「頼光君、呼ぶね」
コウとフロウが使っているツインルームにフロウを運んで、ベッドの端に座った藤は横たわらせたフロウの顔を上から覗き込む様にして言った。
ただ目を瞑って何かに耐えるようにジッと布団にくるまって布団の端を小さな手で握りしめている。
普段は薄桃色の頬からは血の気が引いて、やはり少し青みを帯びてきた唇がかすかに震えているのを見て、藤は眉をしかめた。
呼ばれて飛んで来た別荘内に待機していた医者はただの貧血だと診断を下したが、尋常ではない気がする…。
しかし最近フロウとそう頻繁に会ったりもしていないので、自分ではこれが異常な事なのか、正常の範囲内なのかがわからない。
藤が事情を話して電話で呼び出すと、どうやらユート達の部屋にいたらしいコウは即飛んで来た。
ドアが開いた所で藤は立ち上がった。
そしてそのまま青い顔で立っているコウにかけよる。
「私…いた方がいい?いない方がいい?」
とまず藤はコウのお伺いをたてた。
それに対してコウが
「何か…わかったらまた電話します」
と、明言をさけながらも、暗に二人きりにという意思表示を示したので、藤は
「わかった」
とだけ言って部屋を出た。
コウにはフロウがいて…フロウにはコウがいるのだ。
自分と彼は似ているようでいて、そのあたりが明確に違う。
自分は一人だ…と、何故か今更の様に藤は思った。
そしてため息。
「藤さん」
と、その時後ろから声がかかる。
和馬だ。
いつも絶妙のタイミングで現れるな、と、内心苦笑する藤。
「良ければどちらかの部屋でお茶でもどうです?
でもって…今回ここに集まった愚民共に渦巻く馬鹿馬鹿しい愛憎についてでも語り合いませんか?」
にやりといたずらっぽく笑って言う和馬に、なんとなく沈んだ気持ちがうすれていく。
「君は…キツい上に毒舌だよね」
と苦笑しながらも、藤はそれを了承して自室に和馬を招くと、内線でメイドにお茶を持って来る様に命じた。
「…姫…起きてるか?」
コウは静かに歩を進めフロウが横たわるベッドに腰をかけると、ソッと彼女の柔らかい髪を撫でながら声をかける。
その途端、自分の殻にこもって全てを拒絶するように固く目をつむり体を硬くしていたフロウの体から力が抜けた。
蕾が花開くように、花びらのような長い睫毛がゆっくりと移動しまぶたが開かれると、澄んだ大きな瞳から朝露のように涙が一筋こぼれ落ちる。
「憎悪と苦しみ…ちょっとしたきっかけやタイミングで誰もが加害者にも被害者にもなりかねない…そんな空気がグルグルしてます。…それがすごく…怖い…」
細く…消え入りそうな声。
コウはソッとフロウがくるまっている薄い布団ごと、フロウの半身を起こして抱き寄せた。
確かに集まった人数のうちのパーセンテージにするとありえないくらい多くが悪意を抱きあっている集団だとは思う。
コウ自身は自分をも含めて悪意にさらされて生きてきたのでそれほど気にならないが、そのあまりに大勢の悪意に満ちた空気にフロウは怯えているのだろう。
悪意に”汚染された”空気には慣れていないのだ。
それはある種、綺麗な空気、綺麗な水など、清浄な環境でしか生きられない動植物を思わせる。
環境に対する弱さと…しかしそれ故の美しさと希少な貴重さを合わせ持っているのだ。
失われてはいけない…保護しなければならない…とコウは強く思う。
「姫…大丈夫だ。俺がいる」
コウは真綿でそっとくるむように、自分的に最大限に穏やかな声を出そうと努力しつつそう言って、本当にソッとフロウの細い背を左手で支え、右手でまた絹糸のように細く柔らかい髪をなでた。
その声にフロウがおずおずと涙で潤んだ目でコウを見上げる。
「俺がいるだろ…。大丈夫…姫だけは何があっても守るから」
そう言ってコウが少し微笑みかけると、フロウはきゅうっとコウにしがみついた。
「俺は被害者にも加害者にも絶対にならないし、誰にも姫には指一本出させないから」
「…ホントに?」
「ああ、ほら、これ」
