飛び出した廊下に点々と残る血の跡で、コウの顔色も変わった。
急いでアオイ達の部屋のドアをノックすると、真っ青な顔のアオイがドアを開ける。
コウが部屋を一瞥すると血まみれのユートがまず目に入った。
コウはユートにかけよるとサッと傷を見る。
右腕に切り傷。
胴体も血にまみれているが服が切れてない所を見ると、腕の傷の血がついたのだろう。
コウはハンカチを出してユートの腕を止血したあとチラリとアオイに目をやるが、アオイは動揺しすぎて動けないぽい。
コウは舌打ちして
「ジッとしてろよ?」
と、顔から血の気は失せてるものの意識はしっかりしているらしいユートに小声でそう声をかけると、アオイを押しのけて自分がフロントに電話をかけてとりあえず救急車を呼んでもらうよう手配する。
その時点でまだ動揺して…というか、さらに動揺して頭を抱えて泣きわめいているアオイから話を聞くのは無理そうなので、運ばれる前に、と、ユートの方から事情を聞いた。
話によるとユートはあれからアオイと二人でスパに行こうという話になって、ユートは和馬が置いて行ったパーカーとサングラスをふざけて身につけたまま、アオイより一足先に部屋をでたところ、誰かが後ろから駆け寄ってくる気配に気付いて後ろを振り返ったらナイフを振りかざした女がいて、斬りつけられたと言う。
そこに丁度遅れてでようとしていたアオイがドアを開いたので慌てて室内に駆け込んで施錠。
女は逃走した模様だ。
事情を聞くと…これはもう警察も呼ばざるを得ない。
さらにフロントに電話をして警察も呼んでもらう。
やがてホテルの従業員、それに救急隊員が到着しユートが運ばれて行き、その様子を見てアオイが気を失った。
その騒ぎに当然藤達や和馬も顔をのぞかせる。
気を失ったアオイの事は藤とフロウに任せると、コウはかけつけた警察に事情を説明するために部屋を後にした。
ホテル側が用意した部屋にはホテルの責任者の代理だと言う若い男と数人の警察官。
その中に見覚えのある顔を発見してコウは少しホッとした表情で声をかけた。
「また…赤井さんでしたか…」
赤井警部…コウの親しくしている警視庁キャリア組のOB加藤警視の部下で、コウ達の母校海陽学園での殺人事件で加藤と関わって以来、事件が起きるたび融通を聞かせられる様にと加藤が送ってくれている人物だ。
「それはもう…碓井さん絡みの事件は警視がチェックしまくりですから」
赤井はその言葉に苦笑する。
赤井の言葉にコウは更に
「これは…もう警察庁以外の道は許されなくなってきましたね…」
と、苦笑した。
「まあ警視としても碓井さんがこっち(警察庁)に来て下さるのは理想なんでしょうけど…碓井さん関係は色々手を回した分、ちゃんとその事件がスピード解決されるんで警視は警視で株あげられますし、ギブアンドテイクですよ。
このまま行けば同期の中では真っ先に警視正に出世できそうな勢いです」
と、それには赤井がにこやかにフォローをいれる。
まあ元々すでに警察庁以外の道は考えてないのだが、加藤も毎回融通をはかるのは大変だろうと心配していたが、そういう事ならまあ良かったとコウも少し安堵した。
コウと赤井がそんな会話を交わしていると、ホテルの側の責任者の代理の若い男が挨拶をしてくる。
「ホテルのオーナー皆川義一の孫、皆川諒と申します」
と握手を求める皆川の手を握り返すと、コウは
「碓井頼光です」
と挨拶をする。
「警察の方にお聞きしました。
現警視総監のご子息でこれまで数々の難事件を解決なさっているとか」
皆川諒がにこやかに言うにあたって、コウは少し苦い笑みをうかべて赤井に目をやった。
視線に気付くと赤井は言う。
「ホテル側にも捜査協力は求めなければなりませんし、碓井さんが陣頭指揮をとる事情を…」
「ちょっと待って下さい…誰が陣頭指揮をとると?」
慌ててそれを遮るコウ。
そんな事までは聞いていないしやる気もないのだが…。
「もちろん名義上の捜査責任者は私ですが実質的にはその方が解決も早いだろうしそういう風にと加藤警視から言われてきてるんですが…」
あの人は…とコウは頭をかかえた。
天下の警視庁がそんな事でいいのか?
