「錆兎…すまないが今日からここで暮らす子どもと権兵衛を迎えに出てやってくれないか。
そろそろ日も暮れるし、鬼が出たら危ないからな。
ワシの刀を一振り持っていけ」
その火を見ているので鱗滝は手が放せないらしい。
一緒に暮らし始めて半月。
だが、前世の記憶を持つ錆兎だけではなく、鱗滝の方も継子として育てていた錆兎の祖父に錆兎がとても似ていることもあって、互いにすぐに慣れ親しんでいた。
そんな中で、さらに体力と筋力以外はもう教えることなどないという10歳児ということで、夜の山の危険さも大丈夫だろうと判断しているらしい。
そういうわけで鱗滝は驚くべき依頼を平気でするわけなのだが、錆兎の方もまあそんじょそこらの鬼程度なら余裕で斬り捨てる気は満々で、
「はい。ちょっと行ってきます!」
と元気に返事をして師匠の刀を一本持ち出して夕焼けに染まる麓への道を駆け出していく。
確か前世では鱗滝が迎えに行っていたように記憶している。
錆兎は家で待っていたので事情はよく覚えては居ないが、やはり夕方までには着く予定だったのが遅くなって、夜が更けると万が一鬼が出たら危ないからということだった。
今日、義勇が来るというので錆兎はとても楽しみに待っていたのだ。
狭霧山では義勇と同じ部屋で生活をしていたため、部屋も綺麗に掃除をして、布団もちゃんと日に干しておいた。
ふかふかの布団をそのまますぐ休めるようにと畳んだ状態で部屋に置いて、修業で山に行くついでにヤマモモの実を籠いっぱいに摘む。
さらに竹を割って作った一輪挿しに花を飾っておいたら、
「今日来るのはお前と同じ男の子だぞ」
と、錆兎のそんな行動に鱗滝が呆れた顔で言ったが、そんなことは百も承知だ。
だって来るのは義勇なのだ。
見知らぬ女の子とかだったなら、むしろショックで寝込むかも知れない。
姉を失くしたばかりで心細い思いでいる義勇の気が少しでも晴れるように…
街育ちで姉と2人で生活していたためか錆兎からすると少し少女のような趣味のある義勇のために、錆兎はせっせと巣作りをする動物のように部屋を整えて義勇を待っていた。
だから鱗滝の依頼は渡りに船といったところだ。
一刻も早く義勇に会いたい。
普段は鍛錬のため道沿いを走ったりはしないので、たまに走る開けた道は、なんだかあっけないような、むしろ頼りないような気がする。
ひどく軽い足取りで山を3分の1ほど下ったところで、人の気配がした。
前方には道を外れるかどうか迷っているような男が1人。
毛皮でできた袖のない上着を着て背に猟銃を構えた、いかにもといった格好をしているので、これが例の猟師なのだろうが、肝心の義勇が見当たらない。
「権兵衛さんですか?」
と、錆兎が声をかけると、相手はこちらに目を向け、
「あ~、鱗滝先生のとこの子か。先生は一緒では?」
と、少し不安げな様子を見せるので、
「師範に迎えに行くように申し付けられてきました。
何かお困りでしょうか?」
と、伝えると、なんだか絶望的な顔をされた。
「そりゃあ困ったな…いったん先生を呼びに行かないと…」
と言う権兵衛の視線は道の脇へ。
「もしかして…今日来る子どもとはぐれたりとか?」
と言うと、頷いて言う。
「ああ、昨日も山の中で見つけて麓に一泊したんだけどね。
どうも信用されてないらしくて、ここに来る途中で逃げられてしまって…」
と言う権兵衛の話に、なるほど、と思う。
身体も大きくヒゲを蓄えたいかつい顔の、いかにも山の猟師な権兵衛は、街で姉と2人で暮らしていた義勇から見ると、山賊のように恐ろしく見えたに違いない。
「連れ戻してきます。権兵衛さんはこのままこれを持って先生のところまで向かって下さい」
と、錆兎は藤の花の匂い袋を権兵衛に渡す。
「いや、しかし子どもがそんな危険なことを…」
