ありえない…熱を出した。
錆兎に迎えに来てもらってイケメンマンションに舞い戻り、心配ごともなくなり、美味しいチュロスを腹いっぱい食べて幸せな気分で眠りに着いたはずの義勇だったが、ひどく寒気を感じて体温を求めて一緒に寝ているイケメンに擦り寄ると、錆兎が飛び起きた。
文字通りガバっとだ。
それなのに錆兎はひどく動揺した顔で一瞬かたまったあと、おそるおそる手を義勇の首元に伸ばして触れて一言、『熱すごいな…』と、呟く。
しかし、寒い…と、ぼーっとする頭でそんな事を思って手を伸ばすと、すぐ気付いてくれて、
『ああ、寒気がするんだよな?こうしたら少しは温かいか?』
と、覆いかぶさるように布団ごと抱きしめてくれる。
ああ…やっぱりイケメンはすごい。
いつでもして欲しい事をすぐ察してくれて、して欲しいようにしてくれる。
布団よりも何故か温かく感じる人肌はすごく心地よくて安心で、義勇はいつのまにかまたウトウトと眠りこんでしまった。
そんな風に眠っていると、熱のせいだろうか、おかしな夢を見た。
義勇は怪我をして暗い山の中に居た。
何故か着物を着ている。
空には綺麗な月。
だが、怪我を負った義勇はそんな夜空を見る余裕もなく、去っていく後ろ姿に泣きながら手を伸ばしていた。
相手も着物を着ていて、なにより義勇も彼も今よりもずっと幼いが、宍色の髪を翻していくその後ろ姿でわかる。
彼は錆兎だ。
義勇は山で背を向けて走っていく錆兎に必死に手を伸ばし、行かないでくれと泣き叫んでいる。
さびと、さびとっ!行っちゃだめだっ!!行かないでくれっ!!!
引き止められなければもう二度と会えないことを、なぜか義勇は知っていた。
だから必死に手を伸ばすも、唇からこぼれた言葉は錆兎に拾われることもなく、錆兎は夜の闇の中に消えてしまう。
身を引き裂かれるような喪失感。
あまりに辛くて、義勇はいますぐ死んでしまいたいと思った。
さびとっ!いやだっ!!いやだあああーーー!!!!
宍色の髪がとうに見えなくなっても、義勇は手を伸ばして泣き叫び続ける。
…う……義勇、起きろ…
グイッと身体が起き上がるように体勢が変わった。
もともと立っていたはずなのに??
え…?と、義勇が目をぱちくりすると、目の前には厚い胸板。
薄暗いのは一緒だが、いるのは外ではなく、月は窓から見えはするものの窓ガラス越しで、オレンジ色の間接照明が部屋を照らしている。
──怖い夢でも見たのか…?
と、義勇の半身を起こさせて支えてくれているのと反対側の手の指先で涙を拭ってくれるのは、ついさっき走り去って行ってしまったはずの錆兎その人だ。
いや、違う。
さきほどの錆兎はもっと幼かった。
今のこの錆兎は…義勇を置いていったりしない。
義勇が泣いて縋ればきっと走り去って行ったりはしないだろう。
──…さび…と……
──…ん?なんだ?
──…どこにも…いかないでくれ…俺を置いて行かないで…
そう泣きながら訴えれば、
──当たり前だろう?…もう二度とお前を置いていったりはしない。今度はずっと一緒にいる
と、まぶたに落とされる口づけ。
それに安心してくすんくすんと鼻を啜りながらその逞しい胸元に縋れば、背に回している腕にやや力がこもって、ぎゅっと強く抱きしめてくれる。
それに一瞬安心して、錆兎の言葉を脳内で繰り返してまた安心して…しかし、ふと引っかかりを覚えた。
…今度は…?
