意識が暗闇のトンネルの向こうへとひっぱられる。
まるでジェットコースターのように悪酔いしそうな勢いで落ちて行く感覚にいい加減うんざりしかけた時、ようやくトンネルが終わったようでなずなは光の中に投げ出された。
10畳ほどの部屋には小さな…5歳くらいの子供とその母親らしき女性がいる。
女性はまだ若い…どこか気品を漂わせている綺麗な女性で、その子供も美しい子供だ。
そしてその胸元にはペンダントが光っている。
それはまぎれもなく自分達ジャスティスがしているものと同じ物だ。
子供は…最後の一人のジャスティスなのだろうか…
それにしてはどうもこの空間自体おかしい気がする。
あちらからはなずなが全く見えていないらしい。
「失礼致します」
スッと障子をあけて入ってくる人影は見たところ日本人ではない。西欧人らしき男だ。
「いい加減にお察し下さい。我々は世界中の人間と戦うには少数派なのです。
擬宝珠様と御子様のお力が必要なのです」
話す言葉も英語である。
それに答える女性の言葉も英語だ。
「わたくし達が戦ってきたのは、人間は全ての生き物の上にあり他の生き物を理不尽に殺めたり弄んだりする権利もあるのだという不埒な教えを持つ人間達だけのはずです。
何も世界中の人間を滅しようという主旨ではなかったはず。
全ての生命はこれ等しく、全てのものに神が宿るとの教えを元にこのレッドムーンは発足したはずではないですか。
それが人間を含めた生物のあるがままの姿をゆがめて生物兵器とするなど、容認できる事ではありません!」
凛として言い放つ女性の言葉に、なずなは驚きを隠せない。
これは…もしや伝説の最初のジャスティスとその母親なのか…。
何故自分がその光景を目の当たりにしているのか、という疑問は浮かぶが、とりあえず驚いている間にも話は進んで行く。
「どうしてもご協力頂けませんか?」
ズイっと膝を進める男を女性は柳眉を寄せてにらみつける。
返事がない事を肯定と取った男は後ろに向かって合図を送った。
とたんに襖がザザっと完全に取り払われて、部屋の外から大勢の男達が部屋になだれこんできた。
そして
「何をするのですかっ!」
と言う女性を羽交い締めにする。
「自主的にご協力頂けないとなれば、能力提供のみして頂くだけのこと」
ニヤリと不気味な笑みを浮かべる男の言葉に女性は青ざめる。
しかし次の瞬間抵抗する間もなく何か注射のようなものを打たれ気を失った。
そして女性は大勢の男達に連れて行かれ、子供一人残される。
とたんにぼ~っとしていた子供の瞳に光が宿り、ちらりとなずなの方を見て目配せをした。
それまでてっきりあちらからは見えていないものと思っていたなずなは、ドキっとする。
「あなたは…この時代に生きる者ではありませんね?」
やけに大人びた口調の5歳児にとまどうなずなに、子供は高貴な印象を与える笑みをうかべた。
「私は擬宝珠(ぎぼうし)。今は子の石蕗の口を借りて話しております」
「えと…さきほどの女性…なのですか?」
というなずなに子供はうなづく。
「私は睦月なずな。もし今がレッドムーンが発足したばかりの時代だとしたら…たぶん未来から来た事になるんですけど」
なずなが一通り自分の時代の状況を話すと、擬宝珠は信じがたい話であるはずなのにあっさり信じたようだ。
まあ…意識だけを子供に乗り移らせて話をするなどという人間離れした事をしている人間だし、今更なのかもしれないが。
「なるほど。あなたの時代では悪の象徴となってしまっているのですね…」
寂しげに視線を落とす擬宝珠。
「まあ…今の状況だと予測はつきますが…。
とりあえずこちらの事情は道々話すとして…未来に希望をつなげるにはまずブルースターに向けてクリスタルを届けに出発しなければなりませんね」
言って顔を上げると、擬宝珠が憑いている石蕗は立ち上がった。
「ここを出ましょう」
「出ましょうって…どこから?」
この部屋は城の天守閣あたりにあるらしく、窓からは無理そうだし、部屋の外にはたくさんの人がいてさらに無理そうだ。
霊体であるらしい自分はともかく石蕗には外に出る手段がなさそうだと、困った顔をするなずなに擬宝珠は言う。
