──あのな、俺、パン屋になりたいんだっ!
いきなりかまされたその言葉に、錆兎は思わず、はあぁ???と返してしまった。
パン屋?何故パン屋??
その発想はどこから来たのだろう?と思っていると、炭治郎は続いて
──実は…好きな相手がパン屋をやっていて…俺も手伝ってみたらすごく楽しくて
と、言うので、なるほど、と思った。
好きな相手と目新しいことをやればそれだけで楽しいだろう。
普通ならそれをそのまま職業にするのもまあ個人の人生だと言えなくもないのだが、炭治郎の場合は身元が悪すぎる。
「…俺個人としては楽しくて何よりだと思うし応援してやりたくはあるし、なんなら資金提供くらいはしてやりたいところだが…お前も気づいてるよな?
お前がパン屋として生きていくのはかなり困難だってこと…」
ああ、前向きに楽しく将来を考えている炭治郎の気持ちに水を差したくはない。
本当に水を差したくはないのだが、おそらくこれが副社長の耳に入ればただではすまないだろう。
──うん…おそらく止められるだろうな…
とトーンの落ちる炭治郎に、錆兎はため息をついた。
「…止められるくらいならいいけどな…。
お前が飽くまで社長にならずにパン屋になると言ったなら、諦めさせるために店を潰すことくらいはするぞ、副社長は…」
なにしろ炭治郎を社長の座につけたいがゆえに万が一を考えて錆兎に子を持たせないように子を産めない相手との見合い話を強要する男である。
どのくらいの規模の店かはわからないが個人商店レベルのパン屋を潰すことくらい当たり前にやるだろう。
──…やっぱり…そうだろうか…。もうそんなに会社が欲しいなら伯父さんに社長の座を譲ってもいいくらいなんだが…
と、電話の向こうで炭治郎が肩を落としているのがなんとなくわかる。
社長の座から追われる錆兎よりも、社長の座に縛り付けられる炭治郎の方が実は大変だと錆兎は常々思っていた。
炭治郎本人が望んだわけでもないのに、正当な後継者を押しのけて後継者になった簒奪者のレッテルを貼られ、出来て当たり前で出来なければやはり正当な後継者ではないから…と陰口をたたかれることになる。
それでも根が真面目な炭治郎は継ぐしか道がないのならとコツコツ努力を積み重ねてきたのを錆兎は知っていた。
だからこそ、錆兎もこれまで会社が順調に業績を伸ばせるようにできうる限りの協力をしてきたのである。
そうやって周りに叩かれながらなりたくもない社長になるための勉強をし続けてきた炭治郎が初めて自分で望んだことを叶えてやりたい気はするのだが、炭治郎が会社を継がないという選択の後押しを錆兎がしたならば、確実に余計に揉めることになるだろう。
そうしてしばらく考えて錆兎の出した結論は…
「なあ、炭治郎。
パン屋は専業にしないと嫌か?
パン屋をやっている好きな相手と両想いなんだったら、いっそのこと籍をいれて夫婦になって、お前は社長業をやりながら、時間のある時は自身の仕事じゃなく家族として嫁の店を手伝うという形にするんじゃだめか?」
まあ…副社長的には炭治郎には良家の令嬢を嫁に迎えたいところだろうが、炭治郎が社長業を継ぐことを条件にすれば、継がないと家出をされるよりはと諦めてくれるだろう。
互いの妥協点という意味ではこのあたりが最良に近いのではないだろうか…と錆兎は思ったわけなのだが、それに対しての炭治郎の言葉で錆兎も頭を抱えることになる。
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