「怖い…な」
伊豆から東京へ向かう車中。なずなは床で膝を抱えてつぶやいた。
「すごく…何かに呼ばれてる気がする」
なずなのつぶやきに少しゾッとしてひのきは震えるなずなの肩を抱き寄せた。
ツクシやツツジの腕を信用してないわけではない。
それでも日本に来て二度も失いかけた事を思い出すと、ひのきも不安になる。
ましてやこれまで3ヶ月ほどの任務で一度として弱音を吐いた事の無かったなずながいきなり恐怖を訴えてきたのだ、気にならない訳がない。
「今からでも…なずなだけ伊豆に戻るか?戻るならツクシに送らせるが」
思わず言うひのきの言葉になずなは首を横に振った。
なずなの頬を涙が伝う。
「だめなの…だって、呼ばれてるんだもの」
どこか遠くをみるようななずなの瞳にひのきは心底恐怖を覚えた。
「だめだっ!戻るぞ!」
言って立ち上がりかけるひのきの腕になずなはしがみついて、青くなったひのきの顔を見上げた。
「ごめん。でも行かせて?お願いだから。…一生のお願い」
静かに…それでも真剣な顔で言うなずなに、ひのきは額に手をあてクソッ!と小さくつぶやくと、また座り直す。
「マジで…絶対に絶対に俺の半径1m以内から離れんなよっ」
ひのきは言って、震える手でなずなの細い身体を抱きしめた。
「じゃ、計画通りに」
本当に一見普通のビルだった。
港側の地下通路出口を張っている河骨の半数以外は、ビルから少し離れた空き地に勢揃いしている。
つくしが鉄線一族にそう言うと、杉も
「打ち合わせ通りに配置につけっ」
と配下に命じる。
「では基本は全員固まって突入という事でいいですね?」
つくしが確認するとひのきはビルに目をむけたまま小さくうなづいた。
「コーレア、鉄線、ホップ、ルビナス、なずな、俺の順でつくしとツツジでなずなの左右固めろ」
「了解」
全員了承すると、なずなが加護系の能力を全員に一通り使い
「じゃ、行くぞっ!」
とコーレアがまず先陣を切ってビルの入り口に飛び込んだ。
ビル内を警報が鳴り響き、四方を魔導生物が囲むがそれをコーレアが大剣、ホップが機関銃、ひのきが日本刀でそれぞれ一掃する。
その間に壁から金属のロープのようなものが伸びてくるが、これは魔導強化されている物ではないらしく、どこからか現れた鉄線一族が切り落として、また消えて行った。
「鉄線一族って…忍者みたいよね…」
感心したルビナスのつぶやきに、
「元々一族自体が少人数での奇襲に優れた事でも有名な武将の血筋だからな」
と、ツクシが苦無を片手に警戒を緩めずに答えた。
そのまま罠や敵をなぎ払いながら進むが、ワッと敵に囲まれて注意が周囲に行った瞬間に、不意になずなの下の床が消えた。
「きゃっ!!」
小さな声をあげて落ちかけるなずなの手を咄嗟につかんだツツジも落ちる。
「「なずな(様)っ!」」
ツクシとひのきが迷わずその後を追って飛び降りて、他がそれに続こうとすると、床はピシっと閉まった。
「分断されたな…」
後ろを振り返って舌打ちをするコーレア。
「どうする?」
と少し焦るルビナスに、
「まあ…バランスよく分かれたからまだ良かったな。
向こうはタカとツクシがいれば大丈夫だろうし、こちらはこちらで回ろう。
一応ホップは最後尾に回って後ろを警戒してくれ」
と、落ち着いて答えて指示を送るコーレアにうなづいてホップはルビナスと立ち位置をチェンジした。
「なんかさ…敵の数減った?」
ルビナスを護衛しながらユリが前を行くコーレアに声をかける。
「ああ…。そのかわりなんというか…精度が上がった気はするな」
「うん。さっきまでは数は多いけどなんつーか…前後を囲むコーレアとひのき以外には攻撃こない感じだったもんな。
囲まれてる中間に攻撃いかないように範囲抑えてるっつーか…。嫌な感じしないか?」
「嫌な感じ?」
「ああ。今言ってもしかたねえんだけどさ、生け捕り狙ってたのかなぁと…」
「…なずな君…か?」
「うん」
「じゃあ例のタカの元婚約者とかか?」
「んにゃ、一位だったら逆だろ。
ひのきに殺す気で攻撃しかけたりしねえし、逆になずなの事は殺す気で来る」
会話だけきくとノンビリしてそうな感じだが、こう話している間も飛び交う敵の攻撃をかわしつつ、敵に攻撃を続けている。
「一位じゃないとすれば、一体どうして?」
コーレアの問いにユリは
「知るかよっ!」
と、三節棍をブンっとふるう。
「たださ、気になるだけっ。
極東の一件から何かひっかからないか?
