どこか気が重くても足はしっかりと前に進んでいて、すぐにたどり着く炎柱屋敷。
──ごめん下さい。
と、門をくぐると、もう一度、
──お邪魔します…
と声をかけて、錆兎は鍵のかかっていない玄関から家の中に入った。
──父上はいつも縁側で呑んでいらっしゃる。
という杏寿郎の言葉の通りに、侵入者を気にすることもなく、槇寿郎は縁側で呑んでいた。
──…何をしに来た?
と、振り返りもせずに言うところを見ると、こちらには気づいていたらしい。
そこで錆兎は縁側の槇寿郎に向かってきっちり正座をすると、
──このたびはご子息の炎柱就任おめでとうございます。
と、頭を下げた。
昔ならそれを笑顔で受けてくれたであろう元炎柱は、しかし杏寿郎の言う通りずいぶんと変わってしまった面立ちで振り返りもせず、
──めでたくなんてないっ!!炎柱なんて…炎の呼吸なんてクソだっ!!
と、吐き捨てるように言う。
それに錆兎ははぁ~っとため息をつきつつ
「なぜですか?どういう理由で?」
と聞いた。
「お前にはわからんっ!」
「…そりゃあ…理由を教えてもらえなければわかりません」
「そういう意味じゃないっ!!」
と、そこで槇寿郎は初めてこちらを振り返る。
ああ、聞いていたほど溺れてはいないんだな…と、錆兎はその目を見て思った。
赤らんだ顔をしてはいるが、目の奥には非常に冷静な絶望が見え隠れする。
「選ばれた人間にはわからん…」
と、その声音は酔って理性が飛んだ人間のソレではない。
絶望から逃れたくて酔いたくて酔えない…そんな人間の声だった。
「…実家の話……ですか?」
「…伝説の家系の剣技を引っ提げている若造に、日の呼吸の劣化版の炎の呼吸しか使えん男の気持ちなどわかってたまるか…」
その言葉に錆兎は何故いまさら自身の呼吸にそこまでの劣等感を持ってしまったのかわからず混乱する。
錆兎自身は別に実家の剣技も日の呼吸も炎の呼吸も…そして水の呼吸も、全て等しく剣技の種類に他ならないと思っているので、なるほど正直に言うと確かにわからない。
さて、これにどう返すか…と悩んでいると、隣に控えていた義勇がボソッと
「特別な剣技を習得しているかいないかじゃない。
錆兎や杏寿郎は人を救い続ける素晴らしい人で、あなたはただの飲んだくれだ」
と、恐ろしい言葉をこぼして、村田が慌ててその口をふさいだ。
「…なんだと…」
と、槇寿郎がきつい視線をそちらに向けて村田は青ざめるが、普段は臆病なくらいの義勇なのにそれにひるむこともなく、
「たとえ実家の剣技がなかったとしても錆兎は一所懸命に人を救い続けている。
私が錆兎の嫁になりたいと思ったのは偉い家の人間だからじゃない。
錆兎が今できるもので精いっぱいみんなを守ろうとしてくれていたからだ。
ない物ねだりの飲んだくれに錆兎を侮辱される謂れはない」
と、睨み返した。
あ~あれを侮辱と感じたんだなぁ…と、錆兎は内心自分自身に対して何か言われても気にしないのに錆兎に対するものはどんな些細な否定も全力で拒絶する義勇を愛らしくも面白いなと思う。
平和主義者の義勇が唯一激怒するのが自分への愛ゆえだと思うと、なんだかくすぐったくも嬉しい。
もっとも自分の方も逆に義勇を侮辱されたらキレること間違いないのだが…。
まあ、そんな錆兎の感情は置いておいて、せっかく義勇が本人はそういう意図ではないにしろ道を開いてくれたので、もう少しわかりやすい方向で話をしようか…
そう思って錆兎は静かに切り出した。
「槇寿郎殿は…なぜ刀を握られていたんです?
男と生まれたからには頂点を極めてみたいという気持ちはあるとは思いますが、それは本来は一番の目的ではないのでは?」
「…若造がわかったようなことを…」
「俺の父は四天王筆頭の家系に生まれても渡辺に伝わる剣技を使いこなすことができない人でしたが、鬼が大挙してきた時に一瞬で、まず技の継承者である俺と護衛、その次に子ども、女性、武人でない老人と男たちを順に逃がす手筈を整えて、自らは腕に覚えがあり覚悟もある男たちと共に残って他が逃げる時間を作って死にました。
結局その後、老人と男たちが次に時間を稼ぎ、それが突破されると女性さえも鬼に立ち向かい…次に少年…少女も赤子や幼子を抱いて逃げて半数は死に…そんな状況でも逃がされた俺は、確かに継承者ではありますが、父と違って人を救えるどころか、自分を救うために多くの人を死なせています。
そんな俺が継承者だというだけで父より優れた人間だとは思わない。
むしろ自分が死なせた人間より多くの人間を救わなければ、俺が生きている意味はない。
柱になったのだって、本当にたまたまです。
たまたま下弦が紛れ込んでいて、たまたま総指揮の甲が判断を誤って亡くなって…これはもうたまたまなのか俺にはわからないんですが、音柱の宇髄がいて補佐をしてくれて、ただ前を攻撃すればいいだけのお膳立てをされて下弦を斬っただけです。
それに比べて、杏寿郎は50体の鬼を斬り続けたんですよ?
