってきたのに、この部屋の向こうで義勇が死んでしまっているかもしれないと思うと、怖くて手が震えてドアを開けることができないのだ。
そんな錆兎を前に、受付の職員がドアを開けてくれた。
相手にしたら思いやりなのだろうが、まだ覚悟が出来ない錆兎はやめてくれ…と内心思う。
だが、なけなしの理性でありがとうと礼を言うと、部屋の中へと足を踏み入れた。
そして…ああ…と、嘆息する。
よりによって医師まで同じか…
冷静に考えれば義勇を最初に診て、毒の情報なども全て知って治療薬も処方している医師なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、この部屋とあの医師が揃うとなんだかあの時のことを思い出して不安で泣き出したくなってしまう。
白い部屋。
その奥の白い寝台に寝かされている義勇は青褪めて意識もないようだ。
もうその様子を見た時点で色々が限界で動けない錆兎を寝台脇の椅子に座っていた実弥が立ち上がってそこに誘導して座らせてくれる。
そうして実弥の口からここに運びこんだ経緯を聞いた。
錆兎も話には聞いたことがある、女には手を出さないし殺さないし食わないという上弦の参が実弥と戦っている最中に少し離れた橋にいた義勇に気づき、落としたかんざしを拾おうと川に飛び込もうとしていた義勇を止めて自分がかんざしを拾い、毒が回って血を吐いていた義勇を医療所に連れて行かせるため実弥を見逃した…ということだが、義勇が何故そんなところにいたのかも、何をしようとしていたのかも不明だ。
話を全て聞き終わって改めて見てみれば、義勇の細い手にはしっかりとかんざしが握られている。
そう、錆兎が任務で京に行った時に義勇に似合いそうだと買って渡したあの花飾りのかんざしだ。
ここに運んでから危ないからと取り上げようと思ったのだが、どうしても手放さないらしい。
──お前が買ってやったんだって?ずいぶんと大事なもんらしいぜぇ
そう、後ろに立つ実弥が言う。
それを聞いて錆兎はとうとう涙腺が決壊した。
「…こんなもの…欲しいならいくらでも買ってやるのに…」
と、こらえようとしてもこぼれてしまう涙を拳で拭いながら言うと、
「惚れた男から初めて貰ったかんざしなんだろぉ。嬉しかったんだろうよぉ」
と、実弥はポンと軽く錆兎の肩を叩くと、
「じゃあ俺は治療もあるし隣の部屋で休んでるからなぁ。なんかあったら遠慮なく呼べよぉ」
と言いつつ、部屋を出ていった。
パタン、と閉まるドア。
そこからは2年前と同じ顔ぶれだ。
「2年前もこの部屋だったね」
と、医師の方も覚えていたらしい。
そう言って困ったような笑みを浮かべた。
「あの時…たった13歳だった君が毒で片肺やられてて定期的な解毒剤の服用が必要なこの子の面倒を全てみると言い出した時は正直大丈夫かと思ったんだけど、この2年間、ほぼ大きな発作も起こしてないし、本当に心身ともにきちんと寄り添ってあげてたんだね。
………
………
だからね、知りたいんだ。最近何かあったのかな?」
「さい…きん…?」
聞かれている意味がわからず錆兎が怪訝な顔をしてみせると、医師はどう切り出そうかと少し迷って、結局単刀直入に切り出した。
「たぶん、義勇君はこの3,4日は薬を飲んでないんだと思うんだ。
1回くらいならね、忘れてしまうということもあるかと思うんだけど、複数回になるとね、故意に飲まなかったのかなと。
食事もきちんとしていないようだし、君は5日前から長期任務に出ていたと聞いているけど、その前に何か様子がおかしいとかあったかな?」
「…わかりません……少なくとも俺が見た限りではいつもと変わらなかったと思うんですが……俺が気付かなかっただけなのかも……」
「う~ん…でも君が任務に出ている間に何かあったという可能性もあるしね。
義勇君が目を覚ましたら薬を飲ませがてら聞いてみてくれるかな。
ぼくが聞くよりたぶん話してくれるんじゃないかと思うし」
とりあえずは強い薬を注射したので今すぐどうということはなくなったらしいが、それもそうそう使えるものでもなく、結局日常の毒の抑制剤の服用はずっと必要になるので、ということらしい。
もうそれこそ本当ならすぐ飲ませたいところだが、目を覚ましてあまり興奮したりするのもよろしくはないしと、あえて義勇を起こすことをせずに錆兎の帰還を待っていたのだと医師は言って、何かあったら呼び鈴を鳴らすようにと言いおいて病室を出ていった。
──義勇…お前、なにがあったんだよ……
病室に二人きりになって錆兎は改めて義勇に向き合って声をかける。
夜…1人で刀も持たずに家を出る危険性なんて鬼殺隊に所属する身の上なら当然知っているはずだ。
なのになぜ?