コウは小指をたてた右手を差し出した。
それを見てフロウは真ん丸の目をさらに丸くする。
「うん。約束」
次の瞬間いつもの天使の微笑み。
まだ若干血の気は失せて青い顔はしているものの、さきほどまでは若干虚ろだった瞳に少し光が戻った。
「ゆ~びき~りげんまん、嘘つ~いたら針千本飲~ます♪」
いつものように可愛らしいはずんだ声。
それでも…つないだ手にはいつもの温かさがなく、ひんやりしている。
「手…珍しく冷えてるな…」
コウはその手を両手で包んだ。
そしてそのままその手を口元に持って行くと、ハ~っと息を吐いて暖める。
「姫…寒いのか?」
薄い布団にくるまって、それでもまだ少し震えているフロウにコウが声をかけると、フロウはスリっとコウにすりよった。
「風が…悪意につかまって怯えて混乱した誰かの声を運んで来るの…。
その悪意は巧妙に隠されていて…まだ何かを捕まえようとしてるって風が言ってる」
前言撤回…野生動物というより自然と語り合う妖精か…。
まあ…ユートなら電波というところだろうが…。
どちらにしてもこういう時のフロウの言葉は大抵は何かを暗示していて正しい。
(巧妙に隠された悪意…か…)
コウが少し難しい顔で考え込んでると、フロウは
「でも…私は大丈夫。コウさんがいるから絶対に安全」
と、きゅうっとコウにしがみついてふんわり微笑んだ。
少し落ち着いたらしい…が、落ち着いてしまうとフロウの鋭い感覚もまた落ち着いてしまうため、これ以上有益な情報を得られなくなったということになる。
まあ…それでもフロウがひどく怯えているよりは良いとコウは思った。
しかし気持ちが落ち着いてもまだ顔色が悪いのは、貧血は貧血なのかもしれない。
「まだ顔色悪いから…夕食まで少し休んでろ、俺もここにいるから」
コウは言ってフロウをまた横たわらせると、そのまだ少し紫がかった唇に軽く唇を重ねた。
「フロウちゃん、大丈夫かな?」
コウが藤に呼び出されて部屋に帰り、それとほぼ同時に和馬も帰って、二人きりになった部屋でアオイはつぶやいた。
「華奢だし…体とか丈夫じゃなさそうだよね」
相変わらず椅子をさけてカーペットの上に膝を抱えて座りながら言うアオイに、ユートは
「ん~、でも医者もいるらしいし大丈夫じゃない?」
と答える。
ユートのその若干興味なさげな言葉にアオイは
「なんか…どうでもいいみたいな言い方…。ユート冷たいよ~」
とちょっと非難の目を向けた。
「いや、ほら、俺らがあれこれ言っても仕方ないしさ」
その言葉にあわててそう言ってはみたものの…実はその通りだったりするので若干焦るユート。
誤解のないように言っておくと、ユートも別にフロウがどうなろうとしったこっちゃないという訳ではない。
親友のコウや彼女のアオイほどの思い入れはないにしても、それでも他の大勢の友人達とはやっぱり一線をおいたくらいの特別な仲間ではある。
ただ…決して交友関係の狭くないユートが数多い自分の知人の中で一番の幸運な人物を上げろと言われれば迷わず上げるのはフロウで…その、神様というものが存在するなら間違いなく溺愛されていて全ての不運から遠ざけられているのだろうなと思うほど幸運な彼女が、そんな取り返しのつかないほどのひどい病に冒されるという事はまずありえない、というのがユートの考えだ。
ゆえに…ユート的には”ありえない心配をするのは無駄”だし、興味がない。
それより今の彼の興味の対象は目の前の彼女のアオイであって…そう、性懲りもなくまた、”今回こそできないかな”などと考えてる訳だ。
しかし今現在フロウの心配をしているアオイにそんな事言ったら神経を疑われるのは確かなのもまた事実。
しかたない…。
「一応…様子見に行ってみる?」
とアオイを振り返ると、うんうんとうなづくアオイ。
そこでユートはアオイの手を取って部屋を出た。
ユートの部屋の斜め前のツインルーム。
止める間もなくアオイがいきなり
