──1時間待つ。荷物をまとめてくれ。
──え???
挨拶の次の第一声はそれだった。
人種が違うの?
イケメンって違う言語話してるの?
それともお金持ちだから??
いきなりの言葉に善逸が脳内で盛大にはてなマークを浮かべていると、
──判断が遅いっ!急げっ!!
と怒られた。
なんというか…絶対的に上に立つオーラに溢れすぎていて、何故自分はいきなり怒られているんだろうと思いつつも逆らえず、はいっ!と返事をして室内にUターンすると、善逸はまず爺ちゃんの位牌を丁寧に風呂敷でくるみ、あとは店の権利書だとか通帳だとか、わずかばかりの貴重品と、さらにわずかしかない着替えや最低限の日用品を一番大きなカバンに詰め込んで、勝手口に戻る。
勝手口のドアのあたりには相変わらず圧をまき散らしながら立つイケメン。
炭治郎も勢いのある男だったが、兄はその上を行く。
立っているだけでその場を制圧している感がある。
彼は戻ってきた善逸を認めると、
──よしっ!それじゃあ行くぞ!
と、善逸の手からカバンを取り上げて車に向かって歩き出す。
そして彼が車の後ろに回るとそこで待っていた運転手がトランクをあけた。
運転手はそのまま忙しく後部座席のドアまで駆け寄ると、恭しくドアを開けて善逸を中にうながす。
運転手の主人である炭治郎の兄は善逸の乗車を優先する運転手を気にすることなく当たり前に自らトランクに善逸の荷物を放り込むとトランクを閉め、大股で善逸が乗っているのと反対側の後部座席のドアに歩み寄って自分でドアを開けて乗り込みドアを閉めると、
──不審者に注意しながら少し回って家に戻れ
と、なんだか不穏な発言をした。
小市民を訪ねてくるのに不似合いな高級車も錆兎のとんでもないイケメンっぷりも、そして最後の何やら恐ろし気な言葉も…何もかもがまるで映画の中の出来事のように現実感がない。
善逸が普段乗っている安い軽自動車と違ってまるで高級な応接室にいるように走っていてもほぼ振動が伝わってこないふわりとした座席で善逸がひたすら動揺していると、隣にいるイケメンはただの偉そうな人ではなかったらしく、
「早急に行動しないと危険が及ぶ可能性があったから説明があとになって申し訳なかった」
と、まず謝罪から入って、それから改めて状況を説明してくれた。
彼曰く、炭治郎は実家に戻って今回の黒幕である伯父に従うふりをしつつ、伯父の失脚を画策しているらしい。
一応善逸に危害が及ばないよう伯父の勧める見合い相手と籍を入れることで完全に関係が切れたということにするつもりではあるが、伯父はとても疑い深い人間なので万が一を考えて会社とは半分縁が切れている兄の錆兎に善逸を保護してくれるよう頼んできたということだ。
炭治郎がまだ自分を気にかけてくれているのはとても嬉しい。
だが籍をいれるということは結婚するということで、自分の元に戻ってくることはもうないのだ…と思うと、ひどく悲しい気持ちになった。
しかしそこで
「あ~…誤解するなよ?あいつは最終的には伯父を追い落として安全を確保したうえでお前を迎えにくるつもりだから」
と、目がうるみかけた時に善逸が何一つ語る前に錆兎が言う。
その言葉の意味を理解できずに
「……え…?」
と、目をぱちくりする善逸。
「だって…炭治郎は結婚するんでしょ?」
籍を入れるということはそういうことのはずだ。
炭治郎は善逸以外の伴侶を得て善逸以外の家族になるということのはずである。
その善逸の言葉を錆兎は否定はしなかった。
ただ、
「伯父を納得させるために名義上な。
ただ伯父の権力を取り上げてお前や炭治郎自身に影響や危害を及ぼさなくなった時点で関係を解消する前提でだ」
と続ける。
「えっと…それは…離婚前提で結婚するってこと…?」
「そうなるな」
「相手にはそれをあらかじめ納得してもらって…?」
「…いや、それだと伯父にバレるだろう」
淡々と当たり前に語る錆兎が理解できない。
炭治郎がそれを納得しているとしたら炭治郎も理解できない。
善逸は自分も幸せになりたかった。
そう、自分”も”であって、決して自分”だけ”幸せなら良いとは思えない。
「それって…相手の女の子が利用されて捨てられてってことじゃ……」
他人を…特に女の子を踏みつけにして自分だけ幸せになるという選択肢は善逸にはなかった。
喉から手が出るほど炭治郎の家族の座は欲しかったが、女の子を不幸のどん底に突き落としてまで自分の幸せだけを追求するなんてとてもできる気がしない。
