上弦に遭遇した翌日…煉獄と錆兎と共にお館様に呼び出されて、義勇は産屋敷邸に来ていた。
初めて行くお館様の邸宅。
柱である煉獄と錆兎はそのままで良いらしいが、義勇は場所がわからないよう目隠しをされてくれと迎えにきた隠に言われて目隠しをされたが、本来は隠に背負われるところを錆兎が自分が抱えて行くと言ってくれたので、視界は塞がれてはいたが不安はない。
ただ、錆兎にぴたりと密着するので心臓がドキドキした。
錆兎はどう思っているのだろうか…
狭霧山でも疲れてしゃがみこむ義勇を錆兎がよく背負って帰ってくれたものだが、今はあの頃とは違う。
正確には…昨晩から決定的に変わってしまった。
義勇が感情をぶつけてしまったから…。
今は猶予期間というものである。
上弦と遭遇して帰宅したあと…普通に食事をして普通に風呂に入って…でも義勇は普通の気持ちではなかった。
たぶん…”桃太郎の姫”として捕らわれたことで、なんだか色々感情がたかぶっていたのだと思う。
義勇は9歳で世俗をほぼ離れたような狭霧山で暮らす事になったので、最初に修業をするか山を降りるかという選択の時に『錆兎のお嫁さんになりたい』と言ったのは、単に大好きな錆兎の唯一で一番になっていつでも一緒に居たいということと同義語で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
しかしそれに違う意味があると知ったのは、水柱邸で暮らし始めてしばらくしてからのことだ。
同期20人のうち女は2人で、あとは自分を含めて18人全員男。
そうやって年頃の男が大勢集まれば、自然と男女のあれやこれやの話も当然出てくる。
中には春画を持ち込む者もいて、結婚というのはただ一緒にいて手を繋いで寝るわけではないということも自然にわかってきた。
そうして16の誕生日を迎える少し前…同期達が話しているような夢を見た。
男は錆兎で自分は何故か女で…とても気持ちよくて、でも目が覚めたら下着が汚れている。
これが義勇の少し遅めの精通だった。
水柱屋敷には男の同期がたくさんいたが、そういう意味でドキドキもしなければ惹かれもしないし、そういうことを彼らとしたいかというと、想像するのも気持ち悪い。
なのに錆兎と…と考えると、とても体が熱くなる。
それ以来、義勇が自慰をする時に想像するのは、女性を抱く自分ではなく、錆兎に抱かれる自分の姿だった。
無邪気に錆兎の嫁になりたいと口にしたあの時…錆兎はいったいどう思ったのだろうか。
無知な子どもの戯言と思っていたのだろうか…。
そしていま…自分が本当にそういう意味で、錆兎が嫁にするであろうようなことを自分がされたいと言ったなら、錆兎はどう思うのだろうか…。
義勇はもう無邪気な子どもではなく、その言動は無邪気な子どもの言うことと許される年はとうに過ぎてしまっているからこそ、その思いは口にできないまま自分の気持ちに蓋をした。
なのにそんな矢先に突然あの気味の悪い上弦玉壺に”桃太郎の姫”として捕らわれて、”桃太郎の姫”として操を立てて桃太郎の名誉を守ることが必要になって、絶望的な気分にはなったが、一方でどこか浮かれる自分がいた。
まるで錆兎のために綺麗な体でいなければいけないような、そんな状況に浮かれる自分がいたのである。
こうして結局は助け出されてそんな自分に戸惑いながら帰宅して、2人きりになった時、錆兎に気遣わしげに言われた
「義勇…大丈夫だったか?」
の言葉にドキリとした。
「………」
「その…不埒なこととか…されなかったか?」
返答に困って黙って俯いたらそう続けられた言葉に、義勇の中で何かが崩れてしまう。
義勇は男なのだから、たとえ肌を見られても、タコの足に撫で回されたりしたとしても、何も問題はない…とは、錆兎は思わなかったらしい。
性的な暴力を受けなかったかを心配されている。
まるで大切な姫のように。
なら、駄目だろうか?
錆兎にそういう扱いを望んでは駄目だろうか?
