卒業_オリジナルVerコウ_08

シン…と静まり返る室内。
思わぬ展開に高揚した気分も吹き飛んだ。

話の流れからして、風早老が言っている事の意味はコウには手に取る様にわかるような気がした。
と、同時に今回何故風早老がここまで自分に協力的だったかという理由もわかった。


確かに今回の真相究明は必要で、コウが提出した資料は理にかなったものだったというのもあるが、それよりなにより大きな理由は、風早老がすでに一度握りつぶした事件でコウの父に持っていた負い目と、その時にした約束の履行のためなのだろう…。

それはコウが思っていた以上に藤を傷つける真相を暴く事になる事に気付いて、コウは焦った。
自分は開いては行けない扉を開き、触れては行けない禁忌に触れてしまったのだろうか…。

迷って言葉のないコウの代わりに口を開いたのは当の藤だ。

「お祖父様…今の話の玲二叔父さんのやった犯罪って…」
膝の上で握りしめた拳が震えてる。

風早老からも険しい表情が消えて、代わりに迷いの色が浮かぶ。
そこで和馬が初めて口を開いた。

「叔父さんに殺されかけたという事実は変わりません。
どうせショックは変わらないなら、優しい叔父さんにいきなり殺されかけたと思うよりも極悪人に騙されてたと思った方が割り切りやすいとは思いますね、俺は」
その言葉に藤はちょっと目を見開いて、次の瞬間笑みを浮かべた。

「…うん…そうだね。…大丈夫、私には和馬がいるから」
そう言って藤は和馬の肩に顔を埋める。
和馬は小さく嗚咽を漏らす藤の背中をポンポンと叩いた。

その様子に意を決したようだ。
風早老は重い口を開いた。

「もう察しはついてると思うが…今から20年前の事だ。
私の長男夫婦が別荘の火事で亡くなった。
藤は駆けつけた消防署員に奇跡的に救出された。
よくはわからんが、子供部屋が閉め切られていて完全に密封状態だったのが煙や炎の流出を防いでくれて助かったらしい。
本当に炎上の状態をみたら奇跡のようだと言っていた。
山奥の別荘でメイドもおかずに家族3人ゆっくりしていたところの火事だったが、警察が調べたところ放火の疑いが出て、風早財閥の家の者ということもあり、当時本庁の警視正だった碓井正成君が陣頭指揮に乗り出した。
そして…焼け跡から不審な車が逃げさったという目撃証言。
他家の監視カメラに写った車は玲二のだと私にはわかった。

放置していれば捕まるのは時間の問題な気がしたが、今玲二を警察に送ってなんになるのだ。
そうしたところで長男夫婦が生き返るわけでもなし、残った孫にしてみれば叔父が両親を殺したなどと言う事実など知りたくもないだろう。
そう思った私は犯人を特定しかけた警察にあれは放火ではなく本人達の火の不始末だということで上からストップをかけさせた。

もちろん確信を持って捜査に望んでいた碓井君にはさきほどのように激怒をされて、私もまたさきほどのように約束を返したという訳だ。
そして身内でも信用できないと実感した私は孫をある程度の年まで子供達から放して手元で育てる事にした。

玲二も私の目の黒いうちは大人しくしていて私が病気にでも倒れたらと思っていたんだろうが、私は意外に健康なまま藤も成人を迎え、それまで異性の異の字もでてこなかった藤に金森君が現れた。
藤が選んだ男が凡才なら恐らく迫害するであろう妹や弟をよそにかばう事で信頼を得てという方向も考えたんだろうが、あいにく相手が出来る男だったため操れないと思ったんだろう。
どうせもう一度犯罪に手を染めるなら金森君を殺してまた藤に自分が操れる男をくっつけるなどというまどろっこしい手を使うより、藤がいなくなれば自分に相続が回って来る訳だからその方がいい。
そう思ったんだろうな…。