ジャスティスって事なら現時点で11人いるのになんでなずななんだ?」
「うん…もしかしたら全然関係ないかもしれないけど、私も少しひっかかってる事があるのよね…」
ビデオカメラを回しながら今度はルビナスが口を開いた。
「なんだ?」
「なずなちゃんて唯一の治癒能力者じゃない。
でね、ちょっと思ったのよ。
攻撃特化は身体能力が、盾タイプは身体の丈夫さが、遠隔タイプは感知能力がそれぞれ一般人より優れるんだけど、治癒タイプって何がそれに当たるのか判明してないのよね」
「…だから?聞くくらいならとにかく俺達は戦闘中だからな。
あまり深淵な事を言われても考えられんから判りやすく言ってくれ」
コーレアの言葉にルビナスは、ひのき君にも以前同じような事言われたわね、と、小さく吹き出した。
「つまり…その隠し能力を敵さんは知っててそれを狙ってるって言いたいのか」
ユリが言うと、ルビナスはうなづいた。
「さすがユリ。察しがいいわね」
「…仮にそうだとしてもそれが何かわからんとどうしようもないんだけどな」
褒められてもあまり嬉しくなさそうにユリは肩をすくめる。
「ま、ここがメインの研究所みたいな所だとしたら資料も色々あるだろうし、頑張って情報集めるさ」
後ろの敵に向かって機関銃を撃ちながらホップがなだめるように言った。
「ユリ様っ!」
スタっと唐突に人が振って来た。
「ああ、金雀枝(えにしだ)、どうした?」
旧知の仲らしく突然現れてもユリは驚きもせず当たり前のように応じる。
「はいっ。我々が探索したところによりますと、1階は会議室等でほぼめぼしい物はなく、2階は様々な種子や魔導生物のホルマリン漬けなどのサンプル、3階は資料室のようです」
「ん~、ここでは製造はしてないってことか?」
ユリの質問に金雀枝は首を横に振った。
「いえ、おそらく製造は地下で。ただ地下に下る入り口が閉ざされていて、通常の武器や火薬では破壊できません。火薬量を増やせば良いのかもしれませんが、あまり増やすと建物自体が崩壊するおそれがありますので…」
「だな」
ユリはうなづいたあと、で、どうする?とルビナスを振り返った。
「資料やサンプルは持ち出せるのかしら?」
と、金雀枝に視線をおくると、
「いえ…なにぶん膨大な量ですので、今全てを持ち出すのは難しいかと」
と、金雀枝は答える。
「後で…とか言ってると処分されそうだしな。
とりあえず地下はお館様と馬鹿ツクシがいればなんとかするだろうし、3階の資料は鉄線で可能な限りカメラに写し取るって事で、私らはまったり2階で化け物撮影って事でどうよ?」
ユリの提案にルビナスは
「ゾッとしないわね…」
とは漏らしたものの、
「それでも…それが一番効率的ね」
と最終的に了承した。
「んじゃ、そういう事で金雀枝、暇な鉄線はみんな3階で資料写せって言っといて。
ああ、あと杉にも余裕あったら河骨も回してくれるように頼んでおいて」
それを受けて指示するユリに金雀枝は
「河骨に…ですかぁ…」
と思い切り嫌そうな顔をする。
「ま、頑張れっ。ごねるようだったらお館様の名前出しとけ。私が責任持つからさっ」
「了解しました、ではっ!」
気軽に請け負うユリに頭を軽く下げると、金雀枝は消えて行った。
「というわけで…めぼしいものないのわかったし、階段までの道々の敵、本気でなぎ払うってことで良いかね?」
「ああ、そうだな。
俺が最後尾に回るから鉄線前にきてホップがその後ろから機関銃で一掃してくれ」
「「了解っ」」
4人はまたそれぞれ立ち位置を変えると、一気に階段まで進んだ。
階段に上がると全面からの敵はほぼなくなる。
コーレアが後方の敵を排除しながら一行はゆっくりと足を進めた。
「ホップ、2階に敵はいそうか?」
「いや…視覚、聴覚で感知できる範囲ではいない。だよな?」
ホップは感知能力を働かせて答えると、念のため、と、ユリにふる。
ふられてユリも同じく神経を研ぎすませるが、同じ答えだ。
「じゃあ俺は階段で敵を抑えておく。