そう思ったら自然に涙がこぼれ落ち、それを見て錆兎は慌てたように義勇を抱きしめて言った。
「すまん!俺の判断が悪かった!
泣くな。泣かないでくれ」
抱きしめられて錆兎の匂いをいっぱいに吸い込むと、なんだか甘い気分になってくる。
そういう意味で愛され慰められているような…そんな錯覚すらしてしまう。
「…さびと……」
「…なんだ?」
「…辱めるつもりだ…とは、言われた…。
杏寿郎が戦っていたタコの足に捕らわれて…二本の足に足首を捕らわれて足を開かされて…でもそこでそれ以上される前に猗窩座が助けてくれた…」
「…っ…そうかっ…そうか!…良かった…」
義勇が言うと、ほぉ~っと本当に全身の体の力が抜けたように、錆兎は義勇を抱きしめたまま義勇の肩に顔をうずめて大きく息を吐き出した。
「…でも…怖かったんだ……」
「…うん…」
「…錆兎は男のくせにと思うかも知れないけど…」
「…そんなことはない…」
…そんなことは…ない?…本当に?
そう思って視線を向ければ、錆兎は義勇の肩から顔を上げて綺麗な藤色の瞳で見つめ返す。
「…錆兎…覚えてるか?」
「…ん?」
「…昔…狭霧山に残るかどうか聞かれた時……」
その先は錆兎の視線が怖くて義勇の方が錆兎の肩に顔をうずめた。
「…ああ、覚えてるぞ。あの時は義勇が山に残ってくれるかすごく不安だった」
その錆兎の言葉に義勇は少し驚いた。
「錆兎でも…不安なことなんてあるんだな」
と、思わずそれが口をついて出ると、
「お前は俺をなんだと思ってるんだ…」
と、少し憮然とした返答が返ってきて少し笑ってしまう。
「いきなり俺の嫁になりたい…と言われた時には驚いたが、それでお前が残ってくれるなら別に嫁にしてもいいと思ったぞ」
自分からはなんとなく口にしにくかったその言葉を錆兎の方から言われて少し顔が熱くなる。
おそらく義勇は今、顔だけじゃなく耳まで赤くなっているだろうが、それでも…その昔に義勇が言ったことに添えられた錆兎の言葉で、躊躇していた感情が口からこぼれ出た。
──…俺は…いまでも錆兎の嫁になりたい……
それは小さな小さな声だった。
それでもこの距離なので届いているはずである。
それを証拠に錆兎の体が驚いたようにほんのわずか緊張する。
──…それは……
と言ったきり、錆兎には珍しく語尾が消えた。
今…錆兎はどんな表情をしているのだろうか…。
戸惑いか、嫌悪か、それとも呆れているか…
どちらにしても口に出してしまった以上、もうなかったことにはできない。
だから義勇は続けた。
──…夫婦が…するようなことを錆兎としたい……錆兎に抱かれたいんだ……
ああ、言ってしまった…と、自分で口にしたにも関わらず、そう思った。
恥ずかしくて怖くて…顔があげられない。
沈黙が怖すぎて、義勇は早口に言葉を続けた。
「今日…もうだめだというところで思ったんだ。
こんなことなら一度きりでもいい…初めては錆兎が良かったって。
初めて抱かれるのは錆兎が良かったって。
俺が辱められることで錆兎の名に傷がつくのも怖かったけど…でも一生に一度の初めてがこんな風に…と思ったら死にたくなって、死のうと懐剣を握りしめたんだ」
「それはだめだっ!!!」
口早に紡ぐ義勇の言葉を錆兎はそこで強くそう言って遮った。
両肩を掴まれて、顔をあげさせられると、ひどく切羽詰まったような表情の錆兎と視線があう。
そうして義勇としっかりと目を合わせて錆兎は再度言った。
「なにがあろうと、お前が死ぬのは絶対にだめだ。
命を断つようなことだけは絶対にするな」