しかしもう降りると言ってもおろしてもらえないのは明白なので、ちゃっちゃと片付けようとコウは情報を整理し始める。
ターゲットは恐らく和馬。
刺されたのはユートだが彼自身に刺される様な要素がなさすぎる。
和馬の服をきて和馬のサングラスで顔を隠し、キャップで髪を隠して和馬に変装していたため間違われたと言う可能性の方が高い。
動機としては簡単な方としてはフロウの事で例の3人組から恨みを買った事。
しかしユートを刺したのは女だと言っていたため、この3人である可能性は薄いか…。
もう片方は…あまり考えたくないのだが風早関係…。
本来藤が泊まるはずだった自分の部屋の前で怪しい女がウロウロしていたとなると、その関係である可能性も否定出来ない。
そうなると非常にやっかいだ。
大財閥の関係者が金で雇った相手となると、黒幕のしっぽをつかむのは非常に難しい。
しかし、もし金でプロを雇ったのなら、腕を斬りつけるだけでしとめ損ねて逃走というのはお粗末な気がしないでもない。
とりあえず今の段階で言えるのは犯人はホテルの宿泊客である可能性が高い事。
ユートを刺した犯人は当然返り血を浴びているはずではあるし、ユートの話だと普通のワンピース姿だったらしいから、返り血をつけたままだと当然目立つ。少なくとも外に出る際に目撃されているはずだが、いまのところそんな目撃証言はない。
誰にも目撃されずに外へ逃走というのはあり得ないし、近くの各トイレを調べさせても犯人が中で着替えた様な痕跡はみつからない。
あとは人目につかずに血の付いた服を着替えられるような場所はない。
ということで、犯人は宿泊客で自室に戻って人を刺した痕跡を消したと思われる。
そこでユートが病院から戻ったという知らせを受けて、ユートから更に詳しい事情を聞く事に。
部屋に来たユートはそこに赤井がいて、さらに当たり前にコウが巻き込まれているのを知ると可笑しそうに笑ったが、こと事件に関してはこれまで以上の事に関しては何も気付いた所は無いと言う。
とりあえず赤井には周辺の聞き込みともう一度人目につかずに着替えられそうな場所を念のため調べてもらうように指示して、コウはいったん先に帰ったユートを追って部屋に戻ろうとするが、そこで皆川諒が声をかけてきた。
「失礼ですが…碓井さん、今回当ホテルには風早藤さんと一緒にいらしてたりしますか?」
意外な言葉にコウが少し驚きつつもうなづくと、皆川諒は
「ああ、やっぱり」
と嬉しそうな笑みを浮かべた。
「実は私の祖父は藤さんの叔父上と懇意にさせて頂いてまして、私も藤さんとは面識があるんですよ。
差し支えなければご挨拶がてらご一緒させて頂いてよろしいですか?」
ホテルのオーナーの親族だ。さすがに怪しい人物という事もないだろうからとコウは了承し、結局二人で部屋に戻る。
「藤さん…ここのオーナー会社のお孫さん、お知り合いだそうで」
いったん藤とフロウの部屋を訪ねると、もうアオイも目を覚ましていて全員集合している。
そんな中に戻ったコウはそう言って少し後ろにいる皆川諒を中にうながした。
その言葉に藤は複雑な笑みを浮かべたが、それでも
「あ~ども。諒さん、お久しぶりです」
それを肯定する様にコウの後ろの人物に声をかける。
そして…それに対して諒が取った行動で、コウもその藤の複雑な笑みの意味を理解した気がした。
藤の言葉に諒はいきなりコウの後ろから走り出して、藤の前にくると膝まづいたのだ。
「1年と5ヶ月と15日ぶりです。
藤さん、相変わらずお美しいそのお姿を再び拝見できて光栄です」
なんというか…藤版、ストーカーか何かなんだろうか…。
その後諒が藤の手を取って口づけようとすると、藤は容赦なく手をひっこめた。
「諒さん、普通に挨拶しようよ。この状況でそれってただの変な人だよ」
とズケズケという藤にめげる事無く諒は一応立ち上がりつつも
「申し訳ありません。藤さんがあまりにお美しいのでついつい我を忘れてしまいました」
と肩をすくめて軽く首を横に振る。
「そのまま我だけじゃなくて全て忘れて記憶喪失にでもなって私の事もスッパリ忘れてくれると非常に助かるんだけど」
