人魚島殺人事件_オリジナル_14_不安な男

「おかえり~」
コウがドアを開けると、ドアの所でユートが出迎えた。

そのまま中に入ろうとするコウの腕をつかむとユートは
「とりあえず…報告」
と小声で始めた。

「報告?」
「うん。会話が聞こえる程度に音落として音楽きいてましたよ?」
その言葉にコウは感嘆の息をつく。

なんでそこまで気が利くんだ…。

「で?何か有意義な会話が?」
「ん~まあ水野さんが理由話してごめんなさいして…結局さ敵意が今度は依存心に変わったっぽいね。
自分、身に覚えがないのに成田に恨まれてるっぽいとか、誰といるのがいいんだろうとか相談してたし。
姫はとりあえずうちの姉貴と綾瀬さんは誰にも敵意を持たれず敵意を持ってないからそのあたりが安全って言ってた。
てことで…とりあえず水野さんに関しては今後は無害認定してもよさげかな」

「ユート…」
「ん?」
「ありがとう。お前がいてホント助かった」
コウはポンと軽くユートの肩に手をおく。

「いやいや、今回はなんだか良い所全部金森に持ってかれてるからね。
ここらで一発良いとこ見せとかないと」
ユートはその言葉にニカっと笑った。

そしてユートはそのまま自分の部屋に戻って行く。
コウはそれを見送って部屋に入るとドアを閉めて鍵をかけた。

「おかえりなさい♪」
水野と話していた時のまま、枕を背もたれにしてベッドに半身を起こした体勢で出迎えるフロウ。

「寝てろよ」
コウはフロウのベッドに歩み寄ると、腰をかけた。

「はい…でも…お風呂入って寝間着に着替えてから」
「あ、そうだな。待ってろ、お湯張ってやるから」
コウはフロウの頭を軽くなでて立ち上がると、バスルームに行って湯船にお湯を貯める。

先にフロウが入って風呂から上がると、自分はシャワーで済ませようと浴室へ。
おそらく…シャンプー類は持参したのを使っているのだろう。
いつもフロウの周りに漂う甘い桃の香りが浴室に広がっていた。

(全部が子供みたい…だったら…良かったんだけどな…)
自分は備え付けのシャンプーを泡立てながら、コウはため息をついた。

ああ、もういっその事子供だったら良かった。
髪を洗い、体を洗うと、コウは急いで衣服を身につけて浴室を出る。

フロウに殺意を向けた人間がいると聞いていると一応鍵はかかっているとはいっても心配は心配だ。
浴室を出てまずドアのチェック。ついで窓。
戸締まり全て異常なし。

そこでようやくベッドに目を向けると…寝てる。
おそらく待っている間に寝てしまったのだろう。布団もかけずにベッドの上に横たわるフロウ。

(…姫は…眠れるんだな…)
そこでコウはまたため息。

残酷なまでの無邪気さ。
せめて…布団の中で寝てくれと思う。
布団の上で寝られたら、どうやってもいったん体を移動させて布団をかけなければならない。
見ないふりどころか、触れないという選択すら与えられないではないか。

ソロリとフロウのベッドに近づくコウ。
夏用の淡いピンクのネグリジェ。

せめてアオイみたいに色気の欠片もないようなパジャマ着てくれよ…と、また心の中でつぶやくコウ。

「姫…布団の中で寝ろ」
声をかけてみるが当然起きない。

しかたなしに抱き上げようと近づくと、風呂から上がって間もないため、ふわりと甘い桃の香りがただよった。

…もういい…どうせこんな状態じゃ自分の方は眠れない…。

コウは開き直ってフロウの側の布団をかけるのを諦めてそのまま放置すると、自分のベッドから布団を持ってきて彼女にかけた。
これでよし!

コウはここでクルリとフロウから離れると、鞄の中から参考書を取り出す。
手に着くかどうかは別にして、何もしないよりはマシだと思う。
しばらくコウはひたすら数式に没頭した。