怒っているような泣きそうなような…たいそう複雑な表情でそう言う錆兎に、義勇はこういう言い方はずるいな、と、思いながらも
「…初めてくらい…好いた相手がいい…。
…だから…一度で良いから…錆兎に抱かれたい。
…でないと…今日みたいなことがあれば、きっとおなじことをする」
と、義勇は言うだけ言って、また錆兎の反応が怖くてその肩に顔をうずめる。
錆兎はその義勇の言葉に少し考えるように黙り込んだ。
それはそうだろう。
いきなり同性の親友に抱かれたいと言われれば、普通の男は引くだろう。
でもどうしても…一度でも良いから義勇は錆兎に抱かれてみたかった。
それを口にしてしまえば、錆兎も義勇も元には戻れないかも知れない。
そう思えば言ってしまったことに後悔がないかというと、ないと言い切れないが…もう色々と限界だったのだ。
そうして随分と長い時間が経ったように思われたが、実際にはほんの数分…いや、1分にも満たない時間だったのかもしれない。
少しの間のあとに
「わかった。だからもう泣くな」
と、義勇よりは大きな手がゆっくりと頭を撫でてくる。
「だが。そうだな…すぐは無理だ。
数日待ってくれ」
という言葉からすると、錆兎は義勇の望みを叶えてくれるらしい。
いつでも錆兎はなんのかんの言って義勇に甘いのだがここまでだったか。
そう思いつつ顔をあげて涙を拭おうとすると、
「こするな。赤くなる」
と、錆兎はその手を掴んで手拭いで義勇の目元を拭いてくれる。
そのいつもと変わらぬ態度にホッとはしたが、それでも数日は気持ちの整理が必要なのかと思うと、少し悲しいとも思う。
まあ、それでも気持ちを受け入れてもらえるのだから贅沢なのかも知れないが…
そんな諸々があったから、多少は引かれていて距離を取られるか…と思っていたのだが、錆兎は翌日も変わらない。
隠にまかせてもいいのに、自ら義勇を運ぶ役を買って出てくれる。
そうしてそのままお館様の邸宅についてどうやら庭に連れて行かれたらしい。
砂利を踏みしめる音がする。
そこで降ろされて目隠しを取られて見渡せば大勢の人。
中には不死川や煉獄、伊黒や宇髄など見知った顔もいるが、他は初めて見る顔だ。
なんと綺麗な女性までいる。
「…柱達だ」
と、驚く義勇に錆兎がこっそり教えてくれた。
柱にはこんな綺麗な女性がいるのか…錆兎は柱合会議の時にはこんな女性を目にしているんだな…と思うと、昨日の今日だけに自分がなんだか身の程を知らない要望を突きつけている気がしてきて、思わず俯いてしまう。
その後はお館様が庭に面した部屋に参られて事情を聞かれ、さらにそのあと、お館様が錆兎にだけ直接色々聞きたいとかで、錆兎を連れて行ってしまった。
「すぐ戻るから。杏寿郎達と少しだけ待っててくれ」
と、義勇の頭を撫でてお館様と一緒に建物内に消える錆兎を見送ると、さきほどの綺麗な女性が不死川をせっつくようにして近づいてきた。
「ぎゆうさん、桃太郎のお姫様よね?
錆兎さんだけじゃなくて、不死川さんや煉獄さんからもお話を聞いていて、会えるのをとても楽しみにしていたの」
と、おそらく顔だけではなく性格も大変宜しいのだろう。
むすりと無愛想な不死川と一緒に、とても優しげな笑みを浮かべて近づいてきた。
義勇と違って本当にお姫様にも嫁にもなれる綺麗な女性…
錆兎は世界で一番強くて格好良い男だから、その気になればこんな女性でも恋人にすることはできるだろうし、その方が錆兎にとっては幸せだろう…
そう思ったらぽろりぽろりと涙が出てきた。
すると彼女は、あらあらあら…と、綺麗なハンカチをだしてきて義勇の目元に添えてくれる。
「おいおいおい、胡蝶、勘弁しろよォ!
