部屋に運んですぐくらいにかけつけた医者には血管迷走神経反射性失神と診断された。
要は…強い精神的ショック等によって気絶したという事だ。
身体的には特に異常はないらしい。
錆兎はそれを聞いて力なくベッド脇の椅子に倒れ込んだ。
自分の方が震えが止まらない。
震える手で眠っている義勇の細い手をソッと取ってうわごとのようにつぶやく。
自分の軽はずみな行動のせいで水野の敵対心が義勇にむいたのだろうか…。
もしそうだとしたら…本当に自分で自分を殺したいと錆兎は思った。
強烈な目眩と吐き気…。
呼吸もうまくできない気がする。
「サビト…、平気?なんか苦しそうだけど…」
無意識にうまく取り込めない空気を取り込もうと、おかしな呼吸を繰り返していたのだろう。
ユートが心配そうに錆兎の顔を覗き込んできた。
「もう一度医者呼ぼうか…」
と、藤も同じ事を感じていたらしく内線へと手を伸ばしかけるが、
「俺は大丈夫ですから…」
と錆兎はそれを制した。
自分だけ楽になるなんて許せない…。
そんな時、部屋のドアが小さくノックされた。
力なく立ち上がりかける錆兎を制して、藤が
「いいよ、私が出る」
と、ドアに向かって戸を開ける。
「…!」
ドアの向こうに立っている人物を見て藤は硬直した。
「何…かな?」
なるべく冷静にとは思うものの、表情は硬く声が震えている時点でうまくいっているとは言えない。
罵りたい気分にかられてそれを必死にこらえるため握りしめた拳がプルプル震えた。
「あの…私…義勇ちゃんにお話が…」
おどおどと言う水野の言葉に藤はカ~っと頭に血がのぼる。
「無理っ!」
と、だけようやく声を絞り込むと、言ってはいけない言葉まで言わないようにと、クルリと即反転して部屋へ入る。
「あ、あのっ…」
水野がそれを追って部屋に足を踏み入れると、錆兎が青い顔で立ち上がった。
「…帰って下さい…」
「あの…で、でも…」
「でないと俺殺人犯になりかねないので。
たぶん…今ぎゆうに近づかれたら確実に殺します」
静かだが怒りを隠すつもりもない錆兎に、焦ってユートが間に割って入ろうと立ち上がる。
綾瀬はその殺気に凍り付き、藤は止める気配がない。
これ…自分じゃ絶対盾にもならないな…とユートは内心汗をかいた。
普段はうっとおしいくらい錆兎につきまとっているくせに、こういう時に限っていない和馬に少し腹がたってくる。
いて欲しい時に限っていないのはどうしてだ。
錆兎も…他の事なら自分の命優先してくれるとは思うが、こと義勇が関わると普段は不必要なくらい山とある理性と冷静さが一気に消え失せるので、自分死ぬかも…とユートは心底あせった。
「と、とりあえず水野さん、話はあとで…」
それが一番平和だと思って言うが、水野は
「で…でも…」
と、そこに立ちすくむ。
(…空気読んでくれ~!)
ユートは泣きたい気分になった。
「言いたい事があるなら俺が聞いて、言うべき事、言うべきじゃない事を取捨した上で姫に伝えます。
俺が手をあげないうちに帰って下さい。
一応俺は各種武道の有段者で…女の首の骨くらいならへし折れますので…」
藤をのぞく全員が顔面蒼白になった。
錆兎から発せられている殺気からすると冗談ではないらしい…本気だ。
水野は恐怖というよりショックで立ちすくんだ。
敵意とか言うのを超えて、彼からは明確な殺意を感じる。
あの昼間の優しさから一転して向けられる激しい憎悪。
怖いというより悲しすぎて絶望的な気分になった。
「さびと…それ、…や」
不意にかすかな声がした。
「すごく…嫌な…オーラ」
クイっと錆兎のシャツが引っ張られる。
「ぎゆうっ!平気かっ?!どこか苦しくないかっ?!」
急に殺気が消えた。
錆兎が義勇を振り向いて床に膝まづいて視線を合わせる。
泣きそうな顔の錆兎の短い髪をサラッとなでて、義勇は
「さびと…あわてんぼ」
と少し微笑んだ。
「助かったぁ…」
綾瀬とユートがほぼ同時につぶやき脱力する。
藤は義勇の意識が戻った事にホッとしたように、錆兎の方のベッドに力が抜けたように座り込んだ。
「えと…ね、今は水野さん…敵意とかない。
私が私の事嫌いですか?って聞いた瞬間…何故か消えたみたい」
「え?じゃあなんでぎゆういきなり?」
錆兎は目を丸くした。
義勇はそれに少し考え込む。
「えと…ね…、誰かからすごい殺意を向けられた…。いきなり…」
「それ誰だ?!」
錆兎が気色ばむが義勇は首を横に振る。
「わからない…けど、私は水野さんに注意向けてたから…水野さんではないことは確か」
一体誰がどういう理由で…?
