鬼舞辻無惨の間者は宍色の髪の少年の夢を見るか?_08_再会

それは確かに恐ろしい光景だった。
鬼に人が喰われている。

喰いながら、次はお前だ!とばかりにぎょろりと義勇を睨む鬼。
怖い…と思っても逃げることも叶わず、義勇はその場に立ち尽くす。

喰われているのは最終選別に来た少年…と思えば、それがちらりと絣の着物を着た女性に見えたりもした。

ズキズキと痛む胸…怖い…怖い…と心の中で繰り返す言葉…

そんな中でふいに光が差し込んで、まばゆい光に鬼が消えた。

代わりにそこに現れたのは白い羽織を着た宍色の髪の少年。
そう、義勇は彼を知っている。

──…さび…と…

と、呼んで手を伸ばした瞬間…意外に近くから人の話し声が聞こえてきた。



──気がついた?
──いや、うわ言だろう。

その声に意識が急速に現実へと呼び戻される。


知らない声…
義勇はどうやら寝台に寝かされているらしい。

最後の記憶は最終選別で錆兎という同じ最終選別を受けていた少年に助けられて世話をされていたこと。
6日目の夜あたりで記憶が途切れているのだが、寝台に寝ているということは、おそらく選別は無事終了したのだろう。

錆兎はどうしたのだろうか…それを聞きたくて目を開けて尋ねようと思ったが、そこで聞こえてきた話に、義勇は慌てて眠っているふりを続行することにした。

「どうせうわ言なら、柳沢松庵について話してくれればいいんだが…」
と、その言葉に内心肝が冷えた。


柳沢松庵は義勇が師事して水の呼吸の教わった師範である。
それだけなら別に気にすることもないのだが、問題は彼が鬼側と通じて、鬼側のために動いている男だということだ。

正直、松庵の弟子のうちどのくらいがそれを知って鬼側のために動こうとしていたかは義勇も知らない。

しかし少なくとも義勇は姉が鬼に喰われたあと、鬼の頭領である鬼舞辻無惨の館で教育を受けたあとに松庵の所に送り込まれた人間だ。

それがもしバレているとしたら…と思うと、恐ろしくてたまらない。
なので息を殺して声の主達の会話に聞き耳をたてた。


「あ~…でもまだ松庵自身も黒とは限らないしなぁ」
「いや、黒だろ。調査が入り始めた時点で消えてんだから」
「消えたのが全員黒だとしたら、人数多すぎないか?
あれだけの数の育て手が鬼の息がかかっていたとか、ありえなくないか?」
「いや、多いから問題なんだろ」
「う~ん…」
「まあ、弟子たちがどこまで知っていたのかはわからんが…」
「今、疑惑のある育て手の元から隊に入った隊士は尋問中だが、これも結構な数になるしな…」
「今年の新人の師範は二人か…」
「だな。松庵のところからはこの少年だけだが、あそこから突破出来たのは初めてだから怪しくないか?」
「…いや…それは偶然かもしれないけどな」
「何故だ?毎年出していてこの子以外突破してないんだぞ?」
「そうなんだが…突破できたのは偶然だ」
「偶然にみせかけているんだろう」
「いや…この子はたまたま鱗滝様のとこの弟子が居合わせて見かねて保護したらしいから。
彼が保護するかどうかなんて、事前にはわからんだろう?」
「鱗滝様って元水柱の?」
「そうそう。その鱗滝様の一番弟子で、柱時代に目をかけていた、上弦とやりあっても命をつないだくらいの優秀な継子の実のお孫様らしい。
その才をみこんで幼い頃に養子にしたらしいぞ」
「あ~…それは…確かに。そのレベルの人物が実は…とか言ったら鬼殺隊も終わってる気がするよな」
「うむ。第一鬼の息がかかっていたら、多少の怪我ならとにかくとして、こんな助かるかもわからないくらいの瀕死で運ばれてはこないだろう。
まあ…ここは個室だから良いが、このことは鬼殺隊の中でも極秘なんだから、軽々しく口にするなよ?裏切り者が潜んでいるかもなどと、隊の士気にも関わるからな」
「わかっている。とりあえずこの子どもが目を覚ましたら、それとなく師範について話を振って探ってみるか…」

そんなことを話しながら、二人が出ていく気配がする。

パタン…とドアが閉まる音をきくと、義勇は二人の会話を脳内で反復した。

立場的には疑われていて、しかし状況的には無いだろうと思われている…
そんなところか…

しかし改めて松庵について聞かれたとして、自分は怪しまれないようにごまかしきれるのだろうか…

もともと話すのが得意ではない上に、姉が殺されてから松庵の元へ行くまでは、ほぼ無惨としか接していない。
松庵の元でも弟子同士の交流などはほぼなかったので、今更ではあるが、最終選別で錆兎と知り合うまではほぼ他人と親しく話す機会などなかったのである。