藤も友人諸君も本当に申し分けなかった。
特に碓井君には親子二代に渡って多大な迷惑をかけて申し分けない。
お父上にも私が謝罪していたとお伝え願いたい」

自分は謝罪される立場なんだろうか…呆然とコウは思う。
緊張が続きすぎていて、意外な事実が多すぎて、もう色々よくわからない。

茫然自失のコウとは違い、まだ冷静さを残しているのだろう。
そんな中、その空気を変えようと思ったのかユートが口を開いた。

「で?金森と藤さんは今日のいつ籍いれるん?」

その言葉に和馬はこいつ馬鹿か…といわんばかりの呆れた目をユートに向ける。

「あのなぁ…話の流れで普通わからんか?
籍いれるって話自体が犯人を特定させるためのフェイクに決まってるだろうがっ。
これだから凡人は…」
舌打ちをする和馬。

ところが風早老は、あっさり
「いや、それはそれ、これはこれだろう」
「はあ???」
和馬は唖然とする。

「何言ってるんですか?仮にも風早財閥総帥がそんな軽卒でどうするんですかっ?!
まだ社会人にもなってない、本当の意味で社会的に役に立つかわからない不確実性に満ちた人間を身内に取り込むなんてとんでもありませんっ!」

自分に対しても上から目線。
すごい見下した物言いをしないではいられないのが和馬らしい。

それにたいして風早老はきっぱり
「私を誰だと思っている。長年この財閥を率いて来た総帥だぞ。
必要な人間を取捨する能力には長けているつもりだ。
良い物は誰が見ても良いとわかった時点で手を出すようでは遅い!」

まあ…初対面で”風早を動かすつもりで”勉強しろと言っていたのだから、そういう事なのだろう。
せめてそちらがハッピーエンドで良かった、と、コウは心から安堵した。



「ね、碓井君、お父様お元気?」
ユートやアオイ、フロウが藤や和馬を囲む中、やっぱり席で放心していたコウの隣、フロウがいた席に、芹が腰をおろした。

「父をご存知なのは…やはり藤さんのご両親の事件ですか?」
風早老も懐かしげにしていたが…面識のない自分を芹がやたらと気にかけているように見えたのはやはりそれなのだろうと思って聞くと、芹はふふっと少女の様に笑った。

「格好良かったのよっ。私の初恋の人よ」

なるほど…と、コウも納得。

それぞれ5歳違いの兄弟らしいから、藤の父が32の時という事は10歳下の22歳か…。
家族が焼死などというショッキングな死に方をしてショックを受けた深窓のお嬢様がその解決に向けて陣頭指揮を執っているエリート警察官を頼もしいと思ったというところか…。
まあ…父親その頃はもう36の妻帯者だった気がするが…

「プロポーズしたんだけど振られちゃったわ」
と楽しげに言う芹。

「そりゃそうでしょ。キャリアとは言っても36歳の妻帯者の一警察官ですよ?
14も歳下の財閥のお嬢さん相手に、はいとは言えませんて」
そこまで言ったのかと呆れるコウだが、その後に続く芹の言葉にさらに呆れ返った。

「捜査当時はね。
でも私その2年後奥様が亡くなった事知った後にあかちゃんのママになっても良いってプロポーズしたのよ?」

「……子持ちの中年男のどこがそんなに良かったんですか?」

お嬢様の考える事は本当にわからない…。
若い身空で中年で子持ちの男やもめと結婚?

「全部♪本当に全部素敵だった♪」
昔を思い返しているからか、笑顔だとそうなのか、芹は少女のような表情になる。

「私が強引に再会しに行った時は奥様亡くなってまだ1年もたってなかったんだけどやっぱり別の事件の陣頭指揮取っててね、うちの父は母が亡くなっても全然知らんぷりで仕事してた人だったからなんかその姿に重なっちゃって”男なんて奥さん亡くなっても全然平気で仕事してるのね”って突っかかっちゃったのよね、私。
そしたら正成さんが言ったの。
”亡くなった妻は社会の秩序を守るため働く私を好きになってくれたので、彼女が好きになってくれた自分でいるのが彼女に対する一番の供養だと思っています。”って。
もう惚れたわ~。
それ聞いて私その場でわんわん泣いて謝っちゃった。
で、さっきみたいに言ってプロポーズしたんだけど、自分は一番好きな相手以外とは結婚する気はないし、一番好きなのは亡くなった妻だからって。
もうそれ聞いて余計に夢中。
追いかけ回したんだけどダメだった~」

