温泉旅行殺人事件クロスオーバー_02

そして車を出してもらって露天風呂へ。
幸い次の予約の人はまだ来てなかったのでギユウは急いでポシェットを取りに脱衣場へ戻った。

そして
「あった~♪」
と、すぐ中から出てくる。

「んじゃ、戻るか」
7:30…花火は8:00くらいかららしいからまあ余裕か…と車に戻りかける錆兎の服の裾をギユウがクン!とつかんだ。

「なんだ?」
大きな丸い目で自分を見上げるギユウに錆兎が少し笑みを浮かべると、ギユウは
「ん~、歩いて戻ったら…遅れちゃうかな?」
とちょっと首を傾げた。
長い睫毛に縁取られた真っ黒で澄んだ瞳がジ~っと問いかける。

「平気だと思う。そうするか」
錆兎が言うと、その可愛らしい顔にぱ~っと花のような笑みが浮かんだ。

そして送迎の車には帰ってもらって二人で手をつないで歩き始める。
さっき4人で露天に来た時の往復とはまた別のルートだ。



「これで…全部ね♪」
ふわりと笑うギユウ。
暗闇を照らす明りが薄桃色の着物をふんわりと映し出した。

結局…全ルートを通ってみたかったんだな、と納得する錆兎。
でもそれなら…とふと思う。

「ま、あわてて全部まわる必要もないけどな。三泊四日するんだし」
その錆兎の言葉にギユウは微笑んだ。
「これが最後の機会…な気がして」

「雨でも降るのか…」
勘の良いギユウの言う事だ、たぶん本当にそうなるんだろう。
このあたりを明日ランニングしたら気持ちいいかと思ってたので少し残念ではあるが、まあユートとアオイにとってはその方がいいんだろうな、と、錆兎は思った。


「あ…ここから露天の行きに通った道にでられそう」
変なところで目がいいギユウが手を放してテケテケと歩き出して行く。

「危ないからっ!手は放すなっ!」
足場が悪いので一歩間違えば落ちて泥だらけ、もしくは草だらけだ。錆兎はあわててその腕を掴む。

しかし崖の前で立ち止まるギユウ。

錆兎は不思議に思ってそれを
「どこが?」
と見下ろす。

「えっとね…この木を登って上に行くとたぶんそうかと…。
ひな菊と…小川の匂いがするから」
ここからそんなもんわかるのか…犬並みの嗅覚だな…と錆兎は秘かに呆れ返る。

まあ…どちらにしても浴衣姿のギユウを連れて木登りはさすがに無理なわけで…せっつかれてギユウを木の下にいさせて自分だけちょっと木に登ってのぞいてみると、確かに見覚えのある道だ。

「どう?」
というギユウに、錆兎は木から飛び降りると
「確かにそうだった。でもここからそんなのわかるってすごいな」
と苦笑した。


二人はそのまままた下の道を歩き始める。
「ここ…すごいね…」
途中幅4mほどの亀裂があり、木の吊り橋がかかっている。

「ひゃあぁ…すっごい揺れるっ」
怖いもの知らずだと思っていたギユウでもさすがに怖いのか錆兎にしっかりしがみつく。

「ま、普通に渡ってれば落ちないから平気、ほら」
錆兎は笑ってしっかりその小さな手を握ったまま先に立って歩き出した。

そのまま歩き続ける二人。
空気はさすがに冬だけあって冷たいが、握った小さな手は温かい。
こうしてずっと歩いていたいな、と、少し思う錆兎だったが、やがて遠くに母屋が見えてくる。
名残惜しい気分でそれでも歩を進めると、丁度母屋から出てくるユート達が目に入った。


「どうだった?あった?」
とにこやかに聞いてくるアオイと対照的にユートはちょっと沈んで見える。
「はいっ、ありましたっ♪」
と答えるギユウを少しアオイの方へ押しやって、錆兎はユートに小声でささやいた。

