人魚島殺人事件C06_ガラスの短剣と人魚の恋心

二人がリビングへ足を踏み入れると、まず裁断した後の布地を丁寧にたたんでいた松坂彩が、
「藤、大丈夫だった?見たところ怪我はないみたいだけど…」
と声をかけてきた。

それが何を示すのか…思い当たる事は一つしかない。

「彩、見てたの?」
藤が聞くと、松坂はうなづいた。

「うん。日の光の下で生地の色見たくて少しだけ庭に出た時にね、藤が楽しげにそっちの弟君の友達の…金森君と話してたから、藤にしては珍しいな~って思ってしばらく見てたんだけど、立ち上がった時に何か…あれ透明な短剣みたいなもの?が落ちて来たの見えて…。
でも特に血とかも見えなかったから大丈夫なのかな~って思って部屋に戻った」

「落とした奴、見ました?」
藤がそれに答えようとするのを押しのける様に、和馬が一歩前に出て松坂に詰め寄った。

その勢いに松坂は逆に一歩引いて
「ううん、顔までは見えなかった…。でもチラっとオレンジの影が見えた様な…」
「オレンジの?」
和馬はちょっと眉をひそめた。

「ちょ、斉藤さんじゃないの?それ!」
遥が眉を吊り上げて立ち上がった。
それにチラリと目をやると、和馬は鼻で笑う。
それでも特に何も言わず、錆兎にメールを打った。

「それだけでそう決めつけるのは良くないね」
騒然となる中、藤はいつものように淡々とそう口にした。

「でも動機も充分じゃない!」
もう頭の中では斉藤有罪説ができあがっているらしき遥に対して和馬は
「物証がない。そっちのえっと…松坂さん?は”見えた様な”って言ってるだけですしね。
そんな曖昧な証言で有罪判決出すのはあまりに早急だと思いますが?」
と、藤の言葉を支持する。

ユートがその和馬に嫌な顔をした。
和馬はそれにも気付いて
「俺が怪しい人物なのと今回の事件の検証は別問題だからな、混同しないように」
と、さらに敵対心をあおるような発言をする。

「怪しい人間なの?」
藤はそこに割って入るつもりもないのだろうが結果割って入る事になった。

「さっきの話きいてなお俺を怪しい人物として警戒しないのは錆兎と藤さんだけだと断言できますよ?」
それに対して和馬はクスリと笑みを見せる。
「そうなのか…」
藤は考え込んだ。
そして次に視線をユートに向けた。

「大丈夫。和馬は悪い奴じゃないよ。私が保証する」
その言葉に和馬は嫌~な顔をしてみせる。
「止めて下さい。そんな事言われたら怪しい行動ができなくなる」

二人のやりとりに、
「怪しい行動したいのかっ」
と、別所がまず吹き出した。
それから笑いが松坂、アオイ、遥まで広がって行く。

ユートだけが最後まで笑わずに眉間にしわを寄せていたが、それでも小さく息を吐き出したあと、
「物理的には今ここにいなくて一人で上に行く事ができたのは、モデルとしてきた3人と、馬鹿様、高井さん、あとは…平井さん?
錆兎は姫と綾瀬さんが歓談中で時間かかるって電話あったからその3人は一緒にいると仮定してね」
と、話を先に進めた。

「で?」
それに和馬は腕組みをしてニヤニヤしながら先をうながす。

そんな和馬にユートは不快そうな視線を返した。
微妙に緊迫した空気が二人の間を流れる。

「古手川さんと高井さんは窓から戻るくらいの事しないと玄関通ったならリビングの人間に気付かれるな」
その空気を割り開くように声がドアの方から聞こえてくる。

「サビト…」
アオイがホッとしたようにドアの方に目を向けた。

綾瀬と義勇と共にリビングに入って来た錆兎は、ユートの隣に行って小声で
「お前がピリピリするとアオイが動揺する」
と、まずアオイを気遣う。
「そうだった」
ユートはそこでようやく肩の力を抜いて息を吐き出した。

