小さな恋の物語
「ちょ、錆兎っ!!何してんのっ!!!」
ついこの前生まれたと思っていた長男はすくすくと成長し、あっという間に2歳になっていた。
2月生まれなので3歳の誕生日が来た2か月後にはなんと幼稚園児である。
聞き分けも大変よくダメと言われたことはしない…そう、”ダメと言われたこと”は…
その日は…というか、その日”も”というべきか。
お隣の義勇も鱗滝家で錆兎と過ごしていた。
子ども二人をしっかりとドアを閉めたリビングに居させて、リビングのガラス戸から出られる庭で洗濯物を干していた鱗滝家の母親である悠は、干し終わってさあ戻ろうかと振り向いた瞬間、とんでもない光景を目にすることになる。
どうやってかハサミを手にした我が子がリビングのレースのカーテンに刃をいれている光景を…
うああああーーーー!!!
と思って、冒頭のように叫ぶと、慌てて息子からハサミを取り上げた。
その剣幕に驚いて泣くのは少し離れた場所に座って絵本をめくっていた隣家の子ども義勇で、我が子の方はと言うときょとんとした目で母親を見上げている。
まずは号泣中の義勇に驚かせたことを謝ってジュースとおやつを与えてなだめたあと、その場にステイさせておいた息子に再度向き合い、
「これっ!どうしたのっ?!」
と取り上げたハサミを見せると、息子は
「あっち。棚から持ってきた」
と、大きな棚を指さした。
そうだろう。
それは確かに子どもの手に届かないようにと棚の中でも床上1m以上の場所に置いておいたはずだ。
だが、甘かったようである。
身体的にも知能的にもチンパンジーくらいには成長していたらしい我が息子は、なんとたくさん置いておいた絵本を階段にして、しまい忘れていたクーラーボックスの上に登ってハサミまでたどり着いたらしい。
たいした発想と行動力だ…とは思うものの、道具を使うことを覚えたんだね、すごいね、ぱちぱちと褒めるわけにはいかない。
「錆兎、これはダメ!
言っておかなかった母さんも悪いけど、うちでわざわざあんたの届かない場所に置いてある物は、まだあんたが触っちゃダメなものだからね?
どうしても気になった時は母さんか父さんがいる時に、触っていいか聞いてからね?」
と、しゃがんで息子と視線を合わせてそう言うと、もともと聞き分けが良い我が息子は
「うん。母さん、ごめんなさい」
と、こっくりと頷いて謝ってきた。
しかしその後に続く言葉。
「でも、母さん」
「なあに?」
「これ、切りたかったら?」
と、指さすのはすでにわずかに切り込みが入ったレースのカーテン。
それに悠は頭を抱えた。
「これは…切っちゃダメ。
そもそもなんで切ろうと思ったかなぁ…」
真菰が幼い頃にやることは、だいたい予測の範囲内だったのだが、錆兎はしばしばわからない。
異性だからなのか、彼の発想が独特なせいなんだろうか…
今回はハサミで何か切ってみたかったのかと思えば、逆らしい。
カーテンを切りたかったからハサミを持ってきたようである。
そうまでしてこれを切る意味が?と思って聞くと、錆兎はタタタッと義勇の隣に積み上げてある絵本の中から1冊を手に取って、また戻って来くると、
「これっ!これ、やりたかったんだ!
おれ、ぎゆうをおよめさんにしたいからっ!」
と、物語の最後、結婚式をあげてめでたしめでたしの王子様とお姫様のページを指さす。
「あ~…花嫁のヴェールにしたかったわけだ」
と、それで悠は納得した。
ちなみに…絵本は真菰の時に買った物や、お隣の蔦子ちゃんの幼い頃の物も含まれているので、男の子向けと女の子向けが半々くらいである。
今回のこれは可哀そうなお姫様が王子様に助けられて…という女の子向けのものだが、義勇がわりあいと女の子向けの話が好きなので、彼が見る前提で積んである本の上の方には女の子向けの物が多い。
まあ…義勇は男の子なのでお嫁さんに出来ないだろうというのは置いておいて、息子の行動の意図は理解できた。
さて、とりあえず何をどこまで説明するかな…と、悠は悩む。
とりあえずまずは即守らなければならない大切な常識から。
「ねえ、錆兎。このカーテンは錆兎だけのもの?」
と、少し切れたカーテンを指さしてそう聞くと、聡い子なのですぐ理解したのだろう。
「ちがう。家族みんなの。
こわしてしまってごめんなさい」
正直怯えるでもなく慌てるでもなく、親の問いの真意を冷静に受け止めて理解するうちの息子すごくない?と思うわけなのだが、まあ、そういう親ばかな考えは置いておくとして、悠は、そうだね、みんなのだね、と頷いた。
「これはこれから母さんが切っちゃったとこを縫うけど、完全には直らないよね?
