「いい加減…目を覚ませよ」
ひのきは掠れた声でそう言って、いつものように恋人の薄桃色の唇に触れるだけのキスをした。
外傷もなく、原因もわからぬまま意識だけ戻らないなずなを休ませるため、一行はいったん伊豆の鉄線一族の隠れがに戻った。
これと言って身体的に問題は見当たらないため命をつなぐ栄養を送る点滴をしただけのなずなの様子を朝昼晩と見に来るのがひのきの日課となっている。
最初の日は落ち込んだ。
次の日からは若干自暴自棄になり…それでも死んだわけではないのだ、次の瞬間にでも目を覚ますかもしれないとなんとか思い直したのが4日をすぎた頃。
しかしなお眠り続ける眠り姫にさすがに不安を覚えてきた一週間目。
「お館さ~まっ、なずな様まだ起っきしないの?お寝坊だね~」
子守り係の目を盗んで病室のドアから一族の子供ススキのはしっこい顔がのぞく。
最初に隠れ家を訪れた日、なずながかくまわれていた部屋を覗いて子供部屋へと拉致したのは、このススキらしい。
「本当にな。早く目を覚まさねえかな。話したい事がいっぱいあるのにな」
ひのきは言ってススキを抱き上げて肩車をすると、子供部屋に向かった。
最初に会った時にひのきの足にしがみついてきたススキは、今回も周りの大人に怒られながらもひのきの後を付いて回っている。
子供部屋のドアを開けると、中から子守役があわてて飛び出して来た。
「ススキ!また抜け出して!!お館様、申し訳ありませんっ!」
「いや、いい。ススキも心配してきてくれたんだ、あまり叱るなよ」
言って嫌がってバタバタするススキを抱き下ろして子守役に渡す。
「少し…遊んで行くかっ。」
ドアをくぐってそう言うと、子供達が一斉に歓声をあげてまとわりついてきた。
子守役はひたすら恐縮するが滅入った時には無邪気にはしゃぐ子供と無心に遊ぶ事でずいぶん気がまぎれた気がする。
そして今もまた、一人でいると不安で押しつぶされそうで、かといって変に気を使う大人の中にいても滅入りそうで、子供の無邪気さの中で少し気力を回復している。
全身子供達にしがみつかれて本を読んだと思えば、突然始まるちゃんばらごっこ。
順番に山登りごっこと自分の体をよじのぼらせたりしているうちにいつのまにか昼になる。
子供達にせがまれて子供部屋でそのまま食事を取って、また病室に向かう。
まだなずながすやすやと眠り続けているのを確認すると、ひのきはやはり軽くその唇に口づけた後、傍らの椅子に腰を下ろし、両手で顔を覆ってため息をついた。
「お前…まさか百年眠り続ける気じゃねえだろうな…」
なずなが眠ったまま目を覚まさないと聞いた子供の一人から真剣な顔で聞かされた眠り姫の話。
「お姫様はね…キスで目を覚ますんだよっ。
だからね、ちゃんとしないと駄目なんだよ~」
という熱心な勧めで病室を訪れるたび口づけをかかさないのだが、こちらの眠り姫は一向に目を覚ます様子がない。
色々な説があった。
一位の陰謀…なら眠り続けるだけではすまないだろう。
眠らせ続ける事ができるくらいなら殺している。
極東支部を壊滅させた敵のなんらかの罠…だとしたらなずなだけなのはおかしい。
ユリとて同じ状態になっているはずだ。
精神的に参りすぎて本人が目を覚ますのを拒否している…可能性もあるかもな…と個人的には思う。
実家も同然でブレインの女性職員に育てられたと言っていた。
親と同じような相手がイヴィルになっているかもしれない。
それがなずなにとってどのくらいのダメージになるのか、見当もつかない。
思っていた以上にそれは大きかったのだろうか。
目を覚ますのが嫌になるくらい?