「まあ…とりあえず大事には至らなかった事だし、完全に特定はしない方がいいな。
食事の時に警告するくらいにしておこう。
追いつめてもかえって余裕をなくした相手が暴挙にでる可能性あるし」
最終的に藤がそう言って、その話はいったん終了となった。


「ね、馬鹿様からメール。
ちょっと構図みたいから弟君と義勇ちゃんに来て欲しいって」
その時綾瀬の携帯の着メロがなって、メールを確認した綾瀬が顔をあげた。

「二人だけで…ですか?」
錆兎が少し難しい顔で考え込む。
「俺は構いませんけど…」
錆兎にしては珍しく歯切れの悪いその言い方に、おそらく空気を読むタイプらしい綾瀬は
「じゃ、水野さんに行ってもらおうか。
衣装できてないから撮影にはならないし、構図撮るだけなら体格似てる彼女で充分じゃない?」
と、すでに水野にメールを打っている。

水野はすぐ来た。
何か顔色が優れない気もする。

「やっぱり…私が行きましょうか」
それを見て取って義勇が言うが、水野はそれに慌てて首を振った。
「ううん、行かせて。ちょっと…外の空気吸いたかったし。行きましょ、弟君」
と、水野は錆兎の腕を取る。

強引なタイプではなさそうな…どちらかというと気の弱そうな水野の断固たる態度に錆兎は少し意外さを覚えた。
それでもどうやら義勇が不快感を感じているであろう古手川と義勇をあまり近づけたくないという気持ちが勝つ。

「そうですね…。じゃあ藤さん、ユート、和馬、ぎゆうのこと頼む」
と、錆兎は水野と共に古手川達の待つ別荘の裏側の遊歩道をずっと行った先にある岬に向かった。



考え事をしながらスタスタと歩く錆兎。
その後を水野が小走りについて行く。
その足音に錆兎はツと足を止めた。

「…?」
急に足を止めた錆兎を水野が不思議そうに見上げる。

「すみません」
錆兎は謝罪した。
「歩くの速かったですね」

歩幅が違う…というのもあるが、錆兎は元々同じくらいの体格の人間に混じっても早足気味だ。
本来景色を楽しむという習慣をあまり持ち合わせない人種なので、歩くというのはあくまで移動手段の一つであり、それだけならゆっくり歩く意味もない。
義勇がいればそれでも彼女が楽しげに周りの景色について解説するのを聞きながらゆっくり歩いたりもするのだが、その時は大抵義勇は錆兎の腕にぶらさがるようにつかまっているわけで…。
腕に重みがない、それはすなわちゆっくり歩く意味がない時と、頭で考えるより体がそう認識していた。

「あ、ううん。気にしないで。私が遅いのが悪いんだから」
水野はちょっと気まずそうな笑みを浮かべて答える。

その自意識の低そうな…自信のなさそうな様子はなんとなく錆兎に憐憫のようなものを感じさせた。
水野は体格は義勇に似ているが無邪気でいつも明るく楽しげに見える義勇とはまとう空気が全く違う。
どこか寂しげで悲しげな…一口で言うなら薄幸さのようなものを漂わせていた。

「よければ…どうぞ」
どこか怯えたような印象を受けるその水野を脅かさないようにと、錆兎はつとめて静かに言うと、ソッと腕を差し出す。

水野はそれにちょっと驚いたように大きな目をさらに大きく見開き、それから少しはにかんだような笑みを浮かべて
「…ありがとう」
と素直にその腕にソッと手をかけた。

義勇と同様身長差があるため若干ぶら下がる様な体勢になり、腕に重みがかかる。
これで加減できるな、と、錆兎は再度、今度はゆっくり歩を進めた。



そして待ち合わせの場所。
ヒュン!と何かが飛んでくる。

まっすぐ水野のと錆兎の間あたりに飛んでくるそれを錆兎が反射的に掴むとそれはガラスの短剣だった。
藤に向かって落とされた物と同じ、部屋に飾ってあったレプリカ。
撤去する前に持ち出された物らしい。