「フロウちゃんの様子どう?」
とドアを開けた後、一瞬硬直。
ソロリとアオイ越しに部屋の様子を見たユートの目に入ったのは、ベッドに横たわっているフロウに覆いかぶさる様にしているコウの図で…
「お邪魔っ!」
と、慌ててアオイの腕を取って部屋の外へ連れ出すと、ドアを閉めた。
「おい…」
一瞬のち、コウの声と共にドアが開くが、アオイは
「ごめんなさいっ!!」
と耳を塞いで逃げた。
「また…何かグルグルしてるか?お前ら…」
コウは残ったユートに目をやって呆れたため息をつく。
「えと…すごぃ邪魔しなかった?俺ら…」
アオイだけじゃなくユートも珍しくグルグル妄想が回っているらしい事に、コウは大きく肩を落とした。
「ユート、お前には以前に言わなかったか?俺。
俺は”何かあった時に責任取れるようになるまでは”そういう事はしない。
ただ、姫から話聞き終わってまだ顔色悪いようだったから、夕食までと思って寝かせてただけ」
「あ、そうだったんだ…。あはは…」
ユートがきまずそうに頭を掻く。
それをまた呆れた目で見るコウ。
「で?アオイはどこ行った?」
とユートに聞くと、ユートは
「あれ?どこだろう?」
とキョロキョロあたりを見回し
「あ、そか…」
と、ポンと手を叩いた。
「あ~びっくりした…」
コウ達の正面に位置する暗い空き部屋で誰に共なくつぶやくアオイ。
その脳裏にはさきほどコウ達の部屋で見た光景がクルクル回っている。
自分達でさえまだ未遂とは言ってもそんな事を試みたりとかはしているわけで…自分達より早くつき合い始めているコウ達がしていても当たり前だとは思う。
しかし…生真面目で堅物なコウと、なんとなく欲望とかと縁がなさそうな…人間というより妖精みたいなフロウがそういう事をやっているというのは全く想像ができなかった。
(ここ…荷物置き場になったのね)
アオイは少し落ち着いて周りを見回した。
確か…コウとフロウがツインルームを使う事になったため、藤の隣から5部屋続きで高校生組の部屋として用意されたうちの端から2部屋は空き部屋になってる。
それを荷物置き場として利用しているらしい。
部屋の床には撮影機材やら布地やら諸々が置いてある。
部屋の造りは当然ながら全く一緒。
さて出ようか…とアオイがドアに向かいかけた時、不意に
(ヴゥ…ウゥウ…)
という、獣のうめき声みたいな物がかすかに聞こえた。
見たくない…とは思うものの、気になる訳で…
おそるおそるアオイが声が聞こえてくる壁の方を振り返ると…その壁にボ~っと浮かび上がる顔。
そう…顔だけが壁に浮かび上がっている。
お…ば…け…
そう…アオイはそれがものすご~~~く苦手だった。
そして…それを目の前にして緊張と恐怖がピークに達した時…ぱったりとアオイは気を失ってその場に倒れた。
気付いたらベッドの上。
「良かった…夢だったんだ…」
ベッドの端に腰をかけるユートを目にした時、アオイはホッとため息をついた。
「困った可愛いお馬鹿さんだね。空き部屋で眠り惚けてちゃだめじゃん。風邪引くよ。
…ってかあの短い時間でなんで寝ちゃうかな」
それに苦笑するユート。
そう…あれからフロウのいる部屋に戻ったコウと分かれてユートはすぐアオイが空き部屋に逃げたのに気付いてアオイを追って空き部屋に入り、ベッドにもたれて眠っているアオイを発見したのだ。
もちろん…気を失ったなどと言う事は知らない。
ゆえにこの発言なわけだ。
普通はここでそれを指摘するわけなのだが、そこはアオイだ。
「あ~そうだったんだ。私あそこでなんでか寝ちゃって夢みてたんだね」
と、恥ずかしそうに頭を掻く。
「…ったく…ノンキだよな、アオイは」
と、でもそんなところが可愛いと思うのはユートも惚れた弱みというやつか。
ああ、襲いたいと思うものの夕食を知らせる内線が鳴って断念した。
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