「おかえりなさいませ、ご主人様」
室内のあちこちでそんな声が響く。
朝からずっと満席で、廊下に並べた椅子で客が待っている。
あまり手先が器用ではない義勇は注文品をこぼさずに運ぶだけでも一苦労で、さらに目の前で淹れて見せなければならない紅茶の注文が来た時は、同じ時間帯のしのぶや亜紀がさりげなく代わってくれるのがありがたい。
役立たずで申し訳ないな…と少ししょげる義勇だが、それをふとこぼすと、
──大丈夫。義勇ちゃんは可愛いからいるだけで場が華やぐよ。
と、亜紀が慰めてくれた。
これまでは、おそらく義勇のことを嫌っているようですごくキツイ物言いをする武藤まりと一緒だったため、てっきり彼女にも嫌われているのかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。
体育祭の時も靴を貸してくれたし、今もこうして慰めつつも不器用な義勇のフォローに入ってくれる。
物言いもすごく優しいので、頼りにはなるがキリキリと時には厳しいしのぶより、なんとなく色々を頼みやすい。
頼んだことだけではない。
義勇が、錆兎が店長としてキリリと全体を見回しながら、何かトラブルのようなものがあったりした時に素早く対応に走る姿に見惚れていると、
──せっかくだからあとで二人で並んで写真撮ったら？なんなら私が撮ってもいいよ？
などと、言ってくれる。
錆兎に出会ってからその関係で、それまでほぼ友達がいないと言って良かった義勇の周りにいてくれるようになったしのぶにしても蜜璃にしても割合と活発な女子だった。
だから亜紀のように大人しい感じの子は初めてなのだが、義勇も元々内向的な性格なので、なんだかとても心が安らぐ。
目があうとにこっと微笑みかけてくれるのがいい。
クラスの女子の多くは義勇が錆兎に釣り合わないと表でも裏でも口にするのだが、亜紀はお似合いだね、と、にこにこと言ってくれるので、少しホッとする。
義勇は錆兎が義勇のことを好きだという事に微塵も疑いを持ってはいないのだが、自分が錆兎と釣り合うかどうかというと、それはまた別の問題で、あまりにいつもいつも釣り合わないと言われると、やっぱり落ち込んでしまうのだ。
だって、錆兎はいつだってカッコいい。
今もタキシードを着て店内を統括する錆兎は、執事というよりも支配人といった雰囲気で、一介の平のメイドどころか、一人前でもない落ちこぼれメイドの義勇とはやっぱりどこかつり合いが取れないと言うか、身分違いな気がしてしまう。
例えばしのぶあたりにそんな事を言うと、『ならば紅茶の一つくらい完璧に淹れられるよう、ちゃんと努力するべきでしたよね』とか、泣き言を言うなら鍛えろ的なことを言われてしまうのだが、亜紀に言うと
『大丈夫よ。義勇ちゃんとっても可愛いもの。少しくらい失敗しちゃっても無問題。むしろドジっ子なところに錆兎君も癒されるんだと思うわ』
と、自分の方がよほど癒されるような柔らかな声音で言ってくれる。
実際、亜紀がそんなことを言ってくれているところに、いつのまに来たのか
「全くその通りだな。伊藤は本当によく周りを見ていて本質に気づいている」
などと言う錆兎の声が降ってきたりするので、義勇はあっという間に気分が浮上してしまうのだ。
注文を受けて注文品を届けて、客がそれを飲んだり食べたりしている間のちょっとした時間、そんな話をしつつも店内ですべきことがないかを確認するのだが、義勇は基本的に末っ子で、なんでも蔦子姉さんがやってくれていたので、自主的に動くのが少し苦手で、悪気はないのだがあまり気づかない。
意外だが、しのぶもそんなところがあって、むしろ、キッチンスタッフで奥に引っ込んではいるのだが、全く気付きそうにない不死川あたりが実によく気づいて教えてくれる。
もちろん亜紀もよく気づくし、今はカフェの担当の時間ではなくて生徒会室の担当の蜜璃もよく気づいた。
錆兎は…もう、言うまでもない。
気づくだけじゃなく、客あしらいも慣れたもので、たまに居るスタッフに絡んでくる客などは、全て店長が直々に対応、状況によっては退出してもらっていた。
そんな中でふと見ると、別にここの学生なのだからおかしくもないのだが、客として拝島空太が来ていて、錆兎が、お？と視線を向けると、隣で亜紀が、…あ…と、声をあげる。
それに気づいた空太がにこやかに手を振ってきたので、てっきり錆兎に向けたものかと思えば、亜紀が振り返しているので、彼女に向けたものらしい。
「亜紀君、注文いいかい？」
とかけてくる声に、錆兎が
「指名は禁止だぞ」
と、からかいまじりに笑う。
それに空太は少し考え込んで、それから顔をあげて言った。
「ちょっと気になることがあってね。
確認を取りたかったんだ」
誤変換報告です。亜紀が降り返し→振り返し...かと。お暇な時にご確認ください(^o^ゞ
返信削除ですねっ、振り返しです。
削除ご報告ありがとうございます。
修正しました😀