最後の甘みの食器は翌朝片付けに来ると言っていたからそのままにして、義勇の手をとって隣の部屋のふすまを開けた。
行灯だけの薄暗い部屋に敷かれた2組の布団。
余裕なく荷物を漁って真菰に持たされた小瓶を取り出す。
「…義勇…お前、女を知ってるか?」
いくら余裕がなくともいきなり襲うのはなしだ。
義勇はそれでも拒まないと思うが、男として惚れた相手にすることではない。
きちんと説明をしなければ…と思って、まずそう問えば、義勇は小さく首を横に振った。
本当は知っていたほうがスムーズなのかもしれないし、義勇のためにも良いのかも知れない。
でも義勇が女を抱いたことがないと知って、錆兎は心の底から安堵した。
安堵して、自分が意外に嫉妬深かったことを知って自嘲する。
だが、そんな錆兎の心境を察したわけでもなかろうに、義勇は
「…錆兎以外とは…あまり触れたくはない。
だからそういうことはしないでいいと思っていた」
などと言う。
しかしそこで
「じゃあ…やり方は知っているか?」
と問えば、
「…男女が裸で閨に入る…くらいなら」
と、返ってきて、おい?お前の知識は13の頃の俺以下だぞ…と、錆兎はがっくりと肩を落とした。
昔から義勇は身近な人間…もっと言うと、錆兎と真菰と鱗滝くらいにしか興味を示さないやつだったが、ここまでだとは正直思わなかった。
「じゃあ…処理は自分か…」
と、もう半分やけくそになってさらに聞くと、
「…処理…とは?」
と、聞き返されて、さすがに錆兎は固まった。
「い…いや、男なら抜かないと溜まるものは溜まるだろう」
「……?」
「急所が…色々辛くならないか?」
すごく怖い予感がしておそるおそる問うと、義勇はようやく合点が行ったとばかりに、
「ああ、それか」
と、頷いた。
「大丈夫だ。我慢して眠ってしまえば翌朝には下着は汚すがおさまっている」
いやいやいやいや、そこは抜かないか?
自分など何度義勇で抜いたかわからないのだが……と、すっきりした顔で言う義勇に頭を抱える錆兎。
「あの…な、誰かを抱かないなら、普通は自分で処理をするものだぞ」
と思わず言う錆兎の言葉に、
「そうか…それは知らなかった…」
と言う義勇に、どれだけ人間関係を断って生きてきたのかと、ため息が出た。
しかしその後、また義勇から爆弾が落とされる。
いわく…──だって錆兎が教えてくれなかったから……
これは誘われているのか?
実は誘われている?
と、思ったのもほんの一瞬…
「…人を好きになること…それに付随して起きること、すること、そういうことは全部錆兎から教わりたいし、錆兎としたい…」
「…義勇……」
「だから…錆兎が俺を置いて逝ってしまったと思ったあの日から、俺はそんな感情や身体の変化は要らない人間になったんだ。
錆兎が望んだから水柱にはなったけど…心なんて要らない…感情なんて要らなかった…」
訴えるように泣く義勇に胸が詰まる。
そして、錆兎は
「…ごめん…ごめんな?」
と謝りながら両手で義勇の両の頬をつつむようにして親指の先でとめどなく溢れる涙をぬぐってやると、そのまま視線を合わせて
──もう二度と1人にしない…誓うから泣くな……
と、そのまぶたに口づけた。
翌朝…義勇は額にかかる寝息のくすぐったさに目が覚めた。
目を開けると、義勇の頭に顔を埋めるようにして、義勇を抱きかかえて眠っている錆兎がいる。
男らしい顔だ…。
そんなことを考えているうち、ふと、昨日の切羽詰まったような顔を思い出して1人赤面してしまう。
いままでずっと一緒にいたが、昨夜初めて見た錆兎の欲におかされた男の顔…
幼い頃から当たり前に触れていたこの唇が…この手が…昨日自分にあんなふうに触れたのかと思うと、いたたまれなさにうつむいた義勇の頭上で、錆兎が小さく笑う声がした。
「いつから起きてた?」
と、きまずさにやはり顔をあげられないまま聞くと、錆兎は何事もないかのように
「う~ん…義勇が百面相し始める前からだな。
寝顔は昔と変わらないなぁと思って」
などという。
その後、二人でゆっくり風呂につかりながら義勇はふと思った。
これまでは特に自分の性について考えたこともないし不満もなかったが、こうなってくると女が少し羨ましい。
女だったら錆兎の血を増やすことができるのに…
「…世界中を錆兎の血で満たしたい……」
ぽつりとつぶやいた言葉はそんな気持ちから出たものだったのだが、錆兎は何故か青ざめて
「悪かった。次からはもう少し余裕持ってがっつかないよう精進する!」
と、ガシッと義勇の肩を両手で掴んで、頭を下げてきた。
風呂を出て朝食を取り、義勇の着物をきちんと着付けて宿を出る。
義勇はぽてぽてと機嫌よさそうに隣を歩いているわけなのだが、風呂に入っている時の、あの言葉は何だったんだろうか…。
義勇のことはたいてい理解できていると思っていたのだが、自分の血を世界中にぶちまけてやりたいと思うくらいに、昨夜のことを怒っているのだろうか…。
正直、ずっと幼い頃からそういう意味で意識し続けた相手との初めての夜だったわけだから、我ながら余裕がなかった。
起き抜けには義勇も余裕に見えたと言ってくれていたのだが、あれは義勇の精一杯の忍耐だったのか…?