義勇泣かせたとか言ったら、お前だけじゃなくて一緒に居た俺まで錆兎に殺されちまう」
と、不死川がガリガリと頭を掻いて言うと、その騒ぎに煉獄が気づいて走り寄ってきた。
そして
「今回は色々あって義勇はとても精神的に疲れているのだろう。
俺の未熟が原因で本当にすまなかった。
今度、村田が時間のある時に護衛についての諸々も学んでおかねば…」
と、頭を下げる。
そんな中で、彼女、胡蝶カナエはふわりと義勇を抱きしめてきた。
するとなんだかいい匂いに包まれる。
「怖い思いをした時のことを思い出させてしまったかしら。ごめんなさいね。
うちはね、妹もいるし女の子も多いから、今度ぜひ遊びに来てね」
と、その柔らかだがどこか芯の強さを感じる長女っぽい感じが、どこか亡くなった姉を思い出させた。
そんな理由で思わずこくりと頷くと、
「嬉しいわっ。とっておきのお団子を用意しておくわね」
と、頭を撫でられて、ますます姉を思い出してしまう。
それから始まるカナエの街の美味しい甘味屋の話や可愛い髪飾りの店の話、可愛らしい柄の生地の多い呉服屋の話などは、とても興味深くて、男たちの刀の話などよりよほど楽しい。
そんな話の流れから、昨日つけていった錆兎からもらった飾り櫛は、実はたまには義勇に贈り物でも…と錆兎が悩んでいた時に、カナエが勧めてくれた店で買った物らしい。
「錆兎さん、何でも出来るし何でも知ってるけど、女性の好みとかは疎いみたいで、義勇さんに贈り物をしようと思っているのだけれど、新しい刀の下緒でもとか言うんですもの。
どうせ贈るなら綺麗な簪か飾り櫛でもってね、勧めてみたの。
そしたら錆兎さんたら、深い森の奥で静かに水を湛える泉のように澄んだ綺麗な青い目をしているから、その色合いに映えるように…って、普段からはありえないくらい文学的な例えをするのに、店に入るのは恥ずかしいらしくて、真っ赤になりながら、でも似合いのものをって選んでいるのがすごく微笑ましかったわ」
と、カナエはその時のことをそう話してコロコロ笑う。
そんな風にカナエの話を聞いていると、自分が好かれたいというより、そうやって世話を焼いているのが楽しいと言う感じに思われた。
それがやっぱり姉さんという感じで、姉のことが大好きな弟だった義勇はなんだか彼女を憎めない。
甘えたくなってしまう。
最初は心配していた煉獄も不死川も、そのどこかほわほわした空気にそれぞれ今回の上弦の話をしに他の柱の方へと戻っていく。
そうしてカナエと楽しくおしゃべりをしている間に随分と時間がたったらしい。
錆兎が戻ってきて、また目隠しをして抱きかかえられる。
帰る道々は待っている間どうしていたかを聞かれたので、カナエと話していたことを伝えると、それは楽しそうで良かったな、と、ホッとしたように言われた。
義勇が感じたように、彼女は実際妹一人、そして花柱屋敷で働く大勢の少女達の姉代わり母代わりの人物で、柱としては後輩ではあるものの、年上ということもあり、錆兎やその継子柱達にはどことなく姉のように接してくるとのこと。
性格も尖ったところがないので、義勇も安心して仲良くしてもらえばいいと言われて、義勇はこっくりと頷いた。
館に戻って食事や風呂を済ませて離れに2人きりになって、今度は逆に義勇が錆兎にお館様と何を話していたのかを聞いたら、
「今後、上弦に遭遇した時の対応とかな。
うん、まあ色々だ。
それより今日は早く寝ろ。一応な、明日はちょっと届け物があるはずで、それが届いたら一日忙しくなるから」
と言う。
「忙しく?」
と、それに義勇が小首をかしげると、錆兎は
「ああ、ただ予定は未定だから…。
詳細は届いてからな」
と言って布団を被ってしまうので、それ以上は聞いても話す気はなさそうだし、明日になったらわかることだ…と、義勇も錆兎の懐に潜り込むと、そのまま眠ってしまった。
翌日…とんでもない大騒ぎになるとは思いもしないで…
「さびとぉぉぉおおーーー!!!どうなってるのおおおおーーー!!!!!」
午後…食事も終わって洗い物も一段落した頃、ドアベルが鳴って対応に出た二郎が悲鳴をあげながら廊下を駆け回っている。
「ああ?どうした?」
