鬼舞辻無惨の間者は宍色の髪の少年の夢を見るか?_03_芽生える感情

見ると聞くとは大違いとはよく言ったもので、義勇はまさに今それを体感している。

説明後に解散を言い渡されて、30分もしないうちのことである。
さて、解散したのは良いが、どうすれば良いのだろうか…と思いながらおそるおそる山道を歩いていると、風にのってどこからか流れてきた血の匂い。
それに義勇の足は固まった。

姉が殺された時も、確かこんな匂いがしていた。
そして義勇は思ったのだ…ただ、”怖い”とだけ。

がさり…と、斜め前方の草むらから聞こえる音に視線を向ければ、そこには匂いの元…
流れる血、喰われる少年。
絶命して見開いたままの目玉と目があって、義勇はすくみあがる。

ぐちゃぐちゃと咀嚼する音…
それに7年前の恐怖が蘇る。

そこに間の悪い事に血の匂いを嗅いだ別の鬼がおこぼれにあずかろうと寄って来て、動けないでいる義勇をみつけた。

「なぁんだ、食いかけを漁らないでも新しいのがいるじゃないか」
と、鬼の鋭い爪が義勇の右肩を切り裂いた。

痛い…というよりは、熱い。
血がじわりじわりと着物の袖を濡らし、不快感を広げていく。


…ねえさん…ねえさん……

幼い頃からいつも自分を守りかばい続けてくれた姉を心の中で呼ぶが、彼女はまさに自分をかばって鬼に喰われたのだ。
もう…いない。


誰も…助けてなんてくれない……

痛さと恐怖の中で、義勇は絶望する。
頭の中にはただ、”怖い”…の一言しかない。

自分は生きたままこの鬼に喰われるのだろうか…
怖い…怖い…怖い…

悲鳴も出ない。
ただただ大きく目を見開いて、自分の最期の時に少しでも苦痛が少ないようにと、それだけを願った。


その時……

──肆ノ型…打ち潮
と、力強い声とともに、目の前の鬼の首がコロンと地面に転がった。

夜の闇に浮かび上がる真っ白な羽織はそのまま義勇の前方の草むらに駆け込んで、まさに食事中だった鬼の首も刎ねる。


恐ろしい鬼を見事に退治する少年剣士…
それはまるで幼い頃に姉が読んで聞かせてくれたおとぎ話のような光景だった。

鬼を二体、サクッと斬ったにも関わらず、呼吸一つ乱さず、彼はいったん警戒するようにあたりを見回して、そして近くにはもう鬼はいないと判断したのだろう。

「何かあったら叫べと言っただろう」
と、言いながら義勇に駆け寄ってきた。

そして義勇の前に立つと眉を寄せ、

「肩か…ひどくやられたな…」
と、懐から手ぬぐいを出すと、それをビリリと引き裂いて止血をし、

「少しいったところに川がある。そこで手当をしてやるから」
と、ひょいっと義勇を軽々横抱きにして歩き始める。


まるで現実感がない…。
こんな都合の良い展開があるはずがない…。
そう思うのに傷が痛くて熱くて…それがこの状況が紛れもない現実なのだと伝えてくる。

止血はしてもらったものの、それまでかなり出血したせいだろうか…意識が飛びかける。
いや…実際に飛んだらしい。


ふと気づくと温かな感触。
トクン、トクンと、規則正しい音。
安心感に満ちた空間…温かい……

温か…い……?

まだ意識がぼんやりしているなか、ゆるゆると顔をあげると、その動きにハッとしたように見下ろしてくる少年。

「良かった…意識が戻ったか…」
と、ほっとしたように言われるも、義勇は今ひとつ現実が把握できない。

「まだ…熱がかなりあるな…解熱剤だ。飲め」
と、少年錆兎は義勇の頬にそっと触れてそう言うと、何か液体の入った椀を義勇の口元に持ってくる。

う…すごい匂いだ。
良薬口に苦しと言っても、いくらなんでもこれは…と椀を口に運ばれても意識が朦朧としているふりで口を開かないでいると、錆兎は義勇がまだぼ~っとしているのだと信じたようだ。

しかし飲ませることを諦めはしないらしい。

「しかたない…。飲ませてやるから、ちゃんと飲み込めよ。
あまり余分には持ち合わせていないから…」
と、言うなり、いきなりそれを自分の口に含むと、ためらうことなく義勇の口に口づける。

そして流し込まれる薬。
驚きのあまり吐き出すという事も思い浮かばずに飲み込むと、

「よし、飲めたな。
少し待ってろ。今粥を作ってやる」
と、義勇の頭を軽く撫でて笑う。
明るく嬉しそうに笑う。

そうして錆兎は義勇を抱えるようにもたれかかって座っていた木の根元に義勇をもたれかからせると、自分のものと義勇のもの、2枚まとめて包むようにかけていた羽織を義勇にしっかり巻きつけるようにかけて立ち上がった。

