卒業_オリジナルVerコウ_06

やがてボーイが迎えに来て荷物を手に部屋まで先導する。
他の階とは若干違う色調の絨毯の敷かれた廊下に足を踏み入れ、それぞれが部屋へ。


さきほどまでの部屋も充分広かったが、こちらはさらに広い。
風早老が来るということは…多少身なりを整えた方がいいのか…。
コウは見晴らしの良い窓際のベッドをフロウに明け渡し自分の方のベッド脇のテーブルに鞄を置くと、中からシャツとネクタイを取り出した。

それに着替えようと今着ているラフなシャツを脱ぐと、こちらをジ~っと見ているフロウの視線に気付く。
黒曜石のように真っ黒で澄んだ瞳は、まっすぐ左肩の包帯に注がれていた。
コウが自分の視線に気付いた事に気付くと、フロウはその視線をコウの視線に合わせる。

先に視線をそらしたのはコウの方だ。
どう説明していいのかわからない。
そのまま黙っていると、フロウは静かに言った。

「何も言わない…という事は、大丈夫なんですよね?」
YesかNoの非常に単純にして明快な質問にホッとしてうなづくコウ。

それに対してもフロウはごくごく普通の口調で
「そうですか。じゃ、いいです」
と言うと、少し首をかしげた。
「これ…他の人には内緒です?」
たてた右手の人差し指を唇にあててきくあどけない仕草が可愛くて、コウは思わず笑みを浮かべる。
それにコウがうなづくと、フロウはニコっとコウに向かって小指を伸ばした。
「二人だけの秘密ですね♪」
コウがその小指に自分の小指を絡ませると、可愛らしい声で聞き慣れた例の歌をフロウは歌う。
「ゆ~びき~りげんまん、嘘ついたら針千本…」
重く暗いはずの秘密が甘やかな風に包まれる。
「姫が飲むのはダメ。例によって俺が飲むからな…」
コウはその声をさえぎってフロウを引き寄せると軽く唇を重ねた。

まあ…フロウに大丈夫と言ってしまったからには、絶対に大丈夫にしなければならない。
フロウには絶対に嘘はつかない。
これは指切りしようとしまいと、コウが自分に絶対的に課している決まりだ。

コウが着替え終わると二人は風早老が訪ねてくるであろう藤と和馬の部屋に向かう。


「あ、弟、来てくれたんだ」
落ち着かない様子で部屋をウロウロしていた藤はコウの姿を見てホッと溜め息をついた。

和馬はそんな藤とは対照的に落ち着いた様子で
「そりゃ来るでしょ。天下の風早財閥の総帥ですよ?
これ逃したら生で顔拝める機会なんて滅多にないですし」
と、PCの液晶に視線を向けたままで小さく笑みを浮かべる。

そんな和馬の様子をみて、本当に対した精神力だとコウは感心した。
危険に対峙した時とかはともかくとして、こと対人関係に関する平常心は、和馬は自分のそれを遥かに上回っているとコウは思う。
むしろコウの方がよほど緊張している。

やがて内線がなってフロントの人間が風早老の来訪を告げた。
藤がそれに了承し、こちらへ来てもらう様に告げてもらうと、フロウは各種ティーバッグが揃った棚の中からティーカップだけを取り出して手際よく応接セットのテーブルに並べる。

「電気ポット…運んで下さい」
と、それだけはコウに頼んで、自分はいつも持ち歩いているポシェットからいきなりビニールを取り出した。
それにはキチンとお茶パックに小分けにされた紅茶が入っている。

その紅茶のお茶パックをティーポットに放り込むフロウをぽか~んとした目で見る一同。
決して大きくはないポシェットのはずなのだが…何故か色々な物が出てくる。
まるでドラえもんのポケットのようだ。

その後カップにお湯を注ぎ、順に温めて行くフロウ。
一通りその作業が終わり、若干ぬるくなったカップのお湯を最後にフロウが捨て終わった頃、部屋のドアが開いて左右を背広の男に付き従わせた老人が姿を見せる。