なんというか…コウは実は父の私生活と言える様な部分をほとんど知らない。
忙しくてあまり接する時間がなかったというのもあるし、たまに話をすると社会正義や事件について…よくてコウの進路の話くらいか。
自分自身の事はむろん、母の事を語った事もなかった。

コウも一度だけ母の人となりについて尋ねた事はあるが、その時は確かきっぱりと
「他人の亡くなった妻について知ってもしかたなかろう?」
と言われて、ああ、そうかと納得した気が…。

今にしても考えてみれば、彼女は父の妻でもあるがコウの母でもあるので、別に他人の妻について知りたいわけではなかったのだが、まあそれで納得してしまったのが当時の硬質なコウである。

もしかしたら…まだあどけない年齢の息子に亡くなった妻の事を聞かれるのがつらかったのかもしれないな…と、芹の話を聞いてコウは思った。

一つわかった事、父は一応母の事を愛してはいたらしい。
まあ…コウが父に似ているということは父もコウに似ているわけだから、たいして好きでもない相手と結婚はしないだろう。

遺された赤ん坊がもし自分ではなくて亡き妻に似た女の子だったりしたら、今頃親馬鹿していて警視正か警視長あたりで止まっているかも知れないな…ともふと思ったりもする。


「でも惜しかったな~♪
その時正成さんがプロポーズ受けてくれてたら、私今頃こんな素敵な息子いたのね~」
コウがそんな風に感慨に浸ってる間も芹の楽しげなおしゃべりは続く。

「失礼ですが芹さんご結婚は?」
ふと気になって聞いてみると芹はきっぱり言った。

「もちろん独身よっ。
正成さんに倣って一番好きな人以外とは結婚しないって決めたら結婚できなくなっちゃったわっ。私今でも正成さん以上の男性に出会えてないんですもの」

げに恐ろしきはお嬢様の思い込み…
コウはその言葉に頭を抱えた。

「ね、ああまで言ったんだもん、当然正成さん、あれから再婚なんてしちゃってないわよね?」
「ええ、浮いた噂一つ聞いた事ありませんが…。
というか、色恋沙汰どころか仕事以外の人生が一切ありません、俺が知ってる限りは」

コウの言葉に芹は
「ああ、良かったぁ」
とふわりと微笑んだ。

そんな芹を見てコウは思った。
芹は今でも父が好きで…ゆえに父に似ている自分に好意的だったらしい。
そして…さらに似ているらしい自分と藤…。
何故藤に好意が向かなかったんだろうか…。

「芹さん…立ち入った質問な上、本当に単純な好奇心なので、気に触るようでしたらスルーして頂きたいんですが…」
「うん、何?何でも聞いてちょうだい」
にこやかに言う芹。
意地の悪い人間には思えない。

「俺と藤さん…よく似ているって言われるんですよ。
で、俺は芹さんが好意を持って下さっている父に似ていて…。
要は…藤さんて芹さんが嫌いなタイプには育ってないですよね?
でもあまり仲良くないように聞いてるんですが…?」
その言葉に芹は一瞬きょとんとして、次の瞬間笑みを浮かべた。

「あ~、私は別に嫌いじゃないわよ。
兄さん達が亡くなった時、私も正成さん以外と結婚したいと思わないから多分独身なんじゃないかな~とか思ったから姪と二人、女同士で暮らすのも良いかな~とか思って引き取るって言ったんだけど、父がね、お前みたいなのには無理だって。
あの人はいつでもそう。
自分が何もさせないように人形みたいに育てて来て、そのくせ上から目線でお前は何もできないって。
自分以外誰も信用してないし、自分以外誰もすきじゃないのよ、あの人は。
だから…悔しいから高校で英国留学した時に知り合った友人とジュエリー関係の事業始めたの。
まあ風早みたいにすごくはないけど風早の影響下にもないし、自分とペットのチワワ養って行く程度には食べて行けてるから、別に藤が父の元離れたくなったら引き取ってあげてもいいとは今でも思ってるわよ?」

なんというか…すれ違い…なのか?