コウは勉強はどれも嫌いじゃない。
しかしどれが好きかと言われれば若干感性が入る余地のある文系よりは、答えがはっきり出る理系、特に数学が好きだ。

論理立てて解いて行った結果に出るはっきりした答え。
それはある種推理にも似ているかも知れない。

淡々と数式を解いて行くコウ。
何のかんの行って集中力はある方なのですっかり数学の世界に入り込んでいる。

しかし…

「…?」

どのくらい時間がたった頃か、急に背後に気配を感じてコウは次の瞬間自分の首に回された腕に軽く手を置いた。

「どうした?姫」
静かに聞くと、肩を冷たいものが濡らしていく。

「怖い夢でも見たのか?」
ソッと腕をほどいてしゃくりをあげるフロウを自分の前に連れてくるとコウはその柔らかい髪をなでた。

「消えたの…冷たい…」
「冷たい?俺が?」
少し驚いてコウは顔をあげるが、フロウは小さな手で溢れる涙をぬぐいながら首を横に振ってそのまま嗚咽を続ける。

「何が…消えた?」
コウは立ち上がって震えているフロウを抱き寄せた。

その華奢な体が意外に冷えている事にちょっと驚いて、コウは慌てて冷房を弱めて、また暖めるようにフロウを抱きしめる。

「命が…今…」
言って身震いをすると、フロウはコウに抱きついた。

「今?!」

夢なのか…それとも現実に感じているのかこの状況ではコウにも判断がつきかねた。
一応時計にチラリと目をやる。0時5分…下手すれば寝てる人間は寝てる時間だ。
それでも放置もできない。

とすれば少しでもその判断材料になるのは…

「姫…冷たいのは?何が冷たい?」
ひどく怯えている様子のフロウを追いつめない様に、コウは焦る気持ちを押し隠して静かに聞いた。

「…水…。」
「水?飲み水?」
怪訝な顔で聞き返すコウに、フロウはかぶりをふる。

「もっと…たくさんのお水…」
「体が…沈むくらいの?」
コウが聞くとフロウはうなづいた。

溺死…という言葉が脳裏に浮かぶ。
今の時間を考えるとあまり大げさに動くわけにも行かない。
とりあえず…考えられるのは、海、プール、浴槽くらいか…。
思考の海に沈んでいたコウの腕に不意に重みがかかり、そこでコウはハッとした。

「姫っ、大丈夫かっ?!」
フロウの顔から例によって血の気が引いている。
コウはあわててフロウを抱き上げると、ベッドに戻した。

「医者…呼ぶか?」
というコウの言葉にフロウはぎゅうっとコウにしがみついてまたかぶりをふる。

「行かないで…」
しゃくりを上げながら涙をいっぱいたたえた目で見上げるフロウをコウはソッと抱きしめて頭をなでた。

「大丈夫…姫を一人にはしないから」
言って瞼に口づける。

遥と綾瀬…フロウが上げたのがその二人の名前だけだとしたら、他の…少なくとも女性陣は誰かに何かしらのマイナスの思いを抱えているという事になる。

まあ…アオイは普通に水野のより年下でめんどうをみるような立場ではないし、藤はあの時点でフロウの事で水野に思う所があるようだったから避けたのだろうが…。
男も自分達と別所以外はそれぞれ何かありそうだ。

フロウの最初の言葉だと”悪意”は巧妙に隠されているらしいから、一見何もなさそうな人物をチェックするのが良さそうだな、とコウはここに来たメンバーを思い浮かべる。

その中で悪意が明確なのは古手川、高井、成田、モデル3人組。
逆に言えば、この6人はフロウの言う”巧妙に隠された悪意”ではない。

その6人プラス水野に対する藤の敵意、そして本当のフロウが言う所の”悪意”と、全部で8人。
判明しているだけで大学生組12人のうちの実に3分の2が悪意を発散しているという状況だ。
どうやら他人の感情を感じてキャッチしてしまうらしい体質のフロウにしてみればたまったものではないだろう。

せめて…と、コウは腕の中のフロウに気持ちを集中させて、その唇に唇を重ねた。

「姫…俺は姫の事が好きだ。すごく好きだ。…わかるか?」
少し唇を離してそう言うと、また今度は深く唇を重ねる。

全ての悪意を覆せるほどの好意…愛情を示せれば…と思った。
絹糸のような手触りの柔らかい髪の中に指を潜ませると、小さな重ねた唇から小さな吐息がこぼれる。
少しずつ…自分も抜け出せない沼に足を踏み入れかけている事にコウは気付かない。

密室で”好きだ”という事だけに気持ちを集中して口づける。

それはコウをスーパー高校生からただの好きな女の子を前にした高校生の男に戻す行為で…そうなると欲求はユートとなんら変わるわけではない。
むしろ普段抑えつけているだけに、その欲求は強い。

強すぎる愛情とそれを抑えようとする強い理性。
完璧に隙がないうちはいいが、一度瓦礫が崩れ始めると小さな亀裂は決壊へとつながると言う、他の事なら当たり前に理解しているはずの事実に、こと、愛情というものに縁がなかったコウは気付かなかった。

コウの呼吸が乱れ、手触りの良いサラサラの髪の中をさすらっている左手は自然と下に降りて、フロウの華奢な背中を回されて更なる密着をうながす。

「姫…愛してる」
コウは深い口づけを繰り返していた唇をフロウの唇から放して、そのままうっすらと桃色に染まったフロウの耳朶にささやくと、唇を耳からさらに白く柔らかな曲線をえがく首から肩の線へと移動させた。
甘い桃の香りが鼻孔をくすぐり、さらに理性が薄れて行く。