親指と人差し指で掴んだその短剣をまじまじと見た後、錆兎はポケットから最近出かける時はいつも持参しているビニール袋を出してそれを放り込んだ。
そしてそれが飛んで来た方向をキっとにらみつける。

「ご、ごめんな。弟君。ちょっと手が滑った」
慌てて頭をさげる高井。
その横では古手川がポカ~ンと口を開けて惚けている。

「俺は構いませんけど…水野さんに当たったらどうするつもりだったんですか?
女性ですよ?怪我をさせて傷跡でも残る事になったら責任持てるんですか?」

あきらかにここでそれを投げる意味はない。
という事は故意に自分達に向かって投げつけられたということで…。
静かに…それでも厳しく糾弾する錆兎に青くなる高井。
その隣ではようやく我に返ったらしい古手川がケラケラと笑った。

「その時は高井が嫁にもらってやるってさ」
その言葉に錆兎はムッとしたように少し目を細める。

「高井さん…右利きのようですね。
ということは、投げたのは飛んで来た方向からして左利きの古手川さんのようですが…?
まあ、水野さんにも選ぶ権利はありますしね。
そういう意味ではあえて高井さんに古手川さんが個人的に自分の尻拭いを”お願いする”のは賢明ですね。
一般的に見て高井さんの方が夫としては好ましい人物になりそうですし」

錆兎にしては辛辣な発言に古手川は真っ赤になって言葉に詰まった。
その様子にクスリと思わず笑いをもらした高井を古手川はキッとにらみつける。

「証拠もないのに失礼なガキだなっ。
風早さんの弟じゃなければ名誉毀損で訴えるところだっ!」
古手川の言葉に錆兎はガラスのナイフの入ったビニールをちらつかせた。

「高井さんは今、草を抜いたりするために軍手してますよね。
…ってことは…俺以外の指紋ついてたらそれは投げた当人ということで…
警察に仲の良いOBいるので調べてもらいますね」
にこやかに言う錆兎に古手川は今度は青くなった。

「傷害未遂…ですか。証人もいますね」
「ちょ、ちょっと待てっ!」
慌てる古手川に錆兎はスッと目を細める。

「俺は女性に能動的に怪我をさせる人間は外道という認識なので、あまり温情をかける気はないんですが…水野さん次第ですね…。
世の中には…”ごめんなさい”という言葉があるそうですが?」

古手川は悔しげに唇を噛み締めて、
「おい高井!水野に謝ってやれ!」
と高井を押し出す。
「あ、はい。水野さん、ごめんな」
言われて慌てて謝る高井を見て錆兎は両手を腰にあててため息をついた。

「どうやら…”日本語”が通じない様ですね、古手川さんには。
英語かフランス語で言いましょうか?
それとも”ごめんなさい”という言葉は水野さんより警察に言いたいと、そういう事でしょうか?」

もう…言い方が和馬のようだな、と、錆兎は若干毒されて来たらしき自分をおかしく思った。

しかしその言い方は相手を苛立たせる効果も…そしてそれでもなお謝罪の言葉を口にせざるを得ない気にさせる効果も絶大だったらしく…古手川はひどく顔をゆがめながらも
「水野、悪かったなっ!」
と、それでも渋々謝罪を口にする。

水野はそれに少し戸惑ったように
「い、いえ…」
と消え入りそうな声で言うと、錆兎の後ろに隠れる様に下がった。

それ以上古手川を追いつめると、逆に水野の方に居心地の悪さを感じさせる。
錆兎はそのあたりで事を収めるべく、また短剣をちらつかせた。

「おそらくお二人はこちらにいらしたのでご存知ないとは思いますが…今後この短剣を使った脅しは止めた方が良いと思います。
俺達が出て来る前、これを2階の窓から外にいた藤さんに向かって落とした人間がいて、今その件で館内はすごく微妙な空気になってるので。
下手をするとそっちの件に結びつけられて痛くもない腹をさぐられる事になります」