何故極東支部の探索になずなを同行させたのか。
何故日記の内容を聞く時に席を外させなかったのか。
何故一人で下に行かせたのか…。
何故いつもこんな状態になるまで気付かないのか…。
後悔ばかりが脳裏をよぎり、不安と自責におしつぶされそうになる。
「目…覚ませよ。頼むから…。もう限界なんだよっ」
ひのきは小さく吐き出した。
一族もブルースターもレッドムーンも何もかも、世界の平和すらもうどうでもいい。
もう一度目を覚ましてくれれば…あの甘い優しい声で名前を呼んでもらえたら次の瞬間死んでも良いとすら思った。
「名前…呼んでくれよ、もう一度。頼むから…何でもするから…目、覚ませよ」
呼吸ができない…苦しくて…死ぬかもしれない…。
ひのきはぐったりとベッドでひたすら眠るなずなの上につっぷした。
せめて桃の香りに包まれて夢を見よう。
夢の中ではきっとなずなは微笑んで、あのハイトーンの澄んだ声で自分を呼んでくれるのだ。
いっその事なずなが目を覚ますまで自分も夢の国の住人になれたなら…。
「…タカ…」
そう、この声だ。ふんわりと優しい声。
ひのきは久々に幸せな気分で目を閉じた。
空虚だった肺に思い切り新鮮で気持ちの良い空気が満たされて行く。
柔らかい…小さな手のぬくもりが頭をなでつける。
気持ちいい。このままずっと夢の中にいようか。
「…タカ?…寝ちゃってるの?もぅ、困ったなぁ」
小さくこぼす声。
困るくらい眠り続けてるのはお前の方だろ、と、目を瞑ったまま心の中でつっこみをいれるひのき。
「ルビナスさんに…話があるんだけどなぁ」
ぽつりとつぶやく声に、
(俺の夢の中でくらい俺だけを見ろ。普段は我慢してるんだから…)
と、少しむっとする。
「こんな時に…他の奴の名前なんて出すなっ」
「なんだ、起きてたんじゃない、タカ」
「え?」
そこで初めてハッとして、ひのきはガバっと身を起こした。
目をパチクリとしばたかせるひのきを不思議そうに見上げるなずながいる。
あまりに夢見すぎていて現実なのかどうかも自信のないひのきに、
「タカ?どうしたの?」
と、なずなが少し心配そうに声をかけた。
「現実…だよな?」
おそるおそる言うひのき。
「たぶん…私も長く夢見すぎてて自信がないんだけど…」
と少し戸惑うなずな。
それでもそのなずなの言葉にどうやら夢じゃないと言う判断を下したらしい、
ひのきはなずなの手を取って額に押し当て
「…良かった」
と安堵の息をもらした。
「えと?」
「一週間だ」
「?」
「お前…一週間眠り続けてた」
「ええ~?!」
確かに…”向こうで”1週間ほど過ごした気はするが、こちらの世界でも同じだけの時間がたっていたのか…
「えとぉ…もしかして…ちょっと心配かけた…かな?」
様子を伺うように生真面目な分鬼のように悲観的で心配性な彼の顔をのぞきこむと
「思いっ切りなっ。死ぬほどっ!すっげえ心配したが?!」
と、若干感情的な声音で返答がかえってきて、なずなは少し首をすくめた。
”ちょっと”という言葉がまずかったのか、それとも??
「えと…ごめんね?」
とりあえず謝っておこう、と、謝ると、しばしの沈黙のあと、
「いや…戻ってきてくれたから、いい」
と、少し表情を柔らかくして、ひのきはなずなの頬を軽くなでた。
「うん。ただいまっ」
ちょっとホッとして言うなずなの顔を、ひのきはじ~っと覗き込んだ。
「…?なあに?」
「で?やっぱり目を覚ましたくなかったってのが正解…なのか?」
すごく悲しそうな目で問われてなずなはかなり動揺する。
今の自分の状況すらたった今知った状態で、さすがに何を言われてるのかまでわからない。
「えっと…?」
「一週間色々考えてた。
一位や敵の罠だとしたらヌルすぎて不自然だし、つらい現実より夢ん中の方が良いのかって…」
ああ、そういう意味かっ。
ようやく質問の意味を飲み込んだなずなはあわてて顔の前で手を振った。
「ああ、それないっ。ぜんっぜん。
確かにアキさんとかイヴィルになってたら嫌かなって思ったけど、それはクリアできないほどの問題じゃなくて…
意識失う直前に思ってた事って、確か今ここで倒れたら急須割れちゃうなとかだし」
