卒業_オリジナルVerコウ_02

プールサイドのテーブルを囲んでジュースを飲んでいる藤とフロウはすぐに見つかった。
…目立つ…二人並んでると美麗すぎてほとんど犯罪だ。


スラっと背の高い藤はモデルのよう。

黒地に藤の花模様のワンピースはフリルとかスカートとかそういう類いの飾りは一切ないが、それが返って彼女の完璧なプロポーションを際立たせている。
少しの癖もない真っすぐな長い黒髪は上で束ねていて、テーブルの上にはスイムキャップ。
泳ぐ気満々らしい。

一方のフロウは柔らかそうな長い黒髪を高い位置でツインにして淡いピンク色のリポンを結んでいる。
こちらは泳ぐ気はなさそうだ。
華奢な体を包むのは、可愛らしいやはり淡いピンクのワンピースでフリルのスカートがついている。

彼氏の欲目とかではなくてめちゃくちゃ可愛いと思う。
ただ…可愛すぎて他の男の視線が気になった。
邪な目で見られている気がする。

コウは思わず自分のパーカーを脱ぐと、フロウに駆け寄ってそれですっぽり彼女の華奢な体を包み込んだ。
他の人間に見せたくない。
もう思い切り心が狭いとは思うものの、自分の本当に大切な大切な彼女がそんな邪な視線で見られるのはどうしても我慢出来ない。

もちろんそんなコウの心の内など到底気付くはずもなく、それでも着せられるままパーカーに包まれたフロウは
「あ、コウさん♪遅いですよぉ♪」
と無邪気な笑顔でコウを迎えた。
ああ、可愛い…なんでこんなに可愛いんだ…と、そんな彼女にしばし見とれる。

それから少し遅れて和馬が来た。
なんとこんな所でもノートPC持参。

「和馬~、泳がないの?」
おもむろにPCを開く和馬に藤が抗議の声を上げるが
「明日仕事の締め切りなんですよ。
どうせしばらく凡人二人待ちでしょ?移動になったらロッカーに預けます」
とディスプレイに視線を移した。
ムゥっとする藤。


「剣道では勝ったけどフェンシングで負けたから今度は競泳と思ったのに…」

このカップルは恋人同士でそんな事競い合ってるのか…と、普通なら呆れるところだが、それも楽しそうでいいなと思うのが藤と同様思考はNOUKINなコウだ。

まあ自分達に関しては身体能力が違いすぎて勝負になりそうなものがないわけだが…。
それ以前に…たぶん本気でフロウに勝とうなどと言う気は起こらない。
女性でも藤くらい身体能力が高いと競う気にもなるのだろうが…。


「いいや、じゃ弟、競泳しようっ!」

和馬の仕事は趣味ではない。
両親を早く亡くして去年のクリスマス前から世話になっていた親戚の家を出てからは、生活費を稼ぐためにやっている。
それを知っている藤は早々に諦めてコウを誘った。

誘われてちょっと迷うコウ。
チラリとフロウに目をやる。

「姫は預かっておいてやるぞ…」
それに気付いて和馬はディスプレイから目を離さずに言った。


去年はせっかく海もプールもある場所に行ったのに事件が起こって結局泳げなかった…。
今回もこれを逃したらまたそんなパターンかもしれない…。
泳ぎたい…!

普段なら躊躇するところだが、去年の夏は受験勉強の合間一度だけ行った旅行では事件だったし、卒のない和馬が着いていれば安心だろう。
結局泳ぎたいと言う気持ちが勝ってコウはフロウを和馬に預けて藤と共にプールに向かった。



「50mプールだから背泳ぎ→平泳ぎ→バタフライ→自由形の順で軽く流して200mかな?」

軽く…と言いつつ、藤の目はかなり勝つ気満々の本気モードだ。
長い髪をスイミングキャップに収め、準備体操を始める。

相手に本気になられると、コウもなんとなく負けたくない気分になってきた。
というか…いくら並外れた運動神経を持つ藤相手とは言っても女性に負けるのは少々情けない気分になる。

こうして思い切り本気でスタートする二人。
一度水に飛び込めばもう相手の事は気にならない。自分との勝負だ。

久々という事もあって、とにかく思い切り泳ぐ。気持ちいい。
背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライときて最後はポピュラーにクロールで〆。
コウが最後にタッチをして身を起こすと丁度1mほど後方に藤がいる。
かろうじて勝ったっぽい。