と、非番なのでゆっくりと義勇と共にお茶を飲みながら書物をめくっていた錆兎がそう言って廊下に出るのについていくと、なんとそこにはお館様の奥方、あまね様を先頭になにやら大荷物を抱えた隠が広間を目指して歩いていた。
「え?え?」
と、義勇も目を白黒させながら錆兎に視線を向けると、錆兎も驚きに目を丸くして、ぽか~んと口を開けて呆けている。
そんな様子を気にした風もなく、あまね様は
「錆兎殿、支度をするのは広間でよろしいですね?」
と言うので、錆兎はそれでハッとしたようだ。
「支度…とは?」
と、聞き返すと、あまね様はきっぱりと
「祝言のです」
と、言い放つ。
「「「えええーーー?!!!」」」
と、義勇や二郎、周りの面々はもちろんのこと、錆兎も驚きの声をあげている。
「ちょ、ちょっと待って下さい。俺がお願いしたのは…」
と、思わず詰め寄る錆兎に、あまね様は懐から出した手紙を手渡した。
「お館様からのお言葉です」
と言われて、錆兎はそれを黙って開く。
──錆兎へ。
昨日君に頼まれた白無垢と紋付きの他、祝言に必要な一式を送らせてもらったよ。
君は鬼殺隊の御旗だからね。
柱一同もこれからかなり大変な日々が待っていることだし、楽しくめでたいことは皆で共有させてもらうことにして、柱全員には今日水柱邸で君が祝言をあげるということは通達してある。
時間は午後6時から。
もちろん夜だから鬼も出るだろうしね、そうなったら極力君と縁の深い継子柱達を除いた子達で対応してもらえるようには頼んであるからね。
左近次にも御旗としての君の立場と今後の大変さを考えてのこちらの事情を全て説明した上で連絡をして招いてあるから。
料理は時間近くに届けさせるし、敷布や金屏風その他調度品の数々は翌日にこちらで片付けさせるからそのままにしておいて大丈夫だよ。
新しい寝間着やその他諸々も届けさせるから、そちらはそのまま使って欲しい。
もちろん私も参加させてもらうので、時間の少し前にはそちらに着くつもりだ。
では、またあとで…
ま~じ~か~~!!!
と、頭を抱える錆兎。
その手の手紙を取って義勇もそれを読むと染まる頬と潤む瞳。
「…さびと……これは?」
と、錆兎の羽織の袖をくいっと引っ張って聞く義勇に、錆兎が
「時間もあまり取れないし、話のついでにお館様に白無垢を用意できないものかと伺っただけだったんだが…」
と、こちらも視線を義勇に向ける。
「白無垢って…どうして?」
「どうしても何も、俺の嫁になりたいと言ったのは義勇だろう?」
いきなりあげることになっている祝言に驚いて義勇が聞くと、当たり前のように返ってくる錆兎の言葉。
それに義勇はまた驚く。
「え?だって…言った、言ったけど…」
「…?…なんだ?何か嫌なのか?」
と聞かれて義勇はぶんぶんと首を横に振った。
「…祝言なんて…挙げられるなんて思わなかったから……」
もうあまりに驚きすぎて呆然としながら言うと、錆兎は心外!という顔をして、
「なんだ?俺がけじめもつけずにホイホイ大切なお前を抱くような男だと思ったか?」
と、そうするのが当たり前のように言うので、涙腺が決壊した。
「…さび…っ…とっ……時間くれって…っ…悩んでたみたいっ…だった…からっ……」
と、ホッとしすぎて嬉しすぎて子どものようにその場でしゃがみこんで泣き出すと、錆兎は、あ~っと、声をあげて額に片手をやって天を仰いだあと、自分も義勇の前にしゃがみこんで顔を覗き込んでくる。
「すまん!俺は10から狭霧山で育ってその手のことに疎かったからな。
とりあえず嫁と言うなら白無垢くらいは要るだろうと思ったんだが、どこで頼んでどのくらいの期間で手に入るものとかがわからなかったから。
だからお館様に聞いてみて、用意して下さるというから、法的にどうこうはできないから2人だけでひっそりとやろうと思っていたのだが…その時にお館様が法的にと言うならご自身も結婚をされたのは13で社会的には認められない年だったから問題ないとおっしゃってたから、もう鬼殺隊の内部では構わんということでこうして公にするように手配してくださったんだと思う。
今日白無垢が届くのは知っていたんだが、万が一があってお前をがっかりはさせたくなかったし、2人きりでひっそりやるものだから届いてから話せば良いだろうと思っていたんだが…」
「…さびと…いやじゃ…ない?」
泣きながら見上げれば、
「何故いやだと思うんだ?