上で暴れられてサンプル破損されてもやっかいだからな」
コーレアは階段途中で立ち止まって、行け、というように3人をうながす。
「了解っ。んじゃな」
軽く手を振ってユリが先に進むと、残り二人もそれに続いた。
階段をのぼりきると、そこはいかにも実験室という感じのビーカーやら水槽やらの並ぶ広いフロアだった。
ホルマリンの水槽に漬けられた物の中にはサルの身体に蛇の頭、など、複数の生物を一つにしたような、いわゆるキメラも混じっている。
まず、部屋に足を踏み入れた瞬間に、ルビナスがウッと口を押さえた。
「ああ、吐くんなら端っこの邪魔にならないところでな。踏むの嫌だし滑るし」
平然と言い放つユリに、あわてて端に向かうルビナス。
「タマは…平気なん?」
さすがに気味悪そうな顔で言うホップに、ユリは不思議そうな顔を向ける。
「お前はダメ?単に…首から下が猿、上が蛇ってだけだろ?
内蔵飛び出てる訳でも生焼け状態なわけでもあるまいし」
ユリの言葉にホップも青くなって口を押さえると、端っこへかけだした。
ジャスティスを何年もやってきて何を今更…とユリは肩をすくめた。
本部にきてからはほぼ全面に出たりとかはしてないし味方の犠牲者を目にする事もないが、極東にいた頃は敵にやられたフリーダムの無惨な状態の遺体を見るのなど日常茶飯事だった。
それに比べれば本来の胴と頭の組み合わせが違うくらいどうということはない気がする。
「あのさ…カメラむけるたびそれじゃあいくら時間あっても足りないだろうし、私がざっと撮ろうか?前後左右くらい撮っとけばいいんだろ?」
端っこで吐いているルビナスの肩をトントンと叩いて聞くと、ルビナスは黙ってビデオをユリに渡した。
「んじゃ、そういう事でさ、ここは私一人で充分だからポチと上行って資料を写し取る作業手伝って来なよ」
ユリが階段を指差すと、ルビナスは涙目でコクコクうなづいて、ホップを伴って3階へと走り出した。
二人を見送って水槽の中をビデオに収め始めるユリ。
「これ…どうなってんのかな…外科手術?」
まじまじとキメラを凝視しつつ、猿部分と蛇部分の境目をズームしていく。
このエリアのサンプル動物全般について言える事だが、どれも成体ではなく幼年の物らしい。
「とすると…成長過程で二つの生物間の間の成長速度にズレが生じるよな」
そのあたりを専門家に問いただしてみたい気がするが、あいにくその問いに答えられそうな人物は本部の研究室にこもっているはずだ。
「一体くらい…ガメてもかまわんよな」
一通り水槽を写し終わるとユリは掌大くらいのねずみとトカゲのキメラの水槽を手に取った。
一方地下へと落下した4人の方は…。
ボスン!と下に張ってあった網に絡み撮られそうになるなずなを、ツツジが引き寄せて身体をねじると網が張ってある範囲外に着地する。
さらにそれに続く様に着地するひのきとツクシを見て、網を張っていた科学者らしい面々はあわてて逃げようと網を放り出してかけだした。
「ツクシ!ツツジ!」
ひのきの号令で二人が跳躍して、それぞれ二人ずつ細い縄で捕らえる。
「さて、まずはわざわざ網まで張って待っていた理由を吐いてもらおうか」
つくしの言葉に4人は顔を見合わせる。
そして一斉に血を吐いて絶命した。
「チッ!奥歯に毒でも仕込んでたかっ!」
ツクシが遺体を放り出して舌打ちする。
「しかたない。とりあえず探索するぞ」
ひのきはなずなの肩を抱き寄せると、ツクシに合図を送り、ツクシが先頭に立って歩き始めた。
一階の喧噪が嘘のように、地下は静まり返っている。
上よりは幅の広い長い廊下には赤い絨毯が敷かれ、左右に並ぶ柱には綺麗な細工が施してある。
「美術館か…寺院みたいね」
敵の一匹もでてこない廊下を歩きながらなずなは辺りを見回す。
「静かすぎて気味悪いな」
ひのきも辺りを警戒しながら言うが、敵どころか人影もなければ罠らしき物も無い。