あまりにあっけらかんとしたなずなの告白にひのきは思い詰めていた分拍子抜けする。
「ようはね…時間がかかっちゃったのは神様に強制拉致されちゃったせいらしくて…その辺を説明したいからルビナスさんも呼んでくれる?」
「つまりは…過去に行って来たと。そう主張するわけね?」
ルビナスだけでなく、ツクシ、ユリ、コーレア、ホップと結局ジャスティスも勢揃いしている中で、ルビナスは半ば信じられないというような様子で腰に手をあてて口を開いた。
「主張というか…夢か現実か定かではないんですけど…」
自信なげに言うなずなだったが
「いや…奇しくも最初のジャスティスというのが鉄線家の情報網で調べたところ石蕗という日本人に間違いないんですよ。
当然…なずな様を始めとする一般のジャスティスや職員一同には知られてないんですけどね」
と、ツクシがそれを裏付けるような発言をする。
「もしなずな様のおっしゃる通り、その石蕗をブルースターに連れて行ったのがなずな様だとすると、敵がムキになって極東支部のジャスティスを探してたのも納得がいきますし。
まあ数日時間を下さい。
東京近辺でなずな様の言う様な城が過去から現在にかけて存在していた事があるのか調べさせますので」
「もしそれが現在まであったとしたら…そこがいきなり敵の本拠地という可能性もあるんだよな」
コーレアの言葉にそうだな、とひのきがうなづいた。
「とすると…急がないと本拠移動されちゃう可能性もあるし、早急に探らせます」
ツクシは言って人の手配をしに部屋を出て行った。
「んじゃ、なずなは2日でとりあえず起き上がれ。
事の真偽に1~2日、内部探索に3~4日くらいじゃないと間に合わないだろうから。
もしツクシの部下がそのくらいでなんとかできたら基地攻めまで4~6日くらいだろうしなっ」
ユリが当たり前のように指折り数えるのをホップがあわてて止める。
「タマ、そのあたりは後で…ツクシのめどがたってから…」
と、それ以上ユリに何か言わせてひのきの逆鱗に触れる前に、あわててユリを病室から追い立てた。
そして残った4人。
「現実問題として…もし敵の本拠地が割れたとしたら、本部から応援呼んだ方がいいわよね?」
ルビナスが少しなずなの様子を伺う。
そして
「なずなちゃんの参戦は体調しだい…かな。
とりあえず3日様子見て、その経過次第ではそうね…アニー君かな。よこしてもらうわ。
無理は絶対に禁物で。
結果的にこなせたとしても、あんまり倒れたり繰り返してるとひのき君がどんどん疲弊してくから」
恐らく自分の無理が周りに及ぼす影響など思いもよらないであろうなずなに、それをわかっていても誰もさせない釘をチクンとさしておいた。
しかしどうやらそれはひのきを嘆息させはしたものの、とうの本人には通じていないらしく、
「はぁ。足を引っ張らないように頑張ります」
と、おそらく倒れる=手間をかけるくらいにしか思っていないであろう事が丸わかりの、的外れな返事が返って来て、大人二人組をも嘆息させた。
「ま、いいわ。とりあえずそういう事で一応シザンサス君に連絡いれておくから」
ヒラヒラと手をふってルビナスが出て行くと、
「まあ…頑張れよ」
と苦笑しつつポンと軽くひのきの肩を叩いてコーレアもそれに続いた。
そしてまた病室には二人が残される。
ひのきはベッドの側の椅子に腰を下ろし
「もう寝てろ」
と、皆と話している時のままベッドの上で半身を起こしているなずなをうながした。
「別に体調悪いわけじゃないし…大丈夫だよ?」
「大丈夫っていうの禁止」
と、身を横たわらせる様子のないなずなの腕をつかんでベッドに引き倒す。
「なあ…正直に話せよ。俺も正直に話すから」
「うん?」
布団を口元まで引き上げると、なずなは1週間で少しやつれたように見えるひのきに目をむけた。
「俺は正直最近お前が一番怖い。
…不可抗力もあるけどやっぱりなずなは弱音吐かねえから…
いつも倒れてから初めて無理させてた事に気付いて死ぬほど後悔するんだ」
そういうひのきの顔はつらそうで、ああ、この1週間かなり心配かけたんだなと、さすがになずなも気がついた。