「ああ、クソッ!負けたっ!」
藤が悔しげに指を鳴らす。

本気で勝つつもりだったらしい。
まあ…いくら2年ほど泳がなかったにしても運動神経が決して悪くはない男のコウ相手にこれだけ競るなら、確かに普通の男になら勝てるのだろう。
勝つ気でいたのも納得だ。

「女性とやってこれだけ競られるって俺の方がよほどなさけない気が…」
藤がすごいのか自分がなさけないのか微妙なところだとは思いつつもそう言うコウの息もすっかり上がっている。

「だって私さ、週3回は泳いでるんだよ?弟一年ぶりくらいっしょ?」
スイミングキャップを取って言う藤。
パサリとポニーテールにした黒髪がこぼれ落ちた。

「水泳はそうですけど…一応基礎鍛錬は続けてますし。
休み入ってからは結構時間できましたからね」
コウはようやく呼吸も整って来て笑顔で答える。
二人してそんな話をしながら水から上がると、和馬とフロウの待つテーブルへと足を向けた。

そんな二人の目に映ったのは笑顔でチャリンとイヤリングをフロウの手に落とす和馬。
いかにも都会の出来るオシャレなビジネスマンと言った風情の和馬と無邪気な可愛らしい美少女のフロウ。

大げさに包装するでもなく、さりげなく渡すアクセサリー。
自分にはそんな風に自然に当たり前に物を贈るなんて芸当はできない…。

まるでトレンディドラマのような1シーン。
自分なんかだとせいぜい時代劇だ…。
どちらが女性ウケするかなんてわかりきった事で…。

視界から周りの景色が消え、和馬とフロウのその姿だけが映し出される。
そのすぐ横にいるアオイの姿が目に入ってないあたりが、一直線なコウらしい。
凍り付いた様にその場に立ちすくむコウ。
しかしそれはコウだけではなく、隣の藤も同様だった。

似た者同士…そう、似た者同士だから藤はコウの事を”弟”と呼んで親しんでいる。
本当に他人とは思えないほど似た高い物理スペックと行動性…。
そのせいで本人達のみならず、しばしば他人からも姉弟と間違われる。

何を隠そうあの頭のキレる和馬ですら最初は二人を姉弟だと思っていたくらいだ。
そんな笑えるほど同じ様な事を考えている二人に気付いたのは和馬だ。


「何やってんですか?そんなとこで」
和馬がうつむいて立ちすくむ藤に不思議そうな視線を向けると、藤はジ~っとフロウの手元を凝視する。
「あ…」
そこで気付いたらしく和馬はクスリと笑みを浮かべた。

「先にひとのこと放置してコウと遊びに行ったのは藤さんの方でしょう?」
その言葉に藤はクルリと反転する。

そして
「確かに…姫は可愛いよね…」
そう言って唇を噛み締めて再び俯いた。

スポーツではあれほど闘争心を見せる藤だが、コウと同様に異性関係にはひどく弱気になる。
コウと同じく整いすぎるほど整った容姿のせいで、返って周りの異性が気後れして近づいてこない上に、異性がいない女子校育ちだ。
スペックは高いのに異性にモテた記憶があまりないので、そういう面では自分に自信がない。

藤のそんなところも熟知している和馬は、これ以上はまずいな、と苦笑して
「あ~、もう嘘ですよっ!これはコウの浮気相手が落としていったやつです。
で、コウから返させようと今姫に預けたとこで…」
と、立ち上がって藤の所に向かう。

からかわれていたとわかっても、怒らずにホッとして機嫌を直す人の良さもコウと藤の共通点なわけだが…今回それで機嫌を直したのは藤だけで、コウは飛んでもない濡れ衣に怒っている。
ただの濡れ衣ならともかく浮気疑惑なんてかけられてフロウに見捨てられたらという恐怖もあって必死である。

「和馬~!何お前でたらめをっ!」
コウはキツい顔立ちと端的な言葉遣いで短気に見られがちだが、”良い人”と周りから半分舐められているユートなどより実はよっぽど温和で滅多に本気で怒らないのだが、今回ばかりは本気で激怒。
だが和馬はそれをスルーで藤の手を取ってテーブルに促した。