こういうもとに戻らないことをする時は、父さんか母さんに聞いてからね?
錆兎だけの物もそうしないとだけど、錆兎だけの物じゃない時は絶対ね?」
と言うと、錆兎は、
「うん、ごめんなさい」
と、こっくりと頷く。
真菰はこうやって注意されたら泣いたものだが、錆兎は赤ん坊のころから本当に泣かない。
以前それについて聞いてみたことがあるのだが、それに対して
──義勇がいっぱい泣くから俺も泣いたら家が涙で海になっちゃうから
と、それは子どもらしく謎な言葉が返ってきて、ああ、大人びて見えても頭の中は意外に子どもだったんだな、と、なんだか感心したものだった。
ともあれ、錆兎の頭の中では自分の人生は常にお隣の義勇と共にあるらしい。
まあ生まれてからずっと下手をすれば親より近い位置で親程度に長い時間を過ごしているからかもしれないが…。
ずっと一緒=お嫁さんというのも子どもらしい発想だな、と、思いつつ、悠は
「えっとね、ずっと一緒にいるのは良いとは思うけど、義勇ちゃんは男の子だからお嫁さんには出来ないね」
と、そこは訂正しておく。
まあこのまま二人と家族で言い合っている分には問題はないが、もうすぐ幼稚園に入園するので、そこは訂正しておかないと錆兎は良いが義勇が可哀そうなことになりそうだ。
そう思っての指摘だったのだが、その母親の発言は錆兎の人生最大の衝撃だったらしい。
──えええええーーーっ?!!!!
と目をまん丸くして絶叫した。
生まれてこのかた動じるところを見たことじゃないんじゃないかと思われるくらいに動じない息子がとてつもなく動揺している姿に、母親の方も驚いてしまう。
いやいや、君達一緒にお風呂入ったことあるよね?
お〇ん〇んついてるの見てなかった?
とか、色々思うわけだが、息子は必死の形相で
「でもっ!!」
と、母親に詰め寄った。
「ぎゆうはスカート履くよっ?!」
「あ~…うん、それはモデルのお仕事とかのためだよ。
あとは…冨岡さん家はお姉ちゃんのおさがりとか着せたりするから…」
「おれは真菰ねえのスカート履かないっ!」
「うん、うちは着させないけど、着させるうちもあるってことだよ」
「でも、でもっ…ぎゆうはかわいいよ?!!」
うん、可愛いね。
でも君の男の子と女の子の判断基準はそこなの?
と、母親は苦笑した。
「えっとね、可愛い男の子もあまり可愛くない女の子もいるんだよ?
義勇ちゃんは可愛い男の子なんだよ」
と、そこまで言うと、錆兎は絶句して固まった。
納得してもらえたかな?とそれに悠は思ったが、さらなる動揺が錆兎の後方から沸き上がる。
──…ぎゆ…しゃびちょのおよめさん、なれないの?
と、大きな丸い目にいっぱい涙を浮かべて、この世の終わりのような顔で言う義勇に、焦る悠。
だが、彼女がそれに対する言葉を発する前に、義勇の泣き声に錆兎が即反応して、絵本を見ていた体制のまま座ってしゃくりをあげる義勇に駆け寄って、──だいじょうぶっ!と、抱きしめる。
そして続く言葉は
──おれ、そうりだいじんになるからっ!それで、ぎゆをおよめさんにできるほうりつをつくる!!
………
………
………
頭が良いのか馬鹿なのか、よくわからない…と、悠は我が子のその言葉を聞いて思う。
総理大臣や法律なんて言葉、どこで覚えたよ?