「何かあったのか?」
その言葉に
「おおあり。俺…ゴム入れ忘れて来た」
とガックリと肩を落とすユート。

「なんだ…そんな事か…」
アオイと喧嘩でもしたのかと思って戦々恐々として聞いた錆兎は安堵のため息をついた。

「貴仁さんに渡されたのがあるからやる。
ちと母屋に露天の鍵返しがてら部屋戻って取ってくるから、姫頼むな。
母屋の外側だから絶対に目はなすなよ、不用心だし」

ポン!とユートの肩を叩く錆兎に、ユートは
「まじ?さんきゅ~!持つべき物は親友だねっ」
と、とたんに元気になって顔をあげた。

「とりあえず…母屋の西側のベンチのあたりに陣取ってるな。
ちょっと影になってるから周りからのぞかれないしっ」
と言うユートに了承して錆兎は部屋へと戻って行く。



「錆兎は?」
その後ろ姿を見送ってアオイが聞いて来るのに
「うん、ちょっと忘れ物」
と、言うとユートはベンチの方へとアオイとギユウをうながした。
そして移動しようとした時、ユートはドン!と誰かにぶつかった。

「あ、すみません…」
とふりむくと、そこには地面に転がった二つの紙コップ。

「あ、ううん、こっちこそごめんね。熱いのかからなかった?大丈夫?」
というのは例の中年夫婦の豪快な妻、澄花だ。

「あっちゃ~ちょっとかかっちゃったか。大丈夫?火傷してない?」
澄花はあわててハンカチでユートのシャツを拭いてくれる。

「いえ、しぶきが飛んだくらいなので。それよりすみません、お茶ダメにしちゃって」
ユートは先行ってて、と、アオイに合図して、澄花を振り返った。

「ううん、どうせそこで旅館がただで配ってる奴だから気にしないでっ。
またもらってくるからっ」
と澄花はハタハタ顔の前で手を振って笑う。

「君達も花火見物ならもらってきたら?着込んでてもさ、寒いし暖まるわよ~」
澄花はそう言ってユートを母屋の方にうながした。

「やっぱりご夫婦で花火見物ですか?えっと…」
道々ユートが言うと、澄花は
「氷川澄花よ。旦那は雅之。
君はえっと、ユート君っ!お友達も彼女もそう呼んでたわよねっ」
と、気さくな笑顔を浮かべる。

「はい。近藤悠人です」
とユートも自己紹介をして、お得意の人懐っこい笑みを返した。

そうして旅館が配っているお茶をとりあえずアオイとギユウの分に二つもらうと、西側のベンチに急ぐ。
もう花火が始まっている。


(…あれ?)
確かに先に行ったはずなのにベンチには二人の姿はない。
いったんベンチにお茶を置いて、あたりを見回すユート。

「アオイ?姫?!」
少しベンチの周りも探すがやっぱりいない。

「ユート、二人は?」
錆兎が戻って来た。
「えと…」
ユートが説明しようと口を開いた時、聞き覚えのある黄色い声が響いて来た。

「あ~今日は男の子だけなのねっ♪一緒に花火見物どう?あとの二人もすぐ来るからっ」
行きにはしゃいでたOL3人組の一人だ。

「いえ、はぐれただけなので」
と錆兎が即答して、ユートの腕をつかんで離れようとするが、
「んじゃ、いいじゃない♪女の子達も意外に合流諦めて二人で花火見物してるかもよ?」
と、二人の前に回り込んだ。

「それはあり得ないので。
どいて頂けませんか。これ以上の妨害は敵対行動と見なしますが?」
スっと錆兎が静かに殺気立つ。

「…ヒッ…」
OLはその場で青くなって立ちすくんだ。

「で?ユート。どういう事だ?」
錆兎はそのままユートの腕を掴んで少し離れると、殺気はなくなったものの厳しい表情のまま聞く。
「えっと…実は…」
ユートが事情を説明すると、錆兎は無言でクルリと反転してユートから離れた。

「…錆兎?」
背中から沸々と怒りがわき上がってる気がする。
少し不安になって声をかけると、錆兎のため息。

「…母屋の外側だから絶対に目を放すなって言ったよな…」
静かな怒り。

「…ごめん…」
まだ怒鳴ってくれた方がマシだと思う。

「…俺探してくるから。ユートは万が一戻って来た時のためここに待機」
感情を抑えた声でそう言うと、錆兎は夜の闇に消えて行った。


不安を抱えたままユートがベンチに座っていると、後ろから
「あの…」
と、声がした。
振り向くと、行きのバスで夫婦で来ていた老女が、後ろに立っている。

「はい?」
「違ってたらごめんなさいね…、これ…あなたのかしら?そこの茂みで拾ったんだけど…」

そういう老女の手には四葉のクローバーのロケット。
年末にギユウが全員にプレゼントしてくれた物だ。もちろんユートは自分のは身につけてるし、錆兎もそのはず…という事はこれはアオイかギユウの物のはずだ。

