人魚島殺人事件C10_寂しがり屋の孤独と不安

「うっとおしいからイライラするな」

藤の部屋に集まった錆兎、藤、和馬。
落ち着かずに部屋をウロウロ歩き回る錆兎に和馬が声をかける。
その声に錆兎はピタっと足を止め、藤を振り返った。

「明日…姫連れて帰ります」
「おま…何言って…」
「うん。それがいいね。
今日は夜だし姫も寝かせてあげた方がいいからね。明日帰れるように船手配させる」

「藤さんまで何言ってるんですか?姫一人帰してどうにかなる状態じゃないっしょ」
錆兎と藤の会話に和馬が立ち上がる。

「客観的に考えて…話のタイミング的にですね、姫が殺意向けられたってのは姫が他の感情をわかっているような事をあの馬鹿な女子高生が言ったためで…ってことは、姫が恨まれているってよりは、多分誰かが姫以外の誰かに対して殺意持っていてそれを隠したいって可能性がかなり高いと考えるのが妥当ですよ?」

「「そんな馬鹿のために姫が危険にさらされるのは嫌だ」」
錆兎と藤が口を揃えるのに和馬は大きく息をはきだした。

「その”馬鹿”がですね…自分だったらどうすんです」
「俺は…自分のせいで姫に殺意が向けられるくらいなら潔く死んでおけ自分て思うが?」
「右に同じく…」

「…ったくこの姉弟は…。」
あきれ果てた和馬の言葉に、
「「あ…」」
と藤と錆兎は二人で顔を見合わせる。

「今度はなんですか?」
もうその話は何を言っても無駄だろうと和馬が諦めてきくと、おそらく以心伝心なんだろう、藤が
「和馬には…言っちゃうね?」
と、錆兎に言い錆兎がうなづくと、和馬を振り返った。
和馬はそれに不思議そうな目を向ける。

「あのね…和馬ごめん。嘘だったんだ」
「嘘?」
突然の謝罪に和馬は聞き返した。それに藤がうなづく。
「私と錆兎君が姉弟って、嘘」

「へ??」
滅多に見られない和馬の心底驚いた顔。

「ごめんっ!そう言っておかないと古手川あたりから弟への嫌がらせがすごいと思ったから…」

思っても見なかった…というか、今でも信じられずに目を見開いたまま言葉を失う和馬の様子に、藤が心配そうにその顔をのぞきこんだ。

「ごめん…怒ってる?和馬…」
こちらも滅多に見られない、少し泣きそうな藤の顔に和馬はとりあえずブンブンと首を横に振って否定の意思表示をする。

「ちょっと待って。怒ってはないんですけど…」
とりあえず藤を制して、和馬は落ち着こうと一息入れた。
「あまりに…似すぎてません?姉弟じゃないけど実は親戚とかいうオチです?」
それも二人して否定する。

「いや…俺ら血筋的には全く赤の他人」
「強いて言えば…育った環境が似てるのかな?ね?弟」
「ん~、そうですねぇ」
そのやり取り自体がすでに他人に思えない。

「まあ…自分達でも他人なのが不思議だから”弟”なんだけどね…」
とそれを肯定する様に藤が付け足した。


確かに…錆兎の父親が警視総監だと言うのは校内でも有名な話で…しかし学祭で藤に初めて会った時、あまりに雰囲気が似ていて紹介される前にすでに錆兎の血縁だと思い込んだ和馬は、藤が錆兎の事を”弟”というのを疑ってもみなかった。
むしろ…どちらかが鱗滝か風早の養子なのかと思っていたくらいだ。

そんな事を考えていると、錆兎の携帯に電話がかかってきた。
ユートから…ということは水野がそろそろ帰ったという事か。

「じゃ、申し訳ありませんが俺部屋戻ります。姫が心配なので」
錆兎がそう言う間も惜しいように、ドアに向かう。
パタン…と閉まるドア。

「…ということなんだ…。本人達的には姉弟みたいなもんなんだけどね…実際血のつながりがあるわけじゃないし…だから和馬に色々してもらう義理はないわけなんだけど…」
少し俯き加減にボソボソっと言う藤。
表情は見えない。

「そういう言い方されると…普通、色々されるのが迷惑って取る可能性が高いと思いますが」
「そ、そんな意味じゃっ…」
「でしょうねぇ…」
慌てて顔を上げる藤に、和馬は片手を額に片手を腰にやって大きくため息をつく。