怒りと不安の狭間で揺れ動いていたコウは和馬を追ってテーブルに来たところでかかる
「これ…コウさんにお返しすればいいです?」
と言うフロウの声で完全に天秤が不安の方へ傾いた。

「姫、ほんっきで違うからっ!和馬の嫌がらせだからっ!」

和馬と藤と違って、お世辞にも優等生とは言えない、特に運動神経がよろしいわけでもないフロウとは、頭脳も身体能力も差は歴然。
だが、コウの脳内での立場的強弱は出会いの瞬間からはっきりしていた。

別れと彼女自身に危険が及ぶ事以外どんな無理でも不条理な事でも彼女が言う事なら受け入れられるくらいのコウにとっての絶対者…それがフロウだ。

そんな命より大切な彼女様に浮気なんて濡れ衣を着せられて万が一にでも別れ話なんて切り出されたら…もうコウは泣きそうだ。


それに完全に他人事を決め込む事にしたらしい和馬は自分の方が片付いたら面倒になったのか、いきなり
「俺じゃないぞ~。そこの愚民が言って持って来た物だ」
と、アオイに振る。
振られて今度はアオイが顔面蒼白。

「アオイ…お前…」
アオイはコウにとって空気の読めない仲間であり、自身と同様人間関係に不器用なあたりが他人とは思えず、妹のような存在だ。
普段ならコウはフロウについでアオイには甘いのだが、今回はさすがに切羽詰まった気分なのもあって向ける視線が思い切りキツくなる。

「違うってっ!拾ったのは確かに私だけど、浮気相手のとか言ってないよっ!」
もう涙目で顔の前で両手を振って否定するアオイ。

それに対して余裕で
「いや、コウの部屋訪ねた女のとか決まりだろ」
と、茶々を入れる和馬。
「本気で知らんっ!姫っ、本当に俺は…」
焦ってフロウに詰め寄るコウ。

そんな中で当のフロウは相変わらずほわんとした声で
「浮気でも浮気じゃなくてもこの際どうでもいいんですけど…
これ結局コウさんにお返しすればいいんです?」
と、イヤリングをちらつかせた。

「どうでもいいって………」
すでに見捨てられたのか…と、コウは絶句。

「もしかして…怒ってるのか?姫…」
血の気の失せた顔でおそるおそる聞くコウに対し、フロウはきょとんと大きなまるい目をコウにむけて
「…?何を怒るんです?」
と、首をかしげる。

とぼけてるわけではない…彼女が常に思っている事しか言わないのはわかっている。
がっくり肩を落とすコウ。

「じゃ…浮気…しても気にならないのか…どうでもいい?」
別れ話じゃないだけマシなのかもしれないが…興味…もたれてないのか…。
ずぶずぶと気持ちが沈んでいく…

青くなったまま言葉もなくうなだれるコウに、面白がりやの和馬もさすがにまずいと思った。
「あの…」
とフォローをいれようと口を開きかけるが、その言葉はフロウの
「だって…してないでしょう?」
と微塵も動揺のないハイトーンの声に遮られた。

そういう事か…一気に力の抜けるコウ。

「…うん」
「…じゃ、別に他に浮気したしない言われても良くないです?私とコウさんがしてないってわかってればあまり問題ないと思うんですけど…」
あっさり言うフロウを力の抜けきったコウが抱え込む。

信頼…されているらしい…。
さきほどの地獄のような不安から一気に天国へ。

「で、コウさん、これ~!」
抱きしめられてもやっぱりほわわ~んとフロウは手の中のイヤリングをチャリチャリ鳴らす。

「あ、ああ、どれだって?」

コウはようやく落ち着くと色々がどうでも良い気もしてきたが、愛しの彼女の疑問には当然答えなければならない。
フロウから少し体を離して彼女の持つイヤリングにチラリとだけ視線を向けると、拾った経過を説明するアオイの話に耳を傾けた。

そして結論。
「俺じゃなくて藤さんの知り合いじゃないか?部屋かわってるの俺らしか知らないし」

自分は親も義務教育後は放任なので、ここに来るのを誰にも言っていない。
さらに…部屋は本来は藤が泊まるはずだったわけだし、そう考えるのが普通だ。

状況が全てわかってしまうと結論はすぐに出るし慌てる事もないのだが、浮気などと言われてフロウがそれをどう受けとるかと考えただけで暴走してしまった。
結局…フロウがどう思っていようと自分の方は本当に彼女が好きで必要なのだ、とコウはあらためて実感する。