「あなたの時代のジャスティスとやらには…すぐれた身体能力を持った者はいないのですか?」
その言葉になずなも、ああ、と納得する。
「石蕗ちゃんは攻撃特化型なんですね」
ですです、とうなづく擬宝珠。
行きますよ、と窓に足をかける擬宝珠に、なずなはちょっと躊躇いつつ後ろを振り返った。
「あの…擬宝珠さんの身体は…救出しないで宜しいんですか?」
「この子だけではさすがに無理です。
特殊能力があると言っても5歳児ですしね」
擬宝珠は苦笑して、窓から飛び降りた。なずなもそれに続く。
「ここは…日本?」
城の外に出てあらためて辺りの木々を見回すなずなに、
「…の、昔東京と言われた場所ですね」
と、擬宝珠はにっこりうなづいた。
今回の遠征は伊豆から出発してたから素通りしていたが、もしや今でもそこに本拠があったりするのだろうか…
色々考えつつひたすら擬宝珠についていくなずな。
「とりあえずここから伊豆をまっすぐ目指してそこから船に乗ります。
それまでは休憩なしで大丈夫です?」
大丈夫です?と言われても霊体なので疲れなどない。
なずながうなづくと、擬宝珠はあとはひたすら無言で走り続けた。
伊豆につくとブルースター本部のある北米に向かう船にこっそり潜り込む。
「とりあえずこれで当分は休憩ですね」
荷物にまぎれて座り込みながら擬宝珠が一息ついた。
「で…お約束通りこちら側の状況をお話しますね」
「はい、お願いします」
伝説ですら語られなかったレッドムーンの発祥からの歴史があきらかになる。
なずなは姿勢を正して聞き入った。
「私は遥か昔から京で神事を司る家系の出で、幼い頃から特殊な力を有していました。
触る物の成長を速めたり、身体能力を高めたり、治癒能力を高めたりという類いのものなのですが、ある日レッドムーンの発足者の若者に乞われてその活動に参加するようになりました。
始めはレッドムーンも荒廃してストレスの多い世界で生き物をむやみに殺したり弄んだりする人間に対して、生き物はこれ全て平等で全てがかけがえのない命であると改心をうながし、それでもどうしても他に害が及ぶレベルで無法を尽くす人間のみを粛正するという団体だったのです。
最初は日本の周りだけでのんびりと活動していたのですが、やがて世界各国から人が集まり、大きな団体となっていきました。
そのうち私は発足者の若者と結ばれ石蕗が生まれましたが、4年後、夫がなくなった事から事態はおかしな方向へと流れていきました。
最初は責任者が亡くなって動揺する者を安心させるために私の能力を使ったりしていたのですが、そのうち科学者の集団が私の中から特殊な能力を取り出して他の物に移すという装置を開発したのです。
そして最初の成果物がこれです」
擬宝珠は石蕗のふところから袋を取り出す。
それには小さな台座に収まったクリスタルが入っていた。
「元々は我が家に代々伝わる宝珠でこれ自体に特殊な力が宿っています。
が、本来は我が家の血統の者にしか使えない物なのです。
それに私の能力を加える事によって万人に使えるようにしたかったらしいのですが…
結局一部の素養のある人間以外には効果は現れませんでした。
当たり前なんですけどね。
この宝珠の能力というのは…普段封じられている能力を引き出すというものなので。
人間というのは本来、自分の持つ能力のほんの一部しか使っていません。
日常に必要のない能力というのは得てしてきっかけがないとそのまま気付かずに一生埋もれてしまう事が多いのです。
この宝珠はそのように日常に埋もれた能力の中でも、ある特殊な能力に限って強引に引き出し具現化する道具なのです。
私は幼い時からそのための特殊な修行をし、宝珠なしでもその能力を操りますが、それが諸事情で出来なかった者のためにこの宝珠があったのです」
「特殊な能力…ですか」
なずなのつぶやきに擬宝珠はうなづいた。
「簡単に言ってしまえば身の内から力を出す能力というのでしょうか。
私の一族は代々その能力を使って治療をしたり、時には特定の武将に加担して防御や攻撃能力を高めたりと、支援をしてきました。
