準備時間まではひたすらクラスのカフェの開店作業で忙しかったが、それが終わって学園祭が始まると、カフェの仕事は担当時間制になっているため、他の団体の出し物を見に行くことができる。
中等部まではずっと、この時間は武藤まりに嫌がらせ参りに付き合わされていたので憂鬱な時間ではあったのだが、では今年からは自由だとなっても、今まで自由な時間というものを経験しなさ過ぎて、何をしていいかわからない。
クラスの当番は午後1時から2時間で、生徒会役員の連絡係として生徒会室に詰めるのは10時から11時までなので、それ以外の時間をどう過ごそうかと亜紀は途方に暮れた。
なので、とりあえず何か用事がないかと生徒会室を覗くと、朝一の9時から10時は拝島空太だったらしい。
「ああ、亜紀君。何かあった?」
と、彼は真剣な顔を向けていたノートPCから顔をあげて、亜紀に視線を向けた。
「あ、うん。何かお手伝いできることがないかなって思ってね」
と言いつつ、亜紀は空太を凝視する。
「本当に…君は人がよすぎるよ。他人の都合ばかり気遣ってるよね。
せっかくの自由時間なんだから楽しめばいいのに…」
と、空太は苦笑していったあと、ふと気づいたように
「なに?僕の顔に何かついてるかい?」
と、不思議そうな顔をする。
「ううん…。ただ…普段コンタクトなの?」
と、少し小首をかしげる亜紀に、その言わんとしたところを察して、空太は
「ああ、これはブルーライトカットのグラスだよ。PCを使う時だけつけてるんだ」
と、普段はしていない眼鏡をはずして言った。
「そ、そうなんだ。拝島君、なんだかデキるビジネスマンみたいでカッコイイね」
と、思わずそういう亜紀に、
「ああ、ありがとう。
じゃあ、お礼に…少しここ代わってくれるかい?」
と、空太が立ち上がるので亜紀がうんうんと頷くと、彼は当たり前に生徒会室を後にする。
……まあ、いいんだけど……お礼って…なんの?
良い物見せてもらいましたってこと…かな?
残された亜紀はぽかんとそんなことを思いながらも、1人で回るのも寂しいし、ここで留守番がてら時間潰しするのもいいか…と納得をする。
そして、空太がつけっぱなしで行ってしまったノートPCをこのままにしておいて良いのかが気になって、空太のデスクに歩を進めた。
ちらりとそのディスプレイを覗いてみると、どうやら試験勉強をしていたようで、数式の説明やら問題文やらが並んでいる。
なるほど。
成績の良い人というのは、時間の使い方が上手くて時間を無駄にしないんだな…と、亜紀は感心した。
亜紀自身は元々は115位…簡単な進級テストを受けてある程度の点が取れれば上の大学に行ける100位から240位のいわゆる中間層だったのだが、体育祭で義勇に靴を貸したのをきっかけに錆兎から予想問題を回してもらえてそれで勉強したため、99位となって、ぎりぎり無試験で進学できる位置につけている。
だが、油断したらまた中間層に落ちるのは目に見えているので、なかなか微妙な位置だ。
それこそ2位だろうと3位だろうと、最上位層の、さらにトップクラスにいる空太より、亜紀のほうがよほど早く勉強を始めなければならないんじゃないだろうか…
そんなことを考えていると、なんと空太が戻ってきた。
「なに?それどこか変なところあるかな?」
と、亜紀がPCを勝手に覗いていたことには全く不快な様子も見せず、空太は手にした紙袋をデスクに置いて、亜紀に声をかけた。
それに亜紀は首を横に振る。
「ううん。ただ、もう試験勉強しっかりやってるってすごいなって思って…。
拝島君、順位一桁だから最上位層から落ちることもなさそうなのに。
上位層ぎりぎりの私のほうこそ勉強しなきゃいけないよね…。
………でも…戻ってきたんだ?」
「……??
戻ってって?ここに?
だって僕は10時までだからね、当番。
そりゃあ戻ってくるよ?」
「えっと…代わってって言ってたから…」
「ああ、これ買いに行ってた」
どうぞ、と、渡されるジュースとクッキー。
「あ、ありがとう?」
不思議そうに受け取る亜紀に、空太は
「お礼に…って、僕言い忘れたかな?」
と、こちらも不思議そうな顔をする。
そこでようやく合点がいった。
「あ~!!私がお礼をされる側だったの?!」
と、思わず声をあげると、空太はますます不思議そうに、
「いや、褒めてもらったから…。
というか、僕は君に礼をされるようなことをしたかい?」
と、目を丸くする。
「…いや…えっと…良いもの見せてもらったから…かな?…って…」
「良いもの???」
「…デキるビジネスマンみたいにカッコいいメガネ男子……?」
「………」
「………」
「………僕…もしかして君に口説かれているのかい?」
うっわあああーーー!!!!
言われて亜紀は真っ赤になって動揺しまくった。
「ちがっ!!そうじゃなくてっ!!!」
わたわたと慌てる亜紀に、
「ずっと思ってたけど……亜紀君って…天然だよね…」
と、大きなため息をつく空太。
「でもまあいいや。
亜紀君は僕のことを優しいって言うし、カッコいいって思ったってことだよね?」
そう言われてしまうと、否とは言えない。
自分が…というより、義勇関係の諸々を考えなければ、拝島空太という男子はかなり万能でカッコイイ部類の高校生だとは思う。
なので、改めて確認されるとめちゃくちゃ恥ずかしいが、正直に頷くと、空太は
「それはイコール好ましいということだよね?