「あ、はい、そこでってどこです?!」
ペンダントになってたはずだが、チェーンがついていない。

「えと…そこ…なんですけどね…」
老女が指し示す地面を凝視するユート。
礼を言って老婆見送ると、即錆兎に携帯をかけた。
すぐに戻ってくる錆兎。

ユートが事情を話してロケットを出すと、
「指紋ベタベタ付けるなっ」
と、ハンカチを出してそれを受け取る。

そしてそれをハンカチ越しに調べると、錆兎は次にそれが落ちていたと言う地面から上の木を視線でたどった。
その視線が一点で止まる。1mちょっとくらいの位置の木の枝だ。

そして顔面蒼白。

「現場維持しとけっ!絶対いじるなっ!いじらせるなっ!」
と叫んで母屋へと駆け出していった。

錆兎が見つけたのは枝についていた擦ったような跡。
チェーンはその場になかった。
そこから導きだされる情景は…アオイかギユウ、どちらかのペンダントが枝にひっかかった。
無理にひっぱったのでチェーンが切れた。

草の上に転がるロケット。枝にひっかかったチェーン。
二人のどちらかが自分でひっかけたなら、チェーンを回収した時点でひっかけてペンダントがちぎれたのは気付いているわけだから、ロケットを拾わないはずはない。
あれはギユウが4人でお揃いにと長い時間をかけて探した四葉の押し花入りなのだ。

…ということは…拾える状況じゃなかったということで…

嫌な予感がヒシヒシと錆兎を蝕んで行く。
色々がフラッシュバックする。
忘れ物を取りに行った帰り道…ギユウは…なんて言った?

「これが最後の機会…な気がして」

雨のためじゃない…。あれは……

母屋についてフロントに事情を説明して警察を呼んでもらう。
それから念のためにと自分達とユート達の離れを見に行くが当然二人ともいない。

強烈な吐き気…。呼吸がうまくできない。

それでも…
(…動けっ!止まるなっ!!)
ふらつきながらも母屋にまた戻った。

その時!
「大変ですっ!!!」
各部屋を念のためにと確認しにいった従業員が顔面蒼白で戻って来た。

「小澤様が殺されてますっ!!」




再度フロントがその旨を警察に連絡して、花火を見物していた宿泊客も安全のため母屋へと集合させられた。

やがて警察が到着。
従業員が事情を説明している。

宿泊客が殺された?それとギユウ達がいなくなったのと何か関係があったら…変な物を目撃してたとしたら…

とりあえず従業員から事情を聞き終わると、事件の関連性もあるということでギユウとアオイの事について錆兎とユートも事情を聞かれる事になった。
ユートが主にいなくなった時の状況を説明し、錆兎がロケットの事を説明する。

その後…宿についてから遺体が発見された8時40分までのアリバイを聞かれた。

正直…もうそんな物はどうでも良かった。
死んだものは生き返るわけじゃないっ!先にギユウ達を探してくれと喉まで出かかって、飲み込む。

とりあえず…いったん取り調べに使っている部屋から出されて、ロビーへ。
そこに集合している他の宿泊客のざわめきがなんだか気に触る。

「錆兎…大丈夫?」
心配するユートの声すら煩わしい。
頭に血がのぼって冷静に頭が働かない。

「今…話しかけないでくれ…頼むから」
平静さを失うあまり、刺激されると絶対に口にしてはいけないような事を口走りそうで、錆兎はユートにそう言った。


何故…あの時、”これが最後の機会…な気がして”というギユウの言葉を雨が降るのかなどと楽観的に考えたんだろう…そこで気をつけて離れない様にしていればこんな事には…

まだ小さな温かい手のぬくもりが残っている気がする。
もし…事件に巻き込まれてさらわれたとしたら…生かされている可能性は極めて低くなる…
あの幸せな温かいぬくもりを永遠に失ったのかも知れない。
そう考えた途端また強烈な吐き気と息苦しさにみまわれる。


「鱗滝さん、ちょっとお聞きしたい事があるので、もう一度いらして頂けますか?」
ふいにまた警察官が錆兎を呼びに来た。

「俺も…一緒じゃダメですか?」
血の気が失せて真っ青で今にも倒れそうな錆兎を心配してユートが聞くが、
「申し訳ありませんが…」
と、倒れそうな錆兎を抱える様にして警察官が中へと連れて行った。