一匹の鬼が日に最低一人の人間を食うとすれば、彼が2年間鬼を斬り続けたことで何千人もの人間が救われている。
これはすごいことです。誇りに思うべきだ。
現存する呼吸が全て日の呼吸から派生したのは確かでも、基礎となったものが必ずしも一番優れているとは限らない。
百歩譲って日の呼吸が一番強かったからとしても、それがなんだというんです?
俺が知る限り…というか、記録に残っている限り、日の呼吸が使えたのは最初に呼吸を伝えた1人きり。
その一人が一生の間に斬れた鬼よりは、代々子孫に炎の呼吸を継承し続けて鬼を斬り続けた煉獄家の方が総数としては鬼を多く斬っているし、結果的に多くの人を救っている。
他が使えない剣技は目立つかもしれない。
だけど使える人間が少ないということは、斬れる鬼も少なければ救える人間も少ないということだ。
優れた呼吸、優れた剣技とは何を持って決まるのかというのは人それぞれだとは思うが、俺は自分が最強でなくてもいい。
弱きものを守る盾でありたいし、人に害をなす鬼を滅する刀でありたい。
だから、多くを救って柱になった杏寿郎も、その杏寿郎を始めとする多くの人間に人を守る術となる呼吸を伝授したあなたのことも尊敬する。
俺のように自分のために犠牲にした分を救うことで埋めなければならないわけではなく、他の多くの隊士達のように誰かを殺された恨みからでもなく、ただ他人を救うために代々呼吸を伝え学び鬼を斬り続ける煉獄家の人間はつまらない人間なんかじゃない。
これは俺の嘘偽りのない私見で強要するつもりはないが、こういう考え方もあるのだ、と、心にとめておいて頂けると嬉しいと思います」
そこまで言うと、錆兎は一礼して、持ってきた料理や酒を槇寿郎の前に置いて煉獄家を辞した。
帰り道…重苦しい空気の中、義勇がきゅっと錆兎の袖を掴んだ。
そして、
…錆兎…もしかして生きているのが辛いと思ったことある?
ときく。
…あ~…まあなんというか…何かを成さねば死ぬことは許されないし、何かを成さねば生きている価値はないと思ったことならあるな…
と、それに錆兎は困ったように頭を掻いて言った。
鬼殺隊の隊士を目指す人間なんて重い事情がない人間の方が珍しいくらいで、村田だって家族を鬼に殺されて隊士を目指したわけだが、それでも飽くまで自分の気持ちの問題で何かを背負っているわけではないし、錆兎の事情はきついなぁと思いつつ、義勇と違ってかける言葉がないのは、やはり距離の問題だろうか…
義勇はそのあたり遠慮がない。
「…私…錆兎が死んだら絶対に嫌なんだけど…。
誰を救わなくても良いから錆兎が死ななければいい」
と、実に彼女らしいことを言う義勇に錆兎は、うん、そうだな…と苦笑した。
「今は義勇がいるからな…。
幼い頃から義務の中で生きてきたから、自分以外の何かのために強い剣士を目指していたんだが、お前に会ってからはお前を嫁にもらって幸せに暮らすために生きてる。
槇寿郎殿にはああは言ったが、あれも嘘じゃないんだが、お前と出会ってからは一番は自分の幸せだ。
だから…申し訳ないが、俺はお前を手放せない。
なるべく諸々お前の意に添えるよう努力はするから、俺から離れることだけは諦めてくれ。
逃げられても地獄の底まででも追っていくから」
と、声音は柔らかく耳心地の良い声で言うのだが、言っている内容がなかなか重くて思わず笑顔がひきつる村田だが、義勇はふわりと錆兎の腕にしがみつくと
「錆兎の方こそだ。
私は錆兎のために女として生きているのだから、他の女はもちろん、神様にだって錆兎を渡す気はないから、覚悟してくれ」
と、嬉しそうに言う。
ああ、空気は甘いが双方気持ちが重い。
…というか、俺邪魔?帰った方がいい?
と、隠す気もなく堂々と目の前でいちゃつかれた村田は思うわけだが、それは
「さあ、とりあえず義勇も村田も水柱屋敷に帰って杏寿郎の祝いの宴に参加しないとなっ」
という錆兎の言葉で暗に阻止され、そのまま館へ連行。
偉い面々に交じって恐縮しながら飯を食うことになる。
そして後日…父が酒をやや控え気味にして育て手を始めて、時折自分にも稽古をつけてくれるようになったのだ、と、杏寿郎が嬉しそうに語るのを耳にした。
とりあえず煉獄家は落ち着きを取り戻しつつあるらしい。
これで全てがめでたしめでたし…と言いたいところだが、不穏な出来事は尽きないものである。
これから半月ばかり後、今度は風のあたりから、嵐がふきあれることになる。
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