とそれにまた容赦ない突っ込みをいれる藤。
ああ、こいつの事嫌いなんだな、と、納得するコウ。
しかし自分だったらもう落ち込んで立ち直れない様なその言葉にもやっぱりめげずに
「そしてまたあなたに出会って一目で恋に落ちるんですね」
と続ける諒に、コウは心底感心した。
すごい精神力だと思う。
まあ…感心したのはコウだけで、藤はそれに対しても
「一人で勝手に地獄まで落ちて」
と容赦のない言葉を浴びせかける訳だが……。
そのままエンドレスに続きそうなそのやりとりをさえぎったのはユート。
「で?結局そのホテルのオーナーのお孫さんは単に藤さんに会いにこちらへ?」
もっともな質問だ。
そこで諒は初めてくらい他に人間がいる事に気付いたらしい。
他の面々にも目を向けた。
「もちろんです!
私の藤さんの部屋の側で悪漢が人を刺したと聞きまして、慌ててかけつけました。
もしまた何かあっては大変ですし、最上階のお部屋に移って頂いてその周りに厳重な警戒態勢をひこうかと…」
「要・ら・な・い!」
「しかし…」
「監視付きのリゾートなんてまっぴらご免だよっ。
私個人は多少の相手ならはり倒せるし、怪我したユート君はどっちにしてもフラフラ遊びに行けないからほぼ部屋だし彼が部屋って事は彼女のアオイちゃんも部屋だしね。
姫は私が守るし、あとの二人は自分の身くらい自分で守れる」
きっぱり言い切る藤に、諒は少し目を見開いた。
「姫…というと…”あの”姫ですか?」
「うん、”あの”姫だよ。」
うなづく藤。
フロウを指す二人の意味ありげな言葉に、コウはちょっと眉をひそめて警戒する。
何が”あの”なんだ?と思っていると、諒は視線をジ~っとフロウに向け、
「なるほど…。こういうタイプがお好みなのですね…」
とつぶやいた。
そしてますます警戒を強めるコウの目の前で諒はフロウの方へと歩を進める。
「初めまして、皆川諒と申します。以後おみしりおきを」
そう言って諒がお辞儀をしたあと、握手をと手を差し出した途端、和馬の隣でフロウが硬直した。
そして…さらに近づいてくる手に後ずさって、それでも手が近づいてくると
「いやああぁぁっっ!!!!」
といきなり悲鳴。
そこで和馬がサッと割って入って、ドアの所にいたコウは顔面蒼白でフロウにかけよる。
ユートとアオイと…当の悲鳴をあげられた諒は呆然だ。
「姫は怪しい人物に近づきたくないようなんで、他を遠ざけるよりまずあなた自身が遠ざかって頂けると楽しいリゾートライフが送れるんですが?」
和馬がいきなりいつもの調子で始めた。
フロウをしっかり抱き寄せてコウがキツい視線を諒に向けた時点で、許可がでたものと判断したようだ。
ずっと突っ込みをいれたかったものの、やはりコウが連れて来た相手という事もあって控えていたらしい。
ようやく堂々といたぶれるようになって嬉しそうな和馬。
いきなり有害人物認定されてしまった諒は戸惑いつつも若干ムッとした様子で
「なんですか、この失礼な…」
まで口にしたところで藤のものすごい怖い視線に気付いたらしく、あわてて
「男は…」
と続けた。
一応藤の不興を買うのは嫌らしい。
しかしそこで矛先を向けた相手も悪かった。
自分に矛先がむいたところで和馬の脳裏ではさあこれからどうやっていたぶろうかという算段がクルクル回ってる。
「これは失礼。本当の事でも言って良い事と悪い事は確かにありますね。
しかし”本当に怪しくて気味が悪いから半径1m以上に近寄るなこの変態”…と姫が思ってるのをキチンと察して距離取って頂けるなら俺も生暖かい目で静観できるんですが…そんな事もわからない輩に近づかれて怯えている姫を放置するのはあまりに不憫だったので」
和馬的には軽いジャブ。
それに藤まで柳眉を逆立てて
「ホントに、嫌がってる姫にしつこくするなんて最低だよっ!」
と加わる。
「いや、別にしつこくなんて…」
「してましたね。俺は見ました。
姫は嫌がって後ずさってるのにしつこく手出して来てましたね」
「ただ私は握手をしようと…」
「嫌がっている女性の手を触ろうとした、そういう事ですね?ハラスメントですね?