「何度も申し訳ありません、おかけ下さい」
言われて錆兎は椅子にかける。

「行方不明の二人は…みつかりましたか?」
かすれた声で聞く錆兎に、捜査官は
「残念ながらまだ…。しかしかなりの人数を動員して現在捜索中です」
と首を横に振った。

「そう…ですか」
もうそれでここで何を話しても仕方ない気になる錆兎だったが、向こうはそうではない。
当たり前だが本題に入ってくる。


「鱗滝さんは19:30前、冨岡さんが露天風呂に忘れ物を取りに行かれたのに付き添ったという事ですが…その際、冨岡さんはご自身の忘れ物の他に何か拾われたとかそういう話はなさってませんでしたか?」

捜査官の質問に錆兎はその時のやりとりを思い出すが、ギユウが何か言っていたという記憶はない。
しかしそれがまさか今ギユウがさらわれたのと関係するのだろうか?

「それが…彼女が行方不明になったのと何か関係しているんですか?」
答えてくれないだろうな…と思いつつ聞いてみると、やはり
「申し訳ありませんが、捜査上の情報に関してはお答えする事ができません」
と、返される。

まあ…どちらにしても”何かみつけた”ならとにかく”何もみつけてない”わけだから事態は変わらないだろう。


「いえ、少なくとも俺は何も聞いてません。忘れた物があったとしか…」
「何か見覚えのない物を手にしてたとか言う事もないですか?」
「いえ、いつも持ち歩いているポシェットだけです」
「そのポシェットの中身は確認しましたか?」
「いえ、してません」
「そうですか、ありがとうございました」
言って捜査員は立ち上がってお辞儀をする。

そんな感じで全員入れ替わり立ち代わり事情聴取を受け、一通り終わったのは朝の2時。

「一応今晩はもう部屋に戻って頂いて結構です」
と、言う事でそれぞれ離れに戻る。



シン…とした室内。
それはギユウと出会うまでの一人ぼっちの生活を思い出させる。

気が狂いそうな静寂。
気が狂いそうな孤独感。
いっその事気が狂ってしまえたらどんなにか楽な事だろう…。

錆兎は暗い部屋の畳の上で膝を抱えてうずくまっている。

さっきまであの温かいぬくもりがあった部屋…。
ここで…自分が浴衣を着るかどうかで軽くもめて…自分のシャツに小さな手をかけるギユウ。

小さな…温かい手…。
もし本当にあれが最後だったなら…浴衣くらい着てやれば良かった、したいことなんでも全部させて、願い事も全部聞いてやるんだった。

涙が頬を伝う。
何もする気がおきない…でも何もしないでいると嫌な想像がくるくる回る。

何度も吐き気がしてトイレに駆け込むが、全て吐いてしまったあとは胃液しかでない。
それでも収まる事のない吐き気。

怖い…つらい…死にたい…。
それでも…かなり確率は低いとは思うものの、生きてる可能性が0ではないと思うと死を選ぶ事すらできない。


携帯が鳴る…チラリと目をやる。ユートからだ…。
どうしても出る気がしない。
そのまま携帯を布団の中に放り込んだ。

いったんは鳴り止む携帯。
だが、再度鳴る。

もういい、電源を切ってしまえ、と、布団の中から携帯を取り出して切ろうとして、ふとかかって来た相手を見ると…蔦子だ…。

そうだ…当然こんな事になれば親にも連絡が行く。
責任をもって預かってきたのにこのざまだ。
出るのが怖い気もするが、もういっその事思い切り罵られたい気もする。

というか…ここで逃げるのはあまりに卑怯だ。
錆兎は通話ボタンを押した。


「はい。錆兎です…」
と出ると、ギユウによく似た、こんな状況にあり得ないほどぽわわ~んとした声がきこえてくる。

「もしもし?錆兎君?大丈夫?」
「大丈夫じゃないのは俺じゃないですから。
今回の事は…申し訳ありません。本当に…お詫びのしようもないです。
ぎゆうに何かあったら俺も死にます…」

ここで泣くのは卑怯だと思うものの何故だか涙が止まらない。
そんな錆兎の言葉に電話の向こうでは蔦子がため息をついた。

「どう考えても…大丈夫じゃないのは義勇より錆兎君の方よ?
なんかホントに死にそうな声だしてるわよっ。
うちの家系の女ってね、あり得ないほど幸運だから、義勇はたぶん大丈夫っ。
とりあえず今警察から連絡あってね、身代金用意してくれってことだったからポケットマネーで振り込むから、あと宜しくね♪タカさんに言ったらまた怒られちゃうし~♪」