「お祖父様、お久しぶりです」
という藤の言葉に全員がそれが風早財閥総帥である事を知った。

風早老は藤の言葉にうなづくと、軽く右手を上げ、左右の男にドアの前で待つように申し付けると一人で室内に入ってくる。
和馬が立ち上がってひく椅子に腰をかけると、風早老はまずコウに目を向け、少し懐かしげに目を細めた。

「碓井頼光です。
今回はご多忙のところお時間を取って頂きありがとうございました」
立ち上がって頭を下げるコウにうなづくと、風早老はコウに腰をかけるようにうながした。

その間にフロウが手際よく注いでいく紅茶を一口口に含むと、老人はフロウにもにこやかにうなづく。
意外になごやかな空気が流れていたが、風早老が藤にうながすような視線を向けると、一瞬にして空気が張りつめた。
藤のカップを持つ手が少し震えて、紅茶が赤い波紋を作る。
それにチラリと視線を送ると、和馬は黙ってコウにアイコンタクトを送った。

「さきほどお電話でお話しておりました金森和馬。
俺が海陽学園生徒会長を務めていた頃の副会長で現在は俺と同じ東京大学の一回生です」
言葉のでない藤の代わりにコウが紹介すると、和馬は立ち上がってお辞儀をした。

「ご紹介にあずかりました金森です。
藤さんとは昨年夏の事件の折りに知り合いまして、それ以来おつきあいさせて頂いております」
その言葉に風早老は改めて和馬に値踏みするような鋭い視線を送る。

そして一言。
「些末な事はどうでもいい。他にはない自分のアピールできる点を言いなさい」

あまりに突然のアプローチにぎょっとして顔を見合わせるコウと藤。

しかし当の和馬はあくまで笑顔を崩さず、口を開く。
「他と一番違う点は…時として他人から見て不快な人物になれる事ですね」
その和馬のアプローチの仕方は風早老の興味をひどく引いたらしい。
「続けなさい」
と、先をうながす老人に、和馬はまた口を開いた。

「結論から言うと俺はトップに立つつもりは一切ありません。
一流のNo2を目指しています。
トップに対して常にヘルプフルである事、トップの補佐に必要な能力を身につける事、時としてトップの意を汲んで代弁し、または代役を務める事、これは基本として、時にトップが集団を動かす上で避けては通れない批判を自分に向け、トップのカリスマ性を曇らせないようにできる事、これがNo2に必要な資質だと思っています。
トップを最高のカリスマに押し上げ、そのカリスマに必要不可欠な人材になることによって自らに付加価値をつける、これが俺的凡人の美学なので、生徒会時代は碓井を押し上げる事に勤しんでいてそのままずっとと思っていました。
しかしその後、藤さんに出会って彼女は最高のカリスマになりうる人材だと思いまして、それが風早財閥の中でか他でかは別にして最高の補佐をできればと現在勉強中です」

「ふむ…」
風早老は手をあごにやり少し考え込んだ。

「なかなか面白い考えだが…茨の道だと思わんかね?
一介の大学生と日本有数の大財閥の跡取り娘だ。
すでに私の子供達には会って色々言われたそうだが…大抵の人間は表でか裏でかは別にしても同じ事を言うと思うが…そういう事を言われ続ける事に耐えて行けるかね?」

「他人にひがまれるくらいの人間に登り詰められたかと思うとなかなか気分がいいんですが?」
笑顔のまま平然と言い切る和馬に、風早老は吹き出した。

「いや、能力的な事は調べさせてもらっていたが、器も実にいい!
さすが碓井正成君のご子息をして優秀なNo2と言わしめるだけあるな。
そのしたたかともいえる冷静さと強さ、そして忍耐力。
確かに充分価値のあるアピールポイントだ」
そう言ったあと風早老は笑うのをやめてやや真剣な面持ちで言う。