「言葉の有用な使い方知らないって言うのを通り越して、もうド下手って言って良いレベルで…自分に関しての危機意識って言うのも皆無で…そのくせ善意とやる気だけは無駄にあるなんて本当に最悪ですよ。
これ放置したら俺すごい外道じゃないですか…」
和馬の言葉に藤はぽか~んとする。

言葉使いこそ敬語なものの…思い切り上から目線。
藤は今まで大人ですら自分にそんな言い方をする人間に会った事がなかった。

「えっと…」
「血のつながりって事重視するなら、昼に話したように俺は錆兎を陥れようと画策した男の実の従兄弟なわけですよ。
そんな自分の身がやばくなるようなもの重視するのを推奨するような愚かな人間に見えますかね?俺」

相変わらずの毒舌…淡々とした口調。
それでもその表情は別に怒っている様子もなく、目が笑っていた。
釣られて藤も小さく笑う。

「…たく、こんな誰が誰に殺意持ってるかわからない…しかも誰かに飾りとはいえ頭上にガラスの短剣落とされるなんて確実な悪意を向けられている状態で、放っておけるわけないでしょう?」

「うん、ありがとう」
藤も最初の時と違って素直に心から礼を言った。

それから藤は備え付けのミニ冷蔵庫からミネラルウォータのペットボトルとウーロン茶のペットボトルをだし、ウーロン茶をベッド脇の椅子に座る和馬に差し出す。
「ども」
和馬はキャップを開けるとそれを口に含む。

「でさ、教えて?」
藤はベッドに腰をかけると、自分もミネラルウォータを飲みながら言った。
「水野さん?」
「うん」
「忘れてなかったのか…」
「そりゃ…記憶力だけはいいよ?私」
確かに…奴もそうだと、和馬は小さく吹き出した。

「えっと…まあ簡単な事ですよ」
和馬はいったんペットボトルから口を放すと、その手を下ろす。

「最初に馬鹿様に帰れって言われて斉藤女史が怒った。
これは普通に気が強い人間の反応。
あとの二人は泣きそうになった。
これは二通り考えられる。
一つは馬鹿様に思い入れが強すぎてショックを受けている。
一つは単純に気が弱くて動揺している。
その後の藤さんの言葉で二人ともホッとしているからおそらく正解は後者。
よって彼女は非常に気が弱い人間と推測できます。

だから立場的強者である藤さんからいきなり何か声をかけられた事にすごく緊張してたと、まあそういう事。
あのまま藤さんが番号教えろと言っても怯えて教えたと思いますけどね。
そのかわり今後こちらから聞いた事以外の、向こうからの能動的協力というのが望めなくなる。
彼女は何かあった時に自分だけで抱え込むのが怖い人間だから、警戒心を解いてやれば自分の方から勝手に情報を与えてくれる非常に便利なタイプの人間なんですよ。
だから…緊張しないようにへりくだった態度で目下のように接してやるのが得策」

「君は…どこでそんな考え方学ぶんだ…」
錆兎も天才だと思っていたが…藤的には和馬の方がすごい気がする。
ため息と共に漏らされる藤のつぶやきに、和馬は小さく笑った。

「うちの学校の生徒会はOBとのつながりが深いので。
1年間もいれば大人の世界を垣間みる事になりますよ。良くも悪くもね」

「でも…弟はそこまで考えてないと思う」

「あ~、あれはね、OBにとってすら”目下”じゃないから。
生徒会を訪ねてくるOBのボスが欲しがっている人材だから立場的にはOBが上のように見えて、実は実質的立場は錆兎の方が上。
藤さんもだけど…”今の時点で”自分の方が立場が上でも、こいつはいつか自分より上の立場になるって感じさせる人物には、人間無意識にへりくだるんですよ。
だから錆兎は常に周りにへりくだられて生きてきてて、たぶんそれは社会人になっても変わらない。
でも俺らみたいな、優れていても所詮”凡人”は、のし上がって行ける道筋を自分で確保しようと努力しないと、普通に上の人間につぶされますから。
自分を少しでも有利な立場に置くために、必死に顔色伺うってわけです」