「なんだって?!」
さきほどの事が一段落して、今は悔しさと怒りで赤くなっていた古手川の顔から血の気が引いた。

「俺は…関係ないぞ!ずっとここにいたし、他の奴らとも接触してないっ!」
「あ~、それはそうでしょうねぇ…」
「お前は俺のせいにするつもりかっ?!」
「いえ、俺はあまりこのガラスの短剣を館内でちらつかせない方が良いと言ってるだけです。
世の中論理的な人間ばかりじゃないので、物理的に不可能な環境にいたとしても、同じ武器を同じ目的に使用している、それだけで同一人物と決めつけられる可能性がないとは言えません」
錆兎の言葉に古手川は不安げに錆兎にすり寄った。

「君は…俺じゃない事がわかっていて、それを他にも説明できるよな?」

いきなり変わる古手川の態度と言葉に、完全に何もかも他人任せの甘ったれた2世だな…と、錆兎は冷ややかに思う。それでも…必要以上に相手を追いつめるメリットは今の所ない。

錆兎はいつもの淡々とした調子で
「そうですね…」
と肯定すると、
「で?結局構図がどうのとか言うのは口実ですか?」
と、とりあえずここに今こうしているための理由を求めた。

「あ~、ごめんな。モデルがいるのは本当。
ここの葉っぱさ、監督が撮りたい図を撮るのに邪魔らしくて…。
刈りすぎても雰囲気でないし、別に弟君じゃなくても良かったんだけど、だいたいの位置を決めるのに男女二人欲しかったんだ。ちょっとそこ並んでくれる?」
そこで高井がテキパキと指示をし始める。

どちらが監督かわからないな、と、思いつつも錆兎は水野と共に指示された通りの位置に立った。
「ちょっとだけそのままで宜しく!」
と、高井がまたテキパキと枝葉を落として行くのをボ~っと待つ。

音響のヘルプだと聞いていたが、高井は何でも器用にこなす質らしい。
ぼ~っと見ているだけの古手川を尻目にどんどん錆兎達に立ち位置を指示しながら、自らもテキパキと動いて葉を刈り込んで行く。

「弟君…」

やがて古手川から少し離れた場所に立って高井の作業を待っていると、高井がコソっと古手川を盗み見て、向こうが注目していないのを確認すると、小声で錆兎に声をかけたきた。
高井の様子から察するに古手川には聞かれたくない話らしい。

錆兎は
「気付かれたくないなら返って普通にしてた方が良いと思いますよ。
これだけの距離があったら大声で話さない限り聞こえませんし、小声で話して耳をすませるような状態の方が注目をさせます」
と淡々と答える。

その答えに高井はちょっと驚いて手を止めた。

それに錆兎が少し笑みを浮かべて
「手…止まってますよ」
と言うと、慌ててまた動かす。

そして今度は普通のトーンの声で
「さすがに…風早さんの弟君だな」
と苦笑まじりに言った。

「そんな感じなら余計なお世話かもしれないけど…古手川には気をつけた方がいいよ。弟君」
意外なその言葉に今度は錆兎が驚いてまばたきもせず高井を見つめる。
「えと…彼は姉が好きなんですよね?」
錆兎はそう聞いていた。だから弟と名乗れとも…。

「正確には…風早さんの財産がね」
錆兎の言葉に高井は一瞬冷ややかとも思える憎悪を見せた。
しかしそれもすぐいつもの人の良い笑顔に埋もれる。

「なるほど…」
と、答える錆兎。

なら弟を名乗っても無駄な事だ。
というか…むしろ”血がつながっている”弟なら相続権があるはずと、敵意を向けられるのも納得だ。
それにしても…と、錆兎はちらりとまた高井に視線を戻す。

「高井さんは…そういう古手川さんを実は嫌っている…と。そういうことですか」
「え…あの…」
「まあ俺には関係ない事ですが…」
焦る高井に錆兎はそう付け加えた。

なるほど…憎悪がグルグルと渦巻いているんだな…と、錆兎は義勇の言葉を思い出す。

「念のため言っておきますと、信じるか信じないかは別にして俺は風早家の財産は一銭たりとも受けとりません。
俺はこれから東大文1に現役合格して22で卒業後、警視庁に入って警察のトップを目指す予定なので…自分の身くらい自分で養いますし」
錆兎はあえて古手川にも聞こえる程度の若干高いトーンでそう宣言した。