「ちょ…ちょっと待って下さい…今回の事貴仁さんに言ってないんですかっ?!
というか…身代金て?」
混乱する錆兎に蔦子はあっさり言った。

「えっとね、タカさんはお休み取る時は携帯から何から持たない人なのっ。
出ないと仕事入っちゃうでしょ~。だから連絡は全部私の携帯なのよ。
あとなんだっけ、あ、そそ、身代金ね。
今朝3時頃に宿に連絡入ったらしいわよ?
5000万をルイヴィトンのスーツケースに入れて用意しろって。
銀行開く9時には代理人に届けさせるから。
警察の方には今後何かあったら錆兎君まで宜しくって言ってあるから、よろしくね♪
あんまり私の方に頻繁に色々言われるとタカさんにばれちゃうしっ」

この人は…いったい…。錆兎は軽く目眩を覚えた。
危機感という文字が辞書にないんだろうか…。

それでも妙に確信ありげな蔦子の言葉に、少し吐き気が収まって来た。
とりあえず…今回の殺人事件関連じゃなくて身代金目的なら充分無事返される可能性はある。

幸運家系というのも今までのギユウを見ていると激しく同意だ。
そう思い始めると、なんとか呼吸も楽になってくる。
そして少し落ち着いてようやく周りが見える様になってくると、錆兎はふと窓のあたりからする小さな声に気がついて、そちらへと足を向けた。



コール音5回で、かけた電話は留守電に切り替わった。
事情聴取が終わって戻った一人きりの離れ。
和室2部屋に洋室1部屋のそこは、一人きりだと妙に広い。

ユートはとりあえず落ち着こうとお茶を一杯入れて口に含んだ。
そのまま湯のみを手に思考の海に沈み込む。

これで3回目の殺人事件。
そのうちアオイがさらわれたのは今回をあわせて2件。
すごい確率だ。

あまりに非常識な殺人事件遭遇率に、あまりに非常識な誘拐回数。
もう現実味がなさすぎる。
探偵ものか何かの漫画の主人公並みのありえなさだ。

まあ…大抵そういう漫画では主人公の本当の周りは死なないわけで…なんとなく今回も死なない気がする。

この非常事態にそんな事を考えてしまっている自分が一番ありえないとは思うのだが…。
目の前に見えない、ありえない事態というのをどうもユートは感覚的に現実として実感できない質らしい。
そんな中でユートにとっての唯一の”現実”は、目の前にある錆兎の孤独と憔悴なわけで…。

露天風呂で女性陣を待っている間、あんな話をしたあとで、この事態。

ぶっちゃけ…殺人事件のまっただ中に放り込まれようと錆兎が正常に機能してる分には何にも心配は要らないというのがユートの経験上からの判断。
日々事件の話や危機管理についての注意を子守唄に、護身術や武術を積み重ねて育ってきたような男だ。
今まで遭遇した2件の殺人事件は彼のおかげで解決したといっても過言ではない。

しかし、ありえないほど高い知能と身体能力…それが形成されるのと引き換えに培われたのは、これもありえないほど深い孤独感。
それを包み癒してきたのは彼女のギユウで…錆兎にとって唯一無二の心の支えだった。

それが彼の唯一にして致命的な弱点とも言える。
それが今失われるかもしれないという状態で…錆兎は一気に憔悴している。


(自殺なんか…してないよな…)
と、怖くなって電話してみたわけではあるが…でない。

ここに来る原因となったのも、ギユウが行方不明になった時に錆兎がギユウの側を離れる原因を作ったのも、そして、あれほど側を絶対に離れるなと言われていたにも関わらず側を離れてギユウを行方不明にしたのも全部ユート自身だ。