自分の立場を有利に…。
藤は少し考え込んだ。

「あのさっ」
「はい?藤さんの事なら違いますよ?
あなたの機嫌とったところで俺の将来の立場なんて変わりゃしないでしょ?
俺も錆兎と同じく東大法学部から、警察庁とは限りませんけど、どこかの官庁行きですから」

なんで…お見通しなんだ、こいつは…と思いつつ藤は何故かホッとした。
そんな藤を見て和馬は面白そうに笑う。

「何がおかしい?」
「別に~」
と言いつつ笑い続ける和馬。
そんな風に雑談しつつ流れて行く時間。

そして…
「こんなの6年ぶり」
と、唐突な藤の言葉に
「6年?」
と、和馬が片方の眉をぴくりとあげた。

「うん…。弟とは電話かメールだったし。普通に意味のない雑談で誰かと時間過ごすって言うのがね、6年前に友人が事故死して以来かも」
「まさか…6年間雑談する友人もいなかったとか言わないですよね?」
錆兎じゃあるまいし…と、心の中で付け足す和馬。

「悪かったね」
とすねたように肯定する藤に和馬は唖然とする。
「だから言ったじゃない。馴染まれにくいんだってば」
さらに付け足す藤。

「6年前亡くなった友人て…男です?」
「ん?女。女子校育ちだよ?私」
「あ~そうでしたね」
「桜って言ってさ…ちょっと…いや、かなり義勇ちゃんに似てた。
幼稚舎の頃からのつきあいで、物怖じしない性格でさ…一緒にいるだけで楽しかったなぁ…」
少し懐かしそうに目を細めて、次の瞬間藤はうつむいた。

「まあ…死んでいなくなっちゃったけどね…」

桜の事は思い出すといまだに泣きそうな気分になる。
どうしようもない喪失感。
藤が涙をこらえて唇を噛み締めていると、上からスッコ~ンと軽く手刀が振ってくる。

「…うっとおしいから。泣いちゃいなさい」
「何…それ」
笑おうとしたが何故か涙がこぼれた。

「やだな…みっともな…」
涙が止まらないまま苦笑する藤に、和馬は淡々と言う。

「ま、たまにはいいんじゃないですか?
俺は下らない事はすぐ忘れる人間なんで明日には忘れてると思いますから」
ソッポを向いたまま和馬はハンカチを差し出した。

「ありがと」
藤は礼を言ってそれを受けとる。

「いえいえ」
和馬はそれにも淡々と答えたあと、
「夕食前にも言いましたけど…呼んでくれれば雑談くらいはつきあいますよ?」
と、いったんペットボトルをテーブルにおいて、ポケットからメモとペンをだしてサラサラと数字を書くとそのページをビリッと破いて、それをテーブルに置く。

「携番。塾の間は切ってるけど留守電にはなってるから。
要らなきゃ紙飛行機にでもして飛ばして結構」
いかにも和馬らしい言い方に、藤はクスっと笑みをもらした。
それを自分の携帯に登録すると、即かける。

「これ、私のね」
「了解」
和馬は短く答えた。
その直後…不意に藤の携帯が鳴った。




「おかえり~」
錆兎がドアを開けると、ドアの所でユートが出迎えた。

そのまま中に入ろうとする錆兎の腕をつかむとユートは
「とりあえず…報告」
と小声で始めた。

「報告?」
「うん。会話が聞こえる程度に音落として音楽きいてましたよ?」
その言葉に錆兎は感嘆の息をつく。
なんでそこまで気が利くんだ…。

「で?何か有意義な会話が?」
「ん~まあ水野さんが理由話してごめんなさいして…結局さ敵意が今度は依存心に変わったっぽいね。
自分、身に覚えがないのに成田に恨まれてるっぽいとか、誰といるのがいいんだろうとか相談してたし。
姫はとりあえずうちの姉貴と綾瀬さんは誰にも敵意を持たれず敵意を持ってないからそのあたりが安全って言ってた。
てことで…とりあえず水野さんに関しては今後は無害認定してもよさげかな」

「ユート…」
「ん?」
「ありがとう。お前がいてホント助かった」
錆兎はポンと軽くユートの肩に手をおく。

「いやいや、今回はなんだか良い所全部金森に持ってかれてるからね。
ここらで一発良いとこ見せとかないと」
ユートはその言葉にニカっと笑った。

そしてユートはそのまま自分の部屋に戻って行く。
錆兎はそれを見送って部屋に入るとドアを閉めて鍵をかけた。

「おかえりなさい♪」
水野と話していた時のまま、枕を背もたれにしてベッドに半身を起こした体勢で出迎える義勇。
「寝てろよ」
錆兎は義勇のベッドに歩み寄ると、腰をかけた。