それまで興味なさげに海を見ていた古手川がこちらを見ているという事は聞こえているらしい、
これで憎悪の一つはとりあえず消えて、義勇の不快感が少しは解消されるといいんだが…と、錆兎はその様子を見て思った。



「弟君は…すごいね…」
もう少しだけ周りを見て行くと言う高井と古手川と分かれての帰り道、それまでずっと萎縮して黙りこくっていた水野が少し笑顔を見せた。

錆兎は彼女の義勇以外の容姿にははっきり言って興味は持っていないし、水野自身もまあ可愛いと言ってもせいぜい10人並み以上と言った感じなのだが、その笑顔は素直に可愛いなと思った。

いつも俯き加減に話す水野が自分よりかなり背の高い錆兎を見上げて目を合わせる。
錆兎自身は基本的には目を見て話すタイプなのだが、なんとなく視線をそらしたい気になった。
相手に敵意があるわけでもなく、悪意があるわけでもない。
むしろ善意は感じるのだが、それが妙にきまずい。
しかたなしに錆兎は会話を先に進める事にして聞く。

「すごい…ですか」
アオイもそうだが女の子のよく使うこの抽象的な表現も錆兎は苦手だ。
主語と述語がないと本当にわからないと思う。
それでも水野は若干嬉しそうにうなづくと、楽しそうに話し始めた。

「自立してて…他人に流されなくて強くて…。だからかな、他人にも優しくできるの」
「優しい…という事はないと思いますけど?彼女以外にそんな事言われた事ないです」

錆兎は元々キツい顔立ちの上、言葉に装飾をつけず端的に物を言うため、どちらかというと取っ付きにくい人と言う印象を持たれる事が多い。

「他人に流されない…という事もなくて…俺が今警察庁目指してるのも、東大ストレートで入ってそのまま順調に22で卒業して警察庁入れば彼女が結婚してくれるって約束してくれたからですから」
さらに錆兎がもう一点についても、そう否定すると、
「そうなんだ…」
と、水野は小さく吹き出した。
それからふと俯いてつぶやく。

「いいなぁ…弟君の彼女さん。こんな優しい彼にそんなに大事にしてもらってて…」
「う~ん…世間の評価は逆だと思いますけど?」
「そんな事ないよ~。私ね…歩く速度なんて気にしてもらったの初めてだよ?」
「普通…誰かと一緒にどこかへ行こうと思ったらどちらかが合わせないとですし…」

「だから…ね、私がいつも合わせる方なの」
水野は俯いたまま少し悲しげな表情で笑った。
「自分の意見なんて通った事ないし…強く言われて流されて…すごく悪い事した事もある。
今でもたまに怖くなるよ…」
そう言って水野は自分で自分を抱きしめるように両手で自分の身体を抱きしめると身震いした。
それからホロリと涙をこぼす水野に錆兎はぎょっとする。

「どうしよう…私変われない…のかな?」
「それ…現在進行形ですか?」
錆兎が聞くと、水野は涙でうるんだ目で錆兎を見上げた。
「助けて…くれる?」
この手のシチュエーションはできればユートか和馬あたりに任せたかったなぁと思いつつ、ここで突き放す訳にも行かず
「事情を聞いてみないとなんとも…。安請け合いは無責任だと思うので。
ただ、力になれるかなれないかは別にして聞いて悪用したりはしない事は約束できます。
話すだけでも少しは気が楽になるかもしれないとは思いますよ?」
と促してみると、水野はまたハラハラと涙をこぼして、それを袖口でぬぐった。