「私…和馬に話してくるっ」
藤が部屋を出て走っていく。
「えっと…それでさびとは良いとして…他の皆さんはどうして?」
それを見送ってきょとんと錆兎を見上げる義勇。
「ユートは…雑用に。
綾瀬さんは着替えとか女性じゃないと困る様な事の手伝いを申し出てくれて…水野さんは…」
そこで錆兎は少し言葉を切って迷った。
「あ、あのっ、少しお話したくてっ」
そこで水野は言うと、ちらりと他に目をやる。
「二人きりの方がいいです?」
「あ、はい、できればっ」
「それは却下」
義勇と水野のやりとりにそこで錆兎が断固として宣言した。
「えっと…でも…」
「絶対にダメだ。
ぎゆうの言う事は何でも聞いてやるけど…危険な事だけはダメだって言ったよな?」
「安全…だよ?」
「…いやだ…」
大抵は折れる錆兎の断固たる態度に今回は義勇があきらめたようだ。
「じゃ、ユートさんも一緒。
お部屋の付属物にでもなったつもりになって頂いて…」
「…」
「ユートさんの事…信用できない?」
「…その言い方…ずるいな…」
「まあ…じゃあ俺が姫の護衛ってことでゆびきりでもするかね」
最終的にユートが言って、渋々錆兎が綾瀬と共に部屋を出て行く。
「じゃ、そういう事で。俺は音楽でも聞いてるんで、気にせずどうぞ」
ユートは言ってイヤホーンを耳にipodで音楽を聴き始める。
「ごめんなさい、さびとは心配性なんです」
義勇はちょっと苦笑して水野に椅子を勧めた。
義勇自身はそのままベッドに半身を起こして大きな枕を背に当てて背もたれにしている。
何かのドラマに出てくる病弱な美少女のようだと水野はそれを見て思った。
何をしていても絵になる。
「えと…ごめんなさい。
あの瞬間思ったので口に出しちゃったんですけど…個人的にお聞きすれば良かったですね。ご迷惑おかけしました」
水野がどう切り出して良いものか迷っていると、義勇の方からそう切り出して頭を下げる。
「単に…何か私しちゃったのかなぁと思って聞いてみたかったんですけど…ごめんなさい、大変な事になっちゃいました」
少し困った顔で浮かべる微笑みも邪気がなくて可愛らしいと思う。
本当に善意に囲まれて素直に健やかに育ってきたんだな、と、水野は思った。
「ううん、本当の事だから…。こちらこそごめんなさい。
義勇ちゃんが何かしたとかじゃないの」
水野が言うと、義勇は大きな目をきょとんと見開く。
少し不思議そうに首をかしげると、サラっと細く長い髪がゆれた。
そこで水野は少し迷って、それでもそれまで思っていた事を打ち明ける。
全てを話し終えると、水野は
「つまり…たんなる焼きもちなの。
何もかも持ってる義勇ちゃんが、さらにあんなに優しい彼に溺愛されてたから…。
義勇ちゃんがいなければ…とかちょっと思っちゃって」
と締めくくった。
「そう言われてみれば…そうですねぇ…。私ってすご~く幸運な人なんですね」
まるで他人事のように心底感心して言う義勇。
「そう言う事で…ひとに不快感与える事もあるんですねぇ…勉強になります」
ニッコリと微笑む義勇に水野は目を丸くする。
なんというか…つかみどころのない…別世界の…人…というのも違って…そう、”人間の事を勉強している妖精か何か”と話している気がしてきた。
ふわふわと違う空間を漂っている妖精に敵意をむけたところでなんになるのだろうか…。
というより…何か貴重な動物を見ている気がしてきた。
子供の頃に夢見た…花畑の花の中でふんわりと昼寝をしている妖精をみつけた時みたいな感じの、なんとなくドキドキする楽しさ。
彼女は不思議な空気を持っている。
ああ…可愛いってこういう事を言うんだ…
水野はいつもの悲しい気分ではなく楽しい気分でそう思った。
こちらが敵意を向けたり拒絶をしない限り、妖精はふわりふわりと可愛い笑顔で自分を受け入れてくれる。
ハイトーンの声は音楽的で、笑い声は銀の鈴の音。
無条件に許容してもらえる…それはなんて心地良いんだろう…。
不安、憧れ、憎悪、恐怖…今日一日で色々な激しい感情の動きを一巡して、水野はおそらく精神的に疲れていた。いつもいつも不安感がつきまとう彼女にとって、実は一番必要だったのは安心感だったのかもしれない。
それゆえ”不安を排除してくれる”錆兎に惹かれてみたりもしたのだが、その彼も自分次第でひどく恐ろしい存在に変わる事を実感した。
人というものはそういうものだ。