元々俺は今生ではお前のためだけに生きていると思うのだが、伝わっていなかったか?」
などと、錆兎はまた呆れたように眉を寄せながらも、いつものようによしよしというように頭をなでてくれる。
そんななかで、
「とりあえず16時には花嫁の着付けと化粧をいたしますので、それまで少し目元を冷やしましょう」
と、そこにあまね様が手を添えて義勇を立たせると、居間に連れて行って隠に用意させた冷たいタオルを泣いて腫れてきた目にあてさせた。
そうしておいて広間に敷布を敷かせたり屏風をたてたり飾り付けをさせたりと、実にきびきびと仕切っていくので、感心してしまう。
少し目元が落ち着いてきたところで、義勇はそれをガン見。
そう…鬼殺隊の中でということでも、自分は桃太郎である錆兎の姫で嫁になるのだから、もし継子柱達が祝言でもあげることになれば、自分もこんな風にしてやらねばならない。
おそらく興奮状態なのだろう。
それも無理はないと思う。
だって錆兎のお嫁さんになれるのだ。
それが例え一般的にはおかしなことだろうと、社会的には認められなかろうと、鬼殺隊ではお館様が認めると言えば認められてしまうのだ。
時間はあっという間にすぎ、あまね様が自ら白無垢を着せて下さる。
おしろいをはたき、唇に紅をひき…角隠しを被った姿はなんだか亡くなった姉に似ている気もした。
姉はこうやって白無垢を着て好いた人のお嫁さんになる前に亡くなってしまったのだけれど…
そう思うと、血に紅くそまった姉の白無垢が思い出されてホロリとまた涙が零れそうになったが、それが目元から落ちそうになった瞬間、サッとあてられるハンカチ。
それをあててくれたあまね様は凛とした表情で
「あなたがなるのはただの妻ではなく、この世から鬼を一掃する使命を帯びた男の妻です。
今日は花嫁ですが…3日間かけて少しずつ花を落として3日後にはふわふわと花をかぶった花嫁ではなく、嫁として彼をしっかりと支えてあげてくださいね」
と、にこりと柔らかい口調で、しかししっかりと叱咤激励された。
「そのために…誰があなた達の仲を認めなかったとしても、お館様とわたくし、そして鬼殺隊は全力であなた方の仲を認め、支援いたします」
一緒に鬼殺隊を支えて下さい…と頭を下げられ、義勇も慌てて頭を下げる。
そうだ…この方は義勇なんかよりもずっと前から支えるべき相手をずっと支えて盛り立ててきた”嫁”で、大先輩なのだ。
幼い頃からの望みが叶ったことでふわふわとした気持ちでいたが、自分が嫁になりたいと望んだ相手は、あの、初めて会った瞬間からそういう使命を背負った相手だったのだ。
守られるだけではなくて、もっと支えていかねば…と、義勇は身の引き締まる思いを感じ始めた。
こうして全ての支度が整って義勇はあまね様に手を取られて広間へと足をむけた。
いつものだだっ広いだけのその部屋は、今日は見事に飾り付けられていて、上座に置かれた金屏風の前に敷かれた紅い敷布の上にはすでの紋付姿の錆兎が座り、その横にはお館様。
広間に置かれた大きな机の両側には、上座に懐かしい天狗の面をつけた師範の顔。
ついで柱達、水柱邸の同期達がずらりと並んで座っている。
そんな中、義勇はあまね様に導かれて錆兎の隣へ。
錆兎を含む部屋中から感嘆のため息がもれるなか、あまね様が義勇の隣に腰を下ろしたところで、祝言が始まった。
まずはお館様の祝いの言葉。
三三九度の盃。
任務が入ってしまう前に…と、柱達が祝いの言葉を告げに来てくれる。
そうして次々と祝われて、
「お前は…九つの頃から錆兎の嫁になりたいと言っていたな。
こんな時代だから、どんな形であれ思いを叶えて幸せになってよかった」
と鱗滝さんにうんうんと頷きながら言われた時には、化粧が落ちると思いながらも思わず泣いてしまった。