シンと静まり返って何の気配も感じられない長い廊下の左右は壁で分かれ、道もドアもなく、まっすぐ進んだ遥か先にのみ大きく立派なドアが見えた。
「この先で…呼んでる」
スゥっと進みだしてドアに向かって手を伸ばしかけるなずなを、ひのきはあわてて引き寄せた。
そして離れない様にその腕を強くつかむ。
「ツツジ、開けろ」
ツクシはそう命じて自分は苦無を構えてなずなの前に立ちはだかった。
「開けます」
静かな声で言い放ちドアに手をかけるツツジ。
礼拝堂のようだ。
室内は四方の壁にかかるランプの灯りのみで灯されているため暗い。
入り口からまっすぐ奥に道が伸び、その左右には目深まで赤いフードをかぶって顔を隠した信者らしき者達で埋まっていた。
道をまっすぐ進んだ奥には祭壇があり、その左右には大きめのたいまつがユラユラ祭壇を照らしている。
その祭壇のさらに奥には信者達とは様相が異なる男が一人。
教祖か司祭といったところだろうか。
黒い長衣を着ていて、その長衣の胸元には赤い三日月をかたどった刺繍が浮かぶ。
その男のさらに後ろにはレースのカーテンに囲まれた水槽のような物があり、その水槽から数本突き出たチューブのような物から丸い塊のような物が出てくるのを受け止めて、それを尊大な仕草でうやうやしく膝まづく信者に授けている。
ドアが開いて外から入ってくる人影を認めると、男は
「お連れしたかっ」
とはずんだ声で両手を広げて入り口に向かって歩いて来た。
周りの信者からもオオ~っという歓声があがる。
しかし部屋を半分ほど行ったところで、男はピタリと歩みを止めた。
笑顔が消え、代わりに厳しい顔がうかぶ。
「お前達は…ブルースターの手の者かっ!」
その言葉に信者の歓声も消え、代わりにざわめきと殺気が部屋を充満する。
「気付くのおせえ…」
ツクシが横を向いてクスっと皮肉っぽく笑い、ツツジは
「この者達は普通の人間…ですよね?なら私も参戦できますのでどついておきますか?」
と後ろの指示をあおいだ。
ひのきはそれには答えずアームスである日本刀の柄に軽く指を添え
「発動、羅刹っ!」
と、いきなり羅刹モードを発動させる。
それを見てなずながあわてて体力回復の水の加護をひのきにかけた後に、エンゼルボイスを発動させた。
「ツクシはあの中ボスっぽいやつを生け捕れ。
俺は信者一掃するからツツジはなずなの護衛に徹しろ」
「「了解」」
応えてツツジはなずなの前に出るひのきの代わりになずなの後ろに回り込み、ツクシは司祭に向かって跳躍する。
その瞬間信者がドアに向かって殺到した。
「飛鳥改っ!」
ひのきがあわてず両手を交差した後、一気に腕を開く。
刃先から現れた鳳凰が一気に信者を焼き払い、またアームスに帰っていく。
ツクシも司祭の拉致に成功したようだ。
入り口のあたりで司祭を羽交い締めにして立っている。
「は、放せっ!無礼者!!」
この期に及んでも尊大な態度を崩さず暴れる司祭の腹にツクシが軽く拳をくれると、司祭はうめいてその場にうずくまった。
「無礼者は貴様だっ!お館様の前で…」
と冷ややかに言い放つ。
ひのきは羅刹モードを解除して、うずくまる司祭の前にしゃがみこんでその顔を覗き込んだ。
「で?誰をなんのためにお連れしたって?ここは化け物製造所じゃねえのか?」
「な…なんと不遜な事を。
ここは女神様が聖なる生命を授けて下さる神聖な場だっ。
貴様らのような下衆が土足で入り込んで良い場所ではないっ!」
「こいつ…尋問続けられる程度に半殺しにしていいです?」
司祭の言葉にツクシの目がスゥっと鋭くなる。
「ツクシさん、暴力は駄目ですっ」
なずながあわててツクシの側によると、司祭がおお~!と声をあげてなずなに向かって手を伸ばし、驚いたなずなが小さな悲鳴をあげた。
「触れるなっ!」
ひのきが日本刀の柄でその手をガン!と床に叩き付け、司祭は痛みにうめき声をもらす。
ひのきの視線まで殺気を帯び、なずなは戸惑いながらもツツジに助けを求める様な視線を送った。
「お連れしたかったのは…なずな様、という事ですね?
