──今日から俺がお前のトレーナーだよ。よろしくな、おちびちゃん
ギユウが初めてポケモンボールに入ったのは1年前。
ウロコダキ博士の研究所で産まれて半年ほどたった頃のことだった
ポケモン研究者としてだけではなく、元ポケモンマスターであり、冒険家としても名高いウロコダキ博士の研究所で産まれたポケモンは、ギユウもそうだったように、だいたい1歳前後になるとポケモンボールに入れられ、新人トレーナーの最初のポケモンとして貰われて行く。
これはウロコダキの所だけではなく、世界各国に点在するポケモン協会認定の博士達が皆やっている事だ。
だが、他の博士の所では最初のポケモンとして提供されるのは、比較的ポピュラーな上に育てやすい、草タイプのフシギダネ、水タイプのゼニガメ、炎タイプのヒトカゲの3種類なのだが、この研究所はウロコダキ自身が世界各国を回って様々なポケモンを集めている事もあって、時折り非常に珍しいポケモンが配布される事で有名である。
ギユウ自身もウロコダキがどこからか見つけて来た卵から産まれたポケモンなのだが、水タイプという事の他は種類も特性も、見つけて来たウロコダキにもギユウ自身にすら、実はわからないという珍しいポケモンだ。
大きさは最初の3匹と同じくらい。
ふわふわとした漆黒の毛並みで、ピンと立った耳とまんまるの青い瞳が愛らしい二足歩行のポケモンである。
一応耳がキツネのようで、りんごなどを与えると、それを両手で持ってしゃくしゃくと食べている姿がりすのようにも見えたので、発見者のウロコダキが“キツネリス”という種族名をつけたが、他に同種がみつからないので、“キツネリス”と呼ばれるのは、いまのところギユウだけである。
そんな珍しいキツネリスのギユウは、去年の春、ポケモンボールに入れられて最初のポケモンを貰いに来た新人トレーナーの少年に貰われて行った。
その時の会話はよく覚えている。
その日は新人トレーナーが最初のポケモンを受け取りに来る日。
「ウロコダキさん、ポケモン貰いに来たよ~」
と、最初に軽やかな足取りが聞こえてボールの前にピタリと止まる。
他にも3人の少年少女が一緒だった。
「これ、台座からすると、左からフシギダネ、ゼニガメ、ヒトカゲだよね?
あと一つは?台座青だけど、これもゼニガメ?」
ボール越しでもわかる、何かが近づいてくる気配。
ふわりとボールに触れる温かい手。
「ああ、それは新種のキツネリスだ。
ワシが隣の大陸の奥地に遊びに行った時に見つけた卵から生まれたポケモンだ」
「え?!新種っ?!!俺、これがいいやっ!!」
と、ひょいっとボールが持ちあげられた。
それに周りの子ども達が我も我もと続くが、
「だ~めっ!俺が一番最初に取ったんだも~ん!!」
という得意げな子どもの声。
子ども達のそのやりとりをウロコダキは黙って見ていたが、少し考え込んでおそらく最初の子どもに向けてだろう、言葉をかけた。
「太郎、お前の家は代々炎ポケモンのトレーナーだろう?
それは水だし、親が許さんのではないか?」
「許させるっ!!だって、新種だろっ?!