「一般家庭に生まれて事故により家庭をなくし、親戚の家に引き取られてなお自分の意志で勉学に励み、勉学のみに甘んじず将来自活する事を見越して高校時代から仕事にはげみつつ、東大現役合格…だったか。
能力的な高さは今の時点では充分だ。
しかし普通の企業に務めるならむしろ充分すぎるはずだが、藤の相手には風早財閥の総帥を補佐するという責務がついてまわる。
ただ勉強ができて真面目なだけでは不十分だ。
正直…今回真面目さや誠実さを訴えられるものと思って論破する気満々できたんだが…。
藤も我が孫ながら思わぬ逸材をみつけたものだ。
いいだろう。今後は”風早”を動かして行く前提で勉強しなさい」

風早老の言葉にぽか~んと目を見開いたまま硬直する藤。
和馬はやはり笑顔を崩さず
「ありがとうございます」
と礼を言って頭をさげた。

「まあ…これで君の計画もやりやすくはなったかね?」
そちらが一通り終わると、風早老はコウを向き直った。
コウはそれに対して少し笑みを浮かべる。
「全くのでたらめを並べたてなくて良くなりましたね」
そのコウの言葉に藤は不思議そうな目をコウに向けた。
それに気付いてコウは説明する。

「ああ…今回総帥にお願いした事の一つが、総帥が明日、藤さんと和馬を入籍させて正式に藤さんに総帥の座を継がせるというデマを流して頂いて、今日中に相手に行動を起こさせる事だったんです。
一応…藤さんと和馬にはそういう事で今事実を知らせたわけですが、アオイには演技とか無理なんで、片がつくまではユートとアオイにはそのまま信じさせておいて下さい」
苦笑するコウに、コクコクうなづく藤。

丁度時間が時間だったのでユートとアオイも呼んでそのまま風早老が借り切った日本料理店で食事。
風早老が帰った後、全員で藤と和馬の部屋に集合した。
仲間内だけになったところで藤と和馬の結婚話がフェイクとは知らないユートは興味津々。

「なあ…金森…」
と口を開くと、即和馬に
「出来婚とかじゃないぞ?」
と返される。

「なんで聞こうとする前にわかっちゃうかな」
と言葉を続ける所をみると、そう思っていたらしい。

「ふん!貴様のような凡人の考える事なんてお見通しだっ」
とそれに対してさらにそう返す和馬に
「じゃ、なんでいきなり結婚?」
と聞いている。

そこで
「まあ…海陽生徒会出の人間は大抵国の中枢行くか企業のトップに登り詰めるのが普通だからな。まあ青田買いされても不思議ではない」
と答える和馬にユートが納得すると、今度はアオイが
「というわけで…明日は全員で風早本家行きだけど、今日は全員この部屋泊まりな」
と宣言するコウに
「なんで?」
と聞く。

ユートは和馬と藤の結婚話が出ている時点でそれを理解して黙っているが、アオイはせっかくのロイヤルスイートルームなのに…という気持ちがありあり出ていて、こんな時に何を暢気な…とコウを嘆息させた。
しかしそれでもそれをなるべく出すまいと努力しつつ説明するコウ。

「えっとな…今回の一連の事件は風早の総帥の座を巡って起こってる訳な。
で、明日正式に藤さんと和馬が籍いれて総帥の座を藤さんが継ぐと、もう付け入る隙がないわけだ。
せめて藤さん単体なら自分達よりの配偶者を連れて来て遠隔操作もできるんだろうけどな。
だから明日籍をいれるまでが犯人の正念場になるわけだ。
で、それまでにどっちかを消したい。
消せないならせめて人質を取って籍を入れさせない様にしたいって方向に行きかねないから、明日風早から迎えが来るまでは全員団体行動」

それでようやく理解したらしい。
コウに送られていったん荷物を取りに部屋に帰った。
そしてコウも自分とフロウの荷物を藤と和馬の部屋に運び込む。

こうして一段落。
敵が襲撃してくるとしたら人目がなくなる夜だろう。
それまではこれと言ってすることもない。
そう思うと疲労がドッと押し寄せて来た。

無理もない。
昨日の襲撃で重傷を負っていて体力が落ちている上に2時間ほどしか寝ていないのだ。
さすがのコウでも体力の限界だ。

「悪い、俺夕方まで仮眠取る。何かあったら起こしてくれ」
ベッドに横たわってそう言うと、あっという間に意識が遠のいた。


結婚……
早く家庭が欲しい…それは家族と言うものに縁遠かったコウと藤の共通の夢だった。
風早老がその仲を認めたという事は藤はいつでも出来るのだろう。
自分はいつになるのだろうか…。