「うん…でも…お風呂入って寝間着に着替えてから」
「あ、そうだな。待ってろ、お湯張ってやるから」
錆兎は義勇の頭を軽くなでて立ち上がると、バスルームに行って湯船にお湯を貯める。

先に義勇が入って風呂から上がると、自分はシャワーで済ませようと浴室へ。
おそらく…シャンプー類は持参したのを使っているのだろう。
いつも義勇の周りに漂う甘い桃の香りが浴室に広がっていた。

(全部が子供みたい…だったら…良かったんだけどな…)
自分は備え付けのシャンプーを泡立てながら、錆兎はため息をついた。

髪を洗い、体を洗うと、錆兎は急いで衣服を身につけて浴室を出る。
義勇に殺意を向けた人間がいると聞いていると一応鍵はかかっているとはいっても心配は心配だ。

浴室を出てまずドアのチェック。ついで窓。
戸締まり全て異常なし。

そこでようやくベッドに目を向けると…寝てる。
おそらく待っている間に寝てしまったのだろう。布団もかけずにベッドの上に横たわる義勇。

(…ぎゆうは…眠れるんだな…)
そこで錆兎はまたため息。
残酷なまでの無邪気さ。
せめて…布団の中で寝てくれと思う。
布団の上で寝られたら、どうやってもいったん体を移動させて布団をかけなければならない。
見ないふりどころか、触れないという選択すら与えられないではないか。

ソロリと義勇のベッドに近づく錆兎。
夏用の淡いピンクのネグリジェ。
せめてアオイみたいに色気の欠片もないようなパジャマ着てくれよ…と、また心の中でつぶやく錆兎。

「ぎゆう…布団の中で寝ろ」
声をかけてみるが当然起きない。

しかたなしに抱き上げようと近づくと、風呂から上がって間もないため、ふわりと甘い桃の香りがただよった。

…もういい…どうせこんな状態じゃ自分の方は眠れない…。
錆兎は開き直って義勇の側の布団をかけるのを諦めてそのまま放置すると、自分のベッドから布団を持ってきて彼女にかけた。
これでよし!

錆兎はここでクルリと義勇から離れると、鞄の中から参考書を取り出す。
手に着くかどうかは別にして、何もしないよりはマシだと思う。
しばらく錆兎はひたすら数式に没頭した。
錆兎は勉強はどれも嫌いじゃない。
しかしどれが好きかと言われれば若干感性が入る余地のある文系よりは、答えがはっきり出る理系、特に数学が好きだ。
論理立てて解いて行った結果に出るはっきりした答え。
それはある種推理にも似ているかも知れない。

淡々と数式を解いて行く錆兎。
何のかんの行って集中力はある方なのですっかり数学の世界に入り込んでいる。
しかし…

「…?」
どのくらい時間がたった頃か、急に背後に気配を感じて錆兎は次の瞬間自分の首に回された腕に軽く手を置いた。

「どうした?ぎゆう」
静かに聞くと、肩を冷たいものが濡らしていく。
「怖い夢でも見たのか?」
ソッと腕をほどいてしゃくりをあげる義勇を自分の前に連れてくると錆兎はその柔らかい髪をなでた。
「消えたの…冷たい…」
「冷たい?俺が?」
少し驚いて錆兎は顔をあげるが、義勇は小さな手で溢れる涙をぬぐいながら首を横に振ってそのまま嗚咽を続ける。
「何が…消えた?」
錆兎は立ち上がって震えている義勇を抱き寄せた。

その華奢な体が意外に冷えている事にちょっと驚いて、錆兎は慌てて冷房を弱めて、また暖めるように義勇を抱きしめる。

「命が…今…」
言って身震いをすると、義勇は錆兎に抱きついた。
「今?!」

夢なのか…それとも現実に感じているのかこの状況では錆兎にも判断がつきかねた。
一応時計にチラリと目をやる。0時5分…下手すれば寝てる人間は寝てる時間だ。
それでも放置もできない。

