思えば義勇の人生は諦めに満ちていた。
生まれ落ちたその日に実母が死んだらしい。
それは仕方ない。
そこまでは仕方がないことだ。
そこもまあ仕方ない。
母が死んで引き取り手がない赤ん坊の義勇は実父の家に…つまり父親の正妻のいる本家に引き取られた。
実父は元々あまり義勇に興味を持つことはなく、正妻と正妻から生まれた腹違いの兄達は義勇を目にいれないように努めた。
それも仕方のないことだ。
義勇のせいではないとは言っても、正妻にしたら義勇は不義の子なわけだから。
それでも使用人がいて面倒をみてくれたため、義勇は普通に育っていった。
家の人間の視線が冷たいのも、慈しまれることがないのも、生まれた時からそうだったから、それほど異質なものには感じなかった。
それが義勇の中では当たり前の日常だったから。
まあだからそこまでは一般的には不遇だったとしても、義勇的には全て仕方がないと諦めのつくことだったのだ。
そんな不遇な人生の中で超えられないレベルの不遇が義勇を襲ったのは5年前。11歳のときだった。
きっかけ自体はそうたいしたことではない。
兄のちょっとした嫌がらせだった。
正確に言うと年齢が一番近い2歳年上の3男がやった軽い悪ふざけである。
その日は2ヶ月ほど出張で海外に行っていた実父が帰宅する日。
普段は義勇だけは部屋で別に食事を用意されていたが、そんな日なので久々に家族全員揃って食事をすることになっていた。
正装とまでは行かないがきちんとした服装でということだったので、きちんとシャワーを浴びて着替えようとしたら、用意したはずの着替えがない。
バスタオルを巻いて浴室から出ると、にやにやと笑う末の兄。
「なんだかな、お前にちょうど良さげな服をみつけたんだ。これ着ておいでよ」
と、投げてこられたのは白いワンピース。
「兄さん、今日はさすがに悪ふざけは…!」
と、焦って言う義勇だったが、
「おい、お前達も手伝えっ!」
と、正妻のお坊ちゃまに命じられて、使用人まで一緒になって義勇にワンピースを着させる手伝いを始める始末だ。
3男と大の大人3人に強要されて最後にウィッグまでつけられて、いい加減義勇に泣きが入った頃、騒ぎを聞きつけた上の兄2人がまず部屋に駆け込んできた。
そして固まる2人。
まず我に返ったのは真ん中の兄で、
「すっげっ!本気で妹?!
これマジだったらちったぁ楽しかったんじゃね?!」
と、ふははっと楽しげに吹き出した。
女装は恥ずかしかったものの、思いがけず兄から好意的な視線を向けられて、義勇は驚くとともに、少し心が温かくなった。
本当に…自分がもし女で彼らにとって”妹”だったら、もしかして他の兄弟と同じように親しく接してもらえたのだろうか…と、残念に思ったくらいである。
嫌がられない、嫌悪感を抱かれないならスカートくらいは良いかも知れない…と、そんなふうに思った直後……
「なにをしてやがんだっ!!ふざけんなっ!着替えさせろっ!!早くっ!!!」
と、それは驚くほどに、まるで何か爆発でもしたかのように、長兄が怒鳴った。
何かに追われるように、他が動くのを待てずにと言った様子で彼は義勇の方へと駆け寄ってくる。
チクチクと意地悪をする末の兄、感情的に怒鳴る真ん中の兄と違って、義勇より15歳も上の長兄は、良くも悪くも義勇に構わなかった。
好きの反対は嫌いではなく無関心とよく言うから、本当は彼が一番義勇の事を嫌っているのでは…と思わないでもなかったが、義勇にしてみれば嫌がらせをしてくるくらいなら無視してくれたほうがずっといい。
だから長兄は好きとまではいかないまでも、他の兄達よりは好ましい存在だったのだが、その感情的にならないはずの長兄がものすごい勢いで怒鳴りながら近づいてくる。
それはかなり恐ろしいことだった。
その長兄の大声も追加されて廊下に騒ぎが響き渡ったのだろう。
──お父様が2ヶ月ぶりにお帰りになったのに、お前達はほんとうになにを騒いで……
と、声が聞こえてくる。
言うまでもなく父の正妻、兄達の母親の声だ。
それに長兄は青ざめて、声のトーンは落としつつも弟たちや使用人を威圧するような低い声で
──良いからそいつを隠せっ!!
と、命じる。
が、遅かったようで、帰宅した父を玄関で出迎えたらしい正妻と出迎えられた父親が部屋のドアを覗き込んだ。
そして…場が凍る。
息を飲む長兄。
空気が緊迫したのはわかるものの、理由がわからずクビをかしげる2番めと3番目の兄たち。
全員が固まるなか、最初に動いたのは正妻だった。
まるで正気でも失ったかのようにかなきり声をあげて、義勇に向かって殴りかかってくる。
なにを言っているかは、ものすごいキンキンとした早口でよく聞き取れなかった。
しかしそこで驚いたことには、今まで義勇のことなど全く関心も持たなかった父親が、いまにも義勇に当たりそうな正妻が振り上げた手を払い除け、彼女を思い切り突き飛ばしたのだ。
え?ええ???
なにが起こっているのかわからない。
だが正妻を突き飛ばした勢いのまま、父親は義勇をぎゅうぎゅうだきしめる。
こちらも何かうわごとのようにつぶやいていて、窒息しそうな中でなんとか聞き取れたのは、
──蔦子…蔦子…私の蔦子……
と言う、おそらく義勇の母親を呼ぶ声だった。
いつも夢を見ていた。
温かい家庭。愛情を傾けてだきしめてくれる親。
だが、今実際に義勇の母親の名を呼びながらだきしめてくる父親は、正直なんだか気持ち悪かった。
そうしている間にも、突き飛ばされた正妻がまたヒステリックな声をあげて飛びかかってきそうになるのを、長兄が押さえて、使用人達に手伝うように命じている。
そんななかで義勇と長兄以外の2人の兄たちは本当になにが起こっているのか理解できないまま呆然とするしかない。
とにかく父の腕から抜け出したくてもがいてみるが、まだ子どもの義勇の力では大人の男である父を振り払うことはできない。
怖くて気持ち悪くて半泣きになりながらもがく義勇を結果的に救ってくれたのは、やっぱり長兄だった。
まるで正気とは思えない目で、ひどく興奮した様子で義勇をかかえこむ父親の手から、半ば強引に義勇を引き剥がし、
──きさまああぁ~~!!!私の蔦子を返せえぇぇえ~~~!!!!
と、こちらも正妻に負けず劣らぬほどには尋常ではない様子の父親が飛びかかってくるのを避けながら、
「親父、こいつは義勇だっ!
あんたの女じゃねえっ!その息子だっ!!」
と、義勇のかぶっていたウィッグを取り去った。
それに驚いたように一瞬止まる父親。
だが、すぐまた、返せと飛びかかってくる。
それでこれはダメだと思ったのだろう。
長兄に殴りかかる父親を使用人が止めている間に、義勇の腕をつかんで、弟ふたりにも
「お前らも来いっ!!」
と、声をかけ、駐車場へと駆け込むと、義勇を含む弟3人を乗せて車を発進させた。
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