…ぎ殿……内儀殿……
少し子どもたちと昼寝でも…と思っていたら、おもいのほかぐっすりと眠ってしまっていたようだ。
声に目を覚ませばもう日が落ちたらしく部屋が薄暗くなっている。
懐かしい顔だ。
1年前に祝言の祝いとして運ばれてきたあの小鬼だ。
いきなりだったので慌てて半身起こすと、布団の上で正座をしていたその小鬼は体勢を崩してコロンと布団から転がり落ちて赤子の横に落下した。
「立派な赤子が2人もお生まれになったんですねぇ」
と目を細める小鬼に、いや3人だと訂正をするべきか小鬼にとってはどうでも良いことだろうか…と、変なことに悩んで思わず眉がよる義勇の反応に、小鬼は勘違いしたのか
「ああ、私は赤子は絶対に喰わない主義だし、危害も加えないのでご安心を」
などと言うので、あ、相手は鬼なんだからそういう可能性もあるのか!と義勇は青ざめて、二人いる赤子を1人で抱き込むのは難しいしと、鬼の方を自分の方へと引き寄せた。
そんなすっかり親の顔の義勇に小鬼が笑みを浮かべる。
「驚かせてすみませんね。今日は特に縁のある方にお別れをと回っているんです」
「…お別れ?」
と、その小鬼の言葉に、義勇が目を丸くしてコテンとこくびをかしげると、小鬼は驚くべきことを話し始めた。
「明後日には鬼の頭領が鬼狩りの頭領の元へと乗り込むらしいですし、私は鬼狩りの側が勝つ気がしているので、そうなれば私を含めて全ての鬼が消えますからね」
「お前は…それで良いのか?」
「ええ。わたしゃ少々長く生きすぎましたしね。
私のように一定の時期以上に古くからいる鬼は無惨の干渉は切れてましてね、そこで勝手に生きる者もいれば、私のように連絡は取って協調しながら生きていた者もいますが、私の場合、飽くまで自分の主義主張のために餌場の状況が欲しかっただけなので、あっち側に思い入れも何もありゃしません」
「…餌場……。つまりお前が小さいからそれでも狩れる人間がいる場所…ということか?」
「いやいや、こう見えても私は鬼ですからそれなりには強いんですよ。
ただ私が喰うのは偉そうにしてるジジババだけなんで…」
「……鱗滝さんは駄目だぞ」
「ジジババも見境なしには食いやしません。
具体的に言うなら、貧しい村で食い扶持が減らないと困るとか、そうじゃなくても権力を傘に若者に無体を強いているとか、そういう奴らですよ」
「…随分具体的な限定条件なんだな。
鬼は実はそんなものなのか?」
「いえいえ、みんながそうだったなら大変でしょう?」
「…ではお前は何故?…と聞いても?」
明後日には消えて会えなくなると思えば、ここで聞いておかなければ二度と聞けないし、そうなると気になって仕方なくなるだろうと思って問えば、小鬼は笑って
「元産婆だから…」
と言う。
「もと…産婆?」
「ええ、貧しい村でねぇ、産婆もおらず医者もおらず、自分の母親は下の子のお産で親子共々死んじまいましてね。
13で隣村の産婆について勉強をして16で自分の村に戻ってきて赤ん坊をとりあげてました。
貧しく古い慣習の残る村にも新しい命が産声をあげて未来を作っていくのを見るのは良いもんでした。
自分の子でなくたって、赤ん坊は可愛く愛しいもんですよ。
やがて私自身も子が生まれましてね。
さあ親子でこれからって時に村を飢饉が襲って…口減らしにまず殺されたのが赤子と子どもでした。
赤子や幼い子どもは畑仕事の役にはたたない。食料が出来たらまた生めばいい。
村で権力を握ってるのが爺や婆だったので、そいつらにそう言われてね。
ふざけんなですよ。
そういう爺や婆だってとっくに仕事を引退して畑仕事なんてしてやしなかったのに。
私の子も、私が取り上げた可愛い赤ん坊達も、みんなみんな殺されました。
わたしゃ悔しくて悲しくて、この村でもう子が生まれず、働き手も育たず、クソジジイもクソババアも餓死してしまえばいい。
そう思って、かといって行く場所もなく、山をさすらっている時に無惨に会って鬼になりました。
だからそれからはうちの村の爺婆のような老人のみを食って、代わりに赤子を大切にしてもらえそうな人間に授ける、そんな生活をしてきたわけです。
恋雪ちゃんもそうやって授けたし、恋雪ちゃんにも赤子を授けてやりたかったんですけどね。
彼女が殺されてせめて狛治さんにと思えば、狛治さんは鬼になっちまうし…。
でもその狛治さんが目をかけてたお人だからね、あんた達夫婦はすごく気にはなってたんですよ。
赤子が無事生まれて幸せそうで良かった」
小鬼はそう言うと義勇に乗せられた布団の上から籠ですやすやと心地よさげに眠っている右近と勇人にとても優しい視線をむける。
一瞬でも疑って申し訳なかった…と、義勇はそれを見て思った。
と、同時にわきあがる疑問。
「あ…その恋雪さんや狛治さんて?」
そう、そこだ。
当たり前に出てきた固有名詞に首をかしげると、小鬼はおかしそうに笑っていう。
「狛治さんてのは、猗窩座さんの人間の頃の名前です。
恋雪さんはその恋人で夫婦になる約束をしていて、狛治さんが祝言をあげる報告を亡くなったお父さんの墓に伝えに行っている間に、狛治さんが継ぐ予定だった恋雪さんのお父さんの道場をひがんだ奴らに恋雪さんとそのお父さんは正面からでは勝てないからと毒殺されちまいましてね。