そのくらいならあの古びた小さなパン屋の2階の部屋であのまま朽ち果てていた方が良かった…と、そんなことを思っていると、錆兎は
「安心しろ。相手は選ぶから」
とポンポンと善逸の頭を軽く叩いた。
「伯父の要望として炭治郎を結婚させるのだから、相手は選ばせろと交渉済みだ。
それで相手の条件として金と結婚できるタイプを探すことにした。
そのあたりは色々伝手があるから」
「えっと…それは…?」
「条件はあまり一人の人間に執着しない、当然処女ではない、物欲が強そうな女」
「…でも炭治郎は大企業の跡取りだから…」
「そのあたりは伯父を丸め込んで、相手の女にはこのことは社長と副社長、そして炭治郎と俺の間でしか知られてない秘密だが、実は最終的には俺が跡取りで炭治郎は普通の社員として働くことになると伝えることになっている。
炭治郎の地位を目当てに近づいてくるようなことがないように、ということで。
というわけで、めでたく別れる時には慰謝料として10億ほど渡してやろうと思っているんだ。
一流企業の社員になる予定の人材ということだけで寄ってくる相手なら、それだけ払えばまあ気持ちよく円満離婚できるだろう」
10億?!!
桁が違い過ぎて善逸には想像もつかない。
でも確か離婚した知人が言っていた。
浮気などの有責側がはっきりしている離婚での慰謝料の相場は300万ほどらしい。
…ということは、相場の30倍以上?!!
「炭治郎って…本当は金持ちだったんだ…。
俺にはいつも金持ちなのは父で自分は別に裕福じゃないとは言ってたけど…」
善逸は普通に善逸の営む小さなパン屋のバイト募集に応募してきて楽しそうに働く炭治郎しか知らない。
彼が大企業の社長の息子だと知ったのは今回の別れの直前だった。
特別なのは親で自分は別に金持ちでもなんでもないと言っていた炭治郎の言葉が遠く感じる。
彼は本来なら自給1100円のパン屋のバイトなんかする必要がない、10億なんて善逸が一生働いても稼げない大金をポンと出せてしまう御曹司だったのだ。
それがどこかショックで呆然としていると、錆兎は
「いや?別に今の炭治郎は金持ちでもなんでもないぞ?
実権握っている伯父が炭治郎が好き勝手しないように現金は握らせないようにしているからな。
10億は俺のポケットマネーから出す予定だ」
と、これもまたとんでもないことを言い出す。
ポケットマネー?10憶がポケットマネー??
と、そこにも突っ込みたいところだが、善逸はそれより気になるあたりに突っ込みを入れた。
「えっと…本来は炭治郎が跡取りなんですよね?」
「ああ、そうだな」
「錆兎さんはお祖父さんからは跡取りとされてきたけど、お父さんの代で跡取りの座から追いやられた形で…」
…と、このあたりの話は炭治郎から聞いていた。
冷静な時ならデリケートすぎる話題で部外者が口に乗せるものではないと思ったのだろうが、この時の善逸は色々が激動すぎてそんな気遣いさえ吹っ飛んでいる。
しかし炭治郎の兄は炭治郎から聞いていた通り大らかな人らしい。
──よく知ってるな。炭治郎が話してたか
と、まるで世間話のような声音で笑って言うと、不快感を見せるでもなく普通に教えてくれた。
「どこまで聞いているのかわからんが、俺と炭治郎は異母兄弟でな。
亡くなった俺の母親は結構な資産家の一人娘で、祖父の代で事業はたたんだんで、色々整理して出来た莫大な資産は全て母の息子である俺が相続している。
さらに母が亡きあと後妻に入った炭治郎の母…というより、その兄が野心家だということを見抜いていたんだろう。
祖父は会社を運営する以外の先祖代々の資産を父の再婚の話が出た直後に俺に全て生前贈与している。
…ということで、正確には炭治郎が金がないわけではなく、父も個人の資産というものがほぼない」
「…えっと…つまり、炭治郎の家で錆兎さんだけが大金持ちってこと?」
「そういうことだ。
ついでに言うと、俺は物心ついた時から祖父が亡くなる9歳まで、帝王学というものを叩き込まれるついでに祖父の人脈というものを受け継ぐべく、あちこちの企業のトップとの付き合いに引きずり回されて育っているんで、今でも水面下でつながっている知人も多い。
だから炭治郎もいざとなれば伯父からお前を守れる相手として俺を指名してきたというわけだ」
ああ、確認するまでもなくそれは事実なんだろうとそんなノーブルな人間たちに縁がない善逸ですらわかってしまった。
この人は本当にすごい大物なんだろう。
炭治郎もできる青年だったが、目の前の彼は次元が違う気がする。
「…じゃあどうして黙って会社を炭治郎に渡したんです?