石蕗はそれが攻撃力や身体能力となって現れているので、恐らく夫にその資質があったのでしょうね。
力の性質や使う人間によって宝珠は様々に形を変えるようですが、その引き出すべき特殊能力自体を持たなければ、当然何も起こらないのです。
宝珠はその能力を強く有する者を見つけてはその元に飛び、その者が死ぬまであるいは宝珠なしでも能力を発揮できるようになるまで持ち主と共にあるのですが、現在レッドムーンをも含めて石蕗以外にいないようですね。
おかげでこれは失敗作として科学者達に利用されずにすんだのですが…。
それから1年、繰り返される実験に私はつきあい続けました。
夫の発足当初の理念を信じていたからです。
しかし、無機物に対しての実験はことごとく失敗したようで…最近になってそれが生物にまで及んでる事を知り、私の目は覚めました。
夫が亡くなった時点で、すでに最初の理念などもう存在していなかったのです。
しかしもうすでに時遅し。
マッドサイエンティストの巣窟となったレッドムーンからは、私の特殊能力を組み込まれた魔導生物、人造人間などが生み出され、世界に送られています。
今この瞬間にも造りだされているでしょう。
なまじ私の能力が組み込まれているだけに通常武器も通じません。
このままでは世界は最初の理念とは対極に科学者達のおぞましくも壮大な実験場とされるでしょう」
擬宝珠は悲痛な表情を浮かべた。
「今となってはこの水晶の宝珠のみがそれに対抗しうる唯一の希望となってしまいました…。
あなたが未来からいらしたのは、おそらく神のお導きなのでしょう。
恐らく北米に入ったあたりで私の意識はまた本来の身体に戻ってしまう事と思います。
石蕗は特殊能力があるとは言っても5歳の子供。
一人ではブルースターへの道もわからないでしょう。
この子の身体能力を持ってすれば港から隣街のブルースター本部までは一瞬です。
どうかこの子とクリスタル、それとクリスタルが持ち主を無くした時に戻る台座をブルースター本部に届けて下さい」
断れるわけはない。
なずなはうなづいた。
そもそも…ここに送られた理由が神様のお導きなのだとすれば、この、最初のジャスティスとなる子供をブルースターに送り届ける事こそが自分に課せられた使命なのだろう。
高速船が目的地に到着するまでは一週間ほどかかる。
石蕗で食べ物をこっそりくすねたりする以外は擬宝珠はほぼ荷物室でなずなの霊体とおしゃべりをして過ごした。
現在23歳だと言う擬宝珠の事、亡き夫の事、石蕗の事、実家の事などを聞き、こちらも友達のユリやジャスミン、ホップ等の事、両親の事、ひのきの事、仕事の事など楽しいおしゃべりはつきない。
しかしやがて目的地が近づくと、擬宝珠は悲しそうな笑みを浮かべた。
「そろそろさようならみたいです、なずなさん」
薄く消えかかっている擬宝珠になずなもまた悲しい目を向けた。
霊体でも涙は出るという事をなずなは知った。
彼女が戻って行く先の身体がどうなっているか、心はそこで何を感じていくのか、それを思ったら胸がしめつけられる。
「石蕗の事…お願いしますね」
最後に細い声で言って擬宝珠の姿は消えて行った。
あとに残ったのは小さな子供。
港へついた事を知らせる放送が流れるとなずなは立ち上がって
「さ、行きましょうか」
と、つかめるはずのない手を石蕗に向かって差し出した。
ブルースター本部までは石蕗の俊足をもってすればすぐだった。
なずなは未来に比べればかなり簡素な建物の中の隊員にレッドムーンの事、クリスタルの事、そして石蕗の事を説明し、実際に石蕗にアームスを発動させて見せた。
石蕗が発動させたクリスタルが変化したのは、その小さな手には余るほどの大きさの日本刀だった。
そこでなずなは無性に未来が懐かしくなった。
そう言えば今自分はどういう状態なのだろう…そう思った瞬間、身体がグイっと引き戻されるように暗いトンネルの中に吸い込まれた。
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