言われて藤は
「え~?でも私もここに来る事家の者以外には言ってないよ?」
と、不思議そうな顔をするが、
「まあ…単に部屋間違ったっていう可能性も皆無じゃないけどな。
誰かの知り合いならそれこそそのうち電話寄越すだろ、とりあえず放置でいいんじゃないか?」
と、和馬がまた事態が変な方向に行かないうちにと、そうまとめた。

そのうちユートも合流して6人全員揃ったところで移動する事に。

「じゃ、コウさん、これ」
フロウは立ち上がると先ほどコウに着せられたパーカーを脱いでコウに渡そうとする。
まあ当然それを着せられた理由などフロウにはわかってない。
そこでコウは
「だめ、着ておけ」
と、それでまたフロウを包んだ。

「なに?姫体調でも悪い?」
そこでやっぱり理由がわかってない藤が少し心配そうに綺麗な眉を寄せた。

まさか水着を着たフロウを他の男の目に触れさせておかしな妄想をされたくないなどと言う訳にもいかない。

少し考えた末
「いえ…蚊帳みたいなものです。本当は頭からかぶせたいくらいです」
きっぱり言うコウ。

虫除けという意味ではなかなか的を得てると思ったらしく藤はプッと吹き出し、
「ああ、わかる気が…。姫の周りって本当に寄ってくるもんね、変なのが」
と理解を示した。

藤とフロウは学園祭で共演していた一時期にかなり親しくしていた先輩後輩で、藤はその時期は帰りに毎日フロウの自宅まで送り届けていただけあって、そのあたりは詳しい。
行きの車の中でも当時しつこいおっかけを追い払うのに手近な木を蹴り折ったという武勇伝を聞かされたばかりだ。

そんなフロウに対する立場までコウと似ている。
コウは男なのでコウがいる時点で周りの男は大抵諦めるためそこまでやった事はないが、同じ立場だったらやはり同じ様な事をするだろうと思う。

そんな二人の会話を聞いて、また面白がりの気がむくむくと頭をもたげてきたらしく、
「…さっきも来てたぞ。俺が飲み物買ってる一瞬の間に身の程知らない系がな。
俺が飲み物片手に戻って姫を連れて行ったらすごぃ目でにらんでて笑った」
と、和馬が機嫌良く言った。

一方でそれはフロウにとっては毎度毎度の事ながら非常に楽しくない出来事だったらしい。
可愛らしい顔を少し曇らせてキュウっとコウの腕にしがみつく。

「…ごめんな、放っておいた俺が悪かった」
それに気付いたコウはフロウの肩を抱き寄せた。

普段の無邪気な笑顔も可愛いが、そんな風に少し不安げにしている儚げな様子も本気で可愛いと思う。
そう、コウにとっては彼女の全てが可愛くて愛おしい。
腕力があろうが知能が高かろうが、コウの方がそう思ってしまっている時点で立場的には彼女は絶対に強者で勝てないのだ。

久々だから泳ぎたい…そんなのはいくら和馬がいたからといって危険と思う場所に彼女を放置して良い理由にはならない。

「怖い思いさせてゴメンな」
と、コウは少しかがむようにフロウの顔を覗き込んでもう一度謝罪した。
フロウは小さく首を横に振るがコウ的には許されざる罪悪。猛反省である。
鬼の様に深く反省していたせいで反応が遅れた。

こちらに向かっていきなりピカっと何かが光る。
しまった…と思うコウだが、和馬が即フォローに入っていた。
さすがに1年もの間コウの下にいただけあって絶妙だ。

続いて響くシャッター音でコウはそれがカメラのフラッシュである事を認識する。
どうやら相手はフロウの写真を撮ろうとしたらしいが、舌打ちしているところを見ると和馬のおかげで阻止されたらしい。
和馬はそんな相手に当然追い打ちをかけにいく。

「無断で写真撮るって良識疑われると思いません?」
と、にこやかにカメラを向けた相手に詰め寄る和馬に、3人ほど固まってるカメラ小僧は口の中でモゴモゴ言い訳めいた事を言ってたが、コソコソと離れていった。


