──本当に申し訳ないけど、もう限界なの……
と、言葉通りの申し訳なさを滲ませて義勇に言ってきた伯母は、義勇が5歳の時に亡くなった実母の姉である。
両親と姉が亡くなって以来、義勇は彼女の家に引き取られて育てられた。
とはいっても彼女は私立に、義勇は普通に公立の学校に行っていたので、日中はほぼ顔を合わせることはなかったし、彼女を溺愛していた彼女の父親…つまり義理の伯父は義勇と彼女をあまり接触させたがらなかったのもあって、従姉妹ではあるものの、親せきというほどに優しい付き合いはなかった。
それだけではない。
伯父夫婦が家族旅行の時などは義勇は留守番で、彼らの家族というくくりにはいっていたかは微妙なところだった。
が、それでも伯母夫婦の家で引き取ってもらえなかったら施設にでも行くことになっていたのだろうし、十分ありがたい。
中学までは伯母の家から通わせてもらって、高校からは実父の持ち物だったらしいマンションに移り住んで、そこから学校に通っていた。
生活費は月に10万、伯父が口座に振り込んでくれて、それ以上はアルバイトで賄う。
そんな生活をつづけながら、早生まれで2月生まれの義勇が18になった2か月後、大学に入学してすぐ、伯母夫婦が義勇のマンションを訪ねてきた。
そして切り出されたのが、今まで立て替えてきた義勇にかかった養育費を返してほしいということである。
お金のことは義勇にはよくわからなかったが、幼稚園から今まで、義勇1人を育てるのにはそれなりの金がかかっていて、彼らの一人娘が私立の大学に進学するのにかかる費用の捻出のため、今は他人に貸しているらしい義勇の実家を取り壊してビルを建て、実家から通うには遠い娘の1人暮らしのために義勇が今住んでいるマンションを明け渡してほしいとのことだった。
それは義勇にとっては全く寝耳に水で、何もかも明け渡してしまったら学費は奨学金で賄っているものの、義勇自身の住まいや生活費が賄えなくなるし、大学に通うのが困難になるので、本当に途方に暮れてしまった。
自分たちも鬼ではないので今は義勇の名義になっている亡き父が遺してくれた2件の物件の所有権を移してもらえれば、それ以上金をとることはしない。
必要な書類は近日中に整えて、義勇が押印をすればいいだけにしてくるから…と言いおいて、伯父たちは帰っていった。
もともと伯父は義勇を引き取るのにいい顔はしていなかった。
いつも引き取ってやったのだから…と言われ続けてきたので、養育にかかった金を返してくれと言われることも想定しておくべきだったのだろう。
父の遺品のほとんどは形見分けとして伯父が持って行ってしまったし、母の宝石や着物は伯母の手に…。
義勇に遺されたのは本当に二軒の物件だけだったのだが、それさえも失うとすれば、家族のものは何もなくなってしまう…。
ここを渡してしまってからはどこに住めばいいのかもわからず、家賃と生活費をどうやって稼ぐか…と思うと、不安しか感じない。
大学に行くとかいうレベルではなく、下手をすればホームレスになるんじゃないだろうか…
そう思うと心細くて悲しくて、なぜ自分だけ生き残ってしまったのだろうと、これまでも孤独にさいなまれて何度か思ったことをまた思う。
もう無理だ…
いっそ家族の元へ行ってしまおうか……
義勇はそんなことを思って、マンションのベランダに出た。
そうして5階にあるベランダから下を見る。
ぴゅうっと吹く風に、地面に生えている桜の木が揺れて花弁が舞い散っている。
父さん、母さん、姉さん…俺ももう行ってもいいよね…
ぐっと手すりをつかんで身を乗り出そうとした瞬間、びゅうう~っとさらに強く吹いた風に、義勇は吹き飛ばされて、コロンと地面に転がった。
…え??
いきなり高くなった手すり。
いや、手すりが高くなったわけじゃない。
義勇の視点が低くなったのだ。
どうなっているんだ??
と、つぶやいた声は、なぜか、にゃあ…という鳴き声に変換される。
そこでおそるおそる自身を見下ろすと、ふわふわした真っ黒な毛並みの小さな体が見えた。
手を顔の前に持ってくると、ピンク色の肉球が目に飛び込んでくる。
え?え?ええ???
何が起こっているのか本当にわからない。
これは夢なのか?
いや、夢に違いない。
だって、自分が真っ黒な子猫になっているなんて、ありえるはずがない。
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