彼女が彼に恋した時

──新入生代表、冨岡義勇!

呼ばれて義勇はかちんこちんに緊張しつつ、体育館の舞台袖の階段に一歩足を踏み出した。
手には新入生代表の言葉を書いた用紙。
内容は姉と一緒に考えたものだ。

いわゆる試験勉強ができるのと、こういう作文が得意なのは全く違っている。
義勇はテストの成績はとても良いが他人に言葉で何かを告げるのは本当に苦手で、逆に姉は成績は普通だが作文は得意である。

そう、義勇よりも7つほど年上の姉の蔦子は、優しくてニコニコしていて義勇と違って言葉選びが上手だったので、活発なタイプではなくむしろ物静かで大人しい少女だったが周りにはいつも人が集まっていた。

一方で成績は彼女が今の自分の年だった頃より遥かに良かったとしても、義勇が勉強ができるのは一つには口下手で友達ができないため、休み時間にみんなが友達同士で遊んでいる間、勉強をするしかないからだ。

可愛げがない。
勉強ができるだけの暗いブス。

むしろ成績が良いことで目立ってしまって、男子達にそう囃し立てられるので、義勇は目立たないようにと無口になって、ますます友人が出来ないという悪循環に陥っていた。


そんな初等科時代を終え、今回、初等科から中等科に上がる際に、同級生の中で5分の1くらいは外部からの受験組になるので、今までの自分を知らない相手なら友達になってくれたりしないだろうか…と、淡い期待を胸に抱きながら臨んだ入学式。

少しでも心証が良いように…と、姉が綺麗に髪を結ってくれて、素敵な言葉で綴ってくれた新入生代表の挨拶の用紙を手に、さあ、明るい中学生への第一歩を…と、思った義勇の心は、次の一歩で打ち砕かれた。

緊張しすぎていたのだろう。
階段を一歩上がって2段目に踏み出した時に足がつるりと滑って、いきなり足を踏み外して転がり落ちる。

幸いにして2段目だったから大怪我をすることはなく、ただ、白いハイソックスのわずかに上、膝小僧を少しばかり擦りむいただけだったが、脳内はパニックだ。

シン…と静まり返った体育館内。

次の瞬間、
──だっせえ~!がり勉冨岡、がり勉しすぎかァ?!恥ずかしいやつ!!
と、同級生の方の席から声があがる。

いつも義勇をいじめていた男子達が囃し立てていて、周りからもクスクスと笑い声が聞こえた。

顔が熱くなって、じわり…と、涙が浮かぶ。

恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい…ああ、もう消えてしまいたい…。

転んだまま床についた手をぎゅっと握り締めて俯いたまま動けずにいる義勇だったが、そこでいきなり

──やかましいっ!恥ずかしいのは貴様の方だっ!怪我をしている女子を笑うなど、恥を知れっ!!
と、よく通る耳障りの良い男子の声が体育館に響き渡った。

…え?
義勇が驚いて顔をあげると、新入生の席の方で誰かが立ち上がって走り寄ってくる。

さきほどの声の主なのだろう。
声も言葉もカッコ良かったが、容姿もこれがまたカッコいい。

とても珍しい宍色の髪に同色のキリリと男らしい太い眉。
その下の少し吊り目がちな切れ長の目は綺麗な藤色だ。
全てのパーツが完全に美しくて、しかも神様が計算し尽くして配置したかのようにそれらが完全に一番美しく見える位置に配置されている。

体格も中学1年生にしては背も高く、スッと背筋を伸ばして姿勢がいいため、元々良いスタイルが2倍マシに良く見えた。

そんな見た目がたいそう宜しい彼は、呆然とする義勇の前にくると、新しい制服を身につけているのに躊躇することなく体育館の床に片膝をついて、

──大丈夫か?立てるか?
と、手を差し伸べてくれた。

あまりの急展開に突発事項に弱い義勇は反応できず、ポカンと彼を見上げている。
たいそう失礼なんじゃ…と、今にして思えばそう思うのだが、彼はそう思わなかったようだ。

義勇の手を取って立ち上がらせてくれたうえで、自分はまた膝をついて
「あぁ…血が出てるな」
と、制服のポケットから綺麗なハンカチを出して、血がにじんだ義勇の膝の血をぬぐってくれる。

そこで義勇はようやくハッとした。

「ハ、ハンカチっ…汚れちゃうからっ!」
と、慌てて止めようとするが、彼は

「ハンカチというものは汚すためにあるのだから、気にすることはない。
それより歩けるか?
歩けないようなら保健室に連れて行くし、そうでないなら今はこうしておくがあとで保健室できちんと消毒をしてもらった方がいい」

と、その大きなハンカチを器用に畳んで綺麗な部分を傷口に当てるようにして、義勇の足に落ちないように結んでくれた。


そのうえで、
「とりあえず皆を待たしているからな。
大丈夫なようなら挨拶を先にすませよう」

と、そのまま義勇の手を取って、まるでお姫様をエスコートするように一緒に階段を上がって舞台の上まで連れて行ってくれた。
そうして義勇がしっかりと舞台の上に立つと、彼は当たり前に自分の席に戻っていく。

会場からは最初は来賓席の方からパラパラと…そして次第に保護者席、生徒席、新入生の席と、体育館中に拍手が広がって行く。

そんな中で義勇は無事、新入生代表の挨拶を終え、入学式は滞りなく終了した。


そうしてその後、義勇は知る。

…鱗滝錆兎君……
それが彼の名前で、中等部からの外部生。

そして入学式のこの時が義勇の秘かな恋の始まりであった。



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