姉が祝言前日に亡くなったあの日から、義勇にとっての幸せは祝言の形をしていたのだと思う。
錆兎のお嫁さんになりたい…そんな幼い頃の願いを叶えてもらったのだ。
これからは自分が錆兎の…仲間の…お館様の…そして鬼殺隊の願いを叶える手伝いをしていく番である。
途中、鎹鴉がやってきて、柱達は継子柱を除いて一人二人と任務のために退出していったが、他はまだご馳走やお酒を口にしながらはしゃいでいる。
そんな中、義勇はまたあまね様に伴われて退出。
離れの居間で白無垢を脱いで化粧を落とす。
そうしてあまね様もお館様の体調のこともあるしと、そろそろと帰宅なさったところで、用意された衣装箱を開けてみる。
中には揃いの絹の寝間着。
義勇はそれを身につけると、ふとその衣装箱の端に小さな小箱があることに気づいた。
なんだろう…と、その小さな小箱を開けてみると和紙に何か塗って乾かしたようなものが入っている。
これはいったい…?と首をかしげていると、襖があいて錆兎が顔を覗かせた。
「ああ、義勇、もう着替え終わったんだな」
「うん、あれは脱いでも上手くたためないし…。
錆兎は?着替えないの?」
「ああ、俺も着替える。
…なんだ、寝間着まで用意されているのか…」
と、錆兎は衣装箱に手を伸ばして、そして小箱に気づいて視線を止めた。
「あ、それ…なんだろう?」
と、きょとんと見上げる義勇を見下ろして、錆兎は片手を顔にやって何か耐えるようにうなっている。
「さびと?」
と、それに義勇がさらに不思議そうに声をかけると、錆兎は、はぁ…とため息をついて
「お前は知らないで良い…」
と、気を取り直したように紋付を脱いでたたむと、寝間着に袖を通し始めた。
「なんだ、知ってるなら教えてくれ」
たまに錆兎はこうやって義勇を子ども扱いするようなことを言うので、ついつい膨れると、錆兎は苦笑しながら
「閨で使うものだが…俺が使うものだし、俺がお前には知って欲しくない…そう言っても聞くか?」
と言う。
ずるい…と思う。
だってそうやって少し困ったように笑う錆兎は格好良すぎて、そんな顔をされたら義勇がそれでも…とは言えないのを、錆兎は絶対に知っている。
なので膨れながらも首を横に振ると、錆兎は
「すまんな。ありがとう」
と、ちゅっと額に口づけを落としてきた。
「…ということで…寝所へ行くか…」
筋肉質な男らしい体に新しい寝間着を身につけて、錆兎が義勇の手を取って立たせる。
そこで義勇は初めてこの先の展開を思い出した。
「え、え、えっと……いまから…か」
つい声がうわずってしまう。
確かに自分がそれを望んだから、こんなことになっているわけなのだが……
いざそういうことになると、一気に羞恥が押し寄せてくる。
「義勇…少し目を瞑れ…」
と、そんな風にワタワタしていると錆兎にそう言われて、ぎゅっと目を瞑るとクスリと小さく笑う気配がして、そっと唇に触れるだけの口づけが降ってきた。
うわあああーーーと内心叫びながら、さらにぎゅっと目を瞑ると、今度は
「義勇、目をあけてこちらを見ろ」
と、言われるのでおそるおそる目をあけて視線を錆兎にむける。
そっと頬に触れた錆兎の温かい手の親指が義勇の頬を優しくなでる。
「お前が思っているよりもずっと、俺はお前を大切に思っているぞ。
今生は全てお前のために生きていると言っても過言ではない。
大切にするつもりだ。
だから今のお前の戸惑いが恐怖からくるものなら、今晩はここまで。
お前が大丈夫だと思えるまで待つ。
だが…ただの羞恥だと言うなら待たん。
俺に抱かれたいと言い始めたのは、義勇、お前の方だからな。
で?どちらだ?」
優しいのに男前すぎてクラクラした。
恐怖などあるはずがない。
だってずっと望んでいて、決死の思いで、一度きりで良いからと思って口にしたのだ。
「……すごく……恥ずかしい……けど、したい…」