コウが家庭と言って思い浮かぶイメージはフロウの実家一条家。
疲れて戻るとその空間の主である女性が温かく迎えてくれる。
戻った時に誰かが出迎えてくれる、明りがついている、それが泣きたくなるほど慕わしい。

帰り道…今日の食事は何だろう?と考える事ができる幸せ。
居間にいるとTVの音ではない、人の声が聞こえて、自分以外の人間の気配がある。
部屋を満たす柔らかい笑い声。小鳥のさえずりのような可愛いおしゃべり。

暗い家に戻り自分で電気のスイッチをいれ、シンとした台所で自分のためだけに栄養を摂取するためだけの食事を作り、一人の食卓にそれを並べてニュースを見ながら一人で摂る食事。

人の気配のない家。
会話する相手も当然いない。
学校がないと一言も声を発する機会が無い日が続く…そんな毎日を送っていたコウからすると、そこは夢のような空間だった。

フロウと出会って以来最初のうちは引き止められて…しだいにそれが当たり前の習慣になってフロウを学校から自宅まで送ってそのまま終電近くまで一条家で過ごすようになった。
そんな風に”孤独じゃない生活”を知ってしまうと、孤独だった元の生活に戻るのが死ぬほど怖い。

一緒にいる時は和馬に馬鹿ップルと揶揄されるほど常にコウがフロウを抱え込んでいるのは、そんな病的なほどの孤独への恐怖心の為せる技だ。

今はまだ、温かい一条家で過ごして終電間際にシンと静まり返った自宅に戻った瞬間どうしようもなく不安に襲われるのだが、本当に家庭を持ってそこで一日過ごせる様になれば気持ちも落ち着くのだろうか…。

朝…目を覚ますと腕の中にフロウの温かい体温があって、明るい日差しの中で家族で摂る食事。
”いってきます”と声をかけると”いってらっしゃい”と手を振られ、自宅に戻ると当然明りがついていて、今度は”おかえりなさい”という言葉が振ってくる。
眠る時にも当然一人ではないと感じさせてくれる温かい体温、柔らかいぬくもり…。

幸せな夢…。
コウは温かいぬくもりに手を伸ばした。
かすかな吐息が首元をくすぐる。
ふんわりと桃の甘い香り…何より好きな…フロウがまとう香り…。
引き寄せるコウに応える様に丁度みぞおちのあたりで背中に回される腕。
柔らかい膨らみがやはりみぞおちの辺りに押し付けられる…。

…って…え?…ええっ??!!!

パチっと目を開くと夢ではなく確かに現実で横たわった自分に密着した状態の柔らかい身体…

「うわああぁ!!」
状況はよくわからないが、もしかして自分、何かで理性をなくしてとんでもない事しでかしたかっ?!!
慌てて飛び起きるコウ。

「…んぅ?」
そのコウの声で目が覚めたらしく小さな拳で目をこすっているまだ眠そうな様子のフロウ。

「なんで姫がっ?!」
慌てるコウに、フロウはほにゃ~っとした顔でちょっと小首をかしげ…それからポンと手を叩いた。

「あ~…コウさんがね、連れて行かれない様に見張ってようと思って…寝ちゃったみたいです~」
まあ…そこでとりあえずちゃんと服を着ているのだからフロウをどうこうしたわけではないという事にきづく。

「姫…いてどうなるもんでもないと思うぞ?」
そして脱力してがっくりうなだれるコウ。
まあもっともな意見だ。
そういう意味では今いるメンバーの中で一番役に立たないこと請け合いだ。

それでも
「ん~でもね、連れてかれちゃいやだから…」
と、半分寝ぼけた少し潤んだ様な目でコウをボ~っと見上げるフロウの言葉は可愛いなと思うし、素直に嬉しい。

コウは
「そか」
と嬉しそうに言うとフロウの頭をなでた。

しかしまあ…嬉しいのとは別に、精神的に無防備な状態でこんな風に密着されて可愛い様子をみせつけられると、そこはコウも青少年なので体の方、特に下半身に色々不都合がおこってくるわけで……