単に自分からの電話だから出ないという可能性もあるわけだが…万が一の事があって出ないとしたら…

ユートは上着を羽織って離れを出た。
そのまままっすぐ錆兎の離れへ。

一瞬ドアをノックしかけて、すぐその手を下ろした。
錆兎は…自分に会いたくはないだろう。

ユートは小さく息を吐き出して、窓の側にまわって、窓から中を覗き込んだ。

その時
「何してるんだい?」
といきなり後ろから声が降って来てユートは飛び上がった。

「うあっ!」
と悲鳴をあげかけて、あわてて口を手で押さえる。

「あ…氷川さん…」
振り向くと、澄花の夫、氷川雅之が立っている。

「ここは…お友達の離れ?声かけないのかい?」
やっぱり少ししゃがれた小さな声。
にっこりと穏やかに言う様子は、錆兎が言った通りどことなくヨイチを彷彿とさせてユートに安心感をもたらす。

「いえ…実は…」
ユートは錆兎がギユウがいなくなってひどく憔悴している事、電話をしても出ないので心配になったこと、今回二人が行方不明になった原因が自分の行動にあるため錆兎が自分に会いたくないであろうと思うが、それでも心配なので窓から様子を見ようと思った事などを説明した。

全てを説明し終わると、雅之は
「座ろっか」
と、窓の下あたりに腰を降ろし、ユートにもうながした。
ユートはそれに従って同じく窓の下あたりに腰を降ろす。

「仲いいんだね。君と錆兎…君?親友なのかな?」
雅之の言葉に悠人はうなづいた。

「ユート君も彼女さん行方不明中なんだろ?
それでもまず自分の非を認めてそれときちんと向かい合って、その上で親友の心配できるって君は芯が強くて優しい子だな。
勉強できたりスポーツできたりとか言うより、それはずっとすごい事だと思う」

そういう評価の仕方…錆兎と一緒だな…と、ユートは少し悲しくなった。
もう…向こうは自分を友人とは思ってないかも知れない…。
ユートは最近初めてくらい人前で泣いた。

「冷えるから…」
膝を抱えて泣くユートに雅之が自分が着ていた羽織をかけてくれる。

「すみません、大丈夫です」
それを制しようとして、顔を上げたユートは雅之の胸元に光るペンダントにきがついた。
チェーンに通してある指輪。サイズ的には男物のようだから雅之のだろう。
結婚指輪なんだろうか…。
この年代だと指輪をするのが恥ずかしかったりするんだろうか?

そう言えば…と、それでまたユートは思い出す。
4人で持っていたお揃いの四葉のクローバーの押し花の入ったロケットをチェーンに通したペンダント…。
拾ったロケットは結局どちらのなんだろうか…。
アオイのかもしれないなら自分が欲しいが…ギユウのだったら錆兎にやらないと…。

前回の4人組の一人が亡くなった事が発端で起こった殺人事件で、錆兎と共に事件の解決に奔走した藤が四葉のクローバーなんて葉が一枚かけたら幸せなんてなくなってしまうんだと言っていたのをユートは思い出して、また悲しくなってうつむいた。


その時…ガラっと頭の上で窓が開く。

「ユート…お前そんなとこで何してるんだ?いくらなんでも風邪引くぞ。入れよ」
若干元気はないが、いつもの…呆れた錆兎の声だ。

「えっと…そちらは?ご夫婦でいらしてた…」
錆兎は次に氷川に目を向ける。

「氷川雅之です。
妻があれからまた事情聴取に呼ばれてね、一人でいても気になって眠れなかったんで外の空気吸ってたら君を心配して様子みにきてた悠人君に会って…」

「そうでしたか。鱗滝錆兎です。よろしければ氷川さんもどうぞ。
俺も眠れない組なので」
と、錆兎は氷川にもそう声をかける。

「そうか。申し訳ない。お言葉に甘えさせてもらうよ」
と氷川は入り口の方へと悠人をうながした。


二人が中に入ってくると、錆兎は温かいお茶をいれる。
ユートは湯のみを手にして、ようやく自分が冷えきってた事に気付いた。

「ユート君、良かったじゃないか。錆兎君が意外に元気そうで」

雅之が温かい笑みをユートに向ける。
ユートはそれに笑みを返して応えた。

「心配…かけて悪かった」
錆兎はユートの正面に腰を降ろす。
「でももう大丈夫そうだ」
錆兎の言葉にユートは無言で不思議そうな視線を送り、それに気付いた錆兎が続ける。