「そそ。あいつら。さっき言ったの。まあ…自分の面みて出直せってやつだな」
和馬はそれを見送ってくるりと振り返って言う。

相変わらず容赦ない。
まあ…それに関してはコウも容赦は必要無いとは思っているのだが…。

しかしそこで空気を読まないアオイの
「でも…フロウちゃん可愛いから撮りたくなる気持ちはわかるけど」
という言葉が更なる波乱を呼んだ。

確かにフロウは可愛い。当たり前だ。
しかしだからといって勝手に写真を撮っていいわけではない。
と、コウは内心憤慨する。

が、そこはアオイが考え無しなのはいつもの事なので黙っていたが、和馬の方はアオイに対して思い入れもなければそういう気遣いもない。
むしろ考え無しという事自体が彼にとっては罪悪に等しいわけで…

「誰かこの浅はかな凡人に、男が好みの女の水着姿の写真なんか撮ったら何に使うのか教えてやってくれ」
かなり怒った口調でそう言うと、冷ややかな視線をアオイに向けた。

その言葉でかろうじて抑えていたコウの怒りが爆発する。

「そういう馬鹿な話するのやめてくれ。吐き気がするから。
…ていうか…部屋帰るぞ、姫」

当然自分だってそういう可能性を考えてフロウをパーカーに包んでいたわけだが、改めて言われると本気で頭に血がのぼった。
もう一瞬たりともフロウをそういう輩のいる場所に置いておきたくなくてコウはフロウの腕を取ってプールサイドを離れる。

フロウはそれを拒む様子もなく連れて行かれるが、廊下に出た時初めて
「コウさん…痛い…」
と、抗議の声をあげてコウを見上げた。

「悪いっ」
コウは慌てて思わず強く掴んでいたフロウの手首をつかむ。

「コウさんが…お部屋に戻りたいって普通に口で言ってくれれば付いて行きますから…ね?」
フロウは自由になった手をスルリとコウの腕に置くと、ふわんと微笑んだ。

本当に癒されるようなふんわりとした天使の微笑み。
可愛い……。
理由をきくでもなく、怒るでもなく、ただふんわり笑顔。

「ごめんな…せっかく来たのに…」
その笑顔になんとなく落ち着いて、ひどく勝手な事をしている気がしてコウが謝罪すると、フロウは笑顔のまま
「私は母と何回も来てますし」
と、コウを見上げる。

「でも…他と来るのは初めてだろ?」
戻ろうか一瞬迷うコウだが、フロウは
「ん~アオイちゃんもユートさんも藤さんも大好きですけど…コウさんが一番好きだから♪」
と天使の微笑み。

「他の皆とスパいるよりコウさんとお部屋の方が楽しいですよ?」
きょろんと大きな瞳でふんわり微笑むフロウに、もう一生勝てないと思うコウ。

彼女はその時自分が一番欲しい言葉を与えてくれる。
悩める子羊と教祖様みたいなものだ。
もう所有物だろうと従者だろうとなんでもいい気分になる。

そのまま売店でフロウの好きなホワイトチョコを買うと、先にフロウを部屋に送って着替えさせ、それが終わると自室で自分も着替え。
さらにそれが終わると、自分にはコーヒー、フロウには紅茶を入れて、バルコニーでティータイム。

「コウさん…大学無事合格したからあとは4年で卒業して就職するだけですね~♪」
椅子に座った足をブラブラさせながら、可愛らしい声で始めるフロウに、コウは少し笑みを浮かべた。

「約束?覚えてたのか」

高校2年の夏…出会うきっかけになった事件が解決後、みんなで打ち上げとばかりに旅行に行って、ダメもとでもと交際を申し込むつもりが緊張しすぎて出た言葉が…
”俺はたぶん東大現役で合格して22で卒業後警察庁に入るっ。そうしたら姫と結婚したい!”