「でも…和馬の事に関しては反対してかなりキツい事をおっしゃってたとか?」

「あ~、そりゃね。お坊ちゃま学校に通う高校生でしょ?
プライドだけはあって計算高くてって誰かさんみたいじゃない?
魂胆見え見えな男に私と同様”父の元から自立できないように”世間知らずに育てられた藤が騙されていい様に利用されるのはいい気分しないし」

なるほど。そういう意味では藤は物理的に何でも出来る様に見えて、”風早の総帥”として必要な事以外は確かに疎い所があるように思う。
別に自立できないようにしたわけではないのだろうが、他の事を覚える必要が無い、絶対的に将来は風早の総帥にと外の世界や他の可能性をなるべく見せない様に育てたのは事実なのだろう。

「一応…友人として誤解を解いておくと…和馬はプライドが高くて計算高いのも確かですが…それどころか目的のために手段を選ばないのも確かで…」

「それ…全然誤解解く気ない感じがするのは私だけ?
というか更なる誤解を与えてる気が…」

「あ、いえ、それは今言った事は確かなんですが、俺が言いたいのはその目的というのは自分ではなくて、自分が認めた人間の価値を高める事なんです。
自分が本質的にカリスマだと思った人物をひたすらサポートする事に人生の意義を見出している奴なんで、そのカリスマのためなら手段を選ばないんです」

「えと…要は…藤のために手段を選ばないという事?」

「ですです。
だから奴は小学生の頃に事故で家族をなくして親戚の家で育って、大学を機に自活を始めたんですが、親戚の家を出る際に藤さんに風早に来ないかと誘われたんです。
でも自分が自立できる手段がないうちに風早に入ってしまうと藤さんがそこを出たくなった時にフォローしきれないからと断って、亡くなった両親が住んでいた家を売った金でマンション買って、海陽時代に作ったコネで仕事もらってずっと誰にも頼らず自力で生活してますし、藤さんも今回もし風早総帥に反対されたらそこに転がり込む予定だったらしいです」
コウの言葉に芹は大きく溜め息をついた。

「だからなのね…父が彼を抱え込んじゃったのは…。
藤が風早にいる限り絶対に裏切らない強い意志を持った優秀な人材なんて早々いないものね。
いっその事二人で家出ちゃった方が良かったのに…」

芹は風早が好きではないのだろう。
だが、藤にはそれなりの愛情を持っているようでホッとする。
あとで和馬と藤にはそれを伝えておこう…と心に思って、コウはフロウ達と共に風早邸を辞した。


こうしてコウは全てを終え、一旦ユート達と共に一条家に戻って一休み&入院中の支度をする。
それからフロウと共に病院へトンボ返り。
医師から再度治療を受けて点滴を打って一息つく。

フロウは留守中に芹から届いた花束を活けている。
ボ~っと手持ち無沙汰に外を見ながらコウはふと父と話をしてみたいな、と、思った。
大学に受かった事も高校を無事卒業したことも確かメールだった。
祝いのメールと祝いの品は届いたが、肉声を最後に聞いたのはいつのことだっただろうか…。

自分はおそらくこの後早ければ2年、遅くとも4年後には自分の家庭を持って、父の保護下から完全に出て行く事になるだろうとコウは考えた。
その後は父ではなくフロウといつか生まれるであろう自分達の子供が家族になる。

ずっとあまり会話を持たずにきたが、そうなる前に、父が唯一の家族であるうちに一度話をしてみたい。
そんな事を考えていると、見事な蘭の花を飾った花瓶を手にフロウが戻って来た。

それを応接セットのテーブルに飾ると、小さな一輪挿しにさした蘭をベッド脇のサイドテーブルに飾る。
わざわざわけたらしい。

それから電気ポットにミネラルウォータを入れてスイッチをつけ、持参したらしいティーカップをテーブルにセッティングする。
そこでコウはようやく気付いた。

「来客でもあるのか?」
カップに続いて綺麗に磨き込まれたティースプーンをソーサーにセットするフロウに声をかけると、フロウはちらりと壁時計に目をやって、それからテーブルに視線を戻す。
「たぶん…あと15分くらいでお父様が…」

