──頼むよ、天元。おそらく君にしか出来ない任務なんだ。
サラリと綺麗な黒髪を揺らしてお館様が言う。
抜け忍である自分を理解し温かく迎えてくれた敬愛すべき主にそんな風に言われれば、どんな過酷な任務だってこなせてしまう気がした。
宇髄天元16才。
柱を拝命してまだ一ヶ月弱の頃のことである。
本来は柱がやるような任務ではない。
だが失敗は許されない非常に重要なものだ。
なにしろ鬼殺隊の重鎮である元水柱の鱗滝左近次の愛弟子で未来の水柱候補として期待されている少年が鬼の間者かも知れない相手と共に生活したいと言っているのだ。
ただし、かも知れないとは言っても、その愛弟子の錆兎と共に居る少年が鬼と通じている確率は低い。
なにしろ錆兎に助けられた時にはすでに鬼に襲われて重傷を負っており、最終選別後に医療所に運び込まれた時には、鬼の毒により瀕死の状態だった。
生死の境をさまよって、一時は一瞬ではあるが呼吸が止まり、いまもなお、なんとか定期的な薬の服用で命をつないではいるものの、完治はできず、いつ死ぬかわからない状態である。
そんな状況だったので、それも演技か本当かは疑問視されているが、最終選別前の記憶が飛んでしまっているらしい。
鱗滝本人も少年に実際に会ったらしいが、断言は出来ないがおそらく白だと思うから、弟子のために白黒はっきりした上で、白なようなら保護してやってほしいとお館様に直々に願い出たというわけだ。
重鎮の依頼であるということ、未来の水柱候補の身の安全、その他諸々を考えると無視できないと、結局宇髄の所に調査依頼が回ってきた。
もちろんいくらなんでも一人のために動くわけにもいかないので、どうせならまとめてということで、今回の任務は一つはその冨岡義勇と言う少年の身辺調査。
もう一つは、彼と同じく鬼と関与している疑いのある育て手に育てられた隊士を集めて、その中で鬼に通じているのであろう者を割り出すこと。
そのために大人数を連れての長期任務と相成った。
ということで、任務で初めてその少年義勇を見た時の宇髄の第一印象は…まあ、無理じゃね?だった。
それほど荒々しい場所にいたとは思えない柔らかそうな黒髪に傷一つない真っ白な肌。
長いまつげに縁取られた、どこか怯えたように心細げに揺れる大きな青い目。
手足も細くて、身体も年相応以上に華奢で…なんというか…やわそうだ。
体格とか表情とか、どれをとっても強いとは言い難い。
少年というより少女のようだと思う。
宇髄は元忍者なので、そのあたりは強い相手なら隠していてもわかる。
だが、義勇はみたまんまだと思った。
そりゃあ真っ直ぐにお育ちになったのであろう元水柱の愛弟子のお坊ちゃんがこんなお嬢ちゃんみたいなのが怪我をして震えているのを発見したなら、保護してやらねばと思うだろうよ、と、その様子が目に浮かんでしまったくらいだ。
実際、全員を鬼を狩るために鬼のいる山に送り出してからこっそりと見に行ったが、錆兎が見事な太刀筋で危なげなく鬼を斬りながら、まるで肉食獣の親が仔に狩りを教えるように、弱い敵をさらに弱らせて与えたものを細々と斬っているだけで、身体が限界を迎えたらしい。
毒が活性化してきて動けなくなっていた。
さて、助けるべきかとも悩んだが、そこで別の少しばかり骨がありそうな新米隊士がやってきて補佐に入ったので、宇髄はバレないうちにと、集合場所へと戻っておいた。
そうして時間になって戻ってきた時には、お嬢ちゃんは真っ青な顔でお坊ちゃんに抱きかかえられてのご帰還だ。
か弱すぎて助けに来たらしい新米隊士はおそらく義勇のことを本当にお嬢ちゃんだと思っているようだが、それは面白そうなので放っておくことにする。
