契約軍人冨岡義勇の事情16_無事な部分

「…ごめ……たかった……守りたかった…だけだったんだ…。
ごめん…な……怖かったな……苦しかった…よな………ごめ……」


ぽつん…と、春先の雨のように温かい雫が流れ落ちる先の頬もまだ柔らかさを保ったまま……ぎゆう、といつものように呼べば今にもはにかんだ笑みを浮かべそうに思えるのに、その心臓は鼓動を止め、肺は呼吸を止めている。


自責の念で泣き崩れる錆兎。

だが、それを後ろからグイっと押しのけて、実弥はやや乱暴にその細い身体をシェルターから引き出して、脱いだ上着の上に寝かせた。


「泣いてる場合じゃねえだろうがァっ!
心肺停止してどのくらいたってんのかわからねえが、そう時間たってないみてえだしとりあえず蘇生だろォ。
俺が心臓マッサージするから、お前は人工呼吸な。
やり方わかってるな?」

ゴン!と軽く握った拳で錆兎の頭を軽く殴ると、実弥はそう言って自分もその前に膝まづく。

その実弥の言動と行動に錆兎はハッとした。
そうだ、絶望する前に、泣く前にまずやる事があるではないか…。


あがけ!
あがいて、あがいて、あがいて、生き残ってきた実働部隊の実弥が今回の連れで良かったと思った。



慣れた様子で胸骨圧迫をちょうど30回行う実弥。
その後、錆兎は人工呼吸を2回行い、さらに実弥が胸骨圧迫を30回。
それを数回行ったあと、ふいにピクリと身体が震えた。


そして奇跡は起きる…

ふわりと開く目。
まるで夜が明けるように漆黒のまつ毛があがり、焦がれ続けた綺麗なブルーの瞳が現れる。
ゆっくりと開く桜色の唇。

まるで凍えきった心に染みわたる春の日差しのように、優しく温かな何かが錆兎の中に入り込んでくる。


…会いたかった……嬉しい……

胸に突き刺さるような染みいるような小さな声と笑み。
その希望の光に、錆兎は今度こそ神の前に膝まづき、感謝の念を伝えたい気分になった。


神様…神様…

彼自身を取り巻いてきた非常に実利的な現実とは裏腹に、彼自身には父親に見染められて連れ去られる前は神に仕える身であった実母の血と教えが流れている。

軍籍に身を置き、必ずしも褒められた方法ではない手段を使ってでも勝利を勝ち取ってきたにもかかわらず、やはり辛い時も嬉しい時も心の中では常にその存在を意識している自分がいるのを錆兎は自覚していた。

だからこそのその言葉だったのだが、それに応えようと錆兎が口を開く前に、また白い瞼がゆっくりと閉じていった。

一瞬それに焦るが、しかし今度は伸ばした鼻先から空気の流れを感じてホッとする。
意識を失っただけで、その生命活動が保たれている事を確認出来ればとりあえずは良い。


こうして全身から力が抜けて放心していると、少し複雑な顔をした実弥が無線を手に回り込んできて、錆兎の顔を覗き込んだ。

「総帥が輸送船出してくれてるらしいぜぇ。
あと2時間ほどで着くって言うから、戦闘機の場所まで移動だァ。
で、その間に敵さんが出たら、人数によってはお前がこいつみてて、俺が対応。
対応できねえくらいすごい人数だったら、俺がこいつ連れて空に逃げるから、お前は気合い入れてなんとか撤退しろ。いいなァ?」


ああ、錆兎の中の優先順位をわかっていてそれを尊重してくれる実弥は本当にありがたい。
これが実弥以外だったら、義勇を置いて2人で逃げると言うだろう。

感謝する、と、錆兎はようやく小さく笑みを浮かべると、先に立って歩く実弥のあとを義勇を抱えて追った。



事故後おそらく1時間強。
まだ中央政府の方は事態の対応が出来ていないのだろう。

発電施設に一番近い病院だったせいで発電施設も破損していて、おそらく直接的に被害がなかった他の病院もおおわらわだ。

だから辺りにはまだ誰もいない。
そんな風にただ死体と瓦礫が溢れかえる中を歩き続ける途中で実弥が口を開いた。


「なあ、錆兎」
「ん?」
「一応…一応な、覚悟はしとけよ?」
「ああ、もちろん。俺だっていつも前戦に出てるんだぞ?」
「…そっちじゃなくてなァ……」
「…?」

「心肺停止な、していたわけだから、何かしら脳に影響あるかもしれねえぞォ。
体の障害、記憶障害、何かしらの障害が出るかもしれねえ。
けどな、一つだけ言っておいてやる。
それでも、大事な相手の散々嬲られたあとの遺体とか見つけて、自分がそいつの命どころか尊厳さえ守ってやれなかったっていうのを見せつけられる事に比べたら、本当に幸せだぜ。
守ってやれるところが残ってるだけ幸せな事だからなァ?
守ってやれた部分を全力で守ってやれよ?」

そう言う実弥の表情は後ろからでは見る事は出来ない。
が、いつもより、いや、いつも以上に淡々とした口調で語る実弥。

それは…お前の経験なのか?と、喉元まで出かかったが、聞いて良い事ではないことな気がして、錆兎は寸でで言葉を飲み込んだ。


義勇に関して言うならば、錆兎が出会ってからの義勇はずっとベッドの上の病人だったし、錆兎が目にする義勇はいつも横たわっていたので、多少の障害が残って、例えば寝たきりになったとしても、錆兎自身はそうショックはうけないだろうと思う。

強いて言うなら…もし義勇がそれでショックを受けるような事があれば、全力で力づけてやらねば、と、思うくらいだ。

そんな事を考えていた錆兎が直面したのは、思いもかけない方向の障害だったのだが、この時はまだそんなことは想像だにしていなかった。


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