もうすぐ3歳とはいえ、2歳児のセリフじゃないな…とは思うものの、総理大臣目指す理由が義勇を嫁にするためっていうのが……
あんた、そんなに義勇ちゃんが好きか?と、もう笑うしかない。
──ぎゆ…しゃびちょのおよめしゃん、なれる?
──うん!なれるぞっ!
──じぇったい?
──ああ、ぜったいだっ!
まあ…馬鹿かもしれないが、男前だな、と、母は思う。
いつかこのやりとりも黒歴史になるかもしれないから、忘れたふりをしておいてやろう…と、母は生温かい目でそう思ったが、
──…やくしょく?
──うん!けっこんのやくそくをするときは、ちゅうするんだ
と、いきなり我が子が止める間もなく、ぶちゅうっと義勇の唇に己の唇を押し付ける。
うああああーーー!!!!この馬鹿息子おぉぉーーー!!!!
焦る母。
言葉だけなら黒歴史に苦笑いですむが、よりによって勝手にファーストキス奪うかあぁ?!!
これ…黒歴史と苦笑するだけじゃすまないんじゃ?と青ざめる悠だが、当の義勇は一瞬びっくりしたように目をまるくしたが、次の瞬間、泣き止んでふへっと嬉しそうに笑う。
──これでぎゆしゃびちょのおよめさん?
──うん、おれのおよめさんだ
と、本人たちは実に和やかだが、これはやばい、外でこの調子だとやられたらやり返せる自分の息子はとにかく、義勇は確実にいじめられるんじゃないだろうか…
母が青ざめている間に、ただいま~と姉の真菰が帰ってくる。
「かあさん、居間?」
と、手洗いうがいを済ませると顔を出して、頭を抱える悠に
「何かあった?」
と、首をかしげる。
そこで真菰に泣きつくと、こちらも年齢よりもずいぶんとませた我が娘は
「いいんじゃない?錆兎達が大人になる頃には法律変わってるかもよ?
ま、今は困るって言うなら私が言ってあげようか?」
と言うので任せてみると、
「さびと~、今はね、まだ法律変わってないから、外でちゅうしたりちゅうしたこと言ったら法律違反なんだよ?
だからちゅうはおうちの中だけね?
お外ではまだ義勇ちゃんと錆兎はお友達ってことにしておくんだよ?」
と、実に上手に言い含めてくれた。
さすが我が娘。
この頭の回転の速さは一体誰に似たんだろうか…と感心する母。
にこにこと姉が告げる言葉に、こっくりと頷く錆兎と、それを真似してこっくりと頷く義勇。
その二人の頭をよしよしと撫でてやりながら、
「いい子の2人にはご褒美をあげよう。ちょっと待ってて」
と、真菰は上機嫌で自室へ戻ると、キツネのキーホルダーを二つ持ってきて、それを錆兎と義勇に一つずつ渡して言った。
「これはね、2人が大人になっておんなじ部屋に住む時にそのお部屋の鍵をなくさないようにするためにつけるキーホルダーってものなの。
お揃いのキーホルダーにお揃いの鍵をつけて同じ部屋に住むっていう約束のアイテムだよ?」
と言う真菰に、おお~~!!!と目をキラキラさせてそれを受け取る二人。
そうして互いに同じキツネのキーホルダーを見せ合ってはしゃいでいる二人にクルリと背を向けて、真菰は母親に向かって手を出した。
「え?なに?」
と首をかしげる母親に
「え?って…決まってるじゃない。キーホルダー代。
放っておけばそのうち指輪とか言い出して面倒なことになったでしょうし、良かったでしょ?」
とにこりと言う娘。
ああ、思い出した。
あれはたしかガチャガチャで目当て以外の物が二つも出てしまったと言っていたやつだ。
本当に…ちゃっかりしている。
でもまあ助かったから仕方ないか。
「もうっ!今度だけだからねっ」
と、小銭入れの中から銀色の硬貨を4枚出して渡すと、真菰は
「まいどあり~!
じゃ、そういうことで蔦子ちゃんと一緒に宿題やるから隣に行くね~!」
と、教科書とノートをいれたピンクの花柄の手提げ袋を揺らしながら、隣家への境界線にあるドアの方へと駆け出して行った。
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