コウ、表にいる警察呼んでやれ」
動揺する諒にさらに楽しげに追い打ちをかける和馬。
普段なら適度なところで止めるコウも今回はフロウの事だけに止める気配がない。
「藤さんっ!この男なんなんですかっ?!なんとかして下さいっ!」
もう何を言っても追いつめられると思ったのか、諒が藤に詰め寄ると、藤はあっさり
「姫が悲鳴あげるまでしつこく迫った時点で諒さん有罪だし。和馬が正しいよ。
弟、警察コールよろっ」
と突き落とす。
「…和馬…?」
そこで諒がピクリと反応した。
「彼だけ名前呼び捨てなのは…」
「ああ、彼氏だからっ」
にこやかにとどめを刺す和馬。
それに嬉しそうにうなづく藤をみて、まさに”ガ~~ン!!”という擬音がぴったりな顔をする諒。
「な、なんでですかっ!!
藤さん男には興味ないっ、一番好きなのは姫だからって言ってたじゃないですかっ!!」
え?と、その言葉に反応したのはコウだ。
女同士だしありえない…と思いつつも、女子校育ちなわけだから…と、フロウを藤の目からも隠そうと少し後方に押しやる。
そんな中でさらに諒は
「その言葉を信じて女性らしさの研究までした私は…」
…そこまでしてたらしい。
たいしたものだ…とそれにも感心するコウ。
フロウのために生き、フロウのためなら死ねるし、フロウに死ねと言われたら死ぬと公言している自分でも、そこまでできるかというと悩む。
そんな諒の言葉に和馬は
「ん~、ただの馬鹿?」
そう、あっさりそれを突き落とす。
藤もそれを止める事もなく、ただ、
「それ…いつの話よ?まだ高校生の頃じゃない?」
と呆れた目を向けた。
それでも
「まあ姫は今でも弟のモノじゃなきゃ抱え込んじゃいたいくらい好きだけど…」
と言うのはやっぱり女子校育ちのなせるわざか…。
「とにかく姫に嫌がらせするならここには来ないでっ。
用事があったら風早の家のビジネス用のメルアドに送ってくれたら携帯のメルアドに転送されるようになってるからっ」
だんだんすごい事になる室内。
「ちょ、ちょっと待って下さいっ!」
慌てる諒に
「警察呼ぶ前にゴーアウェイ」
と、ピシっと藤はドアを指差した。
ショボンと肩を落として出て行く諒。
パタンとドアが閉まると、
「で?あれ藤さんにとって何者です?」
と、一人オブザーバーな立場を保ち続けたユートが藤に視線を向けた。
「あ~、私叔父が二人いるんだけど、下の方の馬鹿な叔父の取引相手の馬鹿息子ならぬ馬鹿孫。
で、叔父は自分の仕事が有利になるように仲良くさせたいらしくて私が高3の時かな、騙されて引き合わされてさ。あまりにチャラくてうざかったから”私は男に興味がなくて好きな女の子いるから”って突き放したんだけど、なんだかしつこくてねぇ」
ヘラヘラっと笑いながらそこまで言うと藤はふと一瞬真顔になって
「ま、例によって私のバックボーンが好きって人種だよ」
と、自嘲まじりに付け足した。
「で、あのキモ男の正体は良いとして、姫はあの男の何がそんなにお嫌だったんです?