「危険なくらいの子どもだと思うなら先生は俺を迎えに寄越しませんのでご心配なく」
と、そのまま止めようとする権兵衛を振り切って、錆兎はかつて知ったる山の木々のなかに分け入った。
日が完全に落ちきっている。
自分は大丈夫だが刀を使えぬ義勇は早く探してやらないと危ない。
鱗滝を待っている時間はない。
それに…家族を亡くしたばかりで山の中に一人迷い込んで、義勇はずいぶんと心細い思いをしているだろう。
そう思って下草が折れている方向を確認しながら、義勇の足取りを追う。
幸い月の明るい夜で、子どもの軽い体重でも踏んだ草のあとを確認することは難しくはない。
ただ姿が見えぬモノが急いだように近づいてくる音は義勇を怯えさせてしまうだろうからと、錆兎は極力音をたてぬように、夜の草むらをかき分けていった。
そうしてしばらく注意深く歩いていると、草が大きく揺れる音と、うああぁーー!!という悲鳴。
久々に聞くその声は幸いにして遠くはなくて、錆兎は刀に手をかけた状態でひた走った。
なるほど、このくらいの場所だと夜は狭霧山でも鬼が出るらしい。
涙がでるほど懐かしい義勇の姿に感動する間もなく、錆兎はほとんど反射的に刀を抜くと、
──壱ノ型 水面斬り!!
と、義勇に迫る鬼の首を刎ね飛ばした。
他に鬼の気配はないが、早々に道に戻った方がいいだろう。
鬼より獣が出てくるほうが厄介だ。
錆兎はとりあえず刀を鞘に収めると、へたり込んでいる義勇の方を振り向いた。
月明かりに浮かぶ艷やかな黒い髪。
涙でいっぱいの青い目。
少年期の今ですら錆兎よりも随分と細く白い手足。
自身がひとたび大人になったことがある視点でみるためだろうか。
目の前の義勇はずいぶんと頼りなく儚い者にみえた。
とにかく保護してやらねばならない。
なので
「大丈夫か?立てるか?」
と手を差し出したのだが、緊張の糸が切れたのか、疲労が限界に達したのか、なんと義勇はそのままふぅっと気を失ってしまった。
さて、どうする?
叩き起こすのが正しいのかもしれないが、今の義勇の状況を考えるとそれも可哀想な気がして、錆兎は仕方なしに義勇をおぶって帰ることにした。
こうしてそのまま道に戻り、今度は山頂の小屋を目指してひた走る。
幸いにしてこの半月ばかり基礎鍛錬に勤しんでいたためだろうか。
義勇を背負って走っても、多少息が乱れる程度で速度は落ちず、1時間ほどで山頂へとたどりついた。
山頂の小屋では心配していたのだろう。
権兵衛がハラハラと見守る後ろで、こちらは自身の弟子の腕を信頼しきっていたらしい鱗滝が腕組みをして実際には天狗の仮面で見えはしないがおそらく笑みをうかべて待っていた。
「無事救出したようだな」
「はい!」
「鬼は斬ったのか?」
「はい!」
錆兎とそんな会話を交わしたあとに、
「この子は天賦の才のある子どもなので、このあたりの鬼くらいならこの通りだ」
と、それは権兵衛に向けて言って、鱗滝は
「お前は風呂に入ってスッキリしてきなさい。
そのままだと葉をふりかけに飯をくうことになる。
この子はいったんこちらで預かるから」
と、錆兎の背から気を失っている義勇をひょいっと受け取ると、そう言って小屋の中に入っていった。
その師範の背を見送って、錆兎は少し考えると、
「権兵衛さん、ご心配をおかけしました。お入り下さい」
と、権兵衛も中にうながす。
前世ではあまり他人に言葉を尽くす習慣はなかったが、今生では可能な限り全てを有利に持っていくつもりなので敢えて言う。
そう、鬼を滅するには情報をくれたり協力をしてくれる可能性がある一般人の人心掌握も大切なのである。
あざといとしても勝てば官軍なのだ。
そう、自分は今生では勝てば官軍の桃太郎を目指すのだ。
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