「ちょっと眠気覚ましにシャワー浴びてくる」
コウは起き上がるとそう言ってこっそり包帯を替える都合もあってバスルームへむかった。



コウが色々終えてバスルームから出てくると、丁度夕食が運ばれて来たところだった。
フロウはいまだ熟睡中。

「ひ~め、起きろよ」
コウは声をかけて少し体を揺するがフロウは起きない。
体を起こそうとしても
「やぁ~ん…」
と言ってヘニャヘニャ~と力なくベッドに倒れ込む。

「…しかたないなぁ…」
コウは小さく息をつくと、フロウを抱き上げてそのまま応接室のソファへ。

完全に熟睡というわけでもなさそうなので、コウが自分にもたれさせて自分の食事の合間にフロウの口に食べ物を放り込むと、一応モグモグゴックンと飲み込んでいる。
だが…受け入れるのは野菜とフルーツだけ。
肉類を口に運ぼうとするとイヤイヤという様にフルフル首を横に振って断固として口を開けないところをみると、意識はあるっぽい。

そんなフロウに
「いいなぁ…私もあげたいっ」
「ペットみたいだな」
と、藤や和馬が食べさせようとしても口を開かない。

いつもそうなのだが、フロウが無条件に我が儘を言うのは自分にだけ…そんなフロウの態度にコウは嬉しくなる。

ユートはそんな二人を見ると
「なんだか不思議生物だよな…相変わらず…」
と、どちらをさしているのかわからないがそう言って小さく息を吐き出した。

食事を終えるとコウはコテンと自分の肩に頭を預けたまま熟睡モードのフロウをベッドに戻す。
コウはスヤスヤと安らかな寝息をたてるその可愛い寝顔を見ながら、このまま…事が終わるまで何も気付かずに眠っていてくれれば良いと思った。
怖い思いをさせたくない。

これから行おうとしている計画は、とある条件下において殺人者が侵入してくるか、という、かなり無謀とも言える試みである。
もちろん犯人が確保されるのが一番ではあるが、殺人を目的とした侵入者があった時点で今回の黒幕が誰かというのが立証される事になる。

犯人が確実にこの部屋を狙ったという事が証明できないと意味がないので、警察もこのフロア内からは退去させている。
かなりな危険を伴う試みだ。

しかし…これで黒幕の正体を確定させられないと、黒幕か藤か…どちらかが死ぬまで今ここにいる全員が一生危険に晒され続ける事になる。
それは避けなければならない。

「今日は俺と和馬は徹夜。
女性陣はベッドを適当に使ってもらって、ユートは眠けりゃ寝室のソファな。
何か来たらなるべくとばっちり受けない様にベッドの影にでも非難しててくれ。
極力そっちにはやらないように努力はするけど、万が一寝室まで行った場合はできるならバスルームとかトイレとか鍵のかかる部屋に避難で」
皆がいる応接室に戻るとコウはそう始めた。

自分で言っておいてなんだが…犯人を寝室までやるのは危険すぎてありえない。
どんな事をしても応接室で食い止めなければ…軽くはない怪我を負った状態でできるだろうか…。
そんな事を考えてコウの表情は自然に厳しくなる。

そんな裏事情を知らないユートは
「まあコウいりゃ大丈夫だろ」
などと気楽な調子で言ってくれて、コウの表情をさらに厳しくさせた。

「絶対に携帯を放さないようにして、もし俺がやばそうなら即警察呼んでくれ。
相手は今までみたいに”たまたま殺意を持った一般人”じゃない可能性も高いから。
仮にも風早財閥の人間が人を殺すために雇った相手だ」

いつも余裕を見せるコウが相手がプロである事を強調して厳しい顔をするのに、さすがにユートも事情を知らないなりに事態が切迫している事を察して黙り込む。

「和馬も捕まえようとか思うなよ?
捕まえられればまあそれに超した事はないが、捕まえる事が目的じゃない」
ユートが理解したとみたところで、コウは今度は自分と一緒に相手に対峙する事になる和馬に注意を与えた。