「は?誰の?」
ぽかんとするコウにフロウは当たり前に
「コウさんのに決まってるでしょう?」
と宣言。

「一応…入院した時点で風早家から連絡がいっているそうです。
で、今日の3時にみえると伺ってます」

「早く言ってくれっ。心の準備ってものが…」
焦るコウにフロウが不思議そうに首をかしげた。
「家族がお見舞いにくるのに心の準備が必要なんです?」
「うちはなっ」

全部の家族がとは言わないが…少なくともコウは父に対してある種の緊張感を持っている。
特に今回のシチュエーションは…。

自分の方はどっぷり一条家につかっていたコウだが、実は自分の親の方にはフロウの事を言ってない。
意識的に隠していたという訳ではないのだが、プライベートについて話す機会を持てないまま今日に至る。

どう紹介しよう…。
父はフロウにどんな印象を持つだろうか…。

とりあえず身なりを整えるため着替えをと思ったが点滴中…着替えができない…。
挫折…溜め息。
慌てるコウをよそにフロウはおっとり構えている。

そう言えば…フロウの父、貴仁に紹介された時もそうだった。
慌てるのはコウだけで…。


結局心の準備もできないまま2時ぴったりにドアがノックされる。
止める間もなくフロウが
「は~い♪」
とドアを開けに行く。

うああ~~と思うもののあとのまつり。

「いらっしゃいませ。どうぞ、中に」
にこやかにうながすフロウ。
コウがそのまま年をとった様な、いかにも硬質な父は一瞬その場に硬直した。

しかしそこは年の功なのか、すぐ
「失礼」
とにこやかに笑みを浮かべて中に入る。


気まずい視線を交わす男二人を尻目にやはりにこやかに
「どうぞ、おかけ下さい」
と椅子を勧めるフロウ。

コウもベッドから降りるとスリッパに足を通し、点滴をひきずりながらそちらに行く。
その間にフロウは手際よく父とコウのカップに紅茶を注いでいる。

「あ~、こちらの女性は…?」
応接室の椅子の側まで来たコウを見上げる父。
コウもこうなると覚悟を決めるしかないと思う。

「はい。現在交際中の一条優波さんです。
遅くとも大学を卒業して警察庁に就職した時点で結婚をと考えてます」
コウの言葉にフロウが手にしたティーポットを一旦テーブルに置いて父、正成を振り返った。

「初めまして、一条優波です♪
頼光さんのお父様にお会いできてとっても嬉しいです♪」
と天使の笑み。

その言葉に正成は立ち上がって
「初めまして、頼光の父です。息子がお世話になってます。
これからも宜しくお願いします」
とやはり笑みを浮かべて軽く会釈をしてまた座り直す。

その後フロウはお茶菓子をとパタパタと冷蔵庫へ。
それを見送ってコウは自分も椅子に腰を降ろした。

「”頼光さんのお父様”…か。そういう言われ方は珍しいな」
クスリと珍しく父が笑みを浮かべるのを、コウは意外な気持ちで目にした。
常に厳しい顔で難しい問題に臨む父の姿しかコウは知らない。

「可愛い子だな…」
父の口から可愛いという言葉が出るとは思わなかったコウはさらにポカ~ンと呆けた。

しかし続く
「幸せな家庭を作ってくれそうだ」
という言葉には
「俺もそう思います」
と同意する。
そう、フロウに惹かれた一番の理由はそれだ。

ようやく返ってきた息子の反応に、
「これで…肩の荷が降りたな」
と、父はホッと笑みをうかべる。

「肩の荷…ですか…」
「ああ、春菜が亡くなって生後二ヶ月の赤ん坊を遺された時は正直茫然自失だった。
もともと…”春菜が作り上げた”家庭だったからな。
彼女がいなければただの住居に過ぎん。
それでも赤ん坊には家庭も家族も必要だろうが、そのあたりの作業に私は著しく適性がない」

意外な父の告白。
ちなみに春菜というのはコウの母だ。

「結果、育成計画だけはたてて、実行するのには適性のありそうな人材を雇う事にしたんだが…学業、武道だけでなく、情操教育に至るまで完璧な計画だったはずが、何故か妙に子供らしさのない生真面目な子供に育った気がして、このまま人間味のない社会人になったらどうしようかと心配していたんだが…大丈夫そうだな」

