──お前の存在はあいつの足かせにしかならねえと思うぜ?
任務二日目…錆兎は鬼狩りのために山に入っている。
しかし義勇は初日に呼吸を使いすぎて倒れたため、麓に張ったテントの中で留守番だ。
目の前には今回任務を仕切っている若い柱が立っている。
柱は最初と最後の点呼のみで山狩りには参加せず、鬼が麓まで降りてきた場合に備えて待機。
普段は怪我人や病人が出れば隠と呼ばれる部隊が医療所に運ぶがそれもなし。
要救護者は自力で下山して自力で手当をして戻る。
なのに今回義勇がこうやって任務を休んで保護されているのは、実は錆兎の師匠が義勇の容態を気遣って、なんとお館様に手紙で頼んでくれたから特別にということらしい。
それを宇髄から聞いて、義勇はいたたまれない気持ちになった。
そもそも今回の任務を義勇は死に場所と決めていた。
錆兎が何があっても自分と一緒にいてくれるつもりらしいことを知って、絶対にしてはいけない事ができたからである。
それは鬼との関与を誰かに知られること。
錆兎が自分と共に生きると言ってくれて一緒に住み始めてくれた時点で、それを知られると錆兎まで関与を疑われたり、あるいはあれだけ立派な師匠の弟子でありながら見抜けずに騙されたと経歴に傷がつくかもしれない。
だからどれだけ疑われようと、よしんば拷問を受けようと、それだけは絶対に認めまいと義勇は決めたのだ。
そこで義勇は今回任務中に死のうと思った。
幸いにして過度に呼吸を使うだけで今の義勇の身体は片肺をほぼ埋めている毒が活発化して息ができなくなり、錆兎が預かってくれている、その毒を一時的に沈静化する薬を服用しないと最終的に死ねるらしい。
だから鬼を追ううちについつい錆兎から離れすぎて呼吸を使いすぎて…とやれば、自然に死ねる気がした。
だが甘かった。
錆兎は自分から離れる義勇にすぐ気づいてしまったし、それでも多数いる鬼の対処で身動きが取れないでいたら、なんと助けの手が入ってしまったのである。
そのまま薬を飲まされて、その後気を失って気づいてみれば、その日の任務がおわっていた。
挙げ句に…翌日の今日、こうして一人特別扱いということで、任務に行けずに待機中の柱と2人きりなどと言う恐ろしい事態に陥っている。
だから、自分が結局錆兎どころか彼の師匠にまで迷惑をかけているなんてことは、言われるまでもなく、義勇自身が一番感じていた。
柱はその言葉と共に
「まあそれでも坊っちゃんは放っておけば柱になるのかもしれねえけどな。
ほれ、坊っちゃんに預かってた今日の分の薬だ」
と、いつもは錆兎が持っていてくれる薬の瓶を投げてよこす。
普段は夕方に普通の薬を服用するだけだが、こうやって発作で毒が回っている時はさらに別の薬を状況によって数日飲むことで沈静化させるらしい。
夕方の薬は錆兎が任務前に渡してくれて飲むのを目の前で確認されていたのでどうしようもなかったが、この薬を渡したあと、宇髄は
「ちょっと様子を見てくる」
と、運良く席を外したので、義勇はこっそりと中身を捨てた。
もう鬼に一瞬でというのが難しいなら、多少苦しさは長引くかも知れないが毒の容態が悪化して…という方法でも仕方がない。
死ぬのが遅れれば遅れるほど、宇髄が言うように錆兎に迷惑がかかるのだ。
しばらくすると
「ちゃんと飲んだかぁ?」
と宇髄がテントを覗き込んできたので、頷いて空になった薬瓶を渡す。
するとそれを受け取って、宇髄はまた外へと戻っていった。
その後、2時間ほどだろうか…徐々に薬を飲まなかった効果が出てきたようだ…。
喉よりももっと奥…気管支から肺のあたりに広がる痛み。
吐き出す呼吸に、ぜい、ぜい、としゃがれたような音が混じり始めた。
呼吸が上手く出来ない。
ぎゅっと羽織の胸元を掴むと、義勇は横たわった小さな敷布の上で丸くなった。
…これ…どのくらいで死ねるのかな…出来れば錆兎が戻る前に…
優しい錆兎は死にかけの自分を見れば心を痛めるだろうから……
そう思えば脳裏に浮かぶ白い羽織の少年。
世話になるばかりで何も返せなかったな…と、それだけが心残りだ。
優しい錆兎…この世で唯一、損得感情なしに義勇に手を差し伸べてくれた、大事な…本当に大事な少年…
もし死後の世界…そして転生と言うものが存在するのなら、彼のことは絶対に忘れずにいようと思う。
絶対に…絶対に…何を忘れても、錆兎の事だけは忘れずに居る…
死後の世界があって自由に出来るなら、彼がその人生を終えるまでは守護霊になって彼を守ろう…
いつか彼と同じ世界に生まれたなら、隣に立ちたいなんて贅沢は言わない、今度こそ何か彼の役に立てる人間になって影からでも良いから彼を支えたい。
…生まれ変わってまた出会えたら…今度こそ、せめて迷惑をかけないように……
胸から呼吸器にかけてのひどい痛みと息苦しさも、そんな事を考えていると和らぐ気がする。
贅沢を言えば一目で良いからもう一度あの白い羽織を翻した少年の姿を目に焼き付けてから逝きたい…
最期にあの大好きな笑顔にさよならを言いたかったが、それで彼の笑顔を曇らせるなら、自分が寂しく悲しい思いをするほうがずっと良い。
──…さよ…なら……さびと……だいすき…だ……