まあ、今回は彼の言う通り不可抗力ではあるのだが…。
「俺はお前と違って色々気付く方じゃねえから…小さな事でもいい。
何かつらいとかきついとかいう時は教えて欲しい。
もうあんな思いすんのやなんだよ。
仲間がイヴィルになった時より、一族が敵に回った時より、何よりすげえつらい」
「本人…無理してるつもりないんだけど…」
ぽつりとこぼすなずな。
ああ、それはそうなのかもしれないが…実際に倒れたりとかあるわけで…。
体の事に関しては今後はツツジが気をつけてくれるだろうから、早々無理させる事もないだろうが…
「じゃ、言い方変える。今一番きがかりな事ってなんだ?」
「タカのメンタル面」
即答され、一瞬言葉をなくすひのき。
「それ以外でっ」
とそれでも続けると、なずなは布団の中でう~ん…と考え込んだ。
「擬宝珠さんの事…かなぁ」
「擬宝珠?」
「女神様」
「ああ、なるほど」
「自分の身体に戻った後どうなったのかなぁって。
自分の意志とは関係なく力を引き出されていくって言ってたから…。
具体的にはどうやって?…とは怖くて聞けなかったんだけど。
想像すると少し…ううん、かなり怖い。
もし今でもそこに本拠があってその当時の事がわかる資料とかあったらちょっと嫌かなぁ」
「んじゃ、やっぱり…今回もし基地あったとしても基地攻めはパスするか?」
「ううん。
怖いんだけど確認できる状態なのに自分が行かないで確認できなくなるのも嫌なの」
「…やっかいな性分だな」
「うん…」
ユリが身体に傷を負うのを躊躇する習慣がないのと同様に、なずなは心に傷を負うのを躊躇わないのだろうか。
自分なら当たり前に避けられるなら避ける様なものまで直視しようとするなずなを見てひのきは思う。
ある意味…心を守るというのは身体を守るよりもはるかに難しい。
自分は所詮破壊者で、なずなと違って守る事も癒す事もできないのだ。
何もしてはやれないのに一体なんのために自分がなずなと一緒にいるのだろう…と、大きくため息をつくひのきを、なずなは白い手をのばして抱き寄せた。
「タカはね…私の全てだから。
私は全部まるごとタカのモノだし、確かに擬宝珠さんの事とか極東の拉致された女性達の事とか多少のきがかりはあるんだけど、それは絶対的な問題じゃないって言うか…
タカが大丈夫なら私も大丈夫なの。タカがいれば私も大丈夫って思えるの。
だってタカが大丈夫な間は絶対に何からも守ってくれるって信じてるし」
それじゃあだめ?と、聞いてくるなずなに、ひのきは苦笑する。
問題の本質からは綺麗にそらされている気がするが、こうやって可愛い表情で可愛い声で可愛い返事が返ってくるというのは、今朝までの状態を考えるとかなり幸せだと言えなくはない。
まあ自分も今は似た様なものだ。
まだ行方不明中のフリーダムの事、一位の事、貴景の事、彼らについていった一族の事、気になる事がないとは言わないが、なずなが無事ならそれもあきらめのつく範囲ではある。
「あ…でも…」
唐突になずなが小さくつぶやいた。
「悲しい事は…悲しい」
抱き寄せられたままで表情は見えないが、なずなの頬があたった首筋に冷たいものを感じて、ひのきはなずなが泣いている事を認識する。
「色々…平気だけど悲しいの」
かけるべき言葉がみつからず、ひのきはただなずなの柔らかく細い髪をなでた。
「そういう時はね…側にいてもらえると嬉しいかな。
別に優しくしてくれなくても怒ってても落ち込んでてもタカがどんな状態でも良いからね、他の人じゃなくてね、タカに側にいて欲しいの」
「ああ」
別に意識してそうしているわけでもないのだろうが、なずなはいつもそのとき一番欲しいと思う言葉を言ってくれる。
自分自身が悲しいと泣いている時ですら。
日を追うごとに、言葉を交わすごとに、どんどん思いは強くなる。
「悲しい時だけじゃなくて…腹立つ時も、嬉しい時も、楽しい時も、いつでも側にいるから…なずなこそ消えるなよ…」
ひのきはそっと首に回ったなずなの腕をほどいて少し身を起こすと、かすかに震えるその唇に自分の唇を重ねた。
0 件のコメント :
コメントを投稿