契約軍人冨岡義勇の事情37_零れ落ちるもの

処置室につくと宇髄が付き添って、錆兎は取り残される。

冷静でない…ゆえに邪魔になる
そう言われると錆兎もそれでもとは言えない。

死にかけている義勇を前に泣きわめかないなんて保証はできない。
それは自分でわかりすぎるほどわかる。


そうして待合室で待機しながらも、その意識はひとえに処置室に注がれている。

いっそドアなんて壊せてしまいそうなくらいの勢いで凝視しながらも、理性で自分を律してその場にとどまっていて、隣で自らが打ち抜いた右手の手当てが行われているのにさえ気付かないくらいだ。


そうしてどのくらいの時間がたったのか、処置室のドアが開いた瞬間には驚きと不安でショック死をしそうだった。

治療が終わればドアが開く
そんな事は当たり前のことなのに
しかし覚悟ができていないのだ。

ドアがあけば今の容態を聞かされる。
例えそれが最悪なものだったとしても……


実際…決してにこやかとは言えない表情で出て来たナースが医師呼んでいるから来るようにと告げて来たので、あまり良い報告ではないのだろうと思えば、逃げたくなった。

逃げてもどうなるものではない
そんな事はわかりきっているはずなのに

鉛のように重くなった足を引きずるように処置室へと入った時、錆兎は倒れそうになった。


驚くほど大量につけられたチューブ。
それが繋がれた様々な機械を見ただけで、容態の悪さは十分に想像できる。
その上で厳しい顔をした医師の顔
それだけでもう死にたくなった。


――残念ながら…心臓がもう持たないかもしれません。今夜いっぱい持つかどうか……

クラリと視界が揺らぐ。

――…俺の……やってくれ……

反射的に口から出たのはそんな言葉だった。


義勇の命を繋ぐためなら何でも出来る
そう、思う。


「…何をですか?」
医師がその意味を取りかねて少し眉を寄せた。

「…心臓……」
それだけ言うと錆兎はその場に座り込むと床に手をついた。


「なんでもやるっ!
いくら金がかかっても構わないし、手でも足でも肺でも心臓でも…命全部でもいいっ。
俺の持ってる物なんでもやるから……
頼むからぎゆうだけは助けてくれっ!!」

ぽつり…と目から零れ落ちた涙が床についた手のひらを濡らしていく。


何でも出来ると思う…
今生で足りないなら魂を悪魔に売ったって良い

こんな風に…こんな風に恐ろしい思いをさせて…痛い思いをさせて…ひどい苦しみの中で死なせるくらいなら、自分が地獄に落ちた方がいい

本気でそう思うが現実は残酷で、医師は少し困ったような顔で

「実際に移植するにしても閣下を死なせるわけには行きませんし、そもそもが手術に耐えうる体力がもう残っていらっしゃらないので……」
と当たり前にわかっていた事実を告げてくる。

そうだ…自分の命についてはどうでも良いとしても、そもそもが手術に耐えられる体力がもう義勇にはなかったのだ…


「…じゃあ…どうすればいいんだ……」

床の上についた手のひらをぎゅっと握りしめて喉の奥から絞り出すようにつぶやく錆兎に、
医師はただ
「申し訳ありません…」
とだけ答えた。

つまりは…もう何も出来ないと言う事…なのだ。


錆兎はその後、身体中にたくさんの管をつけられて酸素吸入器の下で苦しげな呼吸を繰り返す義勇に一晩付き添った。

奇跡が起きてくれるように祈りながら…
これまでになく真剣に祈りながら…

だが奇跡は起きず…朝日が部屋を照らすのを待つことなく、義勇は呼吸を止めた。


この時に鳴り響いた尖った警告音を錆兎は一生忘れる事はないだろう。

それは絶望の鐘…
錆兎にとっては世界の終末に鳴らされる7つのラッパにも等しいものだった。

握り締めた小さな手が力を失った瞬間…気が狂ったように絶叫し、置いていかないでくれと哀願したが、当然聞き入れられる事はなく、声も涙も枯れ果てるまで泣き叫んだ。

幼い頃から総帥の跡取りとして自分を律するように育てられたためこんなに感情を表に出した事は今まで一度としてなかったが、出しても出しても、どれだけ嘆き叫んでも、悲しみは尽きない。

絶望に正しく溺れながら、その中でそれが唯一の救いとばかりに義勇の亡骸を抱きしめた。

それでも…以前なら慰めてくれたその細い身体は、今はもう錆兎の悲しみに応えて癒してくれる事はなく、それが悲しくて辛くて錆兎はまた泣き叫んだ。


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