思えば13年の人生の中で誰かに好意を伝えるなんて経験はなかったので、たくさん色々溢れ出る想いがあっても、出てくる言葉なんてそんな拙いものだったが…本人に届けられることもない、ただの義勇の最期の言葉としては、それで十分だと思った。
ああ…好き…大好きだな、と、思い出せば、身体は辛く一人ぼっちで逝くとしても、ふんわりと心が温かくなる。
…さびと…さびと…俺の唯一大好きな大切な白い羽織の少年…
…これから俺は死んでこの身は朽ちるけど、心は、ただただ、お前の幸せだけを願うよ…
…俺の死でお前の光に満ちた人生が守られるなら…こうして死ねることすら幸せだ…
少し物悲しく切ない幸せを感じながら、義勇は13年の人生の幕とともにまぶたを閉じた……はずだった。
ところが……ぐいっと乱暴に腕を掴まれて引き寄せられ、驚いて目を開ければ目の前には厳しい顔をした宇髄。
「おら、薬飲めっ!」
と、口元にぐいぐいと薬の瓶を押し付けられる。
鼻をつままれて口を開ければ細い瓶の口を押し込められ、中の液体を流し込まれる。
「飲み込まなきゃ鱗滝錆兎を引っ張ってくるぞ」
と、それを吐き出そうとする義勇の動きを察したのだろう。
容赦なく振ってくる脅し。
コクンとそれを飲み干せば、確かに口の中に薬が残っていないことを確認したあと、鼻をつまんでいた手が離れていく。
さきほどまでの安らかにして穏やかな空気を容赦なく踏みにじられた気分だった。
恐ろしさと絶望と不安感…
体調の悪さも相まって身体が滑稽なほどカタカタと震えた。
心臓が口から飛び出そうなくらいドキドキとして、さきほどとは違う理由、恐怖で死にたくなる。
そんな自衛本能の一環なんだろうか…義勇の意識はそこでいったん途切れた。
おそらくそれからそうは時間が経ってはないのだろう。
義勇が目を覚ますと、義勇が横たわっているすぐ横に宇髄がいて、義勇は小さな悲鳴をあげて飛び起きた。
…が、まったく力の入らない身体は半身すら支えてくれず、ぐらりと上体が前のめりになるのを、宇髄の腕が支える。
「…あ~…脅して悪かった。こっちにも事情ってのがあんだよ。
本部とお館様、あと鱗滝左近次、それぞれに絡み合った大人の事情ってのを上手にバランスとんのが今回の任務なんだけどな…俺は脆い人間ってのと関わった事がなくて、やりすぎた。
俺のミスだ。
とりあえずお前にさっき飲ませた薬は本部から預かってるすげえ緊急用の強い薬だから、そうそうは使えねえ。
だから少し効くまでは無茶すんな」
困ったように頭をかく宇髄は年相応の少年の顔をしていて、さきほどまでの傲慢な柱の空気との違いに義勇は戸惑った。
それでも相手の本心がわかるまでは油断は出来ない。
義勇は警戒しつつ離れようとするが、相手の腕の力は強くてびくともしないのですぐ諦めた。
「…ただ…容態が悪化した…ってことで…死なせておいて欲しい……」
ぽつりと呟くように言うその提案は、決して誰にとっても不利益なものではないと思う。
だって、義勇が死ぬことによって鬼の関与に関して何かがわからなくなるわけじゃない。
義勇の師匠の柳沢松庵の他の弟子は鬼殺隊の最終選別を突破できていないので松庵自身が消えた今、義勇が知っていて鬼殺隊にとって有益な情報なんてなにもない。
こちらからは連絡をつける手段すら与えられていないのだ。
「…本当に…俺が鬼と連絡をとりあえる仲で、何か教えてあげられる情報があったなら…錆兎に全部伝えて手柄をたててもらえるのに……
…俺が錆兎に出来ることは、錆兎にまで変な疑いがかからないように変な噂がたつ前に死ぬことくらい…だから……」
「…あ~、一応確認な。
お前が入院してた病室で、今回、育て手が大量失踪した件について話してた馬鹿がいたんだが、もしかしてそれ聞いてたか?あるいは、どこかでそれ聞いたか?」
この流れで知らないのはさすがに不自然だろう。
そう思って義勇は無言で頷いた。
すると、宇髄は、
「そっかぁ~~」
と、また頭を掻いて大きく息を吐き出した。
「で、それ知った上で、弟子が最終選別で大怪我負ってる状況で荷物取りに行っても師範がいなかったって言われりゃあ、覚えていないだけに自分も鬼に関与してたのかと気にはなるよなぁ…」
そう言って宇髄はしばらく考え込む。
そして、あのな、と、義勇を少し自分から離してその顔を覗き込むと言った。
「とりあえず俺の判断で言うと、お前は限りなく白だ。
お前の行動は全て鱗滝錆兎のためにあるし、あいつは鬼殺隊の重鎮の愛弟子で、師匠を裏切りはしないからな。
お前が錆兎のために死のうとしたのも嘘じゃねえ。
あれは俺があと5分放置してたら確実に手遅れだったしな。
俺は元忍者だから、素人に様子伺っている気配を悟られるほど無能じゃねえ。
ってことで、俺の任務の一つはこれで完了だ」
「任務の……ひとつ?」
「ああ、とりあえずな、お前が鬼の関与のある人間かどうか探ること。
お前個人なら特別にってのはねえんだけどな。
ぶっちゃけ、水柱の座が空席になって久しいし、才能や育成環境、血筋諸々考えると、鱗滝元柱んとこの弟子が次の水柱の最有力候補だって選別前から言われてたからな。
まあ、お前自身が心配してた通り、そんな人間に鬼の間者がひっついてたらまずいだろ。
噂もまずいが、物理的にも最悪、寝首かかれかねねえし。
まあ一応言っておくと、失踪した育て手が全員鬼と通じていたわけじゃねえからな?
通じてた奴だけ消えると、必然的にその弟子も数が限られるから、鬼に通じてたやつが割れる可能性が高くなる。
だから関係のない育て手も消して、撹乱しているっつ~ことなんだよ。
おまけに…お前は選別で死にかかってっからな。
結果的に錆兎に救われて生きてんだけど、錆兎がそこで介入するかどうかなんてわからなかったし、今、薬の服用で毒を抑えて命をつなげるってのがわかったのも、錆兎が左近次に頼み込んで調べてもらって、たまたま知ってるやつがいたっていう、すごい確率の偶然だから、お前が鬼の関与のある人間だって可能性はそこまで高くはなかったんだが、それだけ次代の水柱候補の身の安全ってのが重要だったって考えてくれ。
いくら剣術に優れてても、身内だと思っているやつに寝首をかかれたら意外に脆いもんだから。
…ってことで、まあ俺はあいつが鬼殺隊にとって重要な人間になるであろうこと、そしてお前がその足かせになるだろうことを匂わせた上で、お前がどう出るか様子を伺っていたってわけだ。
おかしな工作をするか、黙って出ていこうとするか、まあこの長期任務の間くらいに見極められれば良いかくらいに思ってたわけなんだが…服薬拒否の自殺って、派手に予想上回った行動に出てくれるたぁ思っても見なかったわ、さすがに。
まあ…おかげで残りの任務にもう一つ遂行するための選択肢が増えたわけなんだけどな、お前にしかできないことなんだが…協力してみる気はねえか?
そうしたらお前の身分がかなり保証されるし、錆兎も今後やりやすくなるんだが…」
「やるっ!」
錆兎の役に立てるなら、やらないという選択肢は無い。
義勇が即答すると、
「良い返事だ…って言いてえとこなんだけど、やるのはいわゆる囮役だから俺が全力で守りはするが、危険が全くないとは言えねえんだけど…」
「やる!錆兎のためになるなら、どれだけ危険でも、命を落とす事になっても構わない!」
「あ~…まあ…錆兎のために自殺するくらいなら、そう言うよなぁ…」
と、宇髄は大きく息を吐き出した。
そういう言い方をすればあんな行動に出た義勇なら絶対に断らないとわかっていて言う辺りが、我ながら…本当に汚いと宇髄は思う。
13の子どもの純粋な愛情を利用して、しかもおそらく一時的にとは言え錆兎の心はひどく傷つけるだろう。
自分が嫌って捨ててきた冷酷非情な世界と何が違うのか…と、宇髄はしかたがないと割り切りながらも自嘲した。
…まあそのかわり…無事任務が終わったら、俺も全面的に味方になって色々協力してやるから悪いな
と、そんなことを思いながら、宇髄は義勇に作戦の詳細を説明する。
本来は矛先が向かうはずの錆兎ではなく、義勇の方にそれが向かう作戦。
その全容を説明し終わった時、さきほどまでの発作であっという間に顔色を失くして、まるで病弱な少女のような風情の義勇に
「錆兎から危険をそらしてくれてありがとう。
宇髄は本当にいい人だな…」
と、憐憫を誘うような儚げな笑みを向けられて、さすがに宇髄も罪悪感に頭を抱えた。
錆兎は錆兎でまるで物語の主人公のように真っ直ぐで心正しい少年と言う感じで、二人を見ていると、なんだか小さな恋物語を読んでいるような、柄にもなく気恥ずかしい気分になる。
もうこの任務が終わったら、二人してめでたしめでたし出来るよう、全力で協力してこのもやもや感を払拭しよう…と、宇髄は心に固くそう誓いつつも、とりあえずこの任務の間は鬼に徹しようと決意した。
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