まあこれまでの一連の行動見てるとそれ以外ないわけですが…理由はなんです?」
ツクシになずなを任せると、今度はツツジが司祭を見下ろして口を開く。
司祭はなずなとツツジの顔を交互に見比べると、がっくりとうなだれて言った。
「レッドムーンは…女神様がこの世の不浄である人間を罰するために作られた聖なる組織だ。そして発祥から300年間、女神様はその聖なる力でそれを為せる力を我々のために生み出して下さっている。
しかしここ数年そのお力が弱まってきているのだ。
だから我々は新しい女神様を戴かなくてはならない」
「その女神様って…擬宝珠さん…です?」
なずなの身体に震えが走る。
ツクシの背中から顔をだし、大きく目を見開いて司祭を見つめるなずなの言葉に、司祭は感嘆の雄叫びをあげ
「おお~!やはりあなた様こそ女神様の魂を引き継ぐお方!」
となずなの方へ手を伸ばしかけ、また刀の柄で床に叩き付けられる。
「んで?その女神様とやらはどこに?」
ツクシの問いに司祭は黙り込んだ。しばし続く沈黙。
「300年って…」
軽い目眩を覚えてなずなは片手を眉間にやる。
耳鳴りがして、一瞬目の前が暗くなったかと思うと、次に光が戻った時にはつい先日まで一緒だった顔が目の前で懐かしげに微笑んでいた。
「擬宝珠さん…」
「すごく…すごくお久しぶりです、なずなさん」
300年の時間を飛び越えて来た自分にはつい最近だが、擬宝珠にとっては300年ぶりということらしい。
なずなは胸が締め付けられる思いで言葉を失った。
「きっといつか来て下さると信じていました」
擬宝珠の言葉に少しなずなはホッとする。
「もしかして…私は擬宝珠さんをお助けできます?間に合いました?
今なら…どんなに強い敵がいてもタカが一緒なので…」
ひのきがいればどんな敵でも大丈夫なはず、と、勢い込んで言うなずなに、擬宝珠は少し寂しげに微笑んだ。
「300年…通常の人間が生きられるはずのない長い時間を私は特殊な環境に身を置く事によって生かされてます。だから…救って下さい。
装置を破壊してもらえれば私は…やっと呪縛から解き放たれて普通の人間に戻って家族に会いに行けるんです」
擬宝珠の言葉の意味を悟って、なずなは息を飲む。
反射的に首を横に振るなずな。
擬宝珠はその手をとって言った。
「お願い…長い月日と歪んだ日常の中でどんどん人間であった自分の事も夫の事も子供の事も意識の中から薄れていくの。
最期くらい人間として…人間の友人に看取られて死んでいきたいの」
擬宝珠は泣いていた。なずなの目からもまた涙があふれる。
「お願い…できますね?」
一緒にいたのは一週間だったが確かに友人だった。
300年前の人間である彼女には他に友人があろうはずがない。
なずなは黙ってうなづいた。
「私は祭壇の奥の…レースのカーテンの向こうです。お願い…救って…」
そこでまた視界がブラックアウトする。
「…っ…なずなっ!!」
気がつけばまた元の場所で、青い顔でひのきが自分を揺すぶって顔を覗き込んでいる。
「…あ…タカ…」
なずなは手の甲で涙を拭った。
「…良かった…元に戻ったか。また意識不明になったらどうしようかと思った」
心底ホッとしたように息をつくひのき。
側で緊張して立っていたツクシとツツジも同じくホッと緊張を解く。
「タカ…擬宝珠さん、あっち…」
なずなが祭壇の向こうを指を指す。
「そか、行くぞ」
と言うひのきの言葉にツクシとツツジがうなづくと、司祭が青くなる。
「な、何をする気だっ!女神様に手出しは許さんぞっ!!天罰が下るぞ!!」
「こいつに…天罰下しちゃいましょうか?」