”自分が気をつけて気を使わなければ”、好意があっという間に敵意に変わる。
でも彼女は違うのだ…と水野は思った。
人間のそういうドロドロした感情のない世界で生きている。
自分が敵意を向けていた時ですら、それを単純に不思議に思うだけで自分に嫌悪感すら持たなかった。
受け入れてもらえる…。
チラリと向けた視線が合うと、義勇は気付いてふわりと笑みを浮かべた。
さっきも感じた事だが…義勇が微笑むとそこから空気が彼女のふんわりオーラに包まれて清浄化される気がする。
心地良い…。
「お疲れ…なんですね?」
突然義勇が口を開いた。
「え?」
「なんとなく…そんな感じがします。
すごく…何か怖いものに追われて一生懸命逃げようとしてる」
不思議だ…。見透かされている。
「うん…そうなの」
思わずコクコクうなづくと、義勇はジ~っとつぶらな大きな瞳で水野を凝視した。
普通だとこんなに穴のあくほど凝視されると心地悪いものだが、義勇相手だと人間とは異質の…例えるならリスとかウサギとかいった小動物に見られている、そんな感じでその心地悪さを感じない。
「さっきリビングで…水野さんも誰かに…すごく…殺意を感じるくらい強い敵対心をもたれてましたよね?それ…です?」
首をちょっとかしげる義勇に、水野は驚いてぽか~んと口を開いてほうけた。
本当に…彼女は人間には見えない何かが見えている妖精なのかもしれない…。
言って良いのか悪いのかわからない…が、言ってしまいたくなって水野は口を開いた。
「実は…殺意かどうかわからないけど、成田さんにはなんだか何も接触してないのにすごく嫌われてるみたいで、すごい目で睨まれてるの」
「そう…ですか」
やっぱりきょとんと首をかしげる義勇。
事実をありのままに感じて受け入れる…が、それ以上何か行動しようとか探ろうとかそういう気はないらしい。
とてもつかみどころがなくてふわふわ不思議な少女だ。
「私…誰といればいいのかな?」
それでも…もう他に聞ける相手がいない。
すがるような気持ちで水野が聞くと、義勇はにっこり
「えっと…遥さんか綾瀬さん…だと、今の時点で強く誰かを嫌ったり強く誰かに嫌われたりしてないので平和だと思います♪」
と断言した。
(なるほど…)
足でリズムを取りながらユートは二人の会話をしっかり聞いている。
音楽は聴いている。嘘ではない。
ただ音量はごくごく小さく…二人の会話が聞こえる程度に小さくしていたり…。
その辺の抜け目のなさがユートのユートたる所以である。
これまでの色々な情報から分析すると、絶対的に安全なのは綾瀬のようだ。
遥は…弟のユートが言うのもなんだが喧嘩っ早いところがある。
今の時点で恨みを買っていなくても、いつ買うかわからない。
(アオイ預ける時は綾瀬さんにしよ♪)
ユートは秘かに思った。
…空気の読めるユートにとっては水野の心の変化は手に取る様にわかる。
非常に内向的で…おそらくいじめられっ子気質の水野はいつも味方を求めている。
強い奴の側にいればいじめられない、それはもう自衛のための本能のようなもので…今まではその集団の中での扱いが悪かろうと”孤立”して不特定多数にいじめられないために、自分を殺して集団の一員であろうとしていた。
それで強くて他から自分を守れる、しかも自分に優しい態度で接してくれる錆兎の存在が好ましく思えた。
しかし錆兎には彼女がいる。
彼女がいなければいいのに…と思うのはまあ普通の流れで…。
ところが錆兎だけじゃなく皆から愛されている彼女への悪意を知られて彼女本人より周りが自分に悪意を向けてきた事に怯える。
この自体を収拾できるのは当の彼女だけと、すがるような思いで彼女に謝罪にきた。
が、意外な事に彼女は全然怒ってないどころか他人に対して悪意を向けるという習慣を全くと言って良いほど持たない人種で…自分を無条件で受け入れてくれる気がする。
そこで相談をしてみたら適切な助言をくれた、彼女といれば大丈夫な気がする。
というところか。
とりあえず…相手の悪意がなくなっているのが確認できたところで、そろそろ切り上げさせておくか。
出ないとそのうち誰かの胃に穴があきかねない。
「え~っと…そろそろ話は終わった?」
ユートは言って、腰をかけていた錆兎のベッドから立ち上がった。
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