クラリと目眩がするような感覚。
首の付け根のあたりを少し強く口づけると、真っ白な雪のような肌に紅い跡。

…独占欲がわきおこった。

ふわりふわりと妖精のように気ままに楽しげにフロウが飛び回るのを先回りして障害物を取り除く様に守ってきたが、ふと捕まえて閉じ込めておきたい衝動に駆られる。

少し力を入れただけで、フロウの華奢な体は簡単にベッドに吸い込まれた。
ぱふん!とベッドに沈むフロウを追いかけるコウ。
それでもフロウはされるままになっている。

「抵抗…しないんだな…」
コウがその額にソッと口づけると、フロウは軽くつむっていた目をようやく開く。

全く曇りのない澄んだ大きな瞳がコウを見上げた。
その瞳に捕われると、熱に浮かされたような混乱がみるみる間に引いて行く気がした。
そしてハッと我に返る。

「…悪い。俺…最低な事してるな」
冷静になると急に激しい後悔がコウを苛んだ。

そのコウの頭に白い腕が伸びる。
そしてコウの少し硬めの短い黒髪をサラリと優しい手が撫で、コウの頭を引き寄せた。

「えと…ね、別にコウさんがしたいならしてもいいんですけど…?
しないって決めてるのってコウさんの方ですし…」

そう言えば…そうだ。

「抵抗…するものなんですか?こういう時って。」
逆に聞き返されてコウは戸惑う。

「いや…あの…応えるでもなく抵抗するでもないから…姫…」
「ごめんなさい…どうするものなのかよく知らなくて…」

コウの言葉にフロウはあっさり答えた。
ああ、なるほど…と、納得するコウ。

とりあえず激しい衝動は少し去ったものの、そのままにしておくとまたおかしな気分になりかねないので、コウが自分が外したフロウの寝間着のボタンを閉じていると、フロウはやっぱりされるまま、そんなコウを見上げて言った。

「でも…コウさん、どうしたら不安じゃなくなります?」

…見抜かれている…。
途中から確かに主旨が変わっていた。

最初は確かに好意でフロウの周りを埋めたかっただけだったのが、いつのまにか違う方向に…。

「わからん…。でも俺は姫が好きで…いつも一緒にいたくて…本当に俺には姫だけだから姫をなくすのが死ぬほど怖いんだけど、姫はそういうのがないから…」

もう…隠すだけ無駄な気がしてコウが正直に話すとフロウはあっさり

「ん~だって…コウさんの愛情って日々感じてますし…」

…そうだった…彼女は超能力並みの感情感知型な女の子で…。

「コウさん強いから何かあるという事もなさげですし…だから…不安感じる理由が…」

…はい、そうですね…
でも結局…コウは自分でも…どうしていいのかわからない。

「そんなに不安なら籍でも…いれます?」
「へ?」
体を起こしてベッドの端に座るコウを同じく半身起こして見上げるフロウ。

「あと3日で一応コウさん18歳ですから物理的には可能ですが…」

忘れてた…。
去年はフロウとは出会って間もなくてそんな話していなかったし、それまでは本気で一人で、気付けば父親から非常に実用的な贈り物が宅配で届くくらいで、特別祝ってくれる相手もいなかったので、自分の誕生日なんて意識した事はなかったのだが…

「忘れてたって顔…してますね」
不思議そうに首を傾けるフロウ。

「ああ、本気で忘れてた」

今まで指摘された事のなかったその日を指摘された驚きが去ると、今度はこの世で一番愛している自分の命より大事な彼女が今まで誰もほとんど気にした事のなかったその日を覚えていて気にしてくれていた事に対する喜びがわき上がってくる。

「もう…なんで忘れてるんですか。これからはずっと私が覚えていてあげますね。
で、毎年ずっと思い出させてあげます」
「うん…」
引き寄せられるまま抱きしめられて、コウは軽く目をつむって幸せをかみしめた。

とりあえず…まだ生活基盤がないので現実的ではないわけだが、フロウはすぐ籍をいれても良いと思ってくれているという事に安心するコウ。

大学に入ったら時間もできるし少し仕事でもしようか…などと考えている。

結局…物理的能力が高いだけで、基本的にはただの単純な男なのだ。
フロウが側にいて彼女に愛されている…それだけでこの世は幸せ空間だ。

しかし甘い香りの彼女の髪に顔をうずめて安らいでいるそのコウにとっての至福の時間は、もう例によって必ずといっていいほど毎回起こる事件を知らせる電話ではかなくも中断させられた。






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