まあ…このか弱さでは物理的にお坊ちゃんの寝首をかくのはまず無理そうなので、あと気にするべきは、お坊ちゃんに対して害意があるかどうかだ。
物理で殺せなくても、毒や情報操作で死地に追いやることは可能である。
なので宇髄は少し罠をかけて探ろうと思い立った。
本来今回の任務中は一切の手加減なし。
普段なら怪我人などが出た時のために必ずある隠などの補佐もなし。
怪我をしたら自力下山。
自分で手当をして戻れというものだが、義勇は理由があって特別に休ませると皆に告げ、本人と錆兎には鱗滝左近次のお館様への依頼によるものだと告げた。
そうして錆兎は他と共に鬼狩りのために山へ。
その間に作戦開始だ。
目的は間接的にでも鬼殺隊に対する害意があるのかを知ることなので、全員が出払ったテントの中で、錆兎が将来的に鬼殺隊にとって重要な人物になるであろうことを告げる。
そうしておいて、錆兎に託された薬だけ手渡すのは忘れずに、あとは放置して様子見だ。
なるべく1人になるようにすれば、害意があるならなんらかの工作をするなりするだろう。
まあ数時間で結果が出ることもないだろうが、3箇所分の任務が終わるまでの数日間あれば、何かしらは掴めるはずだ。
…と思って秘かに見張っていたら、なんと薬をトポトポ捨てている。
毒にやられているというのは嘘だったのか?
…これは…おもいのほか早く結果がわかるかもしれない。
そうしてしばらくおいて、何食わぬ顔で
「ちゃんと飲んだかぁ?」
と、顔を出せば、頷いて渡される空の小瓶。
あ~、これは決定だな、と、内心思いつつも、また、外の様子をみてくるとテントを出て、秘かに監視を続行した。
しかしあんな虫も殺せぬような顔をして鬼の間者か…と、宇髄は舌を巻く。
あのひどく怯えたような表情が全て演技だったなんて、事前情報がなければ元忍者で化かしあいには慣れているはずの宇髄ですら本当に気づけなかったと思う。
そのくらいには義勇はどこか脆さを感じさせる少年だった。
…が、それから1時間もしないうち、なんだか雲行きが怪しくなっていく。
徐々に青く血の気を失う顔。
浅く早くなる呼吸の合間にぜいぜいと聞こえ始める喘鳴。
この感覚は知っている。
数多くいた兄弟姉妹が忍術の修行の一環で飲まされた毒に耐えきれず、即死をしなかった何人かがこんな風になって死んでいった。
ひやり…と背に冷たい汗が流れた。
宇髄は忍びの頭領として厳しい修行の中で育ってきたので、気配の消し方は完璧だ。
いくら鬼と通じているといってもただの人間に見張っている気配を悟られることなど考えられない。
とすると、少年はいま本当に毒で死にかけているのか?
毒を抑える薬をわざわざ飲まなかった理由はなんだ?
脳内でくるくると色々な可能性が回る。
そうしているうちにも、見る見る間に弱っていって、死の淵に引きずり込まれようとしている少年。
これは…介入すべきか見守るべきか…。
介入すれば下手をすれば見張っていたことがバレる。
バレたら今後の監視が非常に困難になるだろう。
どこか脆さを体現したような子どもが目の前で弱っていくのを見ているのは、いくら人の死に慣れた元忍の宇髄にしても気持ちの良いものではない。
そうしてさらに1時間ほど。
謎の解は、苦しんで苦しんで、そろそろ放置を続ければ取り返しがつかなくなるかもしれない…と言うほど弱りきった少年の口からポツリとこぼれた言葉の中にみつかった。
──…さよ…なら……さびと……だいすき…だ……
おそらく少年は放置をすればあと半時間は持たないであろう、一方で錆兎が戻るまでにはまだ数時間はある。
つまりはもう二度と会うことは叶わないだろう相手に向けた別れの言葉。
それはとてもシンプルで…それだけに万感の思いが込められていた。
こいつはやばいっ!
結論は出た!式を考えるのはまたあとでだ!!