和馬はそれに対して
「ずいぶん意味深な言葉だな」
と、いつもの皮肉な笑みを浮かべたが、それでも
「ま、俺も命は惜しい。
せいぜい寝室に向かいそうになったら邪魔するくらいにして、あとは旗振って勇者を応援しといてやるから頑張れ」
と了承した。

まあ…和馬に関しては自分を見失って無茶をする事もないだろう。
全員が自分の立場を理解したところで…やはり一番不安なのは自分自身だ…と、コウは小さく息をついた。


ずっと緊張し通しだといざという時に集中力を欠く。
異常を感じるまではなんとかリラックスをと思うものの上手くいかない。
寝室ではやはり眠れないのだろう、何度も寝返りをうつアオイ。
ユートも藤も起きている気がする。
隣では和馬が相変わらずPCに向かって仕事。
こんな時に平常時と変わらぬ時間の過ごし方をできるのがすごいなとコウは感心した。

正直…怖い。
今まで何度となく事件に巻き込まれはして来たが、自分自身が死ぬかもしれないと思った事は無い。
犯人はいつでも一般人で、一対一いや下手すれば自分一人対複数でも絶対的に叩き伏せる自信があったし、実際にそうしてきた。

過去7回の事件の中で怪我を負ったのは一度だけ。
それも無防備でいた藤をかばって腕に軽い怪我を負っただけで、その怪我をした状態でも刺してきた相手を軽くねじ伏せていた。

大抵の相手には負けない…そう思って来てこれまでは実際にそうだったが、その自信が昨日脆くも崩れさった。
誰かをかばってでも油断してでもない、万全の状態で本気で一対一で対峙してすら重傷を負った。
被疑者を確保できたのは実力の差があったからではなく、本当に運だ。
一瞬の判断ミスで余裕で今頃遺体になっていたはずだ。

あれがプロとの戦闘…。
避けられるものなら本当にもう二度とやりたくない、逃げ出したい。
父親の職業上、幼い頃から死というものは身近な物として認識してきたし、自分自身一度は自らそれを選びかけた時もあった。
だが昨日左肩を刺された時、一瞬で走馬灯のようにフロウから出会ってから現在まで、そして未来の予想図が浮かんでは消えて思った…死にたくない。

生きて結婚して家庭を持って…いつかおそらくフロウにウリ二つの可愛い娘が生まれ…その娘が育つときっと妙に硬質で融通の利かない男を連れてくるはずだ。
それでも娘と接して行くうちそんな生真面目なだけだった男もやっぱり丸くなって来て…いつか娘はその男と結婚して彼女とそっくりの可愛い孫娘が生まれる。
その頃には自分もフロウも子育てを満喫した後の二人の生活を楽しんでいるはずだ。
たまに娘家族が遊びにくる以外の時は二人で旅行もするだろう。
娘の結婚が早ければもしかしたら曾孫くらいは見られるかも知れない…。

フロウと一緒なら悲観主義者のコウでも普通に見られる幸せな未来予想図。
そんな未来が待っているはずなのに、死ねない…死にたくない。
それでも…そんな未来を迎えるためには、ここでフロウに対しても危険を及ぼす可能性も高い相手を排除しておかないとならない。

心底怖いが逃げるわけにはいかない。
それでも怖い…。
手の震えが止まらない。

「貴様でも怖いと思う事はあるんだな…」
見ていないようで見ていたらしい。
隣でPCに目を向けたまま和馬が小声でつぶやいた。

「ま、巻き込んで悪かった。
本当にいざとなったら俺差し出して時間稼いで警察呼んどけ」
「…それは…まずいだろ…」
「俺ら無事でお前に何かあったら…藤さんも責任感じて俺とは別れるだろうしな。
安心しろ。俺はなんかあっても悲しむ人間なんて作っとらんから。
…ま、藤さんくらいか」
淡々と言う和馬。
「それが一番問題な人物じゃないか?」
「ん~、そんな時なぐさめるために姫がいるだろ」
”姫”の一言でコウの手の震えが少し止まる。