「さっき蔦子さんから電話があって…誘拐犯から身代金の要求がきたそうだ。
今回の殺人事件に巻き込まれてという事なら生存の可能性はほぼないに等しいと思ってたが、身代金目的なら帰ってくる可能性はかなり高い。
たしか…戦後以降の営利誘拐のおよそ85%は無事解決してるしな。
身代金は蔦子さんが9時に銀行があいたらすぐ用意させるって言ってたから、ほぼ大丈夫だと思う。
これ貴仁さんには秘密らしくて、蔦子さんが全部俺に振るように警察に言ったっていうことだったんで、身代金とかの受け渡しは自分でさせてもらえそうだし」

戦後の営利目的誘拐の解決率なんて情報がすぐ出てくるあたりが錆兎だと思いつつも、ホッと胸を撫で下ろすユート。

「錆兎がやるなら間違いないな…。これで事件解決か~。
明日には4人揃って食事できるかね」
と言うユートの言葉に続いて、雅之が少し驚いた様子で言う。

「そんな大金即用意できる親御さんもすごいが…営利誘拐の解決率なんて言うのがスラっと出てくる錆兎君もすごいな」

「ああ…彼女ん家はお金持ちなんで。
んで、こいつの親は実は警察の偉いさんだったりします」
それにユートが説明をする。

「なるほど。でももう一人のお嬢さんは?」
と言う雅之には錆兎が
「あ~…一緒に誘拐されてるなら姫返してアオイだけ残しておく意味なんてないでしょうしね。
そのくらいならせいぜいアオイの分も2倍身代金要求するくらいでしょう?
まあ…要求されたら普通にアオイの分も出すと思います、姫親。
その辺りは詳しくは聞いてませんが…まあ生きている人間を連れて逃げ続ける意味はないですし、殺したらさらに罪状重くなりますから。
一人返しておいて一人だけ意味無く殺す馬鹿はいないかと…」
と、淡々と説明する。

「そ…そうだよね」
あまりに慣れた様子で普通にとんでもない説明をする錆兎に少し雅之は引いている模様。
ユートは逆にその錆兎の様子に、立ち直りかけてるな、と、ホッとした。

「ところで…」
と、こちらの話は一段落という事で錆兎は持ち前の探究心に火がついたのか、雅之に視線を向ける。
「奥さんがあれからまた事情聴取というのは?」
いきなりふられて少し驚きつつも雅之は説明した。

「ああ、行きのバスの中のやりとりは覚えているとは思うが…妻は殺された小澤さんと昔つきあっていた事があってね。まあ小澤さんをここに呼び出したのも妻なんだ。
でもその呼び出し方にちょっと問題があって…
あの時は他の人に聞かせる事でもないんで言わなかったんだが、実は妻が小澤さんと別れる原因になった浮気というのが妻の親友と小澤さんの浮気というのはその通りなんだが、その後、その親友はここからそう遠くない崖から投身自殺しててね…。
その自殺した親友の名前を使って小澤さんを呼び出したものだから。
彼女にしてみたらほんのいたずら心だったんだ。
元々彼女はなんていうか…そういう…まあ夫の口から言うのもなんだが常識はずれたところがあってね」
その言葉に錆兎とユートは、本当に映みたいだな、と苦笑した。

「20年も前の事だし、今はこうして幸せに暮らしているし、その生活を崩すつもりなんて妻には全くないんだ。
ただ、妻としては、カッとなりやすい人間なんでその時親友をすごい勢いで罵って責めた事で親友が自殺してしまったと思ってて…謝罪したかったんだ、彼女に。
で、親友の自分よりも彼女が愛したであろう小澤さんにも花を手向けてあげて欲しいと呼び出そうと思ったわけなんだが…例の悪い癖が出て…。
妻的には本当に過去の事でもそんな呼び出し方したんで、警察の方でもね…色々と疑われたわけで…」

本気で困ったものだよ…と、ため息をつく雅之に、悪いと思いつつ内心おかしく思う錆兎とユート。
本当に…いつか映もそんな事やらかしそうだ。

そんな話をしながらちらりと時計に目をやるともう7時半だ。
仲居さんが食事を運んでくるので悠人も雅之も自室の離れに戻って行く。

錆兎は並べられた料理を見て小さくため息。さすがに食欲はない。

それでもこれから身代金の受け渡しがあるわけだろうから…昨日胃の中の物を全て吐いているし、絶食はよろしくないだろう。
錆兎は自分の荷物の中からバランス栄養食品の類いや各種ビタミンのタブレットを取り出すと、無造作に胃に流し込む。

そして少し希望が見えて来たところでいつもより遅い基礎鍛錬をしていると、9時半、警察が錆兎を呼びに来た。





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