恥ずかしくて恥ずかしくて顔なんて見られないので、うつむいて、小さな小さな声でそう言うと、
「そうか…では、抱くからな」
と、腕を取られて引き寄せられると、耳元で錆兎の男らしい低い…でも甘い声で、ささやくようにそう言われて、なんだか胸がきゅんと高鳴った。
そうしてとりあえず先に…と風呂を使わせてもらい、戻ると入れ違いに錆兎が風呂へ。
その間義勇はそれも新しく立派なものになっている寝具の上で正座をして錆兎を待つ。
どきどきする。
ずっと望んでいたことが叶うわけだから、抱かれることは嫌でも怖くもないが、失望されたらどうしようとは思う。
なにしろ普段は綺麗な服を着ていれば綺麗に見えるかもしれないが、全てをさらけ出せば柔らかさのない体だ。
そもそもこんな体で錆兎は勃つのだろうか…
そんなことを考えながら待っていると、襖があいて風呂上がりの錆兎が寝室に入ってくる。
逞しい体も男らしく整った顔も全て普段から見ているし、なんならいつもひとつの布団で眠っていて昨日だってそうだったのに、これからこの焦がれ続けた男に抱かれるのかと思うと、顔もあげられない。
「なんだ、布団に入って待っていれば良かったのに。
せっかく風呂に入ったのに冷えてしまうだろう?」
と、まるでいつもの調子で言う錆兎に、とりあえず初夜の嫁ならそうするのであろうと、どこかの書物で読んだように、三指をついて
「…不束者ですが、幾久しくよろしくお願いいたします」
と、頭をさげてみたら、目を丸くされた。
そして笑む気配がする。
錆兎は義勇の前まできて膝をつき、その顔をあげさせた。
そして
「お前…なんでそんな悲壮な顔をしているんだ?
なんだか悪いことでもしている気になるんだが…」
と、義勇の両肩をつかんでいた手の片方でそっと頭を撫でる。
その温かさにどこかホッとしながらもやっぱり不安がこみ上げて、義勇は泣きながら訴えた。
「…っ…さびとっ…勃たなかったらっ…どうしよ…っ…て…」
「はあぁ?」
義勇の言葉にさすがに呆れて錆兎の声が大きくなる。
「なんでそういうことになるんだ?!」
「…だって…だって…俺…やわらかくない……」
そう言って義勇はさらにポロポロ涙をこぼした。
「…さびとを…魅了したい…………さびとに愛されたいんだ…」
そう言って泣く義勇を前に、錆兎は片手で顔を覆って、はあぁぁ~~~~~と、どでかいため息をついた。
そしてぽつりと小声で漏れる言葉…
──せっかく少し抜いてきたのにそんな可愛すぎることを……お前そういうとこだぞ……
──……へ…?
「いいか、義勇、聞け」
と、錆兎はもう一度義勇の両肩をつかんで体を引き起こして視線を合わせさせる。
「俺は年相応程度には性欲もある。
それでも勃たないような相手とこういう関係になろうとは思わん。
そもそもが何度も言うように、今生は俺はお前のためだけに生きているといっても過言ではない。
だからむしろ問題は勃たないことではない──”勃ちすぎること”だ!!」
「…勃ち…すぎる……」
錆兎の言葉に義勇は驚きに泣くのも忘れてぽかんと口をあけて呆ける。
「とにかく…それでも俺はお前に極力無理はさせたくはない。
己の欲と大切な伴侶とどちらを優先するかなど、論じる意味もないほどに明らかだ。
だから…途中でも体が辛かったら言葉ではわからんこともあるから思い切り殴れ。
そうしたらさすがに気づいて止める。
絶対に無理はするな。
お前を壊してまで達成しなければならんことは何もない」
……達成………
これは…閨の話…なのだろうか……修業とか鍛錬とかの話じゃなく…?
錆兎らしいと言えば錆兎らしいが……
「いいな?!わかったな?!」
呆然としていると、そう念押しをされるので、義勇はうんうんと頷いた。
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