俺以外持ってないってことだろっ?!」
「あのなぁ…新種ってことは、まだ能力も未知数で……」
「じゃ、もらってくな~~!!」
「おい、話を聞けっ!!!」
と、こんな感じで数十分後。
「出てこ~い!!」
と、ボールから解放されて飛びだしてみれば、目の前には嬉しそうな顔の少年。
「うわ~、本当に見た事ないポケモンだな、お前。
俺は太郎っ。今日から俺がお前のトレーナーだよ。よろしくな、おちびちゃん」
と、頭をそっと撫でる手は柔らかく心地いい。
ギユウは他のポケモンのようにウロコダキの研究所で産まれた卵から孵ったわけではないので、当然産まれた時には寄りそってくれる親はいなかった。
ウロコダキ自身はというと、トレーナーに引き渡す事が決まっているポケモンについては、あまり情を通わせると譲渡先のトレーナーに懐きにくくなるだろうということで、特に慣れていない新米トレーナー用のポケモンには極力構わないようにしていた。
だからギユウにとってこれが初めてくらいの自分だけに向けられた好意だった。
特に“お前の”トレーナーという言葉。
太郎にとってはたいして深い意味のない言葉だったのかもしれないが、ギユウにとってはすごく特別な言葉だった。
嬉しくて嬉しくて…どう反応して良いのかわからないほど嬉しくて、ただただ“自分の”トレーナーを見あげて固まっていた。
その瞬間が、ギユウのポケモン人生の中で一番幸せな時だったのかもしれない。
お金持ちの家の子どもらしく、たいそう上等の服を着てニコニコ笑っている太郎。
ウロコダキの研究所に居た頃に他の人間と言うものも見た事もあるが、その中でも一番立派な人間だと思った。
そんな立派な人間が自分のトレーナーなのだ。
嬉しい…嬉しい…嬉しい…
「お前も綺麗にしようなっ」
と太郎は綺麗な箱の中に無造作に入ったたくさんのリボンの中から、
「うん、これがお前の毛色に映えるかもな」
と、綺麗な青いリボンを出して、首元に結んでくれた。
たぶんすごく上等なものなのだろう。
ペット用ブラシで毛を梳いてくれる。
心がふわふわする。
こんな風に誰かが自分に特別に何かをしてくれたことなんて初めてで、それまで特に不幸だとか思っていたわけではないが、今すごく幸せだと思った。
こうして少年の良い匂いのする手の中で色々整えてもらっていると、ふいにするノックの音。
『太郎?もう博士の所でポケモンをもらってきたのか?』
というのは年嵩の男性の声だ。
「うん。もらってきたよ。今ブラッシングしてる」
『そうか。父さんにも見せてくれ。入るぞ』
と、ドアが開いて、少年にそっくりの、こちらもたいそう立派な様子の男性が姿を現した。
しかし、少年の膝の上のギユウを見て、男性の表情が硬くなる。
明らかに好意的ではないその視線。
「太郎…ヒトカゲは?いなかったのか?」
という声は固くて、ギユウは思わず少年の腕にしがみついたが、少年はギユウを脇のテーブルに降ろすと、父親を見あげた。
「いたけど…でも、これ新種のポケモン……」
「でも炎タイプじゃないだろう」
と、少年の言葉を父親は遮って言った。
「良いか?太郎。
我が家は代々炎ポケモンの優秀なトレーナーとして知られている名家なんだぞ?
鈴木家の人間で最初のポケモンに炎タイプを選ばなかった人間なんて、今までただの1人だっていやしなかったんだぞ?」
「でも…」
「しかもなぁ、」
と、さらに少年の言葉を遮って父親は言った。
「ウロコダキ博士の所の新種と言う事は、まだ能力の解明もできてないってことだろう?
確かにポケモンは美しかったり愛らしかったりする事も大事だが、強くもなくちゃいかん。
そのポケモンは強くなれるのか?私やおじい様のように、リーグに出て入賞できるのか?ん?」
「………」
父親の言葉に少年はもう“でも”と言わなくなっていた。
「どうすれば良いかわかるな?」
との父親の問いに、ただ
「はい、父さん…」
とうつむく。
それに満足げに頷くと、男性は部屋を出て行った。
──…きゅぅ?
ギユウは少年の膝に飛び乗ったが、少年は複雑な顔でボールを手にすると
「…戻れ」
と、ギユウをボールに戻して立ち上がった。
たぶん…自分は少年の父親をがっかりさせたのだろう。
炎ポケモンを望まれているのはもうどうしようもない。
でも強くなれば…頑張って強くなってバトルに勝ちまくれば、少年にあんな顔をさせずにすむんじゃないだろうか……
…強くなろう……
頑張って頑張って強くなるんだ……
少し悲しい気分でそう思って、ギユウはその夜ボールの中で眠りについた。
でもそんな決意は全く無意味だったのを、翌日目覚めたギユウは知る。
ボールから呼び出されて目が覚めた。
そして飛びだすとそこは見慣れた研究所。
目の前には見慣れた天狗の面をつけた男。
白衣が妙に似合わない。
仮面で表情は見えないが、なんとなく少し困った様子をしているのがわかるウロコダキ。
それでギユウは悟ったのだ。
自分はあの少年…太郎に見捨てられたのだと。
きゅぅ……
自分の泣き声で目が覚める。
寝場所はタオルを敷いた小さな箱の中。
研究所で飼われているポケモンは赤ん坊以外、夜になるとたいていはボールに入って眠るが、ギユウはあれ以来ボールに入れなくなった。
入ると死にたい気分になって、ボールから出ると涙が止まらない。
その日一日は何も食べられなくて、食べても吐いてしまう。
水すらも飲めない。
そんな事が2,3回続いて、ウロコダキもギユウをボールに入れるのは諦めたようだ。
それからはこの寝床を作ってくれて、ギユウだけは毎日そこで眠っている。
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