世界を敵に回しても_11_恋人1日目

食事の時間まででも十分すぎるほど幸せだった。
この2,3時間くらいの思い出で10年は幸せに生きていけると思うほど。

なのに何があったのだろう?
幸せはまだまだ怒涛の如く押し寄せてきた。

なんと義勇の事を大学時代からずっと好意的な意味で気になっていた。
良ければ恋人になって一緒にここに住まないか?と、そんな信じられないセリフが錆兎の口から出てきたのである。

いやいやいやいや、ありえないだろう!
自分が錆兎にならわかるが、錆兎ほどの男が好意を持つ要素など自分には欠片もない。

思わず、
──俺なんかで良いのか?
…と問いかければ、
──お前なんかじゃないっ!お前がいいっ!
と返って来て、なんだかよくわからないが泣けてきてしまった。

両親は子どもの頃に亡くなって、ずっと慈しんで育ててくれていた年の離れた姉も義勇が大学生の時に嫁に行き、それからずっと一人である。
怒られ揶揄されるようなことはあっても誰も褒めても甘やかしてもくれなかった。

そんな自分をこんな誰もが一緒にいたがるような人気者が好きになってくれて一緒に居たいと言ってくれるのである。

あまりに現実感がない。

──お前を幸せにできるなら、それは俺にとっても幸せな事だから…
とか、まるで蔦子姉さんが幼い頃に貸してくれた少女漫画のワンシーンのようだ。

生活面でしっかりしている反面、趣味や好みは少しばかり浮世離れした姉に育てられた義勇は、周りには絶対に言えないがやっぱりそんな姉と似たものを好きに育っているので、正直ロマンティックな波状攻撃に完全にキャパを超えて息絶え絶えだ。

しかもそれを言ってくるのがとてつもないイケメンで性格も良くて仕事もできるみんなの憧れの男なのである。

普通なら信じない、からかわれているかも…と思ってもおかしくないくらいの状況なのだが、錆兎は性格も誠実な男なので、それもない。

ああ、これは神様がポロっと匙加減を間違って数万人分くらいの幸せを義勇に降り注いでしまったに違いない。

それでもその手を取らないという選択肢は義勇にはなかった。

こうして錆兎の言い方を借りるならば、──美味しい鮭大根を作る手が義勇のものになった、のである。

義勇が錆兎の恋人になることを了承すると、錆兎は相手が義勇なんかでも用意していてくれた花束をくれた。
ピンクのチューリップ…その花言葉と共に、改めて想いを告げてくれる。

その想いの告げ方がまた少女漫画のワンシーンのようにロマンティックでもう逆に心臓に悪い。
これでもまだ頑張って脈打っているなんて、と、義勇は初めて自分の心臓の丈夫さに驚いた。

そうして食後、一通りの話を終えると、明日も会議だから少しだけ…と、美味しいつまみと冷酒。
口当たりの良い酒で少しほんわりしながら耳障りの良い錆兎の声と心地よい会話を楽しんでいるうちにすっかり夜も更ける。
当然電車が動いている時間でもなくなってしまったので、きちんとした引っ越しはおいおいということで、その日は普通に泊めてもらうことになった。

実は義勇が一緒に住んでくれたらと思ってごっこ遊びのように色々用意していたんだ、と、当たり前に出てくるパジャマ。
それはきちんと洗濯がしてあって、柔軟剤のいい匂いがした。

そうして案内された部屋はなんだかとてもホッとするような居心地のいい部屋で、冗談なのか本当なのかは知らないが、錆兎いわくこれも先ほど口にしたごっこ遊びの一環で、もし義勇が住むことになったら…と、義勇に似合いそうな物を集めたのだそうだ。

それでもさすがに一人暮らしの部屋にベッドが二つは…と、最後の理性で、ベッドは普段はソファとして使えるソファーベッドにしたんだという言葉に義勇は思わず吹き出してしまう。
その日はなんだか錆兎のカッコいい一面とおちゃめな一面の両方の頂点を見た気分だった。


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