「ダメだと思う…。
そんな事をしたら姫の側にいるのに相応しい人間じゃなくなるから…
怖いと思うまではいいが…そこで逃げるような男じゃダメだ…」
「いきなりそこで自己完結か」
なんとなく腹が決まって来たコウに和馬がクスリと笑う。

怖くないとは言わない…が、生きて、しかもフロウの側にいるのにふさわしい人間でいるために絶対にやってみせる。


その時は意外に早く来た。
0時にもまだなっていない。ちらりと時計をみると11時18分。
ドアの向こうからこちらを伺うような気配を感じる。

「…和馬、PC閉じろ…」
暗闇の中、PCに向かっていた和馬にコウは小声で指示を出し、和馬は即ノートPCを閉じた。
二人に緊張が走る。

「…まず俺が一人潰すから、潰した方の確保を頼む」
「了解…」

コウはドアの影に隠れ、和馬は部屋の隅に用意してあったロープを手にソファの影に待機した。
乾いた音と共にドアの鍵が破壊される。
音もなく開くドア…緊張が最高潮に達する。
コウは静かに息を吸いこむと、ドアから入って来た人影の鳩尾あたりを狙って思い切り手加減なしに蹴りを入れた。
鈍い感触と音…肋骨を折ったらしい。

「こっちは折ったっ!頼むっ!」

コウはそのまま腹を押さえてうずくまる男を和馬に任せて、もう一人の方へと詰め寄った。
そちらの男の方が隙がない上、手にはおそらく鍵を破壊するのに使ったであろう消音機能付きの拳銃。

銃口は幸い和馬ではなく自分に向けられているので、引き金にかかる指を凝視。
それが動くのとほぼ同時に最悪当たっても致命傷になる心臓以外になるようにと状態を左に傾け、左側に倒れかかるような体勢からそのまま足を相手の銃を持つ手に伸ばして、とりあえず銃を蹴り飛ばす。

男の手から離れた銃は床に転がったが、そこは抜け目のない和馬が拾って寝室の方へと投げた。
その先は気にしている余裕もない。
藤もいることだし寝室組がなんとかキープはしているだろう。

勢いで倒れ込む前にコウは状態をなんとか立て直すが、その一瞬の隙に相手は今度はナイフを手にしている。
昨日の恐怖がよみがえるコウ。
しかし意外にその場になると体は動きを止めない。
ナイフを条件反射で避けている。

おそらく相手は拳銃で片をつけるつもりで来て、ナイフを使わざるを得なくなったのはイレギュラーなのだろう。
ナイフで攻撃してくる動きは昨日の敵よりはマシな気がする。
それでも一般人よりは段違いに強いし、さきほど無理な体勢を取ったせいで傷口が開いたらしく、コウ自身もまた動きが良いとは言えない。
拳銃の処理をした後、黙々と最初の男を縛り上げていた和馬はその作業を終え、ようやく状況を見渡す余裕ができたらしい。

「警察呼んでっ!」
と、叫んだ。

その言葉はコウが対峙する男に焦りを呼んだ。
一瞬躊躇するように動きが止まった所をコウがナイフを蹴り上げる。
でも敵もさるもの、ナイフが手から離れた瞬間決断を下したようだ。
即ドアに向かって駆け出した。

それを見て立ち上がりかける和馬にコウは即
「追うなっ!」
と指示。

昨日の男よりマシといっても、一般人はもちろん、今縛り上げている男よりは強い。
一人は確保していることだし、深追いは禁物だ。
和馬もそこで即気持ちを切り替え、浮かせかけた腰をまた沈めて紐で縛った男の見張りに戻った。
そこでようやくホッと一息を付くコウ。
ホッとすると同時に失血による貧血も加わって体から力が抜けてへたりこんだ。

鍵が壊されているのでせめてチェーンをと思うが立てない…。
仕方なく寝室に向かって言った。

「ユート、警察くるまでドア閉めてチェーン」
コウの言葉でユートが立ち上がる。






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