ただキモイという域を超えて嫌悪感を持っているように感じたのは俺だけですかね?」
そこで今度は和馬がフロウに視線を向ける。
コウの腰にぎゅうっと腕を回してしがみついていたフロウはその言葉にコウの胸にうずめていた顔を少し離した。
それからウルルっと何かを訴えるような目をコウに向けるフロウ。
怯えたような視線に気付いてコウは少し屈んで
「…どうした?」
とコウにしてはなるべく優しい声音で聞くと、フロウの頭を撫でて微笑んだ。
「…匂いがしました…あの人…」
言ってフロウは子犬のような大きく黒目がちな瞳でコウを見上げる。
「…匂い?何か嫌な匂いだったのか?俺は気付かなかったけど…」
コウが不思議そうに首をかしげると、フロウはポシェットからチャリンと何かを取り出した。
「…ブルガリのアクア プールオム」
正直…ブランドには詳しくない。
かろうじてブルガリが宝飾店である事はわかるが…。
「えっと?」
と、仕方なしに先をうながすコウ。
しかし和馬は心当たりがあるらしい。
「例のイヤリングのか?」
と、聞く。
その言葉にフロウはコクコクとうなづいた。
「…整髪料も同じ…なので…片方だけなら偶然の可能性もありますけど…」
「和馬、意味がわからんのだが、どういう事だ?」
事情がわかったならフロウから聞き出すより和馬から聞いた方が当然早い。
やはりオシャレの関係だと和馬の方が詳しいんだなと若干コンプレックスを刺激されながらもコウは和馬に聞く。
聞かれて和馬はニヤリといつもの意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「ようは…お前の部屋の前をうろついていた女が落としたイヤリングと同じ匂いがあのキモ男からしたって事だ。
つまり…姫の嗅覚が正しくて、さらにそこの凡人の女が嘘をついてるとかじゃなければ、あのキモ男が女装をしてお前の部屋の前をうろついていたという事になる。
で、姫は女装して男の部屋の前をうろついていたキモ男の気持ち悪さに引いたという事だな」
「女装の男…だったのか…」
コウは嫌そうに顔をしかめた。
あの諒が女装したところを想像するとあまりに気持ち悪い。
一瞬思考がそちらにいって停止するコウの代わりに珍しくアオイが話を進める。
「じゃ、ユートを刺したのも女装した諒さんだったり?」
と、発展させるアオイに
「動機はあるが…そうと断言はできんな」
と、和馬は答えるが、最終的な意見を求める様にチラリとコウに目をむける。
動機…確かに藤が欲しい諒にとっては和馬は邪魔なわけだが…。
コウは少し考え込んで
「いや…彼には動機はない」
と、結論づける。
ユートが刺されたのは和馬が藤の恋人だという事を諒が知る前だ。
ただ一緒に旅行にきていたというだけで刺すとは考えられない。
「むしろ動機があるのは…」
「あるのは?」
コウの言葉に和馬が聞き返す。
諒は恐らくユートが刺された件とは無関係だが、一つの大きな可能性と一つの大きな事実を提示してくれた。
が…コウはまた少し考えて首を横に振った。不用意に漏らすにはあまりに事が大きくなりすぎる事実だ。
「いや、今の時点ではやめておこう。
不確実な推測をダダ漏らししても混乱するだけだ」
そのコウに和馬は
「相変わらず…石橋を叩いてわたらん手堅い男だな」
と苦笑する。
「とりあえずさ…姫とアオイちゃんとユート君だけは安全のため家に返しておく?」
夕食は諒の手配で部屋に運んでもらえる事になり、フロウと藤の部屋の応接セットのテーブルを囲んで食べている。
綺麗に飾り付けた八寸を無造作に口の放り込みながらそう口を開く藤の言葉に、和馬は指示を仰ぐ様に無言で視線をコウに向けた。
些末な雑用は黙って片付けておいてくれるが、指示に従ってもらいたいような重要な決断は黙って指示を待つ。
和馬はその些末か重要かの判断が絶妙だとコウは感心する。
こんな部下がいれば上は本当に動きやすい。
自身も能力が高くてその気になれば充分トップでやっていける手腕をもって全力でサポートに当たるのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
普通はそれだけの能力があればやはり上を目指したがるものだが、そこであえて自分を補佐役におく自制心が和馬のすごいところだとコウは常々思っている。
もちろんコウは当然その和馬の視線に気付いてて、箸を手にしたままジ~っと八寸の皿に向けていた顔をあげた。
「いや…殺人未遂のレベルで行動を起こしてる時点で、下手すると戻った先で目的達成のための人質として誘拐とかの可能性も皆無ではないし、目の届かない所にやらない方が良いと思います」
「ん~、じゃあうちで護衛用意するとか…」
「風早の家は…どこまで信用できると思います?
