勝てば官軍桃太郎_2_狭霧山

目を開ければ狭霧山の自分の部屋だった。

見慣れた6畳間。
襖を開ければ廊下の向こうにいつも竹刀を振るい続けた小さな庭が見える。

庭のところどころには屋根付きの香炉置き場があって、夜には藤の花の香を焚き朝には消すのは、錆兎と義勇の最終選別前、つまり子どもがいる間は子ども達の仕事だった。

大人だけになってからは、枕元には常に日輪刀を置いて寝たので、その習慣もなくなったが、まあこの小屋に鬼が来たことは、少なくとも錆兎がいる間は一度もなかった。



ついこの前までの日常と違うのは、その香炉置き場に香炉があることと、もう一つは視点が低い。
つまり、自分が今子どもであることだろう。

錆兎は起きあがって布団をたたんで押入れにしまうと、部屋の隅にたてかけてあった竹刀を手に取ってみた。

それは実家に居た頃に使っていた子ども用の大きさのものなので、狭霧山に来てからそう経ってはいないようである。

となると下手をすると何も出来ない頃なのか…と、不安になってそのまま庭に飛び降りると出来ることと出来ない事を見極めるために竹刀をふるってみた。

水…はもちろん、風、雷、炎と、過去に学んだ呼吸の型は一通り使える事を確認して一安心。
しかし実家でも鍛錬していたとは言っても、まだ未熟で未成熟な身体では、全集中の呼吸まではできても常中はできないようだ。


とりあえず体力と身体作りが急務だな…と思っていると、そこに鱗滝が立っていた。
正直焦った。

「錆兎…お前は呼吸の型を使えるのか…」

驚いた顔をされるのも無理もない。

「あの…鱗滝さん、俺は……」

彼は剣士であった錆兎の祖父の師範でもあり、錆兎にとって唯一残された身内で心の支えだった。
その彼にこの段階で距離を置かれて他人になられるのは辛い。
でもどこまで話せばいいのか、そもそも信じてもらえるのかわからない。

今この瞬間、錆兎は本当に心身ともに子どもだった。
他に他意はまったくない。
彼に見捨てられればこの世にひとりぼっちになってしまう…そんな気持ちで悲しくて心細くてどうしようもなくなった。

しかしそれが返って良かったらしい。

「何か事情があるようだが…お前の祖父もゼロからあそこまで剣技を極めた男だ。
お前にもその才が受け継がれているのだろう。
どこまでは出来てどこからが出来ないのか、きちんといいなさい。
でなければ何を教えていいのかがわからん」

錆兎が知る通り心の広い人であった錆兎の師範は、人の感情の機微を匂いで感じ取る能力があったため、現在10歳児である錆兎の不安を感じ取ってくれたらしい。

そう言って大きな手でポンと錆兎の頭を撫でると、
「朝飯にするぞ。
着替えて手と顔を洗ってきなさい」
と、台所の方へと消えていった。

食事を取るのは台所の隣の6畳間。
多い時には4人ほどの弟子がいたらしいが、今は最後の弟子の少女が昨年最終選別に向かって帰って来なかったので1人きりだったらしい。

──誰かと食事を摂るのも1月ぶりだ
という背中が少し寂しい。

前世では錆兎は鬼が大挙する実家から1人で逃されて必死でここにたどり着いた直後だったこともあって、そんな会話をした記憶すらない。
でも鱗滝の発言からして、おそらく今は錆兎がこの小屋にたどり着いた翌朝なのだろう。

錆兎にしてみれば錆兎自身の最終選別後も鱗滝が新たな弟子を取ることはなかったので、自分が子どもの姿だと言うことを除けば珍しくもないいつもの食事の風景なのだが、鱗滝は不思議に思ったらしい。

「お前は…ずいぶんとわしを当たり前に馴染んだもののように感じているようだな…」
と、声をかけてきた。

さて先程に逆戻りだ。
明らかな嘘は絶対にバレるし、つきたくはない。
嘘をつかぬように…しかし信じてもらえてなおかつ支障のない範囲でというとこれがなかなかに難しい。

「先生…信じて頂けるかどうかはわかりませんが…」
「うむ?」

「俺には前世の記憶…というようなものがあるようです。
今朝、目を覚まして色々を目にした時、初めて目にしたものではないように思いました。
先生にお会いするのも初めてではないように思います。

さきほど使った呼吸の型も実家で学んだものではなく、その前世で学んだものです。
俺はただ鬼の頭領を倒すためにそれらの記憶を持っているようです。

先生はさきほど出来るものを話せとおっしゃいましたが、単に使用するというだけのことでしたら、水と風、炎と雷は一通り覚えています。
知識としての呼吸は理解していますし、全集中の呼吸まではできますが、常中まではできません」

