──あっ…の、役立たずがっ!!!
鬼女のような形相で呟く武藤まりの言葉にすくみあがる女子高生…伊藤亜紀。
伊藤的には腐る縁なら腐って切れてしまって欲しいのだが、何故か切れない。
強引に切ってしまうにも付き合いが長すぎて弱みを握られ過ぎているし、そもそもが相手の性格の怖さを知りすぎているので、躊躇してしまう。
ああ、亜紀はただ好きになっただけだったのだ。
鱗滝錆兎君…クラスで一番カッコよくてキラキラした男の子。
ただ、彼の視線がこちらを向いて、彼が自分に優しくしてくれないかな…などという程度のことを考えていただけだった。
そのために多少の努力が必要なら頑張るつもりはあったが、裏で他人に嫌がらせをして蹴落としてでも…という発想はなかったのである。
それでも恐ろしい顔で他の女の子たちが彼に近づかないようにするのだ、と、チクったらどうなるかわかってるわよね?
と、詰め寄られれば、否とは言えない。
嫌がらせが自分に向くのは怖い。
そんな理由で武藤に協力していたら、当の錆兎君は小等部に上がる時に男子科に移籍してしまった。
おそらく自分達がクラスの女子みんなに彼を避けさせるように仕向けたのも絶対に原因の一つだろう。
悲しかった。
小等部の入学式で彼が共学科にいないことを知って、一晩泣き明かした。
でも当の武藤まりはけろりとした顔で
「男子科なら当たり前だけど女子がいないし、鱗滝君が他の女に取られるよりは良かったわ」
と言い放ったのである。
殺意が沸いた…。
沸いたのだが、それでも亜紀には武藤に逆らう勇気はない。
内心むかむかしながらも、それでも笑顔で彼女とつきあっていった。
武藤は相変わらず気に入らない相手を見つけたら陰で嫌がらせをしたりしていたが、錆兎君がいなければ…錆兎君に影響するものでなければ、亜紀の心は平穏である。
苛めというものがずっと昔からなくならないのは、結局、いじめでストレスを発散している人間が一定数いるためで、武藤の苛めも亜紀がそれほど積極的に関わらなくても協力する子が増えていたので、亜紀自身は出会ってからは長くはあるが、最近では浅く付き合うだけで済むようになってきた。
平和、実に平和である。
そのどこかぼやけた平和な日常が崩れたのは、高1の1学期の期末テストの少し前だ。
窓際の女子達が鱗滝君がいると大騒ぎをしている。
鱗滝錆兎君っ?!!
亜紀もその声に飛びついて、窓際に走り寄った。
そこから見える共学科の玄関には懐かしさで涙が出そうになる見事な宍色の髪。
幼稚舎時代もカッコ良かったが、現在、幼稚舎時代と違って、かなりしっかりと男らしくがっしりとした体格になった彼は、息が止まりそうなくらいの美形に成長していた。
胸がいっぱいで声も出ない亜紀の周りでは、男子科の彼が何故、共学科の玄関にいるのかと大騒ぎになっている。
男子科に移籍してからも仲良くしているらしい宇髄君と待ち合わせでもしているのかという声もあがったが、宇髄君が否定したため結局真相は謎のまま、今一つ上の空のホームルームを終えて、女子は皆カバンをひったくるようにして玄関へと猛ダッシュした。
もちろん亜紀もだ。
何かを期待していないかと言えば全く期待していないわけじゃない。
『覚えてる?幼稚舎で一緒だったんだけど…』くらいの会話を交わしてそこから話が盛り上がったりしたら理想だが、単に近くで見るだけでも良いと思う。
しかし現実というものは非情なもので、幼稚舎の頃から憧れていたアイドル的存在は、共学科に出来たらしい彼女を迎えに来ていたようだった。
彼女を害する男子を投げ飛ばして彼女を救出したあと、その女子と一緒に仲良く帰って行く。
もちろん…亜紀のほうになど一瞥もくれることなしに…だ。
それに胸がきゅうっと締め付けられるような思いがして、泣きたくなった。
カッコイイ錆兎君の彼女は、学年三大美少女と言われている女子である。
すごくお似合いだ…。
やっぱりあのレベルの美少女じゃなければ彼の隣には立てないんだな…と、悲しくはあるが諦めの境地で項垂れる亜紀。
結局どれだけ裏で策を弄したところで、周りに女の子がいなくなったら別のところから彼にふさわしい可愛い女の子が現れるだけなのだ。
あ~あ…と、諦めて帰ろうとした亜紀は、隣からすごい殺気を感じて、ひぃっ!と声にならない悲鳴をあげてすくみあがった。
──なに、あれ…。なに鱗滝君にべたべたしてるの…あの女…許さない…
低く…低く呟かれるその言葉と視線だけで射殺せそうな鋭い目を外に向けている武藤の様子に、亜紀は10年近く続いた平和な日常がガラガラと崩れ落ちていくのを感じた。
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