少なくとも…”家の者”にしか言っていないはずの藤さんの行き先が諒さんに伝わっていた時点で、総帥以外の風早家の住人や使用人には、和馬や…もしかして藤さん自身の事も快く思っていないかもしれない下の叔父さん等に対する色々な抑止はない可能性がありますよね?」
そう…これが諒が本人がそれと意識せず提示してくれた重要な事実で、コウがもっとも厄介だと感じている事だ。
コウの返答は予想外だったみたいで、藤は言葉に詰まった。
「…お家騒動か?」
和馬がそこで初めて口を挟んだ。
「その可能性も否定はできないな」
と、コウ。
もちろんそうでない可能性もある。
アオイのさきほどの言葉からも想像出来る通り、ユートを刺したのが”女装した男”という可能性を加味すれば、プールサイドのカメラ小僧3人組の誰かが和馬をフロウの恋人と錯覚して逆恨みで刺そうとしたという可能性も充分ある。
むしろそちらであればいいのだが…。
風早財閥の人間が関わってくると本当に厄介だ。
どちらにしても新たに浮上した可能性もまとめた上で、明日の朝一で赤井との話し合いを持った方がいいかもしれない。
今晩のうちに情報を整理して、伝える事、今の段階でまだ口にしない方が良い事を取捨しなければ…。
「すみません、ちょっと一人でゆっくり状況整理したいんで、部屋戻ります」
コウは難しい顔で立ち上がった。
そして部屋を出て行く。
自室に戻るコウ。
明りをつけ、PCに向かう。
事実関係、可能性として考えられる事、どう動くかのシミュレーションを何パターンかPC上でまとめていく。
各パターンで赤井に依頼する事もきちんとまとめておかないとならない。
事件が起こるのは今回が初めてではないが、一歩行動を間違うと全員がヤバい事になるような事態は最初の高校生連続殺人以来だ。
緊張する…。
下手すると大財閥を敵に回す事になるのだ。
ああでもない、こうでもないと、文字を打っては消し打っては消ししているうち、だんだん頭痛がしてくる。
時計をみると11時。少し休むか…。
コウは少し疲れた目を休めるついでにリラックスでもしようかと、いったんPCを閉じて立ち上がった。
そのままバスルームに。
一人でも着替えをきちんと用意してその上にバスタオル、脱いだ物をキチンとたたんで洗濯物用に持参した袋に入れるまでするところが几帳面なコウらしい。
湯を張った湯船にゆっくり浸かりながら思考の海に沈んでいたコウは、部屋の方でする不審な物音に気付いて軽くつむっていた目を開いた。
そしてゆっくり湯船からあがると急いで服を身につける。
それからソッと浴室の鍵を開け、シャワーを出した。
シャワーの音で侵入者は部屋の主が浴室にいると言う事に気付いたのだろう。
気配が浴室のドアの前で止まる。
ガチャリとゆっくり回されるドアノブ。
音も無く開かれるドア。
侵入してくる人影を認めた瞬間、コウはドアの影から飛び出して蹴りをいれようとしたが、足が相手を捕らえる瞬間、ぎりぎり踏みとどまった。
「皆川さん??」
驚いて目を丸くするコウの足のほんの数ミリの所に硬直した諒の顔。
その手には何故かロープ。
コウは振り上げた足を地面につけると、諒の後ろにも目をやった。
自分のものとは違う、おそらく諒が持って来たのであろう紙袋をのぞくと、中には怪しいグッズが多数。
…いわゆる大人のおもちゃというやつで……
これを…自分に使うつもりだったというのはまずあり得ないだろう。
というか、それはあまりにおぞましくて考えたくない。
普通に考えるなら、ここは本来藤が泊まるはずだった部屋で…鍵のかかっていた部屋への無断侵入…ロープを手にした諒…その諒が持参した怪しいグッズの数々…そこから導きだされる答えはおそらく一つな訳で…。
コウの視線がスッと厳しさを増す。
「個人の犯罪…というレベルではすまされませんよ?これは。