違うならきちんと否定してくれたまえ。
僕は同じ失敗を二度は繰り返したくないから、否定されても受け入れるし、遠くも近くもない普通の節度ある距離感は保てるから」
と言う。
「…えっと…それ、どういう……?」
「とどのつまりは、僕は亜紀君に友人としては最上級の部類の好意を持っている。
それ以上の関係を望むかどうかのラインは亜紀の方が僕に対して特別な好意を持てるかどうかということで、その一点をクリアしたら、最上級の友人からもう一歩進んだ関係を望むだろうということだ」
「……?????」
思いきり脳内ではてなマークを飛ばしている亜紀の様子に、空太はまた、はぁ~、と、大きくため息をついて、そして今度は短く言った。
「つまり、ぼくは亜紀君のことが特別に好きで亜紀君もそうなら付き合いたいということだよ」
「えええっ?!!!」
びっくりした。
とにかくびっくりした。
いやいや、義勇の一件のあと、なんだかコミカルなキャラとして落ち着いているが、拝島空太はスペック的には成績と同じく学年で3位には入るであろうキャラだ。
一方の亜紀はブスではないが、彼が口説いていた学年3大美少女の1人の義勇とはくらべものにもならない普通の容姿で、成績もようやく上位層の末端に滑り込んだ中の上。
運動神経その他も特に良いわけでもない、平々凡々な女子である。
「…えっと…すごく光栄だけど…そう言ってもらえるのは嬉しい…けど……」
錆兎君の彼女…なんて身の程知らずな願望はとっくに捨て去って、普通に女子高生をして普通に彼氏を作って普通に恋愛もしてみたい…そんなことも考えてみたこともあったが……
「…無理…だと思う。
拝島君、私のこと、絶対に誤解してる……」
そう、産屋敷学園に居る間は絶対に無理だ。
たぶん、まりが亜紀が幸せになることなんて許さない。
実際に空太と付き合うということを考えた時に、そんな想像が頭に浮かんだ。
まりは亜紀がしてきたことを空太にバラすだろうし、錆兎やその周りに対する嫌がらせに協力してきた女だとバレれば、空太は亜紀を軽蔑して嫌うだろう。
そう思うと、悲しさと後悔と諸々でいっぱいになって、涙があふれてきた。
…ごめん…嫌わないで……わたしのこと、嫌いにならないで……
しゃくりをあげてその場にしゃがみ込む亜紀に、空太は慌てて自身も床に膝をついてその肩に手を置いた。
「いや、僕は本当にさっきも言ったけど、拒否されても別に嫌ったりはしないよ?
単に今まで通り友人としての距離を保つだけで……」
「……違っ…て…っ……」
「うん?話したいことがあるならきくから、とりあえず座ろうか」
と、空太に促されて椅子に座る。
そこであとでバレて嫌われるよりは…と、亜紀は幼稚舎の頃に錆兎の周りの女子を追い払うまりの計画に加担したこと、それからずっと離れたかったが自分が標的になることが怖くて断れなくて彼女のやることに協力してきたことなどを全部打ち明けた。
それをずっと黙って聞いていた空太は、亜紀の話が大方終わったところで、
「なんだ、そんなことか。
で?君の意志としてはどうなんだい?
僕とつきあいたいのか、つきあいたくないのか」
と、本当に何事もなかったように聞いてくる。
「…え?」
こんなことを聞いても引かないのか?と、そんなことで片付けられたことに驚いて顔をあげた亜紀に空太は
「結局、亜紀君は良くも悪くも目の前にいる人間を尊重しすぎるんだと思うよ?
だから、これまで武藤まりを尊重して行動してきたところを、尊重する相手を僕にシフトしてくれれば僕的には全く問題ないんだけど?」
と、実に淡々と言ってのける。
「何か武藤に言われて困ったら、全部僕に言ってくれれば亜紀君が困らないように対処できると思う。
僕だけで無理なら鱗滝君とか生徒会役員全員で当たればなんとでもなるしね。
そもそも、武藤に騙されてやらかしているのは僕も同じだし?」
「…でも…拝島君は……なんで私…?」
「うん、まさにその亜紀君の良く言えば他人を尊重するところ、悪く言えば流されやすいところが僕のように我が強い人間にはすごくあっているかなと思って。
亜紀君自身は、嫌がらせとか、やることの性質に対しての抵抗感はあっても、他人に合わせることに対してストレスを感じない性格みたいだから。
僕は前回のことで色々考えたし、反省もしたし、正しい道を歩きたいと思っているから、間違っていることを指摘されて本当に間違っていたら、それは正すつもりだから、亜紀君が不本意に思うようなことをする気はない。
ただ、僕は自分が大好きでね、一番傍にいる人間には特に、自分を認めて欲しいし合わせて欲しい。
それをするのがストレスになる人間に強要したって長くはもたないだろう?
亜紀君は息をするように当たり前にそれをしてくれるから。
その代わり僕は君を一番に守ると約束するよ。
自分で言うのもなんだけど、なんでも人並み以上にはできる人間だから、勉強でもなんでも教えてあげられるしね。
…ということで、どうかな?
亜紀君は僕と付き合うのは嫌かい?」
実はハイスペックな男子である空太が亜紀にのぞんでいることは、まさに亜紀も素で居られる無理のない楽なことで、過去のやらかしにも理解があって、武藤からもかばってくれる…こんな都合の良いことがあるんだろうか…
「…ありがと……よろしく…お願いします」
涙を拭きながらそう言う亜紀に、空太は満面の笑みで言う。
「こちらこそ。
あ、そうそう、あと、亜紀君に関してすごく重要な要素が…」
「…??」
「僕が鱗滝君を推すことに理解があること!
一緒に推してくれそうだからっ!」
と言うその言葉に、亜紀は今度こそ泣き止んで噴き出した。
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