宇髄は医療所から預かった極々緊急用の薬を手にテントに入って義勇の小さな口に瓶の口を押し込んだ。
案の定、流し込まれた薬を飲み込もうとしない少年に、おそらく一番効果的であろう、
──飲み込まなきゃ鱗滝錆兎を引っ張ってくるぞ
という脅しを使う。
そうしてなんとか飲み込ませたものの、わずかに手遅れだったのだろうか…
少女のように細く頼りない身体がひどく震えて、そのまま意識が途絶えた。
まずい…非常にまずい…
これを死なせたら任務は一番最悪な形での失敗だ。
宇髄は急速に体温を失っていく少年の身体を抱えて自らの体温を分け与えながら、手や腕をさすってさらに温める。
そんな中でとりあえず出た結論は、この少年が最期の最期に想うのは例の元水柱の愛弟子で、薬をこっそり捨てたのは自死のため。
そして…その自死を決意させたのは、宇髄の、少年の存在が錆兎の足かせになるという一言だ。
早く行動に移させようとせっつくために添えた一言だったが、あれは本当に失言だった。
おそらく…自身よりも錆兎を大切に思っているのであろうこの病んだ身体を抱えた少年に対しては言ってはならない言葉だったのだ。
…頼むぜ、死んでくれるなよ……
少し熱の戻った身体を敷布の上に横たわらせて祈るような気持ちでそう思いながら、宇髄は結論から式を組み立て始めた。
少年は白だ。
もし鬼と通じていたのなら、足枷になると知ったら足枷で居続けるだろう。
ということは…任務は少年の調査から保護に移行することになる。
少なくとも錆兎の側の気持ちが少年にあるうちは、絶対に彼を死なせてはならない。
白だと判断したとたん、宇髄ですらどこか胸がズキズキするくらいには、少年は脆く儚げで痛々しい。
それを守ることも出来ず目の前で衰弱死させたとなったら、お坊ちゃんは耐えられないだろう。
とりあえず…一度死んだ方が良いと言う方向に持っていってしまった意識を取り急ぎ軌道修正させなければならない。
…それには…役目を与えるのが手っ取り早いか……
そう思った宇髄は、なんとか意識を取り戻した少年に、錆兎のための囮になる…という役割を負わないか?と提案してみた。
もちろん、錆兎のために自死を選ぶような義勇が断るわけもない。
それでも了承されたことにホッとした。
これは確かに錆兎に向かうであろう矛先を義勇に向けるものではあったが、同時に義勇を守るものでもある。
どういうものかと言えば、簡単だ。
錆兎がこの先、死んだりしなければそのうち柱にでも登りつめる可能性のある少年だということは、初日に宇髄が匂わせたため、鬼に通じている隊士がいたら、錆兎を害したいと思うだろうが、正面から向かうには錆兎は強すぎる。
そんな中で義勇の容態が悪化したと思えば錆兎はひどく心配するだろうし、それを隠すこともしないだろう。
そこで義勇は錆兎の弱点だという認識が広がる。
そうすると錆兎を害したい輩は、錆兎本人よりも攻撃しやすい義勇を害して錆兎にダメージを与えようとするだろうと、まあそういうことだ。
具体的にはまず錆兎がどれだけ義勇のことでダメージを受けるかを周りに認識させるため、義勇の体調の悪さをアピールし、錆兎の反応を周りに見せる。
これは義勇に演技は無理だろうということで、宇髄が今の義勇の容態の悪さを語って信じさせると義勇には言ってあるが、実際にさきほどの件で見るからに具合が悪そうなので、宇髄が言うまでもなく、むしろ錆兎から指摘をされそうだ。
さらに、相手が手を出しやすいように宇髄は表面的には飽くまで上からの命令で仕方無しに義勇を特別扱いしているという風を装うが、実際は全力で守っていくので心配はしないようにとは言ってある。
まあ義勇本人は自分の身の安全についてはどうでも良さそうではあるのだが…
これで鬼と通じている隊士が炙り出せれば万々歳。
炙り出せないでも、自分が生きている限り錆兎に向くはずの攻撃が自分に向くと思えば義勇が死に急ぐような行動を取ることはなくなるだろうから、最低限の目的は果たせる。
そんなわけで、義勇には特別なことはしないでいいから自然体でいろという指示を出して、鬼狩りをしている隊士達の帰りを待つことにした。
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