それに苦笑して錆兎は
「どうぞ」
とハンカチを差し出す。

水野はまたぽか~んとして、次の瞬間少し微笑み
「ありがとう…」
とそれを受けとった。

「あのね…これなの」
水野は小さなバッグの中から自分の携帯を取り出して一通のメールを錆兎に見せる。

それは…斉藤からのメールで、藤に対しての悪意と、自分がすでに一度短剣を落とすという攻撃に出ている事、そしてこれからは水野にも攻撃に協力するようにという要請の言葉でしめられている。
あきらかな命令口調。
おそらく…断れば嫌がらせされるとかそういう事なのだろうか…。

「水野さんは…どうしたいんです?」
まず本人の意志を確認してみない事にはどうしようもできない、と、錆兎が聞くと、水野は錆兎が貸したハンカチで涙を拭いながら
「離れたい…」
とだけ言った。

それなら簡単にできるんじゃないだろうか…と錆兎には思えたが、難しいんだろうか。

「離れては…だめなんですか?」
と、あえて聞くと、水野は両手で顔を覆ってフルフルとかぶりをふった。
「手遅れだよ…。私…色々取り返しのつかない事とかもしちゃったもん」
そう言ってさらに泣く水野。

「亜美とは高校から一緒で…仲間はずれになるのが怖くて無視とかしていじめに加担した事とかもあるし…その子学校来なくなって最終的にやめちゃったりとか…。
それだけじゃない、亜美が電車で何か注意されたおじさんとかに腹立てて痴漢だって嘘ついて騒ぎ立てた時とかも、脅されて確かにそうですって証人になっちゃったりとか…今回だって古手川君が選んだモデル役の子何人かに嘘ついて辞退させちゃったりとか…いっぱい色々しちゃったから…」

どれも褒められた事ではない。中には軽犯罪に当たるものもある。
毅然とした態度で拒否するべきだ、とは錆兎個人としては思う。
ただそれを出来ない人間もいると言うのも歴然とした事実で…水野みたいな気の弱いタイプはえてして拒否した事で自分がその犠牲者になるというパターンはあまりに想像に難くない。
しかしだからといってズルズル引きずっていても良い事はない。
今回の事は良い機会だ、と、錆兎は提案した。

「過去については、どれも水野さん告発すれば斉藤さん自身も困る事でしょうから、放置で大丈夫では?
それより今回に関しては今現在のメンバーに危害を加える前に拒否する事が重要です。
今の時点で水野さんが今回のメンバーに何か悪さしてないなら、充分断れますよ。
一人が怖ければ藤さんか遥さんあたりに一緒にいてもらいましょう。
俺が頼んでおきますね」

「ありがとう…弟君」
錆兎の提案に水野はホッとした様に息をつくと、手をかけていた錆兎の腕にスリっとすりよってくる。
その水野の態度に錆兎は内心混乱した。

例えば…今年の春休みにユートとユートの女友達数人と旅行に行った時も、その女友達にまとわりつかれたりしたのだが、彼女達の場合半分ノリというか、皆でまとわりついてはしゃぐ事を楽しんでいただけというのは何となくわかる。
錆兎が興味なさげな態度を見せれば、すぐ別の相手に同じようにまとわりつくのだ。

しかし水野はそういう類いの女ではない。
本来は内気で男に対して一歩引いて接するタイプだ。
…と思うのだが…これはなんなんだ?!
錆兎の脳裏を混乱した考えがクルクル回る。

ノリで意味もなく密着してくるような人間じゃないとすると、そこになんらかの意味があるはずで…何か企んでる?いや、今の時点でそういう疑いを持てるような材料が見当たらない。

高すぎるスペックと鋭すぎる洞察力ゆえに錆兎は自分の理解の範疇を限りなく超えた事態に出会った事がなかった。
いや、過去に一回だけ…そう、最愛の彼女義勇に出会った時の彼女の行動がそれで…それ以来義勇は錆兎にとって絶対的強者となって、彼の上に君臨している。
あの時はもう理解する事自体を諦めて、義勇の行動、要求、全てを受け入れる事で自分的には平和的解決を見たのだが…今回の不可解さはそれともまた違って、どう反応して良いやらわからない。