ホテルの人間が宿泊者の部屋にいかがわしい理由で無断侵入となれば、ホテル自体の管理責任も問われますね…
というか…経営者がそれをやったら下手すれば営業停止では?」
コウの厳しい口調に諒は真っ青になってロープを放り出すとガバっと土下座した。
「申し訳ありませんっ!!何でもしますっ!どうかこの事は内密にっ!!!!」
まあ当然の反応だ。
コウは念のため携帯でその状態を写真に写す。
その上で少し考え込んだ。
もちろん本来だったらまだそこらにいるであろう赤井に突き出す所だが…今回の事件の状況によっては風早財閥の中に若干非合法な手を使っても食い込んで行かないとならなくなる可能性も出てくる。
もし風早が関わっているとなると、食事の時も話が出たが解決するまで藤と交友関係のある今回のメンバーが狙われる可能性もあり、それはフロウも例外ではない…というか、藤との親しさを考えれば真っ先に狙われても不思議ではない。
「とりあえず椅子に座って、いくつか質問させて下さい」
コウは用心深く明言をさけつつ、諒を椅子にうながした。
もちろん諒に拒否権はない。
「まず最初に一点、今回藤さんがこちらに泊まっているというのを知ったのは取引先である藤さんの下の叔父さんからの情報ですか?」
するどい目で聞くコウの質問に、諒は怯えきってコクコクうなづいた。
「では次の質問。その叔父さんの意向としては藤さんと皆川さんとの間に婚姻関係を結びたいという事です?」
諒はそれにもコクコクうなづく。
「では次。皆川さんは先ほど藤さんの口から出て初めて金森と藤さんの事を知ったような口ぶりでしたが、それ以前にその叔父さんからは聞いていらっしゃらなかったんですか?
聞いていてもおかしくはないと思うのですが」
その言葉には諒はブルブルと首を横に振った。
「聞いてませんでしたっ!本当ですっ!
風早勇三氏からは、ただ今回藤さんがこちらに泊まっているので無理にでも良いから既成事実を作ってしまえと言われただけでっ。
他の男の話は本当に寝耳に水でしたっ!!」
充分非合法な会話を交わしていた事を暴露しているので、いまさら嘘はついていないだろう。
という事は、少なくともユートが斬りつけられた事件とは無関係か…と、コウは最終的に結論づける。
「それでは最後の質問です。勇三氏から情報を得るという事は、皆川さんの側の首尾も勇三氏に報告をなさってるんですか?」
その質問には諒はやっぱりうなづいた。
とりあえず今はこのくらいか…。
コウはそなえつけのレターセットを机から出すと、そこに今回諒が不埒な目的で藤の部屋と勘違いしてこの部屋に忍び込んだ事、今後一切藤に手を出さない事を誓う旨を諒に明記させ、ぼ印を押させた。
もちろん、拒否れば即刻警察行きなので諒はそれに従う。
「写真もこの書類もありますからね?
今回だけは実害も無かった事ですし俺も目を瞑る事にします。
ですが今後誓いを破る様な事があればこの書類と写真は警察とマスコミ行きです。
この書類は厳重に封をした上で信頼できるさる筋に預ける事にしますので、再度忍び込んで取り戻そうなどという気を起こさない様に。よろしいですね?」
コウの言葉に諒は怯えて半泣きでコクコクうなづいて戻って行った。
一休みがとんだ騒ぎになったものだ…と、コウは溜め息をついた。
書類は封筒にいれて封をすると、赤井を呼んで重要な物なのでこのホテルを出るまで預かっておいてくれるようにと頼んで預けた。
そして赤井が帰ると部屋の鍵をかけてようやく一息つく。
これでこの件は安心だ。
さらにホテルの側の協力も得られる事になる。
動かせる駒は多くなったものの、事態は複雑化した気もする。
もう一度シミュレーションを練り直さなければ…。
コウは大きく溜め息をついて再度PCに向かった。
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