「まずいっ!!嫁が可愛すぎて辛いんだがっ!!!」
翌日の昼休み。
自分が勤務する本社ビルの斜向かいの他社ビルの社長室で錆兎はご立派なローテーブルに突っ伏して叫ぶ。
そのうち1人はこの宇髄財閥の本社の社長、宇髄天元だ。
錆兎は高校に1年スキップして入学。その後、大学で1年スキップして計2年スキップしているのだが、宇髄は高校から一緒の、同学年だが1年年上となる友人だ。
馬鹿な事は一緒にやりながら、勉強ではライバルで互いに切磋琢磨してきた。
そうして高校は一緒に卒業、当然大学の入学も一緒だが、卒業は錆兎が一足先に。
そんなこんなで、もう8年ごしの付き合いになる。
宇髄は錆兎と同様に大財閥の跡取りだったが、こちらは1人息子だったこともあり、2年の修行期間を経て昨年無事社長職に就任。
不死川実弥は祖父が同じく財閥総帥だが、こちらは母親の弟である長男の子、つまり実弥の従兄弟が跡を継ぐ予定だ。
基本的には男系の直系が継ぐということになっている不死川財閥の総帥の座。
しかしこちらも現総帥に一番よく似ていて能力があると言われる実弥に継がせたほうが良いと言い出す社員も少なくはなかったという。
その本来の跡取りである長男の長子は色々に不器用な少年だったのだが、実弥はその従兄弟を幼い頃から非常に可愛がっていて、その従兄弟の負担にならないようにと、自ら望んで宇髄のコネで宇髄財閥の本社に入社し、宇髄の下で働いている。
ということで、親友2人が勤める宇髄財閥の本社ビルがすぐ側だったこともあり、2人が錆兎から1年遅れて社会人になってからは昼食はいつも3人一緒。
宇髄が社長になってからは、本社の社長室がランチルームと化していた。
そんな親友達は今回の錆兎の縁談についても当然知っていて、かなり心配もしてくれていた。
──もういっそのこと錆兎もうちに来いよ。3人で世界一目指そうぜ?
と、宇髄からは今回の話が出るずっと前からスカウトされていたし、実弥にだって
──もういいんじゃね?おれだってこっち来てからは本当に平和やだぜ?錆兎も来いよ。
と、何度も誘われていた。
が、同じなようでいて、錆兎と実弥は違う。
実弥の場合は元々彼が跡取りだったわけではない。
特に嫌がらせがあったわけでもなく、従兄弟のためにと実弥自身が望んで他の会社で働く事自体はおかしなことではないのだ。
しかし錆兎の場合は本来の跡取りは錆兎の方だ。
それが亡くなった前総帥の遺志を正当な理由もなく覆して、優秀な人材である本来の跡取りを追い出すようにして他社に取られたとなれば、自身がそれを望んだり画策したわけでもないのに弟に批難が集中するし、弟は自社内からも取引先からも信用を失うだろう。
事なかれの社長である父親と嫌がらせの限りを尽くしてくれた義理の伯父である副社長に関しては自業自得だな、というところだが、可愛い弟にそんな被害は負わせられない。
なのでそれについてはそう言ってまいどまいど断り続けていた。
ということで、今回の婚姻の話が出た時も、本当に耐えられなくなったらいつでも受け入れるから転職してこいと言って心配してくれていたわけだが、真顔で社長室に入ってソファに落ち着くなり、こぼれ出た第一声がこれである。
さすがに親友2人、ぽか~んと口をあけて呆けた。
「はあ??お前、相手男だって言ってなかったかァ?」
「錆兎、異性愛者だったよな?」
実弥と宇髄がそれぞれ言うのに、
「これ…こっそり撮った寝顔な…」
と、突っ伏したままスマホを見せる。
「「うっわあああ~~~!!!!」」
それを覗き込んで、今度は2人が絶叫。
「なんなんだァっ?!!こいつなんなんだっ?!!」
「えっ?!ちょっ、結婚出来る年…だよな??!!!」
詰め寄る2人に錆兎はむくりと顔をあげた。
「16歳な。俺も初日に帰宅した時、リビングで寝ている義勇を見て、副社長の馬鹿野郎が俺を犯罪者にするため、どこぞの小中学校から適当な子ども誘拐してうちに置き去りにしたのかと思った」
と言うと、
「そうだよなっ」
「まあ、そうなるよなぁ」
と、2人して頷く。
そしてまたスマホの待ち受けになっている写真を凝視。
そこにはクマのぬいぐるみをしっかりだきしめて愛らしい少年が眠っていた。
直前に錆兎が丁寧に丁寧に乾かした漆黒の髪がふわふわと舞い、人形のようにくるんときれいなカーブを描く同色のまつげは驚くほど長い。
真っ白な肌、淡いピンク色の頬。
そしてかすかに開いた小さく可愛らしい唇。
本当に頭上に光る輪っかがあっても驚かないレベルの、天使のように愛らしい少年だ。
「確かに…派手に可愛い顔してんなぁ。お前が要らなかったら俺が欲しいくらいだぜ」
「やらん!」
「こんな子を出してくるって事は、相手にとってお前と結婚させることがすごい利になるってことだよな?
