「さ~びと、林檎すりおろしておいたよ。義勇は?」
「…ああ、真菰。ありがとう、助かる。だが今寝てる」
影屋敷で錆兎達が住んでいる離れへの渡り廊下を渡って、真菰が林檎をすりおろしたものを入れた椀を持ってきてくれたのだが、それを食わそうと思っていた義勇は、あぐらをかいた錆兎の膝に埋まるようにしてうたた寝中だ。
「…義勇、随分と痩せたね。稀に臨月までつわりが続く人もいるって聞いてたけど、やっぱり元々は産む側じゃないから、身体が妊娠に慣れないのかな。
義勇も産むまで吐いてるかもねぇ…」
と、錆兎の肩越しにひょいっと顔を出して覗き込みながら、真菰はそう言ったあと、机に椀を置いて、身体を冷やさないようにと、眠る義勇にそっと肌がけをかけてやる。
子を孕んでからの義勇はかなり情緒不安定だったので、あまり多くの人には会わないほうがいいだろうとほとんど錆兎が世話をしていたが、こうしてたまに真菰が食事を持ってきたり、また洗濯物などを持っていって洗ってくれたりしていた。
その合間合間に交わす言葉が、ある面、錆兎の気晴らしにもなっている。
「本当にな…真菰がいて助かっている。
義勇は子が出来てからなんだか今にも死んでしまいそうに心身ともに弱っているし、俺も…正直男は子が生まれるまでは何もしてやれないものだなと実感できすぎてな…
…義勇が弱っていくのを見ているだけなのは、なかなか辛い…」
「あははっ。今からそんなこと言ってたら出産時なんてもっとだよぉ。
今は何も出来ないだけで居てもまあいいけど、出産時は男って居るだけ邪魔だからね」
「お前…容赦ないなぁ」
「容赦…しないほうがいいでしょ?少なくともこの1件が終わるまでは錆兎は気を張ってないとね」
「……お前も義勇と同じ意見か?」
前言撤回。
真菰もなかなか辛辣だ。
揃って錆兎を追い詰めてくれる。
そう思ったが、そこは姉弟子。
「いい結果になればいいと思ってるよ?
でももし義勇が生んだのが人じゃなかったとしたら…あたしが首を刎ねるから。
そのためにあたしは出産に立ち会うつもりだし。
大丈夫。もしそうだったとしても、一度しか子を産めないならそれ以上は何も起きないでしょ。
でももしそうだった場合は錆兎は義勇の心をまず支えてあげないとだから。
それ以外のことは全部真菰姉さんがかぶってあげるから、安心していいよ」
と、ポンポンと錆兎の肩をたたく。
本当に持つべきものは姉弟子だ。
なんだか泣きそうになって言葉に詰まる錆兎に、真菰はさらに
「錆兎が何でも出来るのは知ってるけどね、あんまり1人で抱え込みなさんなよ。
余裕は少しでもあったほうがいいし、みんな一番年下の弟弟子の力になりたいと思ってるんだよ。
なんてったって、あたし達は家族なんだからね」
と言って、ニカっと笑った。
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それは4月始めのことだった…
最初はやや腹が痛いかも…という程度の感覚だったのが、だんだん痛みが強くなり、そのうち立つことすらできなくなる。
「義勇っ!!大丈夫かっ?!!義勇っ!!!」
と言う錆兎に答える余裕もなく、その錆兎の声を遮るように
「いいから出てって、錆兎じゃまっ!!」
と容赦のない真菰の声が聞こえた。
そして
「…隣の部屋にいるから…生まれたらすぐ来るからな」
と、錆兎の手がさらりと義勇の髪を一撫でして離れていく。
本当はそばに居てほしかったが、出産というものは男が立ち入るものではないというのは、義勇も知っている。
「大丈夫だよ、あたしがついてるからね」
と、言う真菰の声。
その他に当然のように事情を知っているお館様が手配してくれた産婆が念の為と2人いる。
長く鬼殺隊で切った張ったをしているのだから、いい加減色々な痛みには慣れていると思ったが、この内臓からくる痛みは別格で、どうにも耐えられる気がしない。
普通に戦闘で負う傷はだんだん慣れるのだが、この痛みは慣れるどころかどんどん新たにわいてくる感じだ。
しかも本当に終わらない。
痛い…苦しい……
我慢なんて全然できなくて、義勇はボロボロ泣き出した。
これは…絶対に死ぬのだろうと思う。
こんなに長く凄まじい痛みが続くのは、きっと腹の中に鬼がいるせいだ…
そう思うと心細くて悲しくて、涙が止まらない。
こんなに苦しい中で死んで行くのに、錆兎がいない…そう思うと余計に辛く感じた。
…さびと…さびと……痛い…辛い……たすけて……
あんなに迷惑をかけるまいと思っていたのに、あまりの辛さに泣きながら錆兎の名を呼んだ。
涙でかすんだ視界にかろうじて入る真菰に、死ぬ前に錆兎に会いたい…と訴えるが、
「生んだら会えるからねっ。頑張ろう」
と、実質拒否されて、また泣いた。
生んだらなんて無理だ。
もう一瞬も我慢できない…痛い…死ぬ……と言っても聞いてもらえない。
痛みには波があって、痛みが少し引いた瞬間、ふと意識が飛びかけたが、そこで、
「寝ないでっ!寝ちゃだめっ!」
と容赦なく起こされる。
辛くて辛くて泣いて泣いて泣いて…どのくらい経ったのだろうか…
意識がかなり朦朧としてくる。
そんな中で遠くでぴえぇぇ…という声が聞こえた気がした。
でもまだ腹の痛みは続いていて、おそらく生まれてはいないのだろうと、絶望する。
しかしそれからしばらくして、今度こそ何かが身体から出ていく感覚と、それにともなって泣き声が聞こえた。
身体の中から出ていったのがなんだったのか…もうそんな事を気にする余裕もなく、義勇の意識はふと途切れる。
なんだか音声多重で聞こえる気がする泣き声を聞きながら……
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