その気になれば炭治郎の方を追い出すことなんて簡単なんじゃないですか?」
もう相手は何でも答えてくれそうなので、聞ける時に聞きたいことは全部聞いてしまおうと思って口に乗せる善逸の遠慮のかけらもない質問にも、やっぱり錆兎は答えてくれた。
「そりゃあ、弟が可愛いからに決まっているだろう。
俺の母と違って炭治郎の母は普通の家の娘だからな。
父方から何も得られなければ本当に何もない。
会社に関しては金で買おうにも父も炭治郎の伯父も死守するつもりだから、そうなるといったん経営に困るレベルで圧力をかけるしかないし、それで会社の業績が落ちればそれでなくても祖父の意向を無視する形で嫌な言い方をすれば後妻の家が乗っ取った形での失敗の詰め腹を切らされる中に炭治郎も含まれるからな。
古参の重鎮たちは今でも不信を引きずっているし、叩かれる立場になれば会社を追い出されるだけじゃすまなくなる。
で、俺は別に跡取りなんかにならなくとも自由に楽しく生きることは出来るしな。
今まで俺が会社に縛られていたのははっきり言って俺が完全に手を引くとそのあたりの反後妻一族の立場の古参の暴走を抑える人間が居なくなるというだけの理由だ。
だから炭治郎が完全に人心を掌握できるようになった時点で全てから手を引いて可愛い嫁と楽しい余生を送ろうと思っているんだが」
なるほどなるほど、納得だ。
兄は金持ちだし別にどうしても社長になりたければ自分で起業でもなんでも出来てしまうから、実家の跡取りの座に全く執着はないのだろう。
もっとも本人は社長になって時間を取られるよりお嫁様と過ごしたいらしいが…。
「他に聞きたいことは?」
一通り好奇心を満たしたところで黙った善逸に錆兎が確認を取ってくるのに、善逸は首を横に振った。
そこで錆兎から今後の説明がある。
「とりあえずお前は当座俺の家な。
パン屋を続けたければ伯父の追い落としと炭治郎の社長就任が終わってからなら出資して店を出してやっても良いし、今の店が良ければ人を雇って店の手入れだけはさせておくから時期が来たら再開すればいい。
母屋で俺と嫁と同居というのも気を遣うだろう。
炭治郎から話があったのが最近だからまだ出来ていないが、今敷地内に離れを建てさせているからそこに住むといい。
飽くまでパン屋稼業を中断したくないならパンを焼くのに必要なものは用意する。
焼くだけ焼いて、売るのは知人の嫁達が理由があってうちに滞在しているから、店舗を借りて彼女達に販売を任せる形なら援助するぞ」
…なんだか至れり尽くせりすぎて、普通なら詐欺?!と思う所だが、相手は炭治郎の実兄だし、それよりなにより自分のように金持ちでもなく身寄りもない天涯孤独の冴えない男を騙したっていいことなんてなにもないだろう。
炭治郎の兄、錆兎に言わせると、先にも言った通り強引に踏みつぶすわけにも行かない状況なので色々手を回しておそらく2,3年ほどはかかると思うが待っていてやって欲しい。
炭治郎はそれでなくとも家庭に恵まれない子どもだったので本当に好いた相手と幸せな家庭を築かせてやりたいのだ、と、これだけ色々世話を焼いてもらうことになる相手の方に頭を下げられて、善逸が否という理由など何もない。
そういうことで善逸は高級車に乗せられて、どこともわからない炭治郎の兄の家にドナドナされて行ったのであった。
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善逸、よかったね。
返信削除ハピエン主義なのでメインのsbgだけじゃなく他のCPも幸せに✨
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