…どういう身元のお坊ちゃんだよ?
単純に大財閥の縁続きになりたいってだけなら良いんが……」
と、宇髄はさすがに経営者だけあって、そちらが気になるらしい。
「あ~…確か冨岡製薬の4男坊だが…」
錆兎もそこで初めて宇髄と同じことを考え始めた。
冨岡製薬は中規模の製薬会社のはずだ。
鱗滝財閥と縁続きになることで、副社長が水面下で融資の約束くらいはしているかもしれないし、それはそれでメリットになるだろう。
だからそれだけの理由という可能性も高い。
そんなふうに思っていると、宇髄は考え込むように顎に片手をあてて、なるほど、とつぶやいた。
「あ~…あそこか。それなら…厄介払いなのかもな」
と、続く言葉に、錆兎が視線をやると、宇髄は
「お前んとことは逆。
上の3人は政略結婚で結婚した正妻との間に生まれた子で、一番下だけは社長が作った愛人の子なんだよ。
愛人自身は子ども産んですぐなくなって、子どもは本家に引き取られたらしいが、まあ正妻からしたら楽しくはないよな。
だから多分実家から追い出したいのかなと」
と、苦笑した。
その言葉で錆兎も納得する。
確かにお育ちが良さそうなのに、どこか自己評価が低そうで遠慮がちに見えたのは、そういう環境で育ったせいなのだろう。
それがわかるとなおさらに愛情を持って育ててやらなければ…と、思う。
「ま、実家の方が要らねえって言うなら、錆兎も気に入ったらしいし、ありがたくもらっておいたらいいんじゃねェ?」
と、どこか深刻になる親友2人に、飽くまであっけらかんとしたふうにそう宣言する実弥。
まあ、確かにそうだ。
自分のように下手に実家に粘着されるより、実家の方から顔も見たくないと突き放された方が、気遣いなくまるごとかかえこめていいだろう。
「ま、そうだよな」
「だろォ?
ま、お前が嫌なら俺んとこで面倒みてやってもいいけどなァ」
「やらん!」
と、そんなふうにじゃれ合う2人を眺めて、
「随分と気に入ったもんだなぁ」
と宇髄は安堵の笑みを浮かべる。
なんのかんの言って宇髄は自分だけがなんの問題もなく恵まれているのは自覚しているし、実弥を自社に引き込んだ時点で、まだ渦中の錆兎の事はいつも心配をしていたので、意外に良い方向へ進んでいるらしいことを心の底から喜んでいた。
これで猜疑心の塊らしい錆兎のところの副社長もこれ以上錆兎に無理難題を言ってくる事もないだろうし、みんなにとって平和が訪れるだろう。
このシニカルに見えて実は気のいい男のそんな予測はじきに覆されてしまうのだが、この時はまだ、確かに平和に満ちていたのである。
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