そして硬直しながら館に帰還。
食事までちょっと相談…と、ユートの部屋に押し掛けようとしたら、和馬も押し掛けて来た。

そして…
「お前…真面目に学校と自宅の往復しかしてこなかったんだな…」
と、その和馬に思い切り冷ややかな目で見られた。

和馬のそういう言い方には慣れている…が、
「サビトってさ…意外に変なところで大ボケな一面があるよな…」
と、ユートまでまさかのあきれ顔。

その上空気が読めない仲間のアオイにまで
「なんでそんな事わかんないの?」
と、言われる始末だと、さすがに落ち込む。

ズ~ンと肩を落とす錆兎に、和馬は
「お前…そこまで女心読めないとそのうち姫にも見捨てられるぞ」
と追い打ちをかけた。
根っからのサディストである。

しかしそこで見かねたユートが
「ようはね…」
と口を開きかけると、和馬は即それをさえぎるように言った。
「惚れられたに決まってるだろう!」
いきなり言葉を取られたユートがムッとして睨みつけるが、和馬はどこ吹く風という感じにソッポをむく。

予想もしてなかった答えにぽか~んと顔をあげる錆兎。
「ありえんだろ…それ…」
「ありえんのはお前のそのおめでたい頭だ」
錆兎の発言に即、和馬の容赦ない言葉が飛ぶ。

「…遊んでるタイプには見えないし…一目惚れされる要素はないし…かといって何か好意を持たれるような出来事があったわけでもない」
その錆兎の言葉に和馬は眉間にしわを寄せてハ~っと息を吐き出した。

「女心の説明してやれ、そこの女子高生」
いきなりふられて動揺するアオイ。
「え?私ですか?!」
自分を指差して思わず敬語。

「錆兎も俺も男だ。そこの凡人も男にしか見えんな。
とするとお前の他に”女子高生”と言える人間がどこにいるんだ?」
和馬に冷ややかに返されてアオイは可哀想なくらい動揺する。
それにユートがムッとして返した。
「自分で説明できないわけね、俺がしようか」
イラっと言うユートに和馬はフンと鼻を鳴らす。
「単に…暇そうだから役割の一つも与えてやろうと思っただけだ。
お前に説明させるまでもない」

火花バチバチ一触即発な状況にさらにオロオロするアオイ。
もうこれを回避するには自分が口を開くしかないと意を決する。

「えとね…サビトが自分でどう思ってようとサビトは一般的には超イケメンなのっ。
だから一目惚れされてもおかしくないのね。
でもって…私もそうだけど…それまで男の人に優しくされた経験があまりない女の子とかだとちょっとした優しさでキュンってしちゃうもんなのっ。
だからサビトにしたら普通に思ってた相手に歩調合わせたりとか腕貸したり…あと古手川さん達からかばったりとか、斉藤さんの事で助けてあげたりとか、泣いてる時にハンカチ貸してあげたりとか、もうすっごぃ好意もたれちゃう行為なんだよっ」

アオイがしどろもどろで説明する言葉の後に、和馬がしごく冷静に
「まあ…色々問題が起こって心細いと、特に異性に惹かれやすいしな。
心理学的観点から言うと、いわゆる不安定な所、不安定な状態では恋愛感情を抱きやすいという吊り橋効果というやつだ」
と付け足した。

「そんなのあるんですか~。金森さんてすごぃ博識なんですねぇ」
それまで緊張しまくっていたのも忘れて、和馬のその言葉にアオイが素直に感心すると、和馬は一瞬いぶかしげな目をアオイに向け、それから
「頭は悪そうだが素直なのは取り柄だな。女子高生」
と、アオイを評した。

その言葉にユートはムッとし、錆兎は自分もアオイと知り合った頃はホントにそう思ってたなと小さく吹き出す。

「錆兎、まあ…お前はそういう面では巧く立ち回れるとは思えんしな…しかたないからとりあえず預かってやる。こっちよこしていいぞ」
最終的に和馬がそう請け負ってその件についてはとりあえず落ち着いた。







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