…え?と思って見上げると、錆兎は
「なんだ?」
と、不思議そうな視線を返してくる。
「…あれは…夢…じゃないのか?」
思えば不思議なことは多々あった。
初対面に近い人間にしては、錆兎はずいぶんと義勇の性格を熟知していた。
最初はコミュ力の高い人間は観察眼が鋭いから義勇の性格や好みを察することもできるのかと思っていたが、考えてみればいくら観察眼が鋭くても、義勇の好物までわかるはずがない。
だって鮭大根だ。
肉が…とか、魚が…とか、和食か洋食か、とか、せいぜいパスタやハンバーグなどありがちな料理ならわかるが、鮭大根なんてものをピンポイントでわかるなんてありえない。
そう思って見上げれば、錆兎は少し目を伏せて
「…いや…夢だろう?」
と、答える。
それで義勇は思った。
「そうか…夢じゃないんだな…。なぜ隠すんだ?」
そう問えば、存外に長い錆兎の宍色のまつけがピクリと揺れた。
「…楽しい話ではない。…夢だと思っておけ」
いつでも即答する錆兎にしては珍しく少し迷って、そして小さなため息と共に吐き出されたその言葉はそれが事実であることを証明している。
それなら…知らないでいることなんてできるはずがない。
「俺は俺と錆兎のことについてなら何でも知りたい。
それが楽しい話じゃなかったにしろ、これからの生活に影響することではないのだろう?」
と、さらにそう問えば、錆兎は少し困ったような笑みを浮かべて、
「本当に…思い出す必要なんてなかったのにな」
と言いつつ、話し始めた。
「なんで教えてくれなかったんだっ!!」
全てを聞いて全てを思い出した。
狭霧山での出会い…一緒に過ごしたかけがえのない日々…失った時の胸が張り裂けそうな悲しさから、その後の生きる希望すらなくとも生かされた身として繋げて行かなければと跡を追う事すらできないまま、ひたすらにやるべきことを成して死ぬことだけを望みつつ鬼を斬り続けた絶望に満ちた日々も……全て、全て思い出した。
──さびとっ…さびと、会いたかったっ!!
しがみついて泣けば、確かに生きていて受け止めてくれる大きな手。
そうだ。
イケメンだからじゃない。
側にいるだけで心地よくて、何をしていても幸せで楽しかったのは、相手が錆兎だったからだ。
具体的な事を全て忘れていたとしても、義勇の本能が覚えていたのだろう。
こうして思い出してしまえば、いまこの瞬間がどれだけ貴重なものかがわかった。
こうやって触れたかった。
こうやって生きて成長した錆兎を見たかった。
一緒にやりたいこと、行きたい所がたくさんあった。
そう訴えれば、今生で全部やろうな、と、錆兎が答えてくれる。
──熱が下がったら何でも叶えてやるから…何をしたいかどこに行きたいか考えておけ
と、優しく頭を撫でる錆兎の言葉に義勇は考えた。
錆兎が好きだった。
姉が鬼に殺されたあと、錆兎が義勇の世界の全てだった。
でも義勇はまだ幼くて、その気持がどういうものなのかを知ったのは、錆兎を失って数年もたった思春期の頃だ。
ああ…あれが恋だったのだ…と知って、義勇は泣いた。
一生に一度の恋だったのだ…と、叶うことなく相手どころか自分自身にすら知られる前に散ってしまった自分の唯一の可哀想な恋を思って泣いたのだ。
──…さびと……
──…ん?
──…恋を…叶えたかった…。前…は…気づいた時には…失くしてたからっ……
泣きながら訴えれば、ごめんな?と返ってくる。
「今度はちゃんと恋をしよう。二人でいろんな所へ行って、色々なことをして、飽きるほど抱きしめあってキスもして…そのあとのことも……
そうやって二人で生きていこう。今度こそ爺さんになるまで一緒にな」
錆兎の言葉に義勇はうんうんと頷いた。
そうだ、そうやって生きて行きたかったんだ。
二人で一緒に生きていけるなら、その他のことなんて本当にたいした問題ではないじゃないか。
その後、熱が下がった時には、約束通りやりたいことをさせてもらった。
そう、もう片時もというのは無理でも可能な限り片時も離れないための引っ越しを。
そして朝は義勇にとって世界で一番のイケメンの顔を見ながら目を覚まして、夜はその腕の中で眠りに落ちる。
こうして百年以上の時を経て、自覚も出来ないほど幼い頃に芽吹いた義勇の初恋は、見事に大輪の花を咲かせたのであった。
── 完 ──
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