うああ~~である。
気付いていたのか…というか…そう育てようとしていたわけではなく、実は極々普通の子供に育てようと父なりに努力をしていたが、それがことごとく外れだっただけという…まさに自分の親だとコウは思った。

「まあ…あちらの親御さんに許してもらえるなら結婚は早くしておきなさい。
別に私が援助してやっても構わんがそれはお前も嫌だろうから、必要ならこの前渡した春菜の遺産を使うといい。
あれは…お前は自分が稼いだものではないからと言う気持ちがあるかもしれんが、本来なら与えられるはずの母親の保護と愛情を与えられる事ができなかった代償でもある。
当然の権利だと思って使いなさい。
人生は何があるかわからん。
自分が死ぬか連れ合いが死ぬか…そんな時がくれば一日でも早く一緒になって少しでも長く共に過ごしておくのだったと後悔もする」

それはおそらく父が感じていた事なのだろう。
そう語る父は少し寂しそうだった。

「父さん…」
もちろん父とて不死身ではないわけだから聞く機会を逸する可能性があるのは同じなので、コウは疑問はクリアにしておこうと思って口を開いた。

「なんだ?」
「昔…たぶん4、5歳くらいの時だったと思うんですが、母さんの事を聞いた時、さりげなく語るのを拒否されたように思うんですが…」
「ああ、覚えていたのか」
父の方も覚えていたらしい。
父は苦笑した。

「私が彼女を語るとどうも誤解を生む気がしてな…」
「誤解?」
「人間が普通立派だと思う資質と彼女の持つ資質というのがどうにもかけ離れていて…学歴、運動能力、職業…そういうものだけが価値ではないんだが、なんというか…子供にはわかりにくかろう?
そこを上手に説明する自信がなかった。
子供にとって親というのは立派な人間であって欲しいと思うものだろうからな」

なるほど…。

「…それで…結局どういう人だったんです?」

ここで聞いておかないと、祖父母もそれぞれ亡くなっている上、親は一人っ子同士で母について知る機会はなくなる。
コウが彼にしては珍しく父に詰め寄ると、父もコウももう子供ではないと思ったのか語り始めた。

「一言で言うと…面白い女性だった」
意外な言葉にコウはポカ~ンだ。
「はあ…」
「常識外れぎりぎりの無邪気さと天真爛漫さの持ち主だったな…」

なんというか…父のイメージと真逆な気がする。

「とある事件の捜査で出会ったんだが…その翌日にプロポーズを…」
「したんですか?」
「いや、された」
なんというか…どこかで見た様な図な気が…。

「で、結婚を?」
「いや、普通断るだろ。
35の男が20歳の娘に出会った翌日プロポーズされたら…」

まあ…そうだが…。というか…フロウよりすさまじい…。

「じゃあどうして?」
「わからん…気付いたら家に住み着かれてた…」
「家出娘…とかいうオチじゃないですよね?」
「いや、自分の家は確かにあったんだが…何故か…な。
今はもう実家も向こうの両親が亡くなって取り壊したが、当時は自宅が近かったからか。
事件の証人だったんだが、事件の話と称して署の方にと何度言っても自宅を訪ねてきて、最初は茶を入れるからとカップ持参で…それから何故かどうせなら茶菓子をと皿を置いて行くようになって…ここまできたら食事をと鍋を持ち込んで…何故かご飯が炊けないから電気釜を買ってくれと言われた時点でな…もうこれは籍いれるかと…」

………。

「…今…自分の押しに弱い性格がどこから来たのか壮絶に理解しました……」

もう…本気で他人とは思えない…というか他人じゃなくてまぎれもない親子なのだが……
そして、幼少時の自分に父が母の話をするのを渋った理由もまた壮絶に……。
確かに子供時代にそんな話を聞かされていたら、自分の母親ながら何者なんだと悩んだだろう。

「でも…無邪気で憎めない楽しい人だったんですよね?
いつもふわふわと幸せそうに笑っている様な…」
なんとなく理解を示す息子に父は少し意外そうにそれでもうなづいた。

「ああ。誰かにきいたのか?」
母方の祖父母は母が亡くなった2ヶ月後、あとを追う様に飛行機事故でなくなっているので聞く相手などいないはずなのだが…と首をかしげる父。