だから…祝言直前で殺すのは忍びないし、祝言をあげさせて子の1人でも作らせてやりたいと私に頼んできた猗窩座さんの言葉で、鬼になって記憶をなくしているようでも、根底にはその狛治さんの心が残ってるんだなぁって思ってね、私も少し嬉しくなったわけなんですよ。
自らの野望で鬼になった人間も少なくはないとは言え、鬼にならざるを得ないような事情がある鬼もまた少なくはない。
もちろん自らの意志と関係なく鬼になってしまった人間もいますしね。
鬼にも色々いて、みんながみんな悪じゃないんだって、鬼以外で記憶しておいてくれると嬉しいんですけどね。
まあ、そこまでは望みやしません。
ただ、私が授けた可愛い赤ちゃんが育った子が好いた男が最期に気にかけた夫婦ですからね、私も最期に出来る限りのことをしてあげたいなんて思ってるわけなんですよ。
猗窩座さんは案外うっかり屋さんだったので気づいてやしませんでしたけど、あんた達夫婦は通常では子が出来ることはない夫婦だから、これが最後の機会です。
育てるのは大変かもしれませんけど、まだ子は欲しいですか?」
あまりに色々がくるくる頭の中を回っているが、最終的な着地点に義勇ははっとわれに返った。
そして脊髄反射で
「欲しいっ!!」
と、答える。
3人の小さな錆兎に囲まれてありえないくらいに幸せだが、人はどこまでも欲張りなものだ。
出来ることならこの地を錆兎の子孫で埋め尽くしたいと義勇は真剣に思っている。
それだけの価値がある男なのだ、錆兎は。
「子は産んでおしまいではないですからね?
きちんと全員育てられますか?
子を育てるにはお金もかかれば手もかかる。
鬼がいなくなって鬼狩りの仕事がなくなってもきちんと養えますか?
子どもを全員一人前になるまでちゃんと育てる、それが条件です」
「大丈夫っ!
俺と錆兎は狭霧山で自給自足で育ったから、畑仕事も出来れば川で魚、山で猪や鹿を獲ったりも出来るし、お金なら、錆兎はずっと柱だったからかなりの給金をもらっていたけど、それは無駄には使わずほとんど貯めてあるから、最悪贅沢をしなければそれだけで俺達が死ぬまで十分食べて行けるだけの蓄えもある。
だからもし子が上の学校へ行きたいと言い出しても行かせてやれる」
伊達に9歳から錆兎の嫁を目指してはいない。
水柱屋敷は柱になった時点で借り物ではなくお館様が名義共々下さるものだから住む場所は困らないし、維持費も鬼殺隊から出ていたのでかからなかったが、鬼殺隊がなくなって維持費が大変になるようなら売って小さな家に移り住むなり今住み着いている同期から家賃の代わりに少しずつ出してもらえばいい。
ここにいる間の食費はほぼ住み着いている同期が家賃代わりにと食材を多めに買ってきていたのでかかっていないし、自分たちのわずかな私服や下着、雑用品以外はほぼ物を買うこともなく贅沢をせずにいたので、階級的には癸の義勇の給金でも余るくらいで、それと錆兎の柱の給金は全て貯蓄してあるのだ。
義勇だって鬼狩りは身体が動いてなんぼ。
突然大怪我をして刀を握れなくなることもある仕事だというのは常に念頭に置いてきた。
だからそうなっても暮らしていけるようにと、錆兎が高給取りになっても生活を変えることは一切しなかった。
そう主張すれば、小鬼は
「ああ、さすが猗窩座さんが目をかけた男の嫁だね。
ずいぶんとしっかりした子だ」
と、嬉しそうに目を細めて笑った。
優しい…まるで祖母のような目だった。
今血鬼術をかけられてしまうと、錆兎の手が飽くまで辛いからと、錆兎を待つ間、授け子鬼とたくさん話をした。
子どもが欲しくて仕方ない夫婦に可愛い赤子が生まれた話をたくさんたくさんした。
「本当にねぇ…五体満足に生まれても虐待して死なせちまったりする奴のところに普通に何人も赤子を授けるくせに、大切に大切に愛情を込めて育てる気満々の夫婦の所には授けなかったりとかもよくあるから、神様ってのは何考えてるやらと思うことがあるよ。
随分長く長く生きたから、自分が死ぬのはもういい加減寿命だと思えば構わないけど、そういう夫婦にね、これからは赤子を授けてやれないんだなと思うと、それだけが少し未練と言えば未練かねぇ…」
そういう小鬼はみかけはとにかく、心根はどれだけ人間と違うのだ、と、思う。
義勇の赤子達のことも、可愛いねぇ、可愛いねぇ、と、目を細めて繰り返し言いながら、──旦那さんに似て男前だねぇ。でもせっかくだから次はあんたに似た子が生まれるといいねぇ、などと笑う。
そうして隣でそろそろ打ち合わせが終わって宇髄が帰る気配がしたので、授け子鬼は
──可愛い可愛い、世界で一番可愛い子が生まれますように…ビビデバビデブー☆
と、指先から義勇に血鬼術を放つと、
──じゃあね。今度こそさようならだ。元気で可愛い子を産んで幸せにおなり
と、窓からそっと出ていった。
これがこの世で最後のおとぎ話の中の幸せな奇跡だ。
この先は正義が悪を倒して…そこでおとぎ話は終わって現実の世界が始まるのである。
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