「なんと!そこまでか…」
と、錆兎の言葉に鱗滝はそういったきりしばらく言葉を失った。
天狗の面をつけているため表情は見えないが、かなり考え込んでいる気配がする。
そうしてしばらく考え込んだあと、

「食事が済んで少し休んだら、それらを見せてみなさい」
と言って、箸の止まっていた錆兎に食事を続けるように促した。


そうして朝食を済ませて食器を片付ける鱗滝を当たり前に手伝う錆兎に、

「お前の祖父も恐ろしいほどの才能の持ち主だったが…お前の言うことが本当だとすれば大勢の先駆者達の霊がお前に力を貸して、この世代で鬼を倒そうとしているのかもしれんな…」
と、つぶやく。

「…俺は…現世の桃太郎になるために生まれてきたのだと思います」
と、錆兎がそれにそう返すと、錆兎は単に前世での産屋敷との話を思い出して口にした言葉なのだが、普通に子供らしく響いたのだろう。

「そうか。それでは立派な桃太郎に育ててやらねばな」
と、鱗滝は微笑ましげに錆兎の頭を大きな手で撫でた。

一度は大人になった身とは言え、全てを切り捨てて感情すらも持たぬようにしていたあの頃と違って、子どもの身にはそれはとてもほわほわと温かい気持ちにさせられるものに感じる。

これで義勇さえ来てくれれば…自分は桃太郎ではあってももう一度、人らしい人生を送れるのではないだろうか…と、錆兎は自身の幸せを久々に思い描くことができる気がした。

錆兎の記憶が正しければ、義勇が山に迷い込んで猟師に連れられてここに来るのは自分が来た半月後。

それまでに出来る限りの軌道修正をしておきたい。


とりあえずその後、一通りの呼吸の型を披露したあと鱗滝が錆兎に下した結論は、まず基礎体力と身体作りの必要性だった。

10歳という年齢にしてはかなり鍛えているほうではあるが、当然だが呼吸の使い手としては体力も筋力も追いついていない。
なのでひたすら走り込み、腕立て、腹筋、素振り。
筋肉になりそうなものをよく食べてよく寝ること。

前世でやった罠を避ける訓練や刀を持っての山下り、そして刀の扱いなどは一度やってすでに身についていると判断されてそれきりで、体術や呼吸法も完璧にできる。

瞬間的にでも全集中の呼吸が出来て割るために刃をいれる場所といれる角度、タイミングさえ完全にわかっている身なら岩さえ斬れた。

でもそれでは駄目なのだ。
7日間の長丁場となれば、この未熟な身体に未熟な体力では途中で集中が途切れる。

だから本当に基礎体力と筋力をあげていかねばならない。

痣ものにならねば無惨は倒せないだろうし、それで25歳までと寿命が区切られるなら、前世よりも出来れば早い選別突破を目指したいが、焦りは禁物だ。

前世でもそうだったが、自分だけなら生き延びられる。
選別にいるのは一体を除いては弱い鬼ばかりだ。

そう…ただその一体が問題だ。
鱗滝の手で閉じ込められたという手鬼。
ほとんどの鬼を倒したあとに出会ったあの鬼だけは倒せなかった。

そうして命からがら逃げ回っている間に、鬼が怪我をして動けないでいる義勇の元に向かってしまったらしい。
そうして義勇を預けた隊士ごと喰われてしまった。

錆兎がそれを知ったのは、7日目の朝に自身が怪我を負って潜んでいた場所から集合場所に向かった時だった。

あれは絶対に繰り返すわけには行かない。
最初から義勇を守って怪我をさせないというのは大前提ではあるのだが、怪我をしていなかったとしても、出会って倒せずにいたならば、逃げ切れずに殺される可能性は十分ある。

そのために…最終選別に向かう最低限の条件は、あの鬼を倒せる力を身につけてからだと錆兎は決めている。

あの頃と違って刀の扱いに関しては数段どころの話ではなく完璧に近い状態ではあるし、鬼の甘言に惑わされるほど精神的にも未熟ではなくなった。
ただ、体力の低下によって呼吸が乱れれば、斬れるものも斬れない。
呼吸は瞬発的ではなく常中できる状態でなくてはだめだ。

だからとりあえずの目標は全集中の呼吸の常中が出来るほどの体力を身につけることである。
こればかりはもう、知識として知っていてもどうなるものではない。
鍛えて鍛えて鍛えるしかないのだ。


今度こそ義勇に怪我一つ負わせる事なく最終選別を突破する!
その悲願達成に向けて、錆兎はひたすら己の身を鍛え続けた。









0 件のコメント :

コメントを投稿