「いえ…単に今の話でなんとなく…俺はまぎれもなく父さんの子だったんだなと…」
コウは小さく吹き出して、フロウとリアルで出会うきっかけとなったフロウの暴走について語った。

「不思議なものだな…普通の親子からみると接する時間が極々少ない親子だったのに、似た様な人間に育って似た様な人生を歩んで来たんだな…」
「ですね…」
父の言葉に今まで尊敬はしていても遠くに感じていた父親が随分と近くなった気がした。

「出会って半年で結婚して、それから1年半後になくなっているから2年間か…。
だがその2年間が57年の人生の中で一番密度の濃い2年だったな…。
その2年間だけ確かにあの家に”家庭”が存在して、空気が明るかった気がする」

2年と言えば…あと3ヶ月ほどで自分がフロウと出会ってからそのくらいたってしまう。
本当に短い期間だ…。

「まあ…春菜が遺してくれた赤ん坊が独り立ち出来るまでは頑張るかと思ってやってきたが…お前の話を聞いているとその息子に子供が生まれて確かに幸せな家庭を築くところまでは見たいかという気になってきたな…」

言われるまでもなく早くそうしたいのだが…そこでコウはふと気付いた。

「姫?どうした?」
冷蔵庫やシンクのある方に向かったフロウがやけに遅いので声をかけると、真剣な顔でシンク横に置いたまな板の上の皿と格闘していたフロウが
「できました~♪」
と満面の笑みを浮かべた。
そして…皿を手に軽い足取りでこちらへ来る。

綺麗な編み目模様の板状の飴細工と同じ様な形態のチョコレートの板で飾り付けてあるプティフール。
皿を彩るフルーツソースも美しい…が……

「お紅茶いれ直しますね~♪」
とティーポットを片手に再度シンクへ向かうフロウの後ろ姿を見送ってコウは溜め息。
「男二人の茶菓子にここまで凝らないでも…」
「まあ…女性というものはそういうものだ…」
たぶん…自分と同じで父も甘い物は苦手なんだろうな…と思うコウ。

チラリと父の様子を探ると父はちょっと苦笑しつつも
「こういうもてなしも…なんだか懐かしい気がするな」
と、目を細めた。

今回…初めてプロと戦う事になって自分の限界を知った。
思いがけず自分のルーツを知る事も出来た。
父にもフロウを紹介できたし、結婚についても賛成を得ることも出来た。
大変だったが得るものは多かったように思う。

「姫、お誕生日おめでとう」
4月1日、フロウの誕生日。
病院の特別室で誕生祝い。
プレゼントはジュエリー関係の仕事をしている芹に頼んで病室にカタログを届けてもらって選んだ。
羽根をかたどったブローチ。
それとは別に少し緊張気味にコウが出して来たのはプラチナのペアリング。
裏には二人のイニシャルが彫ってある。

「えっと?」
少し不思議そうに自分を見上げるフロウにコウはやっぱり1年半前の時のように緊張した面持ちで言った。

「一昨年…みんなで別荘に行った時、大学卒業したら結婚して欲しいって言ったんだが…俺はやっぱり少しでも早く結婚したいと思ってる。
実際は子供できたら学校通えなくなるし姫が短大卒業したらになるけど、姫が卒業して俺の方が最低限の生活費確保できるようになったら結婚して欲しい。
とりあえず口頭だけじゃなくて…ちゃんと形にしたいから…これ…はめてくれれば嬉しい」
もちろん、フロウが拒否する事はなく…互いの薬指にはお揃いのペアリング。

こんな物を渡すのも入院先の病院…我ながらムードも何もない、と、ちょっと思うコウだが、それを謝罪するとフロウはにっこり
「ん~私が好きなのは信念を持って進んでるコウさんだから。
今病院にいるのはその結果ですしね。充分素敵な場所ですよ?」
と、微笑む。
その言葉が芹から聞いた父が言っていたという母が父を好きだった理由に重なった。

ずっと自分に自信がなかった。
自分の存在意義に悩んだ時もある。
それでも…最愛の彼女が好きだと言ってくれるそのままの自分。
自信ができた…とまではいかないものの、コウはようやく自分の事が少し好きになれそうな気がした。






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