とすれば少しでもその判断材料になるのは…
「姫…冷たいのは?何が冷たい?」
ひどく怯えている様子の義勇を追いつめない様に、錆兎は焦る気持ちを押し隠して静かに聞いた。

「…水…」
「水?飲み水?」
怪訝な顔で聞き返す錆兎に、義勇はかぶりをふる。
「もっと…たくさんの水…」
「体が…沈むくらいの?」
錆兎が聞くと義勇はうなづいた。

溺死…という言葉が脳裏に浮かぶ。
今の時間を考えるとあまり大げさに動くわけにも行かない。
とりあえず…考えられるのは、海、プール、浴槽くらいか…。
思考の海に沈んでいた錆兎の腕に不意に重みがかかり、そこで錆兎はハッとした。

「ぎゆうっ、大丈夫かっ?!」
義勇の顔から例によって血の気が引いている。
錆兎はあわてて義勇を抱き上げると、ベッドに戻した。

「医者…呼ぶか?」
という錆兎の言葉に義勇はぎゅうっと錆兎にしがみついてまたかぶりをふる。
「行かないで…」
しゃくりを上げながら涙をいっぱいたたえた目で見上げる義勇を錆兎はソッと抱きしめて頭をなでた。
「大丈夫…お前を一人にはしないから」
言って瞼に口づける。

遥と綾瀬…義勇が上げたのがその二人の名前だけだとしたら、他の…少なくとも女性陣は誰かに何かしらのマイナスの思いを抱えているという事になる。
まあ…アオイは普通に水野のより年下でめんどうをみるような立場ではないし、藤はあの時点で義勇の事で水野に思う所があるようだったから避けたのだろうが…。
男も自分達と別所以外はそれぞれ何かありそうだ。

義勇の最初の言葉だと”悪意”は巧妙に隠されているらしいから、一見何もなさそうな人物をチェックするのが良さそうだな、と錆兎はここに来たメンバーを思い浮かべる。
その中で悪意が明確なのは古手川、高井、成田、モデル3人組。
逆に言えば、この6人は義勇の言う”巧妙に隠された悪意”ではない。

その6人プラス水野に対する藤の敵意、そして本当の義勇が言う所の”悪意”と、全部で8人。
判明しているだけで大学生組12人のうちの実に3分の2が悪意を発散しているという状況だ。
どうやら他人の感情を感じてキャッチしてしまうらしい体質の義勇にしてみればたまったものではないだろう。

せめて…と、錆兎は腕の中の義勇に気持ちを集中させて、その唇に唇を重ねた。
「姫…俺はぎゆうの事が好きだ。すごく好きだ。…わかるか?」
少し唇を離してそう言うと、また今度は深く唇を重ねる。

全ての悪意を覆せるほどの好意…愛情を示せれば…と思った。
絹糸のような手触りの柔らかい髪の中に指を潜ませると、小さな重ねた唇から小さな吐息がこぼれる。
少しずつ…自分も抜け出せない沼に足を踏み入れかけている事に錆兎は気付かない。

密室で”好きだ”という事だけに気持ちを集中して口づける。
それは錆兎をスーパー高校生からただの好きな女の子を前にした高校生の男に戻す行為で…そうなると欲求はユートとなんら変わるわけではない。
むしろ普段抑えつけているだけに、その欲求は強い。
強すぎる愛情とそれを抑えようとする強い理性。
完璧に隙がないうちはいいが、一度瓦礫が崩れ始めると小さな亀裂は決壊へとつながると言う、他の事なら当たり前に理解しているはずの事実に、こと、愛情というものに縁がなかった錆兎は気付かなかった。

錆兎の呼吸が乱れ、手触りの良いサラサラの髪の中をさすらっている左手は自然と下に降りて、義勇の華奢な背中を回されて更なる密着をうながす。
「ぎゆう…愛してる」
錆兎は深い口づけを繰り返していた唇を義勇の唇から放して、そのままうっすらと桃色に染まった義勇の耳朶にささやくと、唇を耳からさらに白く柔らかな曲線をえがく首から肩の線へと移動させた。
甘い桃の香りが鼻孔をくすぐり、さらに理性が薄れて行く。
クラリと目眩がするような感覚。
首の付け根のあたりを少し強く口づけると、真っ白な雪のような肌に紅い跡。
…独占欲がわきおこった。
ふわりふわりと妖精のように気ままに楽しげに義勇が飛び回るのを先回りして障害物を取り除く様に守ってきたが、ふと捕まえて閉じ込めておきたい衝動に駆られる。