そんな風にかんがえて義勇はぎゅっと胸元のお守り袋を握りしめた。
そしてその中にはいっている小さな小さな錠剤を取り出す。

それは無惨から義勇に与えられた唯一の”特別”だった。
どうしても正体がバレそうになったら飲むように言われたソレ…
しかし逆にそれ以外の時は手を出すなとも言われている。

自害用の毒…なのだろうか……
そう思って義勇は一瞬迷ったが、もしそういうたぐいのものだとしたら、姉が喰われてから7年にも及ぶ”怖い”という感情から開放されるじゃないか…と、そんな事を思い立つ。

もしそうなら何もためらう理由はない。
義勇はソレを迷わず口に放り込んで飲み込んだ。


薬の効果は思いのほか早いものだったようだ。

飲み込んだ次の瞬間には身体に一気に寒気が走り、空気が上手に取り込めない。
ああ、これは死ぬのか…と、義勇は改めて思った。

両親亡き後、その遺産で年の離れた姉との生活を細々と営んだかと思えば、その姉も鬼に喰われ、あろうことか、その姉の仇である鬼の頭領に利用するために育てられ、こうして何をすることも出来ずに死んでいく。

なんと虚しい人生であったことか…と、思わないでもないが、最期に思い出すのは眩い真っ白な羽織。
カッコよくて強くて優しくて…しかもさきほどの職員の話だと元柱の一番弟子だというから、お育ちもきっとよろしいのだろう。
そんな相手に死ぬ直前まで優しく守ってもらえていたのだから、終わりよければ全て良し。
良い人生だったのだろうな…と思い直す。

そんな事を考えているうちに意識が途切れる……これで終わり…ジ・エンドのはずだ………しかし驚いたことに、安らかな死は訪れなかったようだ。



次に義勇が気づいた時には室内は随分と騒々しかった。

──呼吸が戻ったぞっ!
と、遠くで声が聞こえる。

ゆるゆると目を開ければ何人もの見知らぬ人間が自分を覗き込んでいて、それが空恐ろしく、

──さび…と……

と、義勇が現在知っている、唯一義勇を助けてくれるであろう相手の名前を呼ぼうとしたが、かすれた声がかろうじて漏れるばかりで、その姿が見えることはない。


──義勇君、他に覚えていることはある?先生のこととかは?
と、それに被せるように飛んでくる質問。

ああ、意識が朦朧としているすきに、さきほどの疑念について聞き出そうということか…と、義勇は理解した。

この人達は、義勇が死のうが生きようが、柳沢松庵のことについて聞き出せれば良いらしい。
そう思ったら、白い羽織の少年の記憶に少し温まった心が急速に冷えていった。

──…誰…?
と、聞いたのは、義勇に質問を投げかけた相手に対してだったのだが、相手はそうは取らなかったようだ。


──記憶を失っている?
──もしかして…一度呼吸が止まったことで、記憶が混濁しているのかも?
──いや…でもさきほど鱗滝元水柱のとこのお弟子様の名前を呼んでなかったか?
──覚えている事と覚えてないことがあるのかも?

と、少し離れたところで相談を始める職員に、ああ、そうだ…と、思った。

上手く嘘をつけないなら、記憶をなくしているふりをすればいい。
つい錆兎の名を呼んでしまったが…それについては名前と姿だけ覚えている、そのくらいにすれば問題ないだろうか…


そんなことを考えていると、相談を終えたのだろう。
職員の1人が近づいてきて、義勇に鬼殺隊の事、最終選別の事、義勇がその最終選別で怪我を負ってこの医療所に運び込まれていることなどを説明した上で、それらを覚えているかどうかを確認してきた。

なので、義勇はゆっくりかぶりを振って

「白い羽織を着た錆兎という子がいつも側にいてくれたことは覚えてるけど…」
と、暗に他はまったく覚えていないという風に伝えた。

それは職員たちが想像していたままの返答だったようである。
なので特に驚いた様子もなく、さらにその錆兎は元鬼殺隊の最高位である柱の1人、水柱を引退して後続育成に尽力をしているすごい育て手の一番弟子で、初日に怪我を負った義勇を助けてその後ずっと保護してくれていた人物であることと、その後、傷口から入った鬼の毒の中和法を見つけるのに、その師匠に頼んでくれて、そのおかげで完全に中和する方法はわからないまでも、定期的な服薬で命が助かることがわかったことなどを説明してきた。

なるほど。
同じ鬼殺隊の入隊希望者と言っても、元々の身分が違いによって職員達の認識や扱いはかなり違うらしい。
世の中は常に不平等だ。

だが、その不平等さに関して、錆兎に苛立ちを感じることはまったくなかった。
むしろ彼はすごい…と思う。

何がすごいかと言えば、元柱の一番弟子などというすごい人間の錆兎にとって、どこの馬の骨とも知れぬ入隊希望者の1人にすぎない義勇なんて、路傍の石にも等しい存在のはずだろうに、助けてくれるまでならとにかく、その後、最後まで守り世話をし続けてくれるなんて、普通の人間にはできない。