「…義勇、すまん。身体辛かったら本当に俺が抱えて歩くから言ってくれ」
いつも自分のことは全肯定してくれる義勇に怒られているのは地味にキツイ。
錆兎が隣を歩く義勇の顔を覗き込んで言うと、義勇はきょとんと小首をかしげた。
「痛いとかそういう意味なら、辛くはないぞ?」
「でも…怒っているのは昨夜に乱暴にしすぎたからだろう?」
「…???…誰が怒ってるんだ?」
「…義勇が」
「…??何故怒っているなんて話になっている?」
しんそこわからないという義勇は、嘘をついている顔ではない。
長年そばで見守り続けた錆兎にはわかる。
それなら何故???と、思い、
「では何故俺の血を世界にぶちまけてやりたいとか、そういうことを言っていたんだ?」
と、錆兎は直接的に聞いてみると、義勇はしばし考え込み、ああ!と思い当たったように錆兎に視線を合わせた。
「血は血でもその血じゃない。血筋だ。
女なら錆兎の子をたくさん生んで、そこらじゅう錆兎だらけに出来て良いなと思った」
「なに、それはさすがに気持ち悪くないか?」
本当に義勇の発想はぶっ飛んでいる。
ありえないだろう。
それならまだ周り中義勇のミニチュアがトテトテと群れをなしている方が可愛い…と錆兎は思って、苦笑した。
「俺は義勇がたくさんいたほうがいいと一瞬思ったが…それぞれ1人の方が良くないか?
俺がたくさんいたら、絶対に義勇の取り合いで喧嘩になる」
「ふむ…そうか…」
「そうだろ。もう離れることもなし、生きる時は一緒で、死ぬ時もいっしょなのだから、予備はいらんだろ」
錆兎がそう言うと、義勇は考え込んで
「確かに…錆兎がたくさんいたとしても、どの錆兎も1人なのは嫌だからな。
そうすると俺も同じ数だけ存在しなければならないし、俺がたくさんいたら俺は気持ちが悪い」
と、存外真剣な様子でいうものだから、錆兎も思わず吹き出してしまった。
確かに自分も、義勇がたくさん存在する世界があったとしたら、その一人一人に対して自分を用意してやらねばと思っている。
そこでどちらも、自分が何人かいても、互い以外の人間といる自分が出るとは考えないところが、本当に自分達らしいと錆兎は思った。
「…仕方ないな…錆兎を造るのは諦める」
と、何か納得したらしく義勇が言う。
「でも…錆兎を作れないなら余計に、1人しかいない錆兎とは少しでも近くありたい。
だから…時間が許す限りはまた一つになるぞ」
こんな超絶理論を思い切り真剣な顔で口にするのだから、まいってしまう。
それでもそれは錆兎にとっても悪い話ではなかったので、心より喜んで同意をして、その時間の許す限りという時間が少しでも長くなるように、町外れぎりぎりでまた、錆兎は義勇を抱えて次の町まで走るのだった。
誤変換報告です。「誤りながら」→謝りながら かと思いますのでご確認ください^^;
返信削除ご報告ありがとうございます。
削除修正しました😄