うるせえ、という目でツクシがいつのまにかしばりあげた司祭を見下ろすが、なずなは今度は振り向きもせずスタスタ祭壇に向かって歩き出す。
「…お前…女神様に見捨てられたぞ?」
その態度に少し驚いた顔で司祭にそう言い捨てると、司祭をその場に放置してツクシもその後を追った。
「タカ…」
「ん?」
「装置壊したら…救われるから…お願い…」
ぽつりとつぶやいてうつむくなずな。
「任せろ。お前は来ないでいいぞ」
「ううん。…友人に看取られたいって言ってたから…擬宝珠さん…」
ひのきはぽろぽろ涙をこぼすなずなの肩を引き寄せて
「無理は…すんなよ?」
とその額に軽く口づけた。
そしてカーテンの前まで来て
「開けるぞ」
と声をかけてカーテンを引く。
「っ!」
全員が息を飲んだ。
ひのきが反射的になずなの視線を覆うように、なずなの顔を自分の胸に押し付けた。
カーテンの奥の3m四方くらいの大きさの水槽の中では綺麗な女性がゆれていた。
綺麗な漆黒の髪は水の中で泳ぎ、透き通るように真っ白な身体に絡み付いている。
まだ幼ささえ残る顔立ちは端正で気品をただよわせ、長い睫毛に縁取られた目は軽く閉じられていた。
華奢な肩や手、胸元のふくらみや身体のラインにいたるまで、すべて頼りないまでに繊細な印象で、とても子供を生んだ身とは思えない。
そこまでなら綺麗な人形のようである。
しかしそこで通常の人間の目を背けさせるのは、水槽の下に張り付いた毒々しいまでの赤い色をした巨大な物体だ。
円筒系の直径2mくらいの物体の下からは4本のチューブのような物が突き出していて水槽の外に続くチューブへとつながっていて、上は擬宝珠の胸より下を飲み込んでいる。
そして時折何かをうながすように上下にうごめく。
そのつど擬宝珠の端正な顔が歪んで赤い唇から声なき声がもれ、下のチューブからコロンと白い塊が転がりだした
「こ…こんなの…いや。いやだよ、タカ」
腕の中で震えて泣くなずなの声で我に返ったひのきは、
「ちょっと頼む」
となずなをツツジに預けると、息を整えて両手で日本刀を構えた。
ハァっ!というかけ声と共に水槽を一閃する。
キラっと刀筋が光り、切られたガラスが落ちて割れて水しぶきとガラスのかけらがキラキラ宙を舞った。
赤い筒状の装置は次の一閃で水槽から切り離され、擬宝珠の身体ごとゴロンと床に転がった。
ツツジの手の中からなずなが飛び出し、かすかに目を見開いた擬宝珠に走りよる。
それまでうつろに何も映していなかった瞳がその姿を見て一瞬光を宿した。
(ありがとう…)
唇がそう空気を吐き出し、懐かしさと嬉しさと物悲しさと…その他様々な感情が交差する微笑みを遺して擬宝珠は呼吸を止めた。
なずながその場で泣き崩れる。
「探索…俺一人で大丈夫なんで、お館様はなずな様連れてツツジと先に脱出して下さい。
たぶん廊下をこの部屋と反対方向に進めば港側の出口だと思うんで…」
「ああ、頼む。そうさせてもらう」
ひのきはツクシの提案にうなづくと、泣き続けるなずなを抱き上げた。
ツクシの言う通り反対側に行くと港に通じる出口で河骨の別働隊が控えていた。
だが、恐らくこちらから敵が来る事もなさそうなので、半数を残して半数は正面の部隊に合流する様指示して自分達も正面に向かう。
正面側は若干敵が出て来てはいたが、杉達は攻撃できないなりに、上手に足止めをしている。
ひのきはそれを刀で一掃すると、なずなを連れて一足先に車に戻った、
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