血の気の失せた青い顔…
もし実弥と鬼が戦闘中じゃなかったら…戦っていた鬼が噂の上弦の参じゃなかったら…かんざしを追って川に飛び込んだ義勇の遺体と対面することになっていたのかと思えば心底ゾッとする。
生きていることを確認したくなって触れた頬は柔らかくて、愛おしさと不安感とこらえきれない悲しみとがぐるぐると回った。
そうしてしばらく頬や髪を撫でていると、ぴくりと長いまつげがふるえて、ゆるゆると瞼が開いていく。
…さび……と……?
意識はまだぼんやりとしているようだが、それでも綺麗な青い目が錆兎に向けられる。
──ただいま、義勇。とりあえず目を覚ましたなら薬を飲め。
聞きたいことは色々あるが、とりあえずは義勇の命を確保しなければならない。
なので錆兎が薬に手を伸ばそうとすると、義勇はぽろぽろと泣きながら首を横に振る。
──さびと…錆兎、だめだ。飲まない。
泣きながらそう言う義勇に錆兎は眉を寄せた。
──何故?今まで普通に飲んでただろう?
と、錆兎としては当然のことを口にすると、義勇はおそろしいことを口走る。
──俺は…生きてちゃだめだから……
ぷつん…と、その言葉で錆兎の中で色々なものが決壊した。
我慢していた色々が崩壊して、久々に涙が溢れ出る。
「なんでそんな事言うんだっ!!」
泣きながら怒鳴ると、義勇も常とは違って声を荒げる。
「…だって、だって、俺は錆兎をダメにするからっ!!」
意味がわからない。
でも義勇がそう言うなら錆兎の答えは一つだ。
「今お前といる俺がダメなやつなんだったら、俺はもっと死ぬ気で頑張ってダメじゃないやつになるからっ!!
絶対になるからっ、義勇が死ぬのはダメだっ!!」
義勇に死のうとされていた…そう思うと胸がズキズキ痛んだ。
いやだ、いやだ、いやだ!!
脳内はそんな駄々っ子のような言葉で埋め尽くされる。
「違うっ!錆兎は今でもっ…すごい男でっ……でも、でも、ずっと俺が一緒にいたらっ迷惑かける…からっ…」
義勇も泣きながらぶんぶんとまた首を横に振った。
「俺がっ…男だからっ……女性じゃなくて伴侶になれないからっ…いつか錆兎が素敵な女性をみつけたら終わる関係だからっ…だから、一緒にいても良かったんだっ…
でも伴侶になれてしまうからっ…俺みたいなやつが一緒になったら絶対に錆兎に迷惑がかかるっ…そんなのいやだっ…いやなのにっ…俺は否って言えないからっ…錆兎の善意に甘えてしまうからっ…だからっ……」
なるほど…第二の性が判明した時から義勇はそんなことを考えていたのか…と思うと、単純に浮かれていた自分の思慮の足りなさに腹が立つ。
でも…と、思う。
自分には義勇が必要なのだ。
──義勇…聞いてくれ…
錆兎はスンと鼻をすすると、コツンと義勇の額に自分の額を軽く押し当てて話し始める。
「…俺は3歳で人々のために鬼を滅する剣士になるべく実家を出されて鱗滝先生の元へと託されて、それから12年、ほぼ他人のためにだけ生き続けてきた。
そんな中で、唯一自分自身のためだけに望んだのがお前だ。
初めて会った時から共にありたいと強く思っていた。
宇髄がいうところの運命の番というやつなのだろう。
誰がいなくなっても何を失くしても俺は生きていけると思うが、お前だけはダメだ。
お前の病状が悪化したと連絡をもらって帰路についている間、何度も泣きそうになって、情けないことだが怖くてこの病室のドアも開けられなかった。
俺はこれから多くの人のために戦い続けると思うし、社会の役に立つ人間であり続けようと思っているし、実際そうなると思うから、社会の方にも一つくらい俺の我儘をきいてもらおうと思う。
それも許されないなら…3歳で全てから引き剥がされて誰もいないまま社会に放り出された俺が必要な人間をたった1人望むことも許されないなら、俺はなんのために生きてるんだ?
皆が俺が支えだ希望だという。
でもじゃあ俺の支えは?希望は?
俺だって感情がある人間だ。支えになるものくらい必要なんだよ…
お前の記憶がないくらい何だって言うんだ。
万が一…お前の師匠が鬼に通じていて、記憶を失くす前のお前がそれを知っていたとしたって、これからお前が師匠を選ばなきゃいいだろ。
俺が努力する。
万が一があっても俺を選んでもらえるように努力するし、お前が変な方向に進まないように全力で止めるから。
それで周りから色々言われるなら俺がお前を守る。
鬼からも周りからも全力で守るから…だから俺を置いていったりするな。
それでもどうしても信用できない、死にたいって言うなら、俺も行く。
お前のためじゃない…俺の意志だ。
お前を失くして1人で生きる道を歩くなら、俺はお前と一緒に死出の道を歩きたい」
──頼むから…俺とずっと一緒に生きるために番になってくれ……
と、錆兎は最後にそう言った。
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