少し力を入れただけで、義勇の華奢な体は簡単にベッドに吸い込まれた。
ぱふん!とベッドに沈む義勇を追いかける錆兎。
それでも義勇はされるままになっている。

「抵抗…しないんだな…」
錆兎がその額にソッと口づけると、義勇は軽くつむっていた目をようやく開く。
全く曇りのない澄んだ大きな瞳が錆兎を見上げた。
その瞳に捕われると、熱に浮かされたような混乱がみるみる間に引いて行く気がした。
そしてハッと我に返る。

「…悪い。俺…最低な事してるな」
冷静になると急に激しい後悔が錆兎を苛んだ。
その錆兎の頭に白い腕が伸びる。
そして錆兎の少し癖の強い宍色の髪をサラリと優しい手が撫で、錆兎の頭を引き寄せた。

「えと…ね、別にさびとがしたいならしてもいいんだけど…?
しないって決めてるのってさびとの方だし…」

そう言えば…そうだ。

「抵抗…するものなの?こういう時って」
逆に聞き返されて錆兎は戸惑う。

「いや…あの…応えるでもなく抵抗するでもないから…ぎゆう…」
「ごめん…どうするものなのかよく知らなくて…」
錆兎の言葉に義勇はあっさり答えた。

ああ、なるほど…と、納得する錆兎。

とりあえず激しい衝動は少し去ったものの、そのままにしておくとまたおかしな気分になりかねないので、錆兎が自分が外した義勇の寝間着のボタンを閉じていると、義勇はやっぱりされるまま、そんな錆兎を見上げて言った。

「でも…さびと、どうしたら不安じゃなくなる?」

…見抜かれている…。
途中から確かに主旨が変わっていた。
最初は確かに好意で義勇の周りを埋めたかっただけだったのが、いつのまにか違う方向に…。

「わからん…。でも俺はぎゆうが好きで…いつも一緒にいたくて…本当に俺にはぎゆうだけだからお前をなくすのが死ぬほど怖いんだけど、お前はそういうのがないから…」

もう…隠すだけ無駄な気がして錆兎が正直に話すと義勇はあっさり
「ん~だって…さびとの愛情って日々感じてるし…」
…そうだった…彼女は超能力並みの感情感知型な女の子で…。

「さびとは強いから何かあるという事もなさげだし?だから…不安感じる理由が…」
…はい、そうですね…

結局…錆兎は自分でも…どうしていいのかわからない。

「そんなに不安なら籍でも…いれてみる?」
「へ?」
体を起こしてベッドの端に座る錆兎を同じく半身起こして見上げる義勇。
「あと3日で一応さびとは18歳だから物理的には可能だけど…」

忘れてた…。
去年は義勇とは出会って間もなくてそんな話していなかったし、それまでは本気で一人で、気付けば父親から非常に実用的な贈り物が宅配で届くくらいで、特別祝ってくれる相手もいなかったので、自分の誕生日なんて意識した事はなかったのだが…

「忘れてたって顔…してる…」
不思議そうに首を傾ける義勇。
「ああ、本気で忘れてた」
今まで指摘された事のなかったその日を指摘された驚きが去ると、今度はこの世で一番愛している自分の命より大事な彼女が今まで誰もほとんど気にした事のなかったその日を覚えていて気にしてくれていた事に対する喜びがわき上がってくる。

「もう…なんで忘れてるのっ。これからはずっと私が覚えていてあるからっ。
で、毎年ずっと思い出させてあげる」
「うん…」
引き寄せられるまま抱きしめられて、錆兎は軽く目をつむって幸せをかみしめた。

とりあえず…まだ生活基盤がないので現実的ではないわけだが、義勇はすぐ籍をいれても良いと思ってくれているという事に安心する錆兎。
大学に入ったら時間もできるし少し仕事でもしようか…などと考えている。
結局…物理的能力が高いだけで、基本的にはただの単純な男なのだ。
義勇が側にいて彼女に愛されている…それだけでこの世は幸せ空間だ。
しかし甘い香りの彼女の髪に顔をうずめて安らいでいるその錆兎にとっての至福の時間は、もう例によって必ずといっていいほど毎回起こる事件を知らせる電話ではかなくも中断させられた。





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