…そう…いきなりつきあうとかそういう経過を通り越して一気にプロポーズだったわけで…。

普通なら当然引くであろうその失策に対して、フロウは
”男に二言はなしですよっ!嘘付いたら針千本飲ませちゃいますからねっ”
と返してくれた。
その瞬間、コウの人生は決定した。


「当たり前ですよぉ。コウさん忘れちゃったんですかっ?嘘付いたら…」
「針千本…だろ?」
コウはクスリと笑った。

「俺は絶対に忘れないけど、姫はしばしば過去を振り返らないから…」
「過去じゃないですよぉ、未来じゃないですかっ」
微妙にずれた答え。
まあ…修正の利く範囲ではあるが。

「うん。まあ俺は大丈夫。絶対に約束守れるから」
当たり前だ。
彼女と一生一緒にいられるならもっと厳しい条件が追加されたとしてもクリアしてみせる。

コウの言葉に満足げにうなづくと、フロウはふと思いついた様に
「アオイちゃん達や藤さん達はどうするんでしょうね?」
と少し首をかしげた。

「一緒の頃結婚して、一緒の頃に赤ちゃん産まれて、子供同士も仲良しなんて素敵かも♪」
テーブルについた肘の上にあごをのせて、楽しげに空想の世界に入るフロウ。

「でね、でね、いつか子供同士結婚なんかしちゃったりとか♪
そうしたら皆家族でずっと一緒ですね~♪」

彼女の描く未来はいつでも幸せに満ちていてバラ色だ。
全てに同意できるかは別にして、彼女が楽しげに話す幸せに満ちた話を聞いているのは楽しい。
悲観的な自分では到底思い描けない明るい未来だ。


コウ的には…アオイとユート、これは親次第。
アオイは長女でユートは長男なわけで…まあアオイは弟がいるから弟が名前を継ぐというのはあるかもだが、今の時代娘と暮らしたがる親は多い。

それは姉と妹がいるユートの方にも言える訳だが、万が一アオイの親が娘と暮らしたがってユートの方の親が長男が嫁の家に入る形になるのを潔しとしなかった場合は揉めるだろう。

その時に調和と協調を好むユートが全てを振り切ってという方法を好まなかった場合には結婚までにはかなり時間を要する事になるだろう。

それでも…まだこの二人の場合はマシな方で…藤と和馬に至っては茨の道以外何物でもない。


大財閥の跡取り娘と一般家庭に生まれて幼い頃に親兄弟を亡くして自活する一大学生。
しかも和馬が3歳も年下。
もう賛成されるような理由がみつからない。
最悪藤が風早と縁切りか。

自分達の事ではないし、未来なんてどう転ぶかわからないのだから、物理的な事ばかり気にしていても仕方ない。
どうせわからないなら楽しく考えていた方が精神衛生上よろしい、とは思うのだが、どうも思考が暗い方向に向かうコウ。
そんな悲観主義者のコウにとっては、もうとにかく楽天的なフロウがいなければ人生は白黒の非常に味気ない物になるように思える。

幸せは常に彼女と共にある。
それはそれは楽しそうに未来予想図を語りながら、それはそれは美味しそうに売店で買ってやったごく普通のホワイトチョコを口に運ぶフロウ。

怖い、痛い、そういう類いの事を別にすれば彼女はいつでも機嫌が良く幸せそうで、ちょっとした事でもとても嬉しそうな反応をするし、逆にかなりまずい事を言ってしまったりしても華麗にスルーというか、気にしない。

コウのように空気を読むのが苦手で悪気はなくともしばしば人を怒らせたり萎縮させたりする人間にとっては、これ以上なく気の休まる人種なのだ。

「コウさん?」
ボ~っとそんな事をあらためて考えていると、フロウが不思議そうに大きな瞳でコウの顔を覗き込む。

そこで我に返ったコウは、自身の幸せをかみしめながら
「ああ、なんか幸せだなと思って」
と、それを口にしてみる。

ここで普通の女なら
「何よ?いきなり?」
などと聞いて来て、コウは漠然とした気持ちを的確に相手に理解できる形で伝えなければと頭を悩ますところなのだが、フロウはそれに対してもやっぱりほわんと微笑んで、ただ
「そうですよねぇ♪」
と同意する。

それ以上の言葉を求めないし、必要もない。かといってスルーしているわけでもない。
彼女は感情感知型の人間で、おそらくコウが今なんとなく幸福感を感じているのも感覚的にわかってくれていて、気持ちを共有してくれるのだ。

コウのように空気が読めず他人と話すのが苦手な人間にとってはその理解と許容が嬉しい。
ただこうしてバルコニーで側にいるだけで楽しくホッとする。

しかしその時間はすぐ”女性だけで”露天風呂にという藤とアオイに奪いさられた。
まあ…他の男の目に触れさせるのは嫌だと連れ帰ったのは自分だ。
自業自得だ。仕方ない…。溜め息。





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