その後、錆兎は小さな袋の中から鉄で出来た椀を出すと、そこにすぐ側を流れる川の水をいれ、さらに小さな小袋に入った米をサラサラといれる。
そうしておいて、それを火にかけた。

その上で
「俺も飯にするか…」
と、どうやら川の中に罠をしかけていたらしく、そこから魚を取り出して金串にさして焚き火で炙る。

なんとも器用なものだ…と義勇はそんな錆兎の諸々に感心した。


そしてそれを口にすると、錆兎は
「ああ。俺の師匠は狭霧山という山のてっぺんに住んでいて、俺もそこで育ったからな。
鍛錬も剣や呼吸だけじゃなく、山に仕込んだ罠を突破するなんてのも日常で、塩とかの調味料と米、それに裏の畑で作っている野菜以外の食料は山から調達していたから」
と、言いながら、お前は?街中の育て手か?と聞いてくる。

「街の外れの館で…食事は手伝いの人が作ってくれていた…」
「じゃあ…自分で食事の支度をすることはなかったのか?」
「…うん」
「………」
「………」
「じゃあ…今回は7日間、どうするつもりだったんだ?」

錆兎に言われて初めて気づいた。
そう言えば刀以外何も用意をしていなかった。

「お前のところの兄弟弟子で、選別を突破したやつって聞いたことあるか?」
と問われれば、そう言えば聞いたことがない…と思う。

ふるふると義勇が首を横に振ると、錆兎は、はぁ、と、息を吐き出した。


「うちの先生の弟子で突破できたのはだいたい半数くらいだな。
食料や医療品の必要性については突破した姉弟子が教えてくれた。
姉弟子が教えてくれなければ先生が教えてくれたとは思うが……
お前のところの師匠はあまりそういう事に気が回らない人なのかもな。
お前も弟弟子が出来たなら、選別前には師匠の所に顔を出して教えてやったほうがいい」

兄弟弟子のために何か気遣う…
松庵のところではそんな空気は微塵もなかった。
ひたすら個別に指導を受け、外弟子は自宅へ、内弟子は自室へ戻っていく。
兄弟弟子でも名前すら知らない。

それが鬼の息のかかった育て手だからなのか、松庵自身が元々そういう人間だったからなのかはわからない。
だが、錆兎の師匠はきっと優れているだけではなく心の温かい人物なのだろうと義勇は思った。
だからこんなに心の優しい弟子が育つ。

錆兎は慣れた風に焼けた魚にパラパラと塩をふり、片方はそのまま焦げぬ用に火の端に避難させ、片方は皿代わりの大きな葉の上で身をほぐす。

そのままそれを粥の椀と共に義勇の持たれる木の側に石を積み上げた上に木の板を置いて作った台の上へ。

そして
「食欲はないかもしれないが、食わないと元気にならないからな」
と、木の匙で粥や魚を義勇の口元へと運んでくれた。


それほど多くは食えなかったがそれでもいくらか食べ物を胃に入れて、義勇がウトウトし始めると、錆兎がそっと離れていく気配がする。

ああ…行ってしまうのか…と、途端に悲しく心細い思いが胸のうちに広がるが、それも仕方のないことだ。

だってこれは試験で錆兎もまたその試験の最中なのだ。
こんな風に怪我をして熱まで出しているお荷物の面倒をここまでみてくれただけでも十分に優しい。
これ以上の負担なんて追う義理はまったくない。

それでも悲しさは止まらなくて、ぽろりと義勇が涙を零すと、起きている気配に気づいたのだろう。
錆兎が走って戻ってきた。

「ああ、寝てるかと思って起こしてはと思ったんだが、起きていたのか。
俺はこれから明るいうちに薬草と薪を補充してくる。
昼間だから鬼は出ないはずだが、この場所には師匠直伝の罠を何重にも仕掛けてあるから、何かあったら足止めをしつつ合図がされるようになっているし、そうしたら即戻ってくるから大丈夫だぞ。
安心して休んでいろ」
と、当たり前に言われてびっくりした。

結局、錆兎はその後もずっとそうやって義勇の面倒を見ながら近づいてきた鬼を倒し、最終日の朝、義勇を抱えて戻って、見事に最終選別を突破して、師匠の元へと戻っていった。

義勇がそれを知ったのは運び込まれた医療所の寝台の上で、生きて戻ったということで自分も選別を突破した事も同時に知ったのだが、あの優しく温かい少年にお礼も別れも言えなかったことで、喜びよりも悲しさのほうが多く胸に広がる。

そう、その時に義勇は気づかなかったのだが、錆兎と出会って以来、それまであれだけ”怖い”という感情しかなかった義勇の心のうちに、初めて他の感情が生まれたのだった。

それが義勇にとって幸いなのか不幸なのかは、まったくもってわからないことではあるのだが…







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