立派な師匠の手で、強いだけではない、本当に立派な心根の剣士に育てられたのだろう。

そんな話を聞いたあと、義勇は、自身の身体について、薬で毒を中和するといっても、あまりに過度に呼吸を使えば薬で抑えきれなくなって危険な状態になることもあるし、それが原因で命を落とす事もないとは言えないと説明を受けた上で、ここで鬼殺隊に入るかやめるかを問われたが、やめるという選択肢は選べなかった。


死ぬ…という選択肢すら選ばせない無惨が、鬼殺隊に入らず普通の生活をするなどという選択肢を選ばせてくれるはずがない。

そもそも松庵の元へも無惨の元へも戻れないとなれば、義勇は自らの身を養っていくすべすら持たないただの13歳の子どもである。
ましてや定期的に服薬が必要となればなおさら、薬を得られるような職を持たねば生きていけない。

もちろん間違っても無惨関係の事は口にはできないが、他に生きていく術がないのだということで、義勇は断固として鬼殺隊に残ることを主張した。


こうしてなんとか生活をしていける仕事は確保できたが、松庵が姿をくらませてその元へは戻れないということは…義勇はこれから自分の力だけで生きていかねばならないのだろう…

まだ13歳とは言え、一人前の鬼殺隊士となったならそれも当たり前のことなのだろうが、それは随分と怖いことのように思えた。

とりあえず体調が落ち着くまでは医療所で面倒を見てくれて、それからは支度金が出るので各自住まいを探して連絡が来たら任務につくらしい。

なので今色々考えても仕方ないだろうと、薬が聞いて少し楽になってきたのもあって、義勇は鋼選びと隊服の採寸を済ませるとそのまままた眠ってしまった。


そうして身体が弱って疲れ果てていたせいだろうか…しばらく夢もみずにぐっすり眠ったあと、ゆるゆると半分くらい浮上する意識。

温かい手が額から髪に滑り落ち、ゆっくりと頭を撫でていく。

この温かさは覚えがある気がする…
でも…そんなはずはない…
だって、彼は今、立派な自分の師匠の元で、ゆっくりと羽根を伸ばしているはずだ…

おかしな期待はするな…と、思うのに、ついつい期待してしまう。
ゆっくりと目を開けると、目に入ってくるのは宍色の髪。

心の中から安心感が沸き起こった。

目を開けた義勇にむけられる眩いばかりの笑み。
でも続く、
「おはよう、義勇。今日からずっと一緒だ。よろしくな」
という言葉はよくわからなかった。

わからなさすぎて錆兎を見上げてぱちぱちと二度まばたきをすると、錆兎は、ん?と問いかけるように視線を向け、

「俺のことは…覚えてるよな?」
と言うので、義勇は慌ててうんうんと頷いた。

「さびと…」
安心感に思わず涙が溢れ出る。

すると錆兎はゆっくりと身をかがめて

「すべて聞いている。記憶がほとんどなくなってるって。
もしかしたら身体が弱ってて一時的なものかもしれないし、もしかしたら本当に消えてしまっているのかもしれないって先生は言ってた。
でも大丈夫だぞ。俺が居る。
お前が覚えていなくても、お前に関しては最低限必要な事は俺が覚えてるし、何も覚えていなくて不安なら、これから俺と一緒に未来へ向けてお前の記憶を作っていけばいい。
もう鬼殺隊の本部の方にはそういう風に連絡してもらったが、俺がお前と一緒に暮らして任務も極力一緒にしてもらう。
お前の責任は俺が持つ。
ちゃんと守るから何も心配しないでいい」
と、横たわったまま泣く義勇に覆いかぶさるように抱きしめてくれる。

いつだって錆兎は温かい。
なんでこんなに温かいんだろうと思う。

しかし、その後、

──だから…早く元気になれ。住まいは用意しておくから…
と言われて、そこで義勇は最初に浮かんだ疑念を思い出した。

え?え?なぜ錆兎はそこまで面倒を見てくれることになっているんだ?
と目を丸くして尋ねると、

「お前のことが気になって放っておけない」
と、温かな手で頬を撫でながら、優しい声でそんなことを言ってくる。

「で、でもっ!そこまでさせるのはさすがに申し訳ない!
係の人が言ってたっ。
錆兎は元水柱の一番のお弟子ですごい人なんだって!
そんなすごい人なんだから俺なんか構ってる場合じゃないんじゃっ…」

すがってしまいたくなるような温かいその手…
だけど…取るわけにはいかない。
錆兎にだけは…迷惑をかけるわけにはいかない…

そう思って伸ばしてしまいそうになる手にぎゅっと力をこめて耐えるが、

──俺は…お前と共にありたい。……迷惑か?
と、そのきりりと澄んだ藤色の瞳に影を落とされると、拒むなんてことができるはずがない。

「…迷惑…かけてしまうのは、俺の方…だから……」
と、正視することができずに思わず目を伏せるように視線をそらすと、

「迷惑ではない。俺だってまだまだ未熟者だが、お前が側にいてくれれば強くなれる気がするから…」
と